ヴェフィス叙事詩『スキュリオーティエ』に関して

ヴェフィス叙事詩『スキュリオーティエ』に関して

Fafs F. Sashimi

ある言語における英雄叙事詩の存在というものは、後世の文学に強い影響を与えるものである。リパラオネ人の話すリパライン語詩の源流となるスキュリオーティエ叙事詩は、ADLPによって許可を受けたヴェフィス人であるアテニア・ド・スキュリオーティエ・アリテ(jestainia de Skyliautie elite)が編纂した口承伝承詩集である。このころの詩に関しては、文章に残されているものでも殆どが失伝しているが、そういった環境の中でアリテはこれらをまとめて、詩集としたのであった。アテニアが主題としたユフィア・ド・スキュリオーティエ・ユリア(Yfia de Skyliautie ylia)とレチ(lech)はアテニアから見て古代の人物である。ユリアが活躍した時期は紀元前ピリフィアー4450年ごろであり、レチが活躍した時期はもっと前の紀元前5000年ごろからユリアの活躍した時期に被るくらいであるが、それにしてもアリテが生きた時代からは紀元前4000年ほど前のことであり、これらの伝承をまとめ、それに加えて美しい詩を集めた諸詩や文法詩の存在はスキュリオーティエ叙事詩がこの時代において伝統的な詩をまとめた高価値の文学作品であることが分かるのである。

ここで、スキュリオーティエ叙事詩ユフィア章のストーリーを確認しておきたい。話はユフィアの誕生から始まる。ユフィアの母親であるヴェーヤは、神であるアレフィスからリパラオネ教を学ばせるよう啓示を受け、当主継承権の下位に居るユフィアにリパラオネ教を学ばせる。アレフィスは、ユフィアにも啓示を下し、軍備をなすように指示する。ユフィアは軍備を手伝いながら父、兄の戦場の話、戦い方、武器の使い方、体の動かし方を習得していった。ユフィアが生まれた時代は極悪非道な好戦狂である南アレス氏族がアレス王朝の諸邦を荒らしまわる一種の戦国時代にあった。ある日、ユフィアは兄の死を告げられる。南アレス氏との戦闘で戦死したとのことであった。続いて、敵を取ろうとする父、姉すらも戦死し、スキュリオーティエ家の指導者として一切の希望も持たれていなかったユフィアが次代の当主となることを求められることになる。ユフィアはそこで混乱し、恐怖する。自由奔放に学び、遊んでいた日は既に遠く、数千人の命を自分の手で動かすことになる。ユフィアは継承権第四位の弟に一時は家督を譲るが、南アレス氏がアレス・ラネーメ家領に侵入し、ユフィアとスキュリオーティエ家の中枢部は後退することになり、弟はアレス・ラネーメ家とスキュリオーティエ家を護るため退けない戦いに挑み、戦死してしまう。多くの犠牲を払いながら、アレス・ラネーメ家とスキュリオーティエ家は山を越えて、山道を破壊し、一時的に南アレス氏のヴェフィサイトの侵攻を食い止めることになる。ユフィアは信頼を取り戻すためにヴェフィサイトを集めて演説を行い、南アレス氏を正すことを誓う。追手のジェレニエ家は、ユフィアの伝統的な戦闘前儀式を嘲笑い、「勝つためには何でもやる」時代になったことを告げる。結局のところ、スキュリオーティエ家のヴェフィサイトはジェレニエ家との合戦で勝利、支持を増やしながら快進撃を続け、遂に南アレス氏の長であるアレス・ピリスティヤと対決することになる。それはユフィアにとって自己の精神との闘いの始まりでもあった――

実在の人物であるユフィアが実際にこのような人生を辿ったかどうかについては諸説あり、リパラオネ教上では史実として扱われるものの、考古学的・ウェールフープ学的な研究では否定的な意見が多い。ただ、この読み物が保存されず、広く回らなかった時代から発掘され、大きく広まった叙事詩は、きっと、作られた当時から大人から子供まで広く楽しまれていたに違いない。

レチを描いている文学作品にはリパラオネ教教典であるアンポールネム(anpornem)がある。アンポールネムはスキュリオーティエより前である紀元前1999年にフィシャ家のフィシャ・ジニェレーチェ(Fixa.dznielerche)が書き上げたフィシャの所業記である。スキュリオーティエはアンポールネムより前のレチの幼少期から青年時代までの出来事を記しており、ここからそもそもユフィアの英雄叙事詩を描くスキュリオーティエ叙事詩は、ヴェフィス民族の英雄叙事詩であるスキュリオーティエ叙事詩からリパラオネ教徒としての英雄叙事詩に変わっていく。

ヴェフィス人の宗教は基本的にはフィメノーウル信仰(fimainaulé)である。英雄ユフィアはリパラオネ教徒なのだが、なぜ異教徒が主人公の叙事詩が民族叙事詩としてヴェフィス人の人口に膾炙したのかというとフィメノーウル信仰における文化が関係しており、フィメノーウル文化自体はそもそも特定の神を信仰する信仰ではないのでリパラオネ教徒であってもそれはフィメノーウル信仰の内のリパラオネ人の神を信仰し、その慣例を行うものと解釈されるからである。フィメノーウル自体を宗教と捉えるより、そういった神への信仰や慣習への寛容性が民族叙事詩としてのスキュリオーティエ叙事詩を許容し、人口に膾炙する作品となっていた。

時は変わって、紀元後。ADLPの支配も終結し、南北帝政時代に入ると帝国が興隆し、世界は二分されるが、600年ほどからの戦争により分裂した国々は疲弊し、世俗権威がリパラオネ教宗教権威に政治権力を明け渡す事態となる。811年、ここからラネーメ独自の信仰を持ち帰ったイェクト・ユピュイーデャが元となりサルシュナース文化と呼ばれるフィアンシャ権威へ対する対立文化が始まる。これに対してリパラオネ教権威は偉大なリパラオネ教教典文学としてのアンポールネムとファシャグノタール(faxagnotarl)を擁護するのであるが、このなかでスキュリオーティエ叙事詩の預言性に気づく宗教家が出てくる。サルシュナース文化に対する対立構造の中でスキュリオーティエ叙事詩はリパラオネ教徒の叙事詩としての地位をここで確立することとなり、少しづつリパラオネ教文化圏全体へとファイクレオネの人口に膾炙する作品として定着したのである。

スキュリオーティエ叙事詩が重要なのは宗教における立ち位置だけではない。というのも、リパライン語詩への影響が最も強かったのがこのスキュリオーティエ叙事詩なのである。ラネーメの考古学者エスポーノ・ドーハ(esporno.dorha)がPhil1530年代に原本スキュリオーティエ叙事詩の発掘とその翻訳をするまではアレス王朝の詩作の影響を強く受けた定型音節数詩が主流であった。しかしながら、前述の叙事詩発掘とその翻訳がなされた時代より、リパライン語の詩作は伝統的なそれを取り戻そうとするリバイバルである詩韻文復興運動が始まることによってリパライン語圏の詩作は一気にスキュリオーティエ叙事詩色に染まっていくのである。リパラオネ教圏に受容された英雄叙事詩であったからこそ、リパラオネ人の心を震わせ、その伝統を受け継ごうとする活動が活発化した。

ヴェフィス人と純リパラオネ人の間をつなぎ、ファイクレオネでの文学に強い影響を与えたスキュリオーティエ叙事詩は、2017年7月現在プロットは半分完成しており、本文はあまり進んでいない状態である。スキュリオーティエ叙事詩は「リパライン語による英雄叙事詩」、「リパラオネ教の経典・リパラオネ教法の基礎の一つ」、「文法詩」、「ファイクレオネ文学の基礎」、「古代史を規定する一つの資料」など多様な役目を負わされている。しかしながら、詩作は楽しいものの、それでストーリーを描き、得体のしれない量の行を書くのは骨が折れる作業である。スキュリオーティエ叙事詩は、確かにファイクレオネ世界では非常に重要な文学作品であるといえる。ただ、現実ではモチベーションと戦う必要がある。筆者はまだ酒も飲めなければ、幻覚も見えない。現実の詩人のようにトランス状態で書きまくれればどれだけ楽なことか。是非、これを読んでいる人にはスキュリオーティエ叙事詩を元にした創作もしていただきたい。無論、叙事詩の諸詩などの書き手、挿絵を描いてくれる人も大歓迎である。異世界ファイクレオネ・リパライン語という広すぎる世界にちょこんと存在するスキュリオーティエ叙事詩、いかにもロマンと可愛さにあふれた存在であると私は思う。