私は女王候補だったころ、地の守護聖だったルヴァに恋をしていた。
年の離れたその方は穏やかで優しく何でも知っていて、最初はただただ尊敬していただけだったのに……。
いつのまにか恋に変わっていた。
試験の最後のほうは離れ辛くて、大陸に地のサクリアは満ち溢れていたというのに頻繁に執務室にお邪魔したのを昨日のことのように思い出してしまう。
森の湖でルヴァが何か言いかけて視線を落とし口を噤んだ。
私はそれを問うこともなく水と戯れた。
ルヴァはいつも通り私の様子を目を細めて頷いていただけだった。
視線を落とす前のその色が気になったけれど私は何かに怯え、それを尋ねることはなかった。
どうしてあそこで勇気が出なかったのかしら?
ルヴァのことが好きだったけれど……
だけど聞こえてくる宇宙の悲鳴に目を背けることができず……そして私は女王となった。
女王になってからルヴァへの恋心は封印できたと思っていた。
だけどそれは誤りだったのに気づいたのはあのとき――ルヴァから報告を受けるよりも先に気づいたの。
それを感じた私がルヴァだけを呼び出すと彼は召喚に応じた。
ルヴァは気付いていなかったようで私がそれを告げると少し驚いていたもののすぐに落ち着いて尋ねる。
長い就任の中で覚悟はしていたのだろう彼は動揺することもなく言った。
「そうですか……私の次の者はみつかりましたか?」
そう微笑んだルヴァの顔しか覚えていない。その後すぐにルヴァも背景も潤んだから。
「まだです……サクリアの減少はゆっくりだからまだ時間はあるわ」
泣き顔を見せたくなくて下を向いた。
ルヴァは少し躊躇ったものの慰めるように私の頭を撫でた。
無自覚の優しさが余計に辛かった。
本当にこの方はタチが悪い。
「陛下お願いがあるのですが」
ルヴァの願いは些細なものだった聖地を去る前日に私に挨拶の時間を設けてほしいというものだった。
私がそれを快諾するとルヴァは退出していった。
私の即位の時点で二人の女王を知っていたルヴァよりも遥かに長くこの聖地に留まることになることは殆ど確定事項だった。
もう二度とルヴァと会うことはないと、残っていた想いを封印したはずだったのに。
ルヴァが去ってわりとすぐにあの事件が起きた。
中惑星の膨張。
最初は地の守護聖の交代時のサクリアの乱れによるものだと思われていたそれは、実は大惑星であった主星を飲み込もうとするほどのもので、気付いたときには手遅れだった。
星の運命はいつかは終わる。そんなことは判っていたけれど。
今の時点で主星を失くすわけにはいかなかった。
このままでいくと主星と共に聖地すら飲み込まれてしまう。
宇宙の転移を行ったときの恐怖が思い出された。
大丈夫。
今回は手助けではなく私がやらなければならない。
私はすべてを飲み込もうとする惑星に向かい、サクリアをすべて注ぎ込む。
だけど間に合わなかった。端が綻んでいく。
ふと自分のものではないサクリアを感じた。
とても馴染んだそのサクリアに驚いて振り向く。
「オリヴィエ! ゼフェル!」
オリヴィエとゼフェルだった。
「ほーんと、うちの女王陛下って無茶するわねェ!」
「仕方ねぇんじゃねーの。それがウチの陛下だぜ!」
ゼフェルの送ったサクリアが崩壊を止め、オリヴィエの送るサクリアが浸透し、綻びを回復していく。
この様子だと他の皆様もサクリアを送ってくださっているのだろう。
私はそれらを最大限に効果が出るよう織り込み、開放させる。
私がもっと早くに気づいていれば、ここまで状況が酷くなることはなかった。
だけどルヴァを失ったショックで塞ぎこんでいた私は気づくのが遅れてしまった。
それは皆様も判っているだろう。
女王失格といわれてもおかしくなかったのに。
皆様の協力で中惑星の膨張は止まった。
それと引き換えに私のサクリアは無くなってしまったけれど。
無事に次の女王が見つかって、自責の念にかられる私にロザリアが教えてくれた。
ルヴァが外界に戻ってからまだ十数年しか経っておらず、私たちが戻る頃にもまだ在るだろうということを。
それを聞いた私は自分が起こしてしまった事件よりも、身体からサクリアが流れいく喪失感よりも、ルヴァに逢える悦びの方が強く歓喜に震えてしまった。
