ほんの些細なきっかけだった。
育成の参考になれば、と女王候補生に貸し出した書籍の中に載っていた著者たちのプロフィール。
「これは……ルヴァさま?」
「あー、すっかり忘れてましたよー」
寄稿したことも忘れていたそれに、金の髪の女王候補が気付いたのは偶然だったはずだ。
自分ですら忘れていたそれに彼女が興味を持ったのも。
「へぇ!ルヴァ様って夏生まれだったんですね。暑いの苦手そうなイメージが……少し意外かも?」
「七の月生まれとはいってもですね、私の生まれた惑星は一年中熱砂に包まれていて…
ああ、アンジェは主星出身でしたっけ?主星には熱砂なんてないでしょうからねぇ、何にたとえればよいのか」
「うーん? なんとなく判りますよ! 図鑑で砂漠を見たことがあります。見渡す限り一面砂があって、ずっと暑いんですよね?」
「そうです。貴女の言うとおり見渡す限り一面の砂で覆われた惑星で、砂一面とはいっても昼と夜に見せる風景が違うんですよ。
夜に月の光を反射する砂がとても綺麗で……ああ、懐かしいですねー。
よく月が煌々と照らす夜には母親に小言を言われながらもふらふらと出かけたものです」
「すごく綺麗そうです!あの、ルヴァ様、私もみてみたいです!」
「そうですねー、いつかみれるといいですね」
「はい!」
見せてあげられるといいのですがとルヴァは内心思ったものの現実的ではない約束をするのはと思い、薄く笑う。
アンジェリークがそれた話を元に戻す。
「あ、でも7月12日がお誕生日だともう過ぎちゃったんですね、残念」
お祝いしたかったのにと、しゅんとしょげるアンジェリークに、ルヴァは微笑んで否定する。
「聖地の時間は飛空都市の時間とは異なりますからねー、私の誕生日はもう少し先なのですよ」
「え!?」
身を乗り出して食いついたアンジェリークに苦笑して。
「まぁ誕生日といっても本当に年を重ねるわけでは有りませんから」
「ええっ!?」
「守護聖になると成長が…ああ、老化がとても緩やかになるんですよ。
だから聖地では女王陛下のお力で外界や飛空都市とは時間の流れを変えてるんですよー。
ただ時間の流れと肉体の流れは少し異なるのできちんと合わないんですねー」
それに気付かなかった少女に釘を刺してよいものかと悩むが、後で知るよりも早いほうがいいだろうと続ける。
「貴女が女王になれば同じ時を過ごせますね」
「ル、ルヴァ様」
なぜか真っ赤になったアンジェリークに首を傾げつつも、アンジェリークの頭を撫でる。
アンジェリークが女王になればこんな風に触れることもないだろうと思いながら。
「それでもお誕生日ってうれしいじゃないですか?」
「まぁ、そうですねー」
「ホントならいつくらいなんですか?」
少女があまりに目をキラキラさせて訊いてくるので思わず正確に計算してしまう。
「今からですとそうですねぇ……43日後ですかねー」
「43日…」
「ルヴァ様」
「はいー?」
「43日後はお祝いしましょう!」
にっこりと笑うアンジェリークにルヴァも微笑んだ。
「ふふ、お祝いしてくれるんですかー?」
「はいっ! そのときにお伝えしたいことがあるんです」
「伝えたいこと? んー何だか気になりますねぇー。今だと駄目なんですかー?」
「え? 今? だっ、だめ!だめです!」
真っ赤になって手を横に振るアンジェリークに、追及してみたい気はあったけれど。
「気になりますねー」
「後でのお楽しみです!」
真っ赤になって頬に手を当てるアンジェリークに、この部屋ちょっと暑いのでしょうか?と見当違いのことをルヴァは思った。
□ □ □
もうすぐ女王試験が終わる。
初めは均衡していた力のバランスが崩れた。
ルヴァは王立研究院から受け取ったデータを見ながら現状を考える。
フェリシアは均整のとれた美しい大陸だ。
だがしかしエリューシオンの不思議な生命力を前にすると、どうも美しい姿が幻のように霞む。
エリューシオンの圧倒的な生命の芽吹き。
不揃いながらにも大