弟に媚薬を盛られたら大変なことになったの続き。
三日月が臥せっている。
岩融からそれを聞いた私は審神者と太郎太刀に頼み込み、遠征の予定を変更して三日月の部屋へと向かっていた。
途中で五条鶴丸とすれ違う。
「お、石切丸。昨日は災難だったらしいなぁ」
楽しげに私の肩を叩きつつ話しかけてくる鶴丸にイラっときて叩き斬ってあげようかと思ったけれど、これでもこの一振りは私の部隊の隊員で下手なことになると厄介だ。
私は鶴丸の手を払い除けると、きょとんとしている鶴丸を横目に目的地へと足早に急いだ。
「三日月、入ってもいいかい?」
尋ねた言葉に返事はなく、気配から三日月が在していることは分かったので、そっと障子を開ける。
褥の三日月を見やると、蒼褪めた表情で眠っていた。
障子を閉じて、三日月の傍に侍る。
同じ三条とはいえ、片や西、片や東の都に位置していたこともあり、この本丸で出逢うまでは何かの噂で聞いた程度、当時は付喪神としての目覚めもなかった故、三日月宗近を意識したことはなかった。
薄暗がりの中、眠る三日月の顔を見つめながら、一振り物思いに耽る。
美しい刀だと思う。
人型をみても刀身を見ても実に繊細な造りで、刀身に見る大きな反りや人型の容色はとても優美で、打除の形やその瞳から三日月とはよくぞいい表したものだ。
今は眼まなこが閉じられて見えない月を思い浮かべる。
共に過ごすと不思議と内が凪いでいく。
しかし身が触れ合うと心の臓が平時より疾くなる。
傍にいなければどうしているのか気になり、傍にいるのが当たり前だと思っていた。
本当は三日月を抱く前から気づいていたのだと思う。
再び三日月を見遣る。
余りにも己と異なりすぎて兄弟刀だと言われてもピンとこず、審神者や他の刀派の刀たちから三条で括られて系譜の連なる物だと思い知らされた。
欲の処理はできたとはいえ、人であればこの想いは禁忌に触れる。
三日月だって三条の名を地に落とさぬために仕方なく私に抱かれただけで、私と等しい想いは抱いていない筈だ。
考えに囚われながら三日月の顔をじっとみつめていると、その長い睫毛が振れ、瞳が開く。
三日月は私がいることに少し驚いた様子だったが、すぐにいつもの顔で尋ねてくる。
「ん、おまえは今日は遠征の予定ではなかったか? サボりというやつか?」
先ほどより生気は取り戻した様子ではあるけれど、ぐったりと億劫そうに上半身を起こす三日月を慌てて助ける。
「着替えを手伝ってくれるか?」
昨日戻ったままそのまま寝ていた様子でせっかくの戦衣装が乱れていた。
強請られる通り、三日月の皺の入った衣装を脱ぐのを手伝う。
単衣にまでなるとはっきりと昨日の情事の名残が見えた。
乱暴にしたつもりはなかったけれど同型の性交というのは肉の器に多大な損傷を与えるようで、光のもとそれがよくみえた。
三日月の下肢と着物に乾いてこびりついた私の体液が私の犯した罪を意識させる。
慌てて懐から手拭いを出して少しでも清めていく。
内ももに己のつけた痣を認めて自責の念に駆られる。
「すまない……」
「……かまわんと言っただろうに」
兄を犯す弟なんて人の理ことわりでいえば大罪だろうに、三日月はいつもどおり悠然と笑った。
しかし浮かぬ顔をしている私に浮かべている笑みがなくなり、真顔でそれを告げられる。
「石切や……もっとおまえに罪悪感を抱かせてやろうか?」
罪悪感をなくさせるではなくてというのが三日月らしいと思いつつ、軽く頷く。
三日月の唇が動いた。
「俺はおまえのことを弟なぞと思ったことはないぞ」
三日月が何をいっているのか理解できず固まる。
唾を飲み込んで尋ねた。
「何、を……」
「昨夜のあれは酷すぎる。いくら俺が世間知らずとはいえ、どうしておまえのような酷い刀に惚れてしまったか」
三日月が惚れている? 誰に?
三日月の言っていることが理解できない。
「いつか想いが遂げればとは思っていたが、身を先に繋ぐことになるとはな」
三日月は何を言っているんだ?
何も言わない私に三日月は困った顔を作る。
「ああ、石切。まだわからないか? 俺はおまえが好きだ」
三日月が私をすき?
それは兄弟の様なものだからかな?