あまりにも身勝手すぎる想いに自分で呆れてしまった。
そんな身勝手な私であるのにロザリアも守護聖の方も私を責めず、優しく外へ送り出された。
無事に次代への引継ぎの終えた私たちは主星へと向かった。
ロザリアが生家をみてくるというので私も自分の故郷へ向かう。
だけど私は知っていたの。
駅からお家に向かう道も、降り立った駅さえももう記憶のあるものではなかった。
全く知らない道を通ってあの頃住んでいた家に辿り着いたものの、そこはもう故郷ではなく違うものだということを。小さな、それでも愛しい我が家は周りとともに取り壊され大きな集合住宅になってしまったようだった。
私が女王でいたのは歴代の中では短いほうだったけれど、もう還る家も家族も皆なくなっていた。
それは当時の大貴族であったロザリアも同じだった。合流して少し涙を浮かべるロザリアに抱きついて声をあげて泣いてしまった。
彼女は気丈で、ご両親のことを最期まで調べたみたい。
私は怖くて家族の行方を追うことはしなかった。
その後、ロザリアはあの方との約束通り主星のあの方が住んでいる地区へと向かった。
別れ際ロザリアが笑っていった。
「ね、アンジェ」
「うん?」
「ルヴァと会えなかったり振られたら、わたくしの元へおいでなさいな」
「!」
「そうならないようにしゃきっとしなさいよ!」
「ロザリア……」
いつも私を支えてくれた親友は強くて優しくていじっぱりなとこも面倒見が良いとこも大好きで。
私たちは笑って別れた。
私は砂漠の惑星へと向かう。
ただ一目ルヴァに逢いたくて。
そこからの一年間は大変だったわ。
ルヴァは砂漠の惑星には住んでいなかった。
てっきりルヴァは砂漠の惑星にいるものと思っていた私は驚いた。
ルヴァが年月をえても故郷を大切にしていることはその服装や思想から周知の事実だったから。
世間話の端々にもれる内容も本当に故郷を思うものが多くて。
だからきっと彼なら守護聖を降りた後は砂漠の惑星に還るものだと思っていたのに。
意外というか、思ったとおりというか、ロザリアの夫となったあの方とルヴァは連絡はとっていないという。
そんなときだ。
諦められず、ルヴァ様を探していくつかの星を旅していたところに、聖獣の女王補佐官とその女王に聖獣の宇宙へと誘われたのだ。
聖天使をただの女となった私との連絡手段として使う破天荒さに笑ったものの、当時の自分たちの振る舞いを思い出すと似たようなものだったから深くは問わない。
「リモージュ様」
「ふふっ、レイチェル。お久しぶりね。もう様付けはいらないわ」
「んじゃ、アンジェリーク! 良い知らせがあるの!」
穏やかに微笑むもう一人のアンジェリークとにこにこと笑うレイチェルに気圧されたものの、渡された資料を見て目を見開く。
「ジャジャーン! エルンストに調べてもらったんだよ! 神鳥の研究所にもお世話になりました!」
それは私が引き継いだ娘たちの援助もあったのだろう。
聖獣のシンボルの用紙にはルヴァの足跡が、神鳥のシンボルの用紙には現在住んでいる場所が記されていた。
こうして私はルヴァの行方を掴んだ。
あと数日でルヴァに逢える!
私は逸る気持ちを抑えきれずその惑星へ向かった。
その家は、茶色の屋根にベージュの石で作られた花壇には家主の趣味であろうたくさんの薬草とともに、色とりどりの花が植えられていた。
庭の片隅に大輪の黄色の花を見つけてうれしくなったものの色鮮やかな花々をみてふと気づいた。
外の世界では二十年くらい経ったと訊いた。
私は急に不安になった。
二十年。
それはルヴァに大切な人ができて、その子どもたちやそのまた子たちと暮らしていてもおかしくないということに気づいたのだ。
足が震えていた。
私は鞄を横倒しにすると座った。
ただルヴァを待つのは止めなかった。
本当に幸運だった。
ルヴァの家に辿り着いた日にルヴァに逢うことができた。
ルヴァはあまり変わっていなかった。
トレードマークのターバンはそのままで。服装こそ守護聖時代のように民族性を感じさせるものではなかったものの当時の私服と変わらず。元から年齢を感じさせる顔じゃなかったのもあるのかしら?
