藩国解説

本項ではスキュリオーティエ時代に存在した諸藩国について解説を行う。


基本情報

緑……西リパラオネ共和国

黄色……東リパラオネ王国

水色……クレオス・ド・メアパトロネスト圏

青……北アレス氏

赤……南アレス氏

(八有力国は省略されている)

諸邦のヴェフィサイト家

各国・浪士

南アレス氏

カウィチェレイ藩国

戦地から一番離れているから靡いていれば軍需で儲かる

ヴェフィサイト:トゥティア・ドゥ・サフィエ・トゥサティア(Toustia de Sefie tousestia)

国主:天届王ノソウ(Nocou=beruona-gauki)

カウィチェレイ藩国(現理:kawicheilei'd poltadzarlefan, 古理:Catonishogardun kawicheilei, 淮:Icha-vois ats kaicheles, 藍語:kawicheilei inininimutusip'ui)は、ラネーメ人の藩国の一つである。王国領再編以降に、この地で勢力を保っていたラネーメ人の一族であるアママズィニザ家が創始した。君主号はブリモウ(blim/blimou、灯台)である。アママズィニザ家は昔から、アレス王朝からその貴族家の残虐性を指摘されていて半島の端に飛ばされていた。天届王ノソウは例に倣ってそのような人物であった。実際にへまをやらかした家臣とその部下を殺し、ヴェフィサイトを戦地に向かわせようとしていたためにヴェフィサイトであるトゥティアは国家とヴェフィサイトを守るために軍需で儲けることを国王に提案することで、戦線に向かうことは食い止めることが出来たものの、次はノソウは国民を馬車馬のように働かせ始め、ブラック国家となっていってしまった。国全体をあげた生産は国境を接するウウェイクに強い後方支援を与えた。ウウェイクが万全の準備で戦えたのはこの国がブラックになったためであった。

ウウェイク藩国

カウィチェレイの支援を受け、武勲のため一生懸命に戦う

ヴェフィサイト:ワリア・ドゥ・トゥフィエ・ウォウトゥリ(Wellia de Tufie weltuli)

国主:快王カムトゥ(kamutu=kumuma-gauki)

ウウェイク藩国(現理:uweiku'd poltadzarlefan, 古理:Catonishogardun uweiku, 淮:Icha-vois ats uweiké, 藍語:uweiku inininimutusip'ui)は、ラネーメ人の藩国の一つである。王国領再編以降に、この地で勢力を保っていたアイル人の一族であるダウパイツヨー家が創始した。君主号はアーグニマン(argniman/agniman、大放火者)である。このアグニはअग्निとは関係なく、agu-ni-ma-nu(放火者と大きいの)という形態素の短縮である。神話記述に基づくところでは、ウウェイク藩国の統治を行っていたアイル人の一族ダウパイツヨーは皇論におけるウェールフープを忌諱する風潮が少なくラネーメ王朝圏において唯一ウェールフープ技術を独自に打ち立てようとしていた。ウェールフープ技術の実験を行った際に他国との境で大爆発を起こし、誤って村一つを焼き滅ぼしたため皇帝の怒りを受けてこの君主号を授けられた。後にウェールフープ学者は捕まえられて皇帝領まで連れて行かれたためウェールフープ技術は文書にのみ残った。彼らはこの時の記録文書を元に古代のウェールフープ技術とヴェフィサイト戦術を統合した最新の軍事体制をカウィチェレイなどの支援によって整えることが出来た。王朝のウェールフープ戦が一般的となったのはこの国のウェールフープ技術の実用化があってこそこのことである。

ヒンゲンフーディヤ藩国

何にも関係ないし、戦いたくない

ヴェフィサイト:ウォーキア・ドゥ・エサイティエ・ウォラキ(Wolkia de Esseitie woleski)

国主:アレス・エストゥヴァツァ・エレン(Ales estvaza elen)

