菊丸英二という先輩はおかしい。
「ねー、大石副部長。これなんとかならないスか?」
俺の頭を抱えて丸まっている菊丸先輩……つまり菊丸先輩の懐に俺がいるわけだけど。
ぎゅうぎゅう少し苦しくて鬱陶しい。
俺はその菊丸先輩を指差して、目の前でスポーツドリンクを飲んでいる大石先輩に尋ねた。
「しばらくしたら飽きると思うよ」
そういってなぜか目を細めて笑う大石先輩へ俺は口を曲げて抗議する。
だって大石副部長の台詞を聞いた菊丸先輩が更に俺を抱きしめてくるから。
く、苦しい。
一応俺だって男だから暴れれば抜け出せるけど、そこまでするにはこのヒトとの関係は悪くなかった。
俺は諦めて、もぞもぞと苦しくないほうへ身体を動かし菊丸先輩の膝に座る。
この前、手塚部長と不二先輩と俺で買い出しにいってから菊丸先輩がおかしい。
こうして俺をやたらと構うのだ。
いつも構ってくるけど最近ヒドイ。
桃先輩たちがいなくて、いつもより菊丸先輩に構われても気にならなかった。
決して寂しいかったわけじゃないからね。
だけど。
「一年と遊ぶなら他のヤツと遊べばいいじゃん? なんで俺なワケ?」
「おチビがいいの!」
菊丸先輩はそういって俺の髪を撫でる。
悪くはないけど。
ホントになんなんだ。エージ先輩は!
「ワケがわかんない……」
菊丸先輩は俺を抱えたまま、その顎を俺の肩に置き、尋ねてくる。
「越前、こうされるのは嫌?」
嫌かといわれると鬱陶しいだけで嫌ではないんだ。
「……イヤじゃないけど」
それを聞くと菊丸先輩は嬉しそうに笑う。
これだからこのヒトは憎めないんだよね。
俺たちの話の間、ひたすらにこにこしてた大石副部長が立ち上がった。
「さて、オレはコートの確認が残ってるからいってくる」
大石先輩がそういうと
「まてよ、大石」
菊丸先輩が、大石先輩を呼び止めた。
「ん?」
菊丸先輩の静止に大石先輩は首を傾げる。
俺も一緒に傾げたい。でもそれを菊丸先輩の腕が阻んでる。
菊丸先輩が大石先輩へ言う。
「大石ぃー! いってきますのちゅうはないの?」
なんか大石先輩の方からボンッっていう音がした気がするけど!
菊丸先輩の発言に大石先輩が顔を楓色に染めながら返す。
「エージ! お前! 一年の前で何を!」
へぇ……大石先輩でもこういう顔するんだ?
んー、というかこの二人デキてたのか。
ダブルスだから一緒にいるだけだと思ってた。
「大体、オレたちキスなんてしたことがないのに……タチの悪い冗談をいうな!」
あっ、菊丸先輩のジョークなのか。
ま、そうだよね。
「えー、不二がいってたよ?」
「ええええ、なにを……!?」
不二先輩が? 何をいったんだろ?
大石先輩だけではなく俺も気になった。でもなんか嫌な予感がする。あの不二先輩だよ? 大体この二人の先輩が連むとロクなことをしない。
菊丸先輩がニシシと笑っていう。
「ダブルスはフーフなんだって」
「英二! 不二の悪乗りに乗るな!」
赤くなったり蒼くなったり大石先輩の顔色が忙しい。
菊丸先輩はなおも楽しそうに続ける。
「えー、オレたちゴールデンペアじゃん! 三強なんかに負けてる場合じゃないだろ!」
「エージ! 意味がわからないぞ!」
「楽しけりゃなんでもいいんだよ」
この人たちとよく一緒にいるけどこんなことは初めてだ。
菊丸先輩が無茶振りしても、焼肉とボーリング以外は大抵常識派の大石先輩が止めるのに、ここまで菊丸先輩が暴走するのは珍しい。
こうなった菊丸先輩を止められるのはあの不二先輩くらいだ。
あんぐり口をあけて見ているうちに菊丸先輩がこっちへ話を振ってくる。
「ね、おチビ。おチビは青学の母ちゃんにいってらっしゃいのちゅうはしないのー?」
「英二! おまえ…!」
大石先輩が肩を落として凹んでる。
ちゅうってキス?
……俺までいつのまにか混ぜられてるワケ?
大石副部長にそんなことするワケないでしょ?
なんだこのバカげたハナシは。
ふとこの間の不二先輩たちと出かけたときを思い出す。
手塚部長と不二先輩に挟まれて戸惑っていると、不二先輩が『僕たち親子みたいだね。僕が母親とか嫌だから手塚がやってよ』なんてふざけて笑った。
手塚部長がきょとんとした顔で、『青学の母であれば大石だぞ』なんていうから。
不二先輩は珍しく目を見開きながら笑って。
『青学の母が大石なら父は手塚だね』
手塚部長にこんな話題を振れる不二先輩に俺はただ驚いていたけど。
確か菊丸先輩が手塚部長の近くにあまり寄らないのは苦手なのもあるけど、放っておくと大石副部長が手塚部長の世話を焼き始めるからだって。
部長と副部長が一緒にいる。それを微妙な表情をしてみていた英二先輩を数回みかけたことがある。
あの時もなんかいってたよね。
……なんとなく分かった気がする。
ニマニマ余裕の笑みを浮かべている菊丸先輩に何とか言わせてやろうと。
俺は大石先輩の袖を思いっ切り引っ張った。
菊丸先輩に注意を向け、油断していた大石先輩は簡単に身体を傾ける。
その頬にちゅっと。
「Good luck.Mom」
まだまだだね。
白目を剥き、「越前まで英二に感化された」とブツブツいってる大石先輩は放っておいて。
菊丸先輩をみると。
へぇ。
青褪めた顔の菊丸先輩をみて、そんな表情するくらいなら煽らなければよかったのにと思った。
まだブツブツいってる大石先輩と無言になった菊丸先輩と。
面倒な先輩たちの相手はもうこりごりだと俺は家へと帰ることにした。
この後で、大石先輩と菊丸先輩の間に何があったのか――俺は知らない。