しかし弟とは思ったことがないと先程、
「石・切・丸ッ! また妙なことを考えているんだろうが……好きというのは恋慕のことだぞ。恋い慕うくらい神社の箱入り刀でも知っているだろう? 初めは同じ気を纏うモノに感ずる親しみかと思っていたがどうやら違うらしい。昨夜も三条の名を守るためと言いながら、おまえに抱かれるだけで身は痛むのに中は喜びおる。おまえは鶴の薬で仕方なく欲を俺にぶつけたんだろうが……俺はおまえに抱かれて喜んでいたんだ」
三日月は悲痛そうな表情を困り顔に変えると私から目を逸らし続ける。
なぜか昨日の三日月の泣き顔を思い出した。
「じじいの戯れ言だったな」
罪悪感を抱くどころか身の内に湧いてくる感情に耐えきれず私は自然に口元を手で覆った。
私は少し涙目になりそうなところを必死に抑えて言葉を返す。
「私も君を兄様と呼ぶことは嫌だ」
「!? 素直に好きだといわんか!」
三日月も理解したのだろう。
真っ赤な顔で抗議する三日月に私は顔が緩むのを止められなかった。
三日月が私と同じ想いを抱いていたことを知っただけで身の内を歓喜の渦がめぐる。巡る歓喜の渦に飲み込まれぬよういつもの台詞を二回唱え終えると、三日月は先程までとは打って変わってすごく柔らかな顔をしていた。
「一体いつからなんだい?」
「鍛刀された直後におまえをみてからだから……ふむ、幾日前だったか?」
人型を取ってからずっと慕っていたと聞かされて、すごく面映い気持ちになったけれど。
あれ?
「えっ! では昨日の話は? 君はいったい誰に抱かれたんだい?」
まさか審神者ではないだろうし三日月と仲の良い粟田口の面々や五条やらが思い浮かぶがぴんとこず流れていく。
三条ではないだろう。そんな素振りはみていない。
「ははは、俺の背は随分と悋気深いのかもしれんな……俺がこの身を得てから契ったのはおまえだけだぞ?」
「え……では」
「ああ、成程。あれは……一時はおまえを押し倒そうと考えていたんだが。仮にも大太刀であるし本気で抵抗されれば敵わん。それにおまえは少々痛みに弱いだろう? 鞘役は俺が適当かと思ってな。現世の春画を参考にちょいと身を慣らしていたのだ。まさか平時に比べてあのような大きさになるとは思っていなかったからな」
赤裸々に事情を話す三日月に頭を抱えたくなったけれど。
「なぁ、石切丸よ。人で言う二世の契りは無理とはいえ俺はおまえがとても恋しい。夫婦めおとは無理でも共にいてくれるか」
珍しく硬い声に三日月が緊張しているのが伝わってくる。
私は今すぐに三日月を抱きしめたい衝動をなんとか抑えるとできるだけ柔らかな声音で告げる。
「では、こうしようか。私たちの役目が終わるか、君か私が折れるまで共に在ろう」
「違えば?」
「君の心が移ろうというのであれば仕方ないとは思うけれど、相手がどうなるかは保証できないね」
「ふむ、おまえが移ろえばどうなる?」
「この命を」
躊躇うことなく云えば。
「あはははっ……御神刀の約は呪いと変わらんな。いいぞ」
楽しげに笑う三日月の手を取り、支えながら立ち上がらせる。
三日月は傍にあった三日月宗近を呼ぶと掌を少し斬った。
私も石切丸を呼び、同じく傷をつける。
血の滲む掌を互いに重ね合わせ約定させる。
「「ゆめゆめ、約を違われるな」」
小さなそれでも我らにとって大事な儀式が終わると、身の内に飛び込んでくる大きな月を抱き留める。
幸せとはこのようなものをいうんだろうか。
今朝までは後悔に苛まれていたというのに現金なものだ。
三日月に首に手を回されるといくら色事に疎い私でも何を強請られているか理解る。
少し戸惑いながら軽く口を合わせると、きつく吸われて。
小さなそれでも静まったこの部屋では聞こえるくらいの音がして顔が離れる。
「一つ言い忘れていたが。石切や、俺も悋気がすごくてな」
「うん?」
「あんな顔で別の刀を抱くのは許さんぞ」
剣呑なセリフを言いつつも私の胸に頬を摺り寄せる三日月を私は若干呆れながらもしっかり抱きしめた。
こうして、五条鶴丸が起こした騒動は私と三日月の関係を変えて決着した。
一つだけ解せないことがある。
鶴丸はどういう目的で鶯丸にあの薬を渡したのか。
藪をつついて蛇を出すのは得策ではないと首を振り、その疑問は闇へと葬った。