256代女王試験はアンジェリーク・リモージュの勝利で終わった。
その間にアンジェリークと真の友情を育んだロザリアは、アンジェリークの強い希望とロザリア自身の希望で、女王補佐官として残ることが決定した。
かくて、ロザリアによるアンジェリークの女王教育は始まった。
「ちょっと! そうじゃなくてよ」
「えー、わかんないわ」
「わかんないわ、じゃございません」
アンジェリークも飲み込みが悪いわけではない。一般市民として生まれ、今までそのような教育を受けたことは皆無で、一般人の礼儀作法はあったものの、女王として淑女教育などは一切受けていないため、どうしてもすぐには身につかない。
ロザリアは、自身が女王教育としてはややスパルタ的に特別教育を受けてきたことに気付いていないため、その通りに行おうとしていた。
「休憩してもいい?」
アンジェリークがロザリアを上目遣いで見つめると、ロザリアは渋々休憩時間を作る。
ロザリアはこの上目遣いのお願いに弱かった。
「仕方ない娘ね…紅茶をお持ちしますわ」
「ロザリア、大好きっ」
ごろごろと懐く親友の姿に目を細める。
本当にこの子が宇宙の女王かとほんの少し思ったものの結果はロザリアのよく知るとおりで。
近くにある簡易キッチンに向かおうとしたところへ、女官が首座光の守護聖ジュリアスの来訪を告げた。
「ロザリア、教養分の教育は私が行おう」
「え、ジュリアス様が? ルヴァ様ではないの?」
ジュリアスからロザリアに告げられた言葉に女王が返した。
女王の疑問も最もだった。
イレギュラーな女王試験だったため、女王として相応しい「教育」はその過程にはなく、ロザリアは生家やスモルニィなどで特別教育を受けていたものの、女王のサクリアを開花させたのはアンジェリークだった。
当初は新たな教師を呼ぶことも考えられたが、それを聞いた女王に反対され、既にその過程を習得していたロザリアが代行することになったのだった。
しかし、ロザリアも優秀とはいえ新米補佐官、その業務や身体に負荷がかかっているのは明白だった。 心配した女王がそれを地の守護聖に零したのがつい昨日のこと。
九人の守護聖の中で教師や教育係といえば地の守護聖ルヴァが常だったのもあり相談したのだが、それがどう伝わったのか不明であるが、ジュリアスが自身で教育を行うと言い出すことは女王には完全に想定外だった。
「陛下、私たちにもう敬称は不要です。陛下は宇宙の礎であり我ら守護聖を統べるお方。
ルヴァは陛下の教育係には向きませぬ。あれは甘やかして話になりませんので。
このジュリアス、僭越ながら女王陛下が更に立派な女王になられるため、力をお貸しいたします」
こうして、女王は思わぬ薮蛇に肩を落とした。
「毎日、お勉強ばかりでつまんないわ」
執務と教育が終わり、アンジェリークとロザリアはお茶をしている。
夕餉の前であるため甘い添え物などはなかったが、疲労を残している女王のために女王補佐官が料理長に甘味を増やすように頼んでいることを最近の食後のデザートで気付いていたアンジェリークはロザリアに当たることはない。
漏れた不満は今の疲労の原因だった。
ロザリアはふっと微笑んで返す。
少し悪戯そうな目なのは気のせいだろうかとアンジェリークは思ったものの不満顔を崩さない。
きっとすべてお見通しなのだろうけど。
「ねぇ、陛下」
「はい?」
「4の週、土の曜日に立派なレディになったか試験をさせていただきます。合格されれば、その翌の日の曜日は一日お休みとさせていただきます。聖地内でしたらお供さえつけていただければ、どこへでもお出かけいただいて結構ですわ」
告げられた言葉に驚く。
戴冠式以降、宇宙の転移で起こった様々な問題の解消や淑女教育などで日の曜日が丸々休みだったことはなかった。
候補時代はどこにいっても元気いっぱいと言い表された女王ですら最近は疲れていた。
「ホントにホント!?」
「ええ、嘘は申しませんわ」
「やったぁ!」
「その代わり、土の曜日の試験が残念な結果の場合は、日の曜日も特訓でしてよ?」
「うぅ…がんばります」
「しっかり勉強するのよ」
女王候補時代と変わらない応酬に二人で見合わせて笑う。
かくして、アンジェリークの猛勉強が始まった。
* * *
「どうしてダンスの練習まであるの!?」
「どうせならすべての教育を受けていただこうかと」
しれっと告げるロザリアにアンジェリークはわなわなと震えている。
「先の女王陛下だってダンスレッスンなんてしてないでしょ!?」
「淑女の嗜みとしては必要ですわ」
「女王陛下、パートナーが俺ではご不満ですか?」
アンジェリークのその手の甲に恭しく口付けながら炎の守護聖オスカーが言う。
アンジェリークはキザなその様子に頬を染めてみたものの、ダンスの練習なんて憂鬱だった。
お転婆だがあまり運動神経が良くないことを自覚しているアンジェリークは、両手と両足同時に別々の動作を行うダンスが自分に向いているとは思っていなかった。
「オスカー…不満じゃないけど…」
「では、お手をどうぞ」
三拍子の音楽が流れてくる。
くるくると回る。
オスカーのダンスは上手い。そのくらい嗜みに疎いアンジェリークにも判る。
パートナーとしては問題ないのかもしれないが……
距離が近すぎる。
家族以外とこんなにも接近したことがないのに、と考え事をしているとぐっと腰を引き寄せられて思わず「ひゃっ」と声を上げた。
それを聞いたオスカーは愉快そうに唇を歪ませる。
(からかったのね~~~)
女王はステップを間違えた振りをしてオスカーの足をヒールで強く踏んだ。
* * *
「え?」
「陛下、またそんなシャレを……」
「ちょっと! ロザリア、シャレじゃないわ! どうして絵を書くことが女王教育なの!?」
「淑女の嗜みですわ」
「陛下、絵を描かれる事はお嫌いでしょうか?」
今にも消えてしまいそうな儚げな様子のリュミエールにアンジェリークはそれ以上何もいえなくなる。
どうして女王として絵を描くことが必要なのか、全く判らないアンジェリークであったが、絵を描くことは嫌いじゃないしダンスよりましだと仕方なく筆を取りキャンバスへと向かう。
途端ににこにこし始めたリュミエールをみて、アンジェリークは深い溜め息を吐いた。
* * *
「ジュリアス、これは?」
「ああ、それは……」
意外に意外でジュリアスの講義は判りやすかった。
(これはこれでいい先生かも?)
女王候補時代に感じていた訳の判らない威圧感は減っていたし、最近丸くなったのかとアンジェリークはふと考える。
そういえばロザリアがジュリアスは優しいと表していたっけと、急に視界を塞いだ白い影に驚く。
「陛下! 私の話をきかれていましたか?」
前言撤回。
始まったジュリアスの小言に女王は顔を顰めるとやり過ごすべく、心の中で星の数を数え始めた。
* * *
「ハーイ、陛下」
「オリヴィエ様!」
「もう様はいらないって」
颯爽と現れた夢の守護聖にアンジェリークが駆け寄る。
「その新しいルージュ素敵です!」
「フフッ、よく気付いたねェ。主星で今大流行中のブランドの新色だよ★ このイロ、このツヤ、私にピッタリでしょ」
「本当によく似合ってます! いいなぁ」
「嬉しいコトいってくれんじゃん。そうだ、今度のシーズンの新色は陛下にもプレゼントしてあ・げ・る」
「やったぁ!」
オリヴィエが内緒話をするようにアンジェリークの耳元で囁く。
「大人っぽい色にしてあげるよ、アイツが思わずキスしたくなるくらいのね」
「オ、オリヴィエ!」
オリヴィエは、茹で蛸のようになった女王にウインクすると軽やかな足取りで去って行った。
* * *
マルセルは可愛い。
弟みたいに無邪気なマルセルにアンジェリークは目を細めた。
「公園の傍に新しい露店ができたんです!」
「公園の傍?」
「うんそうだよ! あ、いや、そうです!」
慌てて言い直す緑の守護聖に女王は微笑む。
「陛下、もっとお仕事に慣れたら一緒に新しくできたお店にいきませんか?」
「ええ! いいわよ」
「約束だよ!」
女王候補時代と変わらず接してくれるマルセルに少し胸の温かくなったアンジェリークだった。
* * *
「お勉強がうまくいかないんです」
ロザリアと休憩中、風の守護聖ランディが書類を持って訪れたのと遭遇した。
候補時代は一緒にルヴァの講義も受けたことのある仲だ。
どちらかというと勉強が苦手な二人であったから妙な親近感を感じていた。
思わず零した愚痴にランディは爽やかに笑って力付ける。
「女王陛下なら大丈夫ですよ!」
「ランディ」
「勇気とがあればなんでもできます! 俺のサクリアを! 勇気を陛下に捧げます!」
単純なところのあるアンジェリークは熱いランディの言葉に励まされ、午後からの執務と教育へとはりきって向かった。
* * *
「よぉー」
「ゼフェル様!」
「って様はもういらねぇよ」
一日の終わり、部屋に戻ろうとすると鋼の守護聖ゼフェルがいた。
「ランディのヤローが」
「ランディがどうかしたの?」
「おめーが落ち込んでるっていうからよ!」
同じ年頃のためか候補時代は悪態を吐かれながらも仲の良かったこともあって、ランディに零した愚痴がどう回ったのか心配で顔を見に来てくれたらしい。
アンジェリークは器用さを司る彼の不器用な優しさに笑って礼をいう。
「ありがとうございますっ! ゼフェル」
途端に、あらぬ方向を見て頬を染めるゼフェルにアンジェリークは微笑を深くした。
* * *
「……どうして女王がこんなところで寝ている……」
クラヴィスは溜息をつく。
私邸の裏の大きな木のふもとで、その木にもたれて女王が休息していた。
周りに寄り添って動物たちまでもが安らいでいた。
木漏れ日が金の髪に反射して輝いているのを薄目で見ると少し唇の端を持ち上げて笑む。
「こんなことは私の役割ではないのだがな……」
クラヴィスはすっかり寝入っている女王を担ぎ上げると館の中へ入っていった。
* * *
「合格ですわ」
「やったぁ!」
ロザリアは飛びついてくるアンジェリークに教育の成果が出ていないと眉を顰めようとしたものの、すぐに彼女のここ数週間の努力を思い出し、今回は目を瞑ることにした。
「どこにいこうかな? 公園に新しい露店ができてたってマルセルがいってたし、いってみようかな?」
「必ずお供をつけてくださいね」
「もうロザリアったら心配性なんだから! この聖地で私に何かあるわけないじゃない」
「それでもですわ」
「うーん。お供っていっても……ロザリアは?」
「わたくしは先約が……」
「え! もう約束してるの? どなたと? 私が試験通らなかったらどうするつもりだったの?」
「いいじゃないの! あんたならできるって信じてたし! あんたもさっさと誘いなさいよ」
(どなたとかしら?)
ロザリアのデート相手が気になるアンジェリークであったが、自分もウカウカしてられないと手紙の精霊を呼び出す。最後に女王のしるしをつけてようとして、取りやめて送信する。
返ってきた快諾の内容にアンジェリークはにっこり微笑んだ。
* * *
(新しい服っていい!)
女王になってから私服用に新調されたそのワンピースはとても上等な生地で作られており、着心地が抜群だ。
どんな意匠が好きかと聖殿の衣装係だという女官に尋ねられたからリボンだと答えた。出来上がってきたワンピースは想像よりもリボンが多めになってたのは驚いたが可愛いからいい。
可愛いは正義とか、どこの惑星の流行語だったっけ。
ご褒美が知らされてからのアンジェリークはすごかった。
女王候補時代から困難なことがあっても体当たりと努力でなんとかしてきた。
運だけで女王になったとか口さがない噂を聞いたときは少し傷ついたものの、それを跳ね除けるべく努力はしてきたつもりだ。
今回も苦手なダンスや教養に四苦八苦したものの何とかクリアした。
土の曜日に行われたロザリアの礼儀作法の試験にも、ジュリアスの教養試験にも合格点を通過し、見事ご褒美=休みを勝ち得たのだった。
女官が彼の来訪を告げるとアンジェリークは淑女らしく、しずしずと歩き、礼を待つ。
儀礼的な挨拶が終わって付き添いの女官たちが部屋から下がると、アンジェリークはルヴァに駆け寄った。
「お会いしたかったです。ルヴァ様」
「あー、私もです。陛下とこうしてお会いできるものしばらくぶりですねぇ」
ルヴァの陛下呼びにちょっと胸が痛くなるのはアンジェリークの小さな秘密だった。
女王試験の始まりから終了まで週に2、3度は必ずルヴァの執務室で過ごしていた。
初めはただただ煌びやかな守護聖たちに萎縮し、唯一、兄のような、父親のような、穏やかなその人に親近感を持ったから勇気を出して一番最初に訪ねてみた。
初回から親近感を沸かせるその人はとても穏やかで、一緒にいると居心地が良くて、以来何事かあるたびに、そのうちに何事もなくてもよく訪ねるようになっていた。
育成のことでも将来のことでも何でも相談できた。
懐の深いルヴァに少し幼いところのあるアンジェリークが懐いたのは必然といえた。
そんな中で、アンジェリークの中にすくすくと育つ想いはあったけれども、ずっと女子高育ちだったアンジェリークは恋というものがこんなに穏やかなものだとは思わなくて、これが恋だと気付かなかった。
映画やドラマのようにドキドキするような想いだけが恋だと思っていたのだ。
燃えるような情熱的な恋、そんなのが恋だと思っていた。
穏やかで春の日差しのような温かな感情。
小さな胸のうちに育てていたその想いを、それを恋とは思わず過ごし、戴冠式の前に大きくなりすぎたその想いの欠片をそっと胸の奥底に仕舞いこんだのも無理のないことだった。
せせらぎの中を二人でゆっくりと歩く。
飛空都市にも似せられて作られたその場所がお気に入りだったアンジェリークだが、聖地の本物も気に入った。
キョロキョロと辺りを見回して、その様子を地の守護聖が微笑ましくみてることに彼女は気付かない。
「きゃっ」
「陛下! 大丈夫ですかー!?」
「うぅ……大丈夫です!」
未だ履きなれないレディとしては必要な高さのあるパンプスを履いて歩いていたアンジェリークは、自然の道の凹凸に躓き、体勢を崩す。
慌てて伸ばされるルヴァの腕に支えられ、なんとかこけずに済んだ。
ルヴァにしてはかなり俊敏な動作で。夢の守護聖あたりが見ていたら、よほどアンジェリークのことばかり見てたから反応できたんだねぇとでもいいそうなほど、絶妙のタイミングだった。
「ごめんなさいっ」
ほんの少し何事か考えていたルヴァであったが、おもむろにアンジェリークの手を取ると、自分の腕に絡めさせる。
「ちょっと失礼しますねー。これでいいですねー、こうしていれば大丈夫でしょう」
「ル、ルヴァ様」
「ふふ、もう様ははずしてくださいねー」
繋がれた箇所から心臓の音が伝わらないかと気にするアンジェリークであったが、ふと視線をあげるとルヴァの耳元から首筋にかけて真っ赤になっていて、意識しているのが自分だけではないとわかると、強くルヴァの腕にしがみつく。
ルヴァの身体は一瞬強張ったもののすぐに緊張は解かれた。
今度はその頬までが赤く色付いたのが見えるとアンジェリークは自分も似たような状態になっているのではないかと恥ずかしくなり、その頬をルヴァから見えないようにルヴァの袖に寄せる。
その行為が更にルヴァと近い距離になったことにアンジェリークは気付かず、更にルヴァを赤く染めるが、そのまま寄り添って歩き続けた。
ちょうど日陰になりそうな大きな木の下に腰を下ろす。
そよ風が二人を包んだ。
二人とも薔薇色に染まっている頬を風に晒し火照りを取る。
顔色も普通に戻り、爽やかな風と空気に包まれてた。
しばらく二人でにこにこと風景を楽しんでいたが、その静けさをルヴァが破った。
「陛下」
「どうしました?」
「失礼ながら申し上げたいことが……よろしいでしょうか?」
「え、ええ」
どうしたのだろうとルヴァを見上げるとそのグレイに真剣な光が宿り、語りだした。
「前のように楽しいときにだけ笑っていただけませんかー?」
「え?」
言われた言葉を反芻する。
即位の儀の後からは天手古舞いで辛かったけれど、先代陛下や星々のこと、周りに仕える人々のことを思うとどうしても笑顔でいなければと思うことが多く、確かに笑顔をつくることが多かった。
アンジェリークはそんなに自分は上手く笑えてなかったのだろうかと不安になる。
ルヴァは慌てて頭を横に振った。
「えっと、責めているわけではなくて。そのうー……即位してからずっと大変だったでしょう?
しかし貴女はずっと微笑んでいましたね。
いつも微笑みを絶やさないのは確かに女王として必要なことかもしれません。
だけど私には貴女が無理をしているように見えて仕方ないのですよ」
「ルヴァ…」
「皆がそれを望むのであれば仕方がありませんが、私の前でだけは貴女の心のまま笑っていただきたいのです。
無理をしないでくださいねー……陛下っ!? なぜ泣いているのですか~?」
泣き出したアンジェリークに拙いことを言ってしまったのだろうかとルヴァは一巡するが、涙腺を崩すことになった切欠がわからず、ただおろおろと戸惑うばかりだった。
涙をふき取ろうとした伸ばした手を、引っ込めて。
今度はその手でアンジェリークの身体ごと自分の胸の内に引き込んだ。
「私の前では本当の貴女のままでいてください、アンジェリーク」
そう囁き自分の胸でアンジェリークの涙をふき取る。
女王が自分の胸のうちでこくりと頷くのを確認したルヴァは幸福そうに笑った。
おわり!
☆愛だろ愛。コメディは難しいですね>< 拍手の別Ver.ですw ちなみにアンジェの中ではルヴァ様はもう家族扱いなので触られても平気というびみょうせって(ry 信じられないだろ?この二人これでもまだくっついてないんだぜ……
幕間
「流石にこの短期間では無理であろう」
4の週の土の曜日に決まった試験についてジュリアスが語る。
それを受けてロザリアが答える。
「ふふっ、ジュリアス。あまり陛下を見くびるものではないわ」
「しかし…」
「陛下は必ずやってくださりますわ。では賭けましょうか?」
妖艶な笑みを見せる補佐官に、ジュリアスは少しひいたが、
「何を賭けるのだ?」
補佐官ににっこり微笑んでいわれた。
4の週の日曜日、補佐官と光の守護聖が楽しそうに一緒に過ごしている様子が公園で見かけられたという。
『わたくしが勝てば貴方と過ごす日の曜日を』