去年の今頃は一緒にいた。
だけど今、僕の傍に君はいない。
目睡みつつ、窓の方をみるとそこには柔らかな午後の光が差し込んでいた。
出窓にはサボテンの鉢の横には薄汚れた黄色いボールが転がっている。
最近は芯から凍るような寒さも収まったからかサボテンの状態もよかった。
ただ、僕の気分だけは優れなかった。
遠くの方で玄関の戸が開く音がした。
買い物に行っていた母さんが戻ってきたんだろうか?
神経が過敏になっている僕にはその小さな音さえ気に障る。
けど、母さんにしてはおかしい。
その後に微かに聞こえてくる音がまるで忍んでいるような、そんなもので。
でも、泥棒とかそんなのじゃなくて、このよく知ってる気配は――
僕は様子をみるために重い身体を引きずりつつ、玄関へと急いだ。
「やっぱり裕太、帰ってきてたんだ」
「お、おう」
玄関先でこそこそしていたのは弟の裕太だった。
今日、帰ってくるなんて聞いてないけど?
あの…趣味の悪い男にイジメられでもしたのかな?
僕にみつかった裕太は怯えた子猫みたいで可愛らしい。
……僕より大きいんだけどね。
母さんを探しているのか何故だか判らないけど、視線をさ迷わせてなんだか落ち着きのない裕太に説明してやる。
「今、母さんいないんだ。買い物に行ってるよ。僕も今から出かけるけど」
薄っすらと目を開ける。
可愛い僕の弟をイジメた男のところに行かないと。
どうせ暇だったし。
「いや。これ渡しに来ただけだから」
何故だか怯えた裕太はそう言うと僕に袋を押しつけた。
なんだろう?
確認を取って袋を開けてみるとアルバムが入っていた。
大きい物ではないけどリングで纏められたシックな感じのアルバムだった。
裕太は照れた顔を隠したいのか、下を向きつつぶっきらぼうに続けた。
「今日は……というか明日の間は兄貴の誕生日だろ?プ、プレゼントだ」
あ、覚えてくれていたんだ。
僕はうれしくなって本当に微笑んでいた。
どれくらいぶりだろう?心の底から本当に笑えたのは。
* * * *
最近、僕は恋人である人間と会っていなかった。
学校はもう自由登校の期間に入っていて、持ち上がりである僕らには公立の試験勉強は必要なかったし、テニス部の方もたまにエージたちと遊びに行くことはあったけど、とっくの昔に引退していた。
自由登校になった今、 その人物はお寿司屋の修行の為に魚の目利きを学びに日本海に面した港町に泊まり込みで行ってるらしい。
おじさんの知り合いの家に泊まり込みだって。
真剣なんだ。
この話を聞いたときは、夢を追う彼には頑張って欲しいと思っていたし、応援したかった。
だから笑って見送った。
正直なところ、たった一週間ほど会えないというだけでこんな風になるなんて思ってもみなかった。
今までもそれくらいの期間は会わなかったこともあったのに。
元々、僕は恋愛に対して臆病になるほうじゃない…と思う。
流石に彼が女の子と一緒にいたりすると気になるけど、顔に出して嫉妬したりなんてしない。
この気持ちに気付いてからは自分から仕掛けてこの関係にまで発展させた。
だけど、思い出してみて気がついた。
彼と恋人と呼べる関係になってからはこんなに長い間会えなくなったことはなかった。
熱心な部活…というか鬼部長のせいで長期休暇中も部活はあったから。
部活中も彼とペアを組むことが多かったし。
自分がこんなに弱いなんて知らなかった。
同性と結ばれる…この路を選んだだけでも自分は強いと思っていた。
それを選び続けられる自信もあった。
だけど、ほんの少し会えないだけでこのざまだ。
情けないよ……
彼にわがままを言うのはイヤだった。
彼はそう思わなくても、負担になるのはイヤだったし。対等の関係でいたかったから。
だけどそれでも僕は彼に会いたかった。
* * * *
「あ、兄貴、どうしたんだよ!?」
「どうしたって何が?」
どうやら僕の身体は僕が思っていたよりも正直だったらしい。
裕太が指差した箇所を指で拭ってみるとしょっぱい水滴が流れていた。
涙だ。
慌てる裕太は面白かった。
有り得ないものをみたような表情で慌てていた。
そうか、そういえば僕は裕太の前でなんて泣いたことはなかったね。
僕は一つしか離れていないけど裕太の兄で、だから今まで弟の前で泣くことはしなかった。
「あ、兄貴っ?」
面白いように頬を涙が伝う。
悲しいわけじゃない。
悲しいわけじゃないんだ。
インターフォンが鳴った。
裕太に出るように促す。
裕太がみてないのをいいことに思いっきり涙を流した。
戻ってくるまでには止めておかないと。
カッコつかないからね。
下を向いて目を擦ると影が見えた。
裕太が戻ってきたんだろうか?
止まりかけてはいたけれど、まだ完全には止まっていないのに。
「不二!どうしたの!?」
影から聞こえたのは想像した人物とは違ってて。
顔をあげるとそこに河村がいた。
後ろに裕太が困った顔をして立っている。
河村は慌てて駆け寄ってきた。
止まりかけていた涙腺がまた緩まった。
「どうしたの?何があったの!?」
言いたいことはたくさんあるのに声にならない。
ブンブンと首を振る。
河村が困った顔をしたのが判ったけどどうしようもない。
いつのまにか裕太は消えていた。
裕太には何も伝えたことがなかったけど、僕と河村との間に流れる空気を読んで気を使ってくれたらしい。
「ただいま。不二」
そういうと彼はいつものように眉を下げて柔らかく微笑んでいた。
僕の顔を見た河村はジーンズのポケットから手拭をだして涙を拭ってくれる。
何かがひらりと落ちた。
なんだろう?
河村がそれを拾うとこっちへ寄越した。
彼が見せてくれたのは海の写真だった。
それはブルーの透き通った淡い海じゃなくて、深い深い蒼の海。
力強く荒々しい反面、凪いだときはすべてを包み込むような海。
誰かにとても似ている。
「不二にあげる。こんなもので悪いんだけど…誕生日プレゼントはまた今度でいいかな?今回は探しに行く余裕がなくて…ゴメンね」
何もモノなんてくれなくてもいいんだ。
キミがいてくれるだけでいいんだ。
今キミがここにいるだけでいいんだ。
「おかえり、タカさん」
僕は精一杯の笑顔で微笑んだ。