少女の頃のように逸る気持ちを抑えきれず思わず抱きついたら抱きしめ返されて私は有頂天になった。
既知の知人への懐かしさからでもいい。
愛称で呼ばれたのも私の心を躍らせた。
結論からいうと、ルヴァは新しい家族を作っていないようだった。
懐かしさのためかこの惑星がよっぽど良いところなのか滞在を勧めてくる。
私はそれに乗った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ルヴァ様との生活はとても新鮮で優しいものだった。
隔離された聖地で暮らしていたせいか少し困ることもあったけど。
ルヴァ様のおうちは懐かしくてすごく好きになった。
ずっとここにいられたら……
ルヴァ様のお家に住み始めた私をこの町の人たちはルヴァ様のお嫁さんだと認識したらしい。
ルヴァ様は周りが私をルヴァ様のお嫁さん扱いするのを止めなかった。
ただ少し困ったような曖昧な笑みをみせるだけだった。
私もうれしくて否定しなかった。
ルヴァ様が街の中央に連れてってくれた。
そこで見かけた可愛いカップ。
ルヴァ様にカップを買ってもらった。
来客用ではなく自分専用のそれに心が躍る。
だってそれは一時ではなく私がずっとここにいてもよいと言われたみたいで。
うれしくて思わず買ってもらったカップを抱きしめる。
だけど……
期待してもいいの?
その問いを発することはできなかった。
次第に馴染んでいくルヴァ様との生活に私は幸せだった。
ルヴァ様はしきりと年齢が離れていることを気にしているようだった。
出逢ったころからルヴァ様は大人の人で。
正直、私はルヴァ様がルヴァ様であれば容姿の老化なんて気にならなかった。
一緒に暮らすうちにルヴァ様が生活に対しては少し適当なところがあるところも、嫌いな食べ物が昔教えてもらったよりもあることも知った。
だけど嫌いになんてならなかった。
ますます好きになる。
でも……やっと手に入れた優しい時間を壊すのが怖くて、好きだと告げるのを躊躇させていた。
そんな時だ。ルヴァ様を訪ねてきた一人の女性がいた。
ルヴァ様と同じ学校で働いているという二十半ばくらいの女性は、ルヴァ様に愛を告げる。
ずっと好きだったとルヴァ様に告白する彼女に目の前がくらくらする。
思わず血が上った。
耳を塞ぎながら二階の部屋へ駆け込むとそのままベッドへと転がる。
彼女が帰って一階へ戻った。
彼女への返事が気になって仕方なかった。
もうルヴァ様のそばにいられないかと思うと心臓が潰れそうだった。
尋ねるとルヴァ様は頭を掻きつつ言った。
「あー……やはり聞こえてたんですねー。こんなおじさんを好いてくださるのは嬉しいのですが……どうして私なんかを好きなんでしょうかねぇ」
もう! この方は。
私は思わず言ってしまった。
「ルヴァ様は素敵だもの! 私だってずっとずっとルヴァ様が好きなのにっ!」
「アンジェ…?」
ルヴァ様がすごく驚いてこちらをみていた。
「ずっとルヴァ様が好きでした!」
最悪のタイミングでの告白だった。
どうせ告白するならもっとロマンチックなタイミングで、お気に入りのワンピースを着て、お化粧もちゃんとしてからしたかった。
思わず涙腺が緩み、ぽろぽろと雫が零れてしまう。
「アンジェ……ほ、本当に?」
「好きじゃなきゃおっかけてきたりしないです……ご迷惑ですか?」
「いえ! 迷惑なんてそんな……そんなことはありません!」
ルヴァ様が私の頭を撫でた。
ルヴァ様のサクリアの消失を告げたあの時と同じだ。
「あぁ、アンジェリーク、昔一度このターバンをあなたの前でとったことがあったでしょう?」
ルヴァ様をみると、真剣な表情でターバンを外していくところだった。
「このターバンは本当の自分をみせることができる人……大切な……愛する人の前でしか取ってはいけないものなんです。故郷の古い慣習ですが……以前、あの夜にあなたに見せたのはそういうことです」
あれ……それってもしかして!
かくっと力の抜けた私をルヴァ様が支えてくれた。
「大切な……愛する?」
「ええ、愛しています。アンジェ」
ルヴァ様の顔が近づいてくる。
意外と睫毛が長いとか、奥二重がかわいいとか、色んなことが頭を過ぎったけど。
私は力一杯背を伸ばして瞳を閉じた。
こうして私の身分証明書の名前はアンジェリーク・ウルカイシとなった。
未だに終わりのない夢の中にいるような……そんな気がするけど。
いつか夢から覚めてもこの方の隣にいられたら……
私は自分の右側で眠るルヴァ様の旋毛に口付けてその腕の中へと潜り込んだ。