政治と統治

本項ではスキュリオーティエの時代における政治と統治の関係について説明する。

ヴァイフィスト制度

ヴァイフィスト制度はヴェフィス人を徴用したラネーメ王朝での武士制度が固定化して発達したものである。御恩と奉公の制度によく似ているこの関係はレフィアリー(Lefi'alir)と呼ばれる。

ヴェフィス人』によると次のように書かれている。

「アレス王国が安定期となるとアレス国王ales.linは伝統上の理由と諸外国に対する安全保障上の理由によりヴェフィス人に王宮を守護させ、その代わりに守護に付いた人間の税を免除した。ヴェフィス人は王宮の守護であることを誇りに思うようになり、ヴァイフィストとなることが一つのステータスとして扱われた。ヴァイフィストたちは自分の徳を高めるため水家 (ヴェフィス人の宗教フィメノーウル信仰の宗教的建物)に住むようになり、 またヴァイフィストとしての心得、規範を書いた水家主武士心得がヴァイフィス トのなかでは一番の規範とされ、「目上をいかなる点でも裏切らない、裏切って敵に切られるのであれば自害する、どのような階級の人間でも等しく優しく厳し く」と言うのがもっとも美徳とされた。これらの推進によって、ラネーメ人からもその地位を認められ、後期アレス王国に於ける六階級(王族、貴族、ヴァイフィスト、商人、市民、不可触民)のうちの中流階級を担った。Mp.4555にリパラオネ人政府であるテード・ガンモーノの同業者組合(コーンサード・フフリ/kohncer'd hufhli)に似た仕組みとしてヴェフィス人は水家の同様の守護任務を請け負う水家組合フェンタフライ・ヴァイフィストー(fainstafleis veifisĵtaut)をそれぞれの地域で組み、相互協力を行うようになり、この組織化の推進により、水家の勢力争いが進み、アレス王国は戦国時代となって混乱が始まったのであった。これにより、アレス王国はヴェフィス人のプライドによって水家と水家、水家組合と水家組合がぶつかり合う戦国時代に巻き込まれることとなる。Mp.4492には国王が急死し、長男も急死し、指導力の無い次男ales.fudmiが国王となるが王朝の指導力は低下しており、王朝は諸侯に各領を自治させ水家組合の紛争を鎮静しようと思ったが、さらに紛争が激化、北アレス氏と南アレス氏の諸侯がお互いを朝敵として衝突し、国内がさらに混乱した。」

スキュリオーティエの時代

詳細は「年表」を参照。

スキュリオーティエの時代というのはスキュリオーティエ叙事詩のユフィア章でユフィアが活躍している時代のことである。つまり、ユフィアの時代ということもできる。以下の---で囲まれた部分がスキュリオーティエの時代である(いずれも紀元前phil)。前後も合わせて確認すると理解の促進となる。

5121 ヴァイフィスト時代……ヴァイフィストの制定

5122~5035(57) リン時代……メアパトロネストとの対立、リンの統治

5035~4557(488) ナトニプシテロ時代……教法政治、ナトニプシテロの統治

4557~4492(149) オプト時代……フィアンシャン統合・階級再編、オブトの統治

4492~ フヅミ時代……、王国領再編、フヅミの統治

---

4504 --- ユフィア誕生、スキュリオーティエの時代

4490~4486(6) 南北戦国時代……水家組合の対立と南北の分離戦争、三家不可侵同盟による終戦

4485~4474(9) 憎悪の時代……リパラオネ教徒のフィメノーウル信仰者への差別

4475~4470(5) 三派戦国時代……フィシャが殺害されたのを機に攘夷派、王保派、神保派に分離、ユフィア戦死

---

4470~4465(5) 領邦分離時代……帝政の力が弱まる

4465~4451(14) サームカールト体制時代……第一次黒月軍によるリパラオネ侵攻

諸領邦の様子

詳細は「藩国解説」を参照。

緑……西リパラオネ共和国

黄色……東リパラオネ王国

水色……クレオス・ド・メアパトロネスト圏

青……北アレス氏

赤……南アレス氏

(八有力国は省略されている)

諸邦のヴェフィサイト家

南アレス氏と北アレス氏

4491年の皇帝アレス・フヅミが行った階級再編により、ヴェフィス人の階級は中流となった。有力なフィメノーウル指導者たちは、ラネーメ王朝のリパラオネ教化に逆らうように勢力を付け、配下の人間を増やし、フィメノーウルの勢力はこれを増やしつつあった。教法政治下での信仰と文化を守るための勢力の拡大は、当然ヴァイフィストにも及び、諸領邦における安全保障のジレンマを引き起こした。4490年、アイル藩国からの弓の射撃でアルザッツァ公が死んだというアルザッツァ事件を基に、アルザッツァ藩国はアイル藩国に対する経済制裁(税の引き上げ、特定品目の取引の禁止)を行った。また、当時まで使われていた度量衡を廃止し、新しく制定した度量衡の利用を税の軽減と共に半ば強制した(つまり、新たな度量衡を使わない商人に対する税を引き上げた)。これに加えて、友好国であったゾルキヤ藩国の商人に対しては税を免除した。これらブロック経済化が進んだ状態は同盟国内の国内生産が増大し、軍備増強も進んだためにブロックごとの安全保障のジレンマに繋がり、政治的摩擦も強くなっていった。リナエスト藩国は対メアパトロネストへの対応で精一杯でどっちつかずであったのを除き、南アレス氏と北アレス氏はこれに基づき分離した。アルザッツァ藩国はアイル藩国に対する公の死に対する賠償と皇太子の引き渡しを要求したが、後者をアイル藩国が拒否したため、これを侵攻した。これを機にアレス王国の諸領邦は南北に分離して、アルザッツァとアイルにつきお互いを敵として戦い始めた。ファーリヤ藩国はこのうちでも皇帝領を擁していたために「朝敵北アレス氏」を喧伝した。このために北アレス氏は南アレス氏を同じように朝敵とみなし戦うことになった。

南アレス氏が拡大した理由は次のように説明できる。

    1. ウェールフープ戦を行った。
    2. 市街地戦を行った。
    3. 皇帝側の領邦であったので支持を得やすかった。
    4. 皇帝領を通じてクレオス・ド・メアパトロネストの支援を得た。

ウェールフープ戦についてはFafs氏は次のように発言している。

「ウェールフープ戦は既にリパラオネ・ディアスポラの時点で発展してて、ラネーメではサームカールト体制後を中心にウェールフープ戦の発達が始まる。つまり、リパラオネの方がウェールフープ戦に長けていて、情報の蓄積もあるわけなんだよな。基本的にアレス王朝が滅びたのは大体この技術差。ラネーメで何故WP戦が発達し永ったかと言うとラネーメ宗教観ではWPが神の力であるとされ、それを戦闘に利用することは神の力を借りて濫用しているとみなされたからで、WPを利用した戦闘はサームカールト体制までの間では宗教戦争以外ではあり得なくて、その宗教戦争も少なかったわけで。ちなみにスキュリオーティエ叙事詩の時代はどうだったんやという話があって、ユフィアちゃんの敵である南アレス氏のヴァイフィストはWPをじゃんじゃん使ってくるのだけど、ユフィアちゃんは決して使わなかった。これは確かにWPがタブーだったけど、少しづつそれが変わってきた証拠でもある。ユフィアちゃんが無念の戦死をしたあと、領邦が分離し始めたのは唯一の良心がしんで諸邦のヴァイフィストがWP戦の時代が来ることをついに悟ったからなんだけど、全然WP戦の勝手を知らなかった彼らは三派戦国時代の末期における短時間で壊滅的な戦争が始まってしまったことに恐れしかなかった。結果、有力な領邦が独立性を持ちながらアレス皇帝に結び付く状態となってサームカールト体制になるわけだが、アルザッツァがナジャールトを滅ぼしてから始まるWP戦の体系化と国民軍の成立でやっとここら辺からウェールフープがまともに使えるようになるんです。」

市街地戦に関してはFafs氏は次のように発言している。

「スキュリオーティエの時代は市街地戦はタブーとされたので当時の国境は軍事解決のための緩衝地帯を隔てていることが多かった。もちろん南アレス氏はそんなことは無視して市街地に突入して非戦闘員を殺しまくったわけで彼らが勢力を拡大したのはウェールフープを使わないこととこれがある。銃後は勿論軍事力の維持に関わっていて、そこをめちゃくちゃにされた北アレス氏及び一部の八有力国は軍事力が維持できなくなってなし崩し的に戦線が崩壊して、国も滅びたとさ」

また、皇帝領側であることで官軍であると喧伝し、それが勢力の拡大に精神的な影響を与えたこともある。皇帝側で戦っているように見えた南アレス氏は主を失った諸邦のヴェフィサイトの支持を得ることも容易であったうえ、メアパトロネストの軍隊の支援を得ることも容易であった。

社会階級

スキュリオーティエの時代には、Phil.4556にアレス・フヅミによって行われた階級再編による六・三階級と共に、文化的にはジャンダンジャヒヤ(中央都市民・高級市民)、ビャシハワンガ(中市民)、カルチリアン(外市民・不可触人種)の伝統的な階級制度が影響を及ぼしていた。

諸国行脚

アレス皇帝が一年に一度、各藩国を回って市民と触れ合ったり、観光などをする。役人や藩国主の不正、市民の状況を知る行政相談や監査にあたる制度だった。

法務・司法

→「スキュリオーティエ時代の司法