ヒンゲンフーディヤ藩国(現理:Hin'genhurdija'd poltadzarlefan, 古理:Catonishogardun Hingenhurdia, 淮:Icha-vois ats Hinggenuédia)は、ラネーメ人の藩国の一つである。王国領再編以降に、この地で勢力を保っていたラネーメ人の一族であるアレス・エストヴァツァ家が創始した。君主号はペズィナー(pesinar/pesiner、座る者)である。戦地となる南北境界線からは離れている国家であり、また皇帝領とのつながりも深い西行小別水道とつながっているために穏やかで文化的な風土を醸造してきた。南北戦国時代が始まってからは南アレス氏に属しながらも戦闘から一歩身を引いた姿勢を持つことが多かった。国民の穏やかな性格から皇帝から文献や文化的な物品の整理・保存・記録を任されていたとされている。ヴェフィサイトであるエサイティエ家は後に続く三国戦国時代における王権保守派として各家と対立するように非常に皇帝への忠誠が強く、文化的物品の保護という任務を果たすために戦争という状態から国を遠ざけようと当時は当主のアレス・エストヴァツァ家と共に考えていたが、北アレス氏戦況の悪化とファーリヤやアルザッツァの北アレス氏の不適切なイメージの流言を受けて途中から北アレス氏と本気で渡り合おうとする。

ヴァラー藩国

デルニッシュを支えながら戦わねば半島戦線が崩壊する

ヴェフィサイト:アシア・ドゥ・バローティエ・アーバハイト(Achia de Bellautie abeheité)

国主:ヴァラー・エナフ(Valar.enaf)

*赤4、ヴァルバローティエ

デルニシュ藩国

独立を守り切らなければ、このレフィアリーに先はない

ヴェフィサイト:ペヴィア・ドゥ・ワラスィエ・ペウォウヴィ(Paivia de Wellesie paiwelvi)

国主:ヒンゲンファール・シャリユ(Hinggenferl.xaliju)

デルニッシュ藩国(現理:Delnixe'd poltadzarlefan, 古理:Catonishogardun Delnix, 淮:Icha-vois ats Delnis)は、リパラオネ人の藩国の一つである。王国領再編以降に、この地で勢力を保っていたリパラオネ人の一族であるヒンゲンファール家が創始した。君主号は(ア)グナー(agner/gner、事務者)である。南アレス氏ではヒンゲンフーディヤ、ファーリヤ、皇帝領、ヴァラーに囲まれ、北アレス氏とはプライゲと国境を接している。この紛争が始まるまでも幾度となく領域の侵犯を受けてきたために領域の維持に関して非常に気を払っていた。皇帝領に触れているうえ、南アレス氏とも接触しているので、この紛争の中では国内が台風を通ったかの状況で過ごしていた。ヒンゲンファール家はカーイハエ文明時代から続くリパラオネ人貴族家であるので、国主であるヒンゲンファール・シャリユは超お坊ちゃまであったらしく、常識が無かったとされる。正装でない状態で街中に出て屋台を破壊したり、市民をからかったため、市民からはフスファグナー(fasfagnar/husfagner)つまり、馬鹿君主と呼ばれていた。ヴェフィサイトであるワラスィエ家はこんな君主を補佐するために現状の危険性をまとめ、シャリヤに伝えた。最終的にシャリヤは意識を改め、国境線を守り、民を護ることを決意することになるが、台風のように国内を駆け巡る友軍の隊伍などによって表面化した不安定な治安によってどんどん国力は削れていった。友軍隊伍の護衛と称した市民に対する横暴を監視する部隊の制定や国内生産と需要の整理などによって他国との依存を出来るだけ切ろうとしたシャリヤは最終的に市民想いの良い国主と評価されることになった。

ファーリヤ藩国

本家を政治利用すれば戦わずして戦える

ヴェフィサイト:ピア・ドゥ・エスタイティエ・ピエサ(Pia de Essteitie piesa)

国主:アレス・リシェールガフ(Ales.lixerrgaf)

グライエスト藩国

藩主を殺してヴェフィサイト家の傀儡にした

ヴェフィサイト:グラルティア・ドゥ・アリジャリエ・グララーティ(Glartia de Alijerie glarati)

国主:ティーラヒー・リーナ・フーン・ダウリラカ(Tīrəxī līna fūn dauriləka)

