熊本大学薬学部の研究室で卒業研究を指導した学生が,論文博士の学位取得のため,病院薬剤師を辞めて熊大に研究生で在籍し研究を続けている.このようなケースは私の研究室では二人目である.病院薬剤師だから臨床に関する研究と思う人が多いと思うがそうではない.完全に基礎系の仕事である.合成,単結晶X線解析,分子軌道計算等を駆使して結晶抱接体の分子認識に関する研究を行っている.私の退職後は,後任の教授が丁寧に指導してくれているので,安心して完成を待っている.彼は修士課程に進学していないのでその分の研究実績が必要でなる.研究生に在籍し投稿論文を作るため苦労している様子を見ていると学位取得にまつわるいろいろなことを思い出す.
博士論文発表自体は最終試験であり,発表後の質疑応答を受けて後日研究科委員会で投票が行われる.その結果で最終的に学位が認められるわけだが,いつのまにか発表が終わったら印刷した学位論文の冊子をもって各研究室の先生方に配って回るようになった.貰う方も当たり前のように挨拶に応えて労を労う始末である.もともと遠方の会社に勤めている人は何度も足を運べないので,論文発表会の当日,論文冊子を配るようになったものと思われる.最終試験でドジをやることもあるかもしれないが,予備審査で十分に精査されているので最終試験は形式的なものになってしまっていると言っても過言ではない.
九州大学で,論文博士公聴会を聴きに行って珍しい経験をしたことがある.会場に行ったら審査員(主査,副査),スライド係,時計係のほかは,発表を聴く人間は私一人だけだったという経験である.学位申請された方が熊本県出身だったため「同郷のよしみ」で聴きに行ったということである.講演の内容は無菌蛇口の開発に関する研究であり,学位取得後ある国立大学附属病院の薬剤部長に就任された.最近,熊本大学の公聴会を聴きに行ったら同じようなことがあった.聴く人がいない論文発表会というと何となく惨めな感じだが,そうでもない.研究室に在籍している院生の発表会の場合も研究室関係者を除くと外部の人間はほとんど居なくて審査員だけということがある.それだけ修士や博士の論文発表会が多くなり,内容が細分化され興味がうすれてきたことも事実である.研究科委員会で投票するためには,教授,助教授全員が公聴会に出席していなければならないはずであるが,それは原則にすぎない.主査の意見を聴いて合否を判断するということが普通になっている.
ある時,化学系の論文発表会があった.発表した本人が一通り挨拶回りをした後,再び訪ねてきた.先に挨拶に行ったある教授室の前を通ったらゴミ箱に博士論文が捨ててあったそうである.かなり時間が経ってから廃棄することとどこが違うかと聞かれると答に困るが断捨離もここまでやれば立派である.その教授の部屋はいつも綺麗に片付いていた.論文発表会を聴くことも論文冊子体を持つことも断捨離の対象になってしまっているということである.(2011/12/30)
追記
◯一昔前までは,地方大学には大学院が設置されておらず,博士になるには長い間研究し,目処が立つたら博士課程が設置されている大学に研究生として最低1年間くらい在籍し,そこの教授とコネを作り,共著論文を作る必要があったと聞いたことがある.ところが昭和50年頃になるとどんどん博士を作るようになった.以前の論功行賞的なものではなく研究者としての出発点に立ったことを意味するようになった.
◯最近届いた九大薬友会の名簿をもとにグラフを描いてみた.修士入学者の最高は80名に近い.修士課程の在校生の数は2年生65名,1年生49名,博士課程は25(1年生),22(2年生),21名(3年生)である.最近の減少傾向はは6年制課程設置の影響を受けているものと考えられる.多くて10名の時代は遙か昔のこととなってしまった.