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構造解析のミスが思わぬ研究展開へと繋がった典型的な事例である.
兼松教授が赴任直後(名古屋大学工学部 → 九州大学薬学部)に私のところにやってきて,「これX線解析できますか」と言ってサンプル瓶に入った黄色の結晶を手渡した.実体顕微鏡で調べると単結晶に成長する可能性のあるプリズム状の小さな結晶が認められた.エタノール・アセトンの混合溶媒に溶かし三角マイヤーの口にガラス板をのせて放置し徐々に溶媒を自然揮発させたところ綺麗な淡黄色結晶が得られた.さっそく四軸回折計を用いてデータを収集し,直接法MULTANで位相決定するとフーリエ合成図上に構造4とはまったく異なる構造が浮かび上がってきた.
そのまま対角近似最小二乗法を用いて構造精密化を続け,結合距離などを精査すると4(上図緑枠)ではなく紛れもなく7の構造(下図赤枠)であることが判明した.7のカルボニルは二重結合と共役しさらにビフェニルまで共役がのびている.可視部に吸収があることは明白であり,黄色の結晶であることとよく符合する.先生も納得し,その結果を訂正論文として速報誌に投稿した.
4は,理論的には光反応,すなわち6π+2πの反応でしか生成しない化合物である.熱で生成するためには図(米国化学会誌のScheme IIIを引用)に示すようなステップワイズの反応機構を経る必要がある.一方,X線解析で明らかになった化合物7は,見掛け上,フェンサイクロン1が2π,アゼピン2が4πで熱反応条件下で生成する可能性がある.典型的なDiels-Alder付加体である.しかし,これまで1が4πジエンとして反応するものばかりを取り扱ってきたこともあり,皆なとなく釈然としなかった.1が4πジエン,アゼピン2が2πで反応して付加生成物5が生成し,それがコープ転位すれば7が生成するはずであるが,5を単離しないことには推測の域を出ない.
Cope転位とは
2個の二重結合の間に単結合3個がある化合物では末端のa,fが結合し,c,dが切れる反応が起きる.置換基がない場合区別がつかない.a,c,d,fに置換基があると別物になる.6π電子が関与する熱条件下で行ったり来たりする.
そこで,どうにかして単離してみようということになった.過去のデータを精査すると,1 (0.695g)と2 (0.3g)を20mlのベンゼンに溶かして55°C,封菅で反応させていることがわかった.そこで,1を理論量の4倍用い,さらに極端に溶媒を少なくして分子衝突確率を上げ,室温で長時間攪拌した.1の紫色が消えた時点でメタノールを加えると無色の粉末が得られた.生成物を薄層クロマトグラフィーで調べると7とは異なるものであり,目的の結晶であることは無色(エノン構造ではない)であることからも容易に推測できた.各種のスペクトルデータは5の構造を支持し,ベンゼンに溶かし加熱すると7へ変化することから一次付加化合物5(中間体)が得られたことが判った.6は,5のどの結合が切れ,どの原子同士が結合するかを示す概念図である.注)1は酸素と反応するが封菅する必要はなかった.
連続周辺環状反応
この知見がきっかけで次図に示す一連の中員環共役化合物(シクロへプタトリエン,アゼピン,オキセピン,トロポン,シクロオクタテトラエン)についてシクロペンジエノンとの反応を実施し,その結果を総合的に捉えることによりペリ環状反応の全貌を明らかにすることができた.中員環化合物とシクロペンタジエノンのπ電子の合計が4n+2,すなわち総電子数が6,10,14の場合,熱で環化付加体が得られる(反応点の両端でHOMO, LUMOの位相が合うことからこの法則が導かれる).中員環化合物の種類によってどの組み合わせが優先するかもわかった.共通していえることは,どの中員環化合物においても6π電子を用いてシクロペンタジエノン(4π)と反応し,4π+6π付加体が得られることである.中員環化合物が2πで反応する場合は反応点が2個あるが,Xの向かい側の二重結合と反応するのはアゼピンだけである.
次図はいろいろな中員環共役化合物との反応で得られた総合的な知見をもとに構築した反応経路図である.ここではトロポンとの反応における生成可能な化合物を示した.トロポニンの場合はカルボニルも二重結合と同じ役割をするので,8π電子系も考慮する必要がある.単離できるのは,動きまわった挙句のはての熱力学的にもっとも安定な分子である.
一連の反応挙動はフロンティア軌道論で明快に予想可能であり,その実験的証明に役に立ったことは言うまでもない.フロンティア軌道論の原理にしたがい,HOMOの高い中員環共役ポリエンに対してLUMOの低い電子欠如型シクロペンタジエノンを使用したため,加熱することなく反応が進行したのが成功の要因であった.
自然光による光環化付加
上記の反応はかご型化合物の化学へと発展した.次図に示すように別の電子欠如型シクロペンタジエノン(桃色)とアゼピンとの[4+2]付加体は光で閉環し,かご型化合物(青枠)を与えた.黄色結晶である7の単結晶を作る際に,無色の結晶が混じっていることに注目し,その結晶を撮み出しX線解析した結果発見したものである.
ほとんどの環化付加体の構造解析では単結晶X線解析が威力を発揮した.最近はX線解析に大型計算機を使用することはない.さらに,反応経路図に含まれる付加体や遷移状態の計算がパソコンで検証できるようになった.今後さらにマルチコアCPUが進化すれば反応系を単純化することなく全置換基を含めた実際の化合物を用いた高度の分子軌道計算が可能になるはずである. (2012/2/5)
かご型化合物の化学への展開
高ひずみかご状化合物の合成と脱カルボニル反応および閉環反応
異常に長い単結合の存在
キノン環化付加体の光環化とオキセタン系化合物
電荷移動錯体形成への展開
フェンサイクロン(1)と電子過剰型のオレフィンが反応する際,付加反応の前段階で錯体が形成することを明らかにした.このことは福井博士が予言した逆電子要請型のDiels-Alder反応の場合,反応中心に電子が局在化するという考えを実験的に支持することに繋がった.
私は,兼松研究室立ち上げ期に在籍し,シクロペンタジエノンのペリ環状反応の全貌を明らかにすることができた.その後熊大薬学部で実施した関連研究は以下のとおりである.
その後の展開
非共役ジエン化合物との反応 Isotwistene化合物の生成反応
非対称シクロペンタジエノンの合成と配向選択性
1,4-付加を基軸とする連続ペリ環状反応(Allylicアミン類との反応)
シクロペンタジエノン付加体の結晶抱接機能
分子軌道計算によるシミュレーション