グライエスト藩国(現理:Gliftreste'd poltadzarlefan, 古理:Catonishogardun Glaiest, 淮:Icha-vois ats Glaiést, タウニラウィッリー語:əl' gəlai'esət-an katˤūnishaɣarədˤun)は、タウニラウィッリー人の藩国である。王国領再編以降に、この地で勢力を保っていたタウニラウィッリー人のダウリラカ家が創始した。君主号はファウーウィーラ(faūwīrə/faover、代理者)である。グライエストという国名は現代リパライン語ではグリフトレストというがこれはつまり「聖なる名勝」という意味である。

元々藩主であったキーティワ・ラバラ・フーン・ダウリラカは慈悲深いことで有名であり、凶作に際して農耕改革を進め、横暴な諸国行脚の役人や皇帝に対して強い姿勢を見せ、政治手腕で国を改善したことから、藩民から強い支持を得ていた。子供が生まれないために養子を得ようとしたときも当時は忌まれていた捨て子を拾い上げて幼い養子ティーラヒーを手心掛けて育てた。一方でヴェフィサイトの倫理に厳しく、ヴェフィサイト長であるアリジャリエ家当主グラルティアとは長らく対立関係にあった。

グラルティアは、この藩主キーティワを謀殺し、幼かった養子であるティーラヒーをファウーウィーラに擁立した。また、この藩国独自のシステムとして幼いファウーウィーラを補佐するための諮問機関「キールディナイラッサ」(kīldinairəssə/補佐者たち)が存在したが、ティーラヒーが君主となった時点でヴェフィサイトであるアリジャリエ家のタミア集団がその実権を握っていた。しかしながら、傀儡君主と見られていたティーラヒーやその友人であるアリーニー・フィリーナ・フーン・ヒナッガインフィーラなどは北アレス氏が優勢になるにつれてナジャールト藩国のユフィア・ド・スキュリオーティエなどと内通して軍事情報を横流しにするなどして、グラルティアを筆頭にヴェフィサイト達を抹殺することに成功し、北アレス氏側にダウリラカ家の人間を連れて亡命することに成功した。

なお、三家不可侵同盟(スキュリヴェフィセスティア)以降になってもユフィアがグライエスト藩国を独立させなかったためにファリアガード戦争では王保派(エステシア)のアレス本家やアレス・エストヴァツァ家と協力して敵対勢力との距離を取りながら、ユフィア・ド・スキュリオーティエ・ユリアを討伐しサーム講和条約では独立公国の地位を認められた。

スキュリオーティエ時代の後に出来たグライエスト公国はこのために非常にタウニラウィッリー人の権威的な国家となったのは別の話であるが、この藩国の興廃の一連は復讐の物語として言い伝えられている。

ゾルキヤ藩国

アルザッツァに同調して、日和見的に動けばどうにかなる

ヴェフィサイト:サフィア・ド・ジェレニエ・サージェ(Sefia de Jailenie sejai)

国主:アレス・ピリスティヤ(Ales.pilistija)

アルザッツァ藩国

アイル連中への復讐のためであれば何でもやる

ヴェフィサイト:ラヴィル・ドゥ・ベーリエ・ラベーヴィ(Lavilé de Bailie labaivi)

国主:クラウリー・フィリン・ケージ・クラスフィッカー=フレッドシャーⅡ(Klauri Filin Kerji klasfikker=FladsharⅡ)

アルザッツァ公国(現理:Alsatza'd poltadzarlefan, 古理:Catonishogardun Alsattsa, 淮:Icha-vois ats Alsats, フラッドシャー語:Dis alsas catenisheghry)は、フラッドシャー人の藩国である。王国領再編以降に、この地で勢力を保っていたフラッドシャー人のケージ家が創始した。君主号はレスチェピンター(leschepinterl/leschepinter、力を集中させた者)である。アルザッツァ公国はスキュリオーティエ時代以前より重大な安全保障上の問題を呈していた。アイル公国との政治的・軍事的対立は強く、更に沿岸のクレオス・ド・メアパトロネストとの抗争や皇帝領からの影響が強い北西水道・西処小別水道の影響をもろに受け、不安定な地でもあった。紀元前4490年におきたアイル藩国からの弓の射撃でアルザッツァ公が死んだというアルザッツァ事件を皮切りに急速に経済的、社会的、軍事的緊張がピークに達し、アルザッツァ事件の賠償条項を無条件でアイル藩国が受け入れなかったことを始めにアイル藩国へと侵攻を始めた張本人であった。国主であるクラスフィッカー=フレッドシャーⅡは、前の代がアイル藩国によって殺されたと主張し、ブロック経済圏との協力を半ば強制の状態で糾合し、確実に南北アレス氏の対立を起こした。ヴェフィサイトのベーリエ家は彼に付き従ってアイル家をほぼ滅ぼし、復讐を果たす道具としてヴェフィサイトとしての義務を完遂させようとしていた。藩国ではリナエストとは長くの付き合いで、お互いに影響を与えてきた。

リナエスト藩国

デヴァニエとメアパトロネストと戦ってて構ってられない

ヴェフィサイト:ローミア・ドゥ・サルシエ・ロソーウミ(Loskmia de Celcie loskcelmi)

国主:リカリア・ジャルワース(Livtalia.Caryás)

リナエスト藩国(現理:Linaeste'd poltadzarlefan, 古理:Catonishogardun Linaest, 淮:Icha-vois ats Linaest, リナエスト語:Isztäc kcatonïsgvtartənä)は、リナエスト人の藩国である。王国領再編以降に、この地で勢力を保っていたリナエスト人のジャルワース家が創始した。君主号はサウラプラーッテ(sawlaplartte/sayăplágtä、挨拶する者)である。勢力争いをするメアパトロネストと王国領再編前から長年戦っており、外部民族の侵略から影響を受け、その対策として王朝から非常に強い支援を受け、それに依存していたために町民や商人への税率は他国と比べて低く、侵略を受けやすい地域としては異例の繁栄をしていた。王朝からの支援に依存し、素直にメアパトロネストと戦うジャルワース家は皇帝からは全身の信頼を置かれていた。しかし、スキュリオーティエ時代に入ってからは、藩国運営と共に南北戦国時代における藩国間紛争に関しても策を講じる必要が出てきた。この時期、メアパトロネストの攻勢は浪士であるデヴァニエ家を雇って激化したため、リナエスト藩国がしっかりと南北戦国の藩国間紛争の対策を講じ始めるまでには時間が掛かった。結果的にリナエスト藩国は基本的に本戦争における被害を受けにくい立ち位置にあった。最終的に南アレス氏に加わったのも朝廷がファーリヤ藩国にあったためで、北アレス氏には敵意が無いこと、南アレス氏には戦闘に参加しないことを表明しており、ファイクレオネ初の中立国と見ることもできる。南北アレス氏諸国がリナエストを攻めなかったのはメアパトロネストが国内に侵入し、戦況を悪化させることを危惧したからであるとされている。

北アレス氏

デーノ藩国

ヴェフィサイトと藩主の恋愛関係

ヴェフィサイト:コティエリア・ドゥ・ア・ノーヴデリエ・コノーティ(Kotielia de ats Neuvdailie koneuti)

国主:ダーフィア・アグヴィールガフ(Darfi'a.agvirrgaf)

べプリヤ藩国

スキュリオーティエ家とは永遠のバディとして共戦する

ヴェフィサイト:アルフィーア・ドゥ・ヴェフィサイティエ・アルヴェフィー(Alfiia de Vaifiseitie alvaifi)

国主:アレス・レヴィア・アルトレイヤ(Ales levia altreija)

プライゲ藩国

民は正しく、心は皇なり。筆攻撃し、墨守備す。

ヴェフィサイト:ソウマイ・ドゥ・カギエ・サコウ(Sausmeis de Qagie saqaus)

国主:皇 - (tam2 - )

プライゲ藩国(現理:perger'd poltadzarlefan, 古理:Catonishogardun paiger, 淮:Icha-vois ats paik, 牌語再構音:[pɹæ ɡo niː ɳim ziːp̚])は、ラネーメ人の藩国の一つである。王国領再編以降に、この地で勢力を保っていたラネーメ人の一族である皇家が創始した。君主号は筆席王(qacyro/kua2 cy2 io、書記席)であり、姓は皇であるが、国主の名前は亡失字である。即位に際して燐字を作成したと考えられるが、後代にその読みと意味は伝わっていない。君主タムが隣接する国家に内部の情報を悟られないようにすべく、独自の燐帝字母の利用を進めたため、国内の様子などは良く分かっていない。よって資料は他国の記述によるものが大多数となる。

シュワイティヤ藩国

パイグ人を支援しなければ次矢面に立たされるのはここだ

ヴェフィサイト:クロウン・ドゥ・ホールフォーティエ・クラホウン(Klaun de Haulfautie klahaun)

国主:皇敬王パタイ(patai=atamunudzowia-gauki)

アヨイジャビョ藩国

東西に広い国の全体を維持するための方策を考えねば

ヴェフィサイト:ラヴィル・ドゥ・グラルティエ・ラグラルヴィー(Lavilé de Glartie laglarvi)

国主:隕石の王アミ(Ami=gade-gauki)

ナジャールト藩国

正義と伝統に燃える主人公藩国

ヴェフィサイト:ユフィア・ドゥ・スキュリオーティエ・ユリア(Yfia de Skyliautie ylia)

国主:アレス・ラネーメ・ギートリスカフィス(Ales lanerme girtliskafis)

アイル藩国

しまった、これではへまをしでかした馬鹿じゃないか

ヴェフィサイト:レイヴァー・ドゥ・エスタイティエ・レイェヴァー(Laiyva de Essteitie laiyesva)

国主:サユイ=マノア(Caiui=manoa)

グォン・アルト藩国

クレオスもアイルもリナエストもナジャールトも周辺国は皆狂ってる

ヴェフィサイト:サーリア・ドゥ・ショプリエ・サショプリー(Caalia de Choplie cachopli)

国主:バーニム・ガートゥ・カーダン・バートニーマシュ(bánim ghátu kádan bhátnímaṣ)

グォン・アルト藩国(現理:Gwonalta'd poltadzarlefan, 古理:Catonishogardun Gwon-alt, 淮:Icha-vois ats paik, バート語:)は、ラネーメ人の藩国の一つである。王国領再編以降に、この地で勢力を保っていたラネーメ系であるバート人のバートニーマシュ家が創始した。君主号はカールドーマ(karldorma/káḷdoma、光のある者)である。アイル、リパライン・ラネーメ、タカン、リナエスト、クレオス・メアパトロネストに囲まれ、国内でもリパラオネ人、バート人、原アイラニーヤ人、原ユフィシャール人、原アイツォ人、原エッツィア人、原北西ミルデネズィヤ人(ノロヴァルネシュネル/norövarneshnär)、原南東ミルデネズィヤ人(ドースデーシェール/dhósdhéshér)などが混ざって生活しており、多文化社会であったがバート人が筆頭となり文化とその影響を与えていった。

タカン藩国

皇の光と我等とは永遠にして、我等の心は最も偉大なり。

ヴェフィサイト:ヴァレア・ドゥ・ヴァタディーリエ・ヴァーヴァレ(Velaia de Vattadiélie vevalai)

国主:日来之輩一火水 (キヤスカ・モユアジ・カナ)

タカン藩国(現理:Takang'd poltadzarlefan, 古理:Catonishogardun Takang, 淮:Icha-vois ats takenk, 皇語:Takanninindzin)は、ラネーメ人の藩国の一つである。王国領再編以降に、この地で勢力を保っていたラネーメ人の一族であるキヤスカ家が創始した。君主号は受光王(aiggukio/えかきくかよ、光を受ける王)である。

シュラバタウ藩国

外敵を排除し、お金もくれる良い国リナエストを支援していたはずなのに

ヴェフィサイト:ダフィア・ドゥ・ラディエフョニエ・デラフィー(Defia de Raddiefèhonie derafi)

国主:チャハイ=ンアイグ(Chahai=ngaigu)

浪士

デヴァニエ家浪士 - 敗走し、復讐を願う極西の傭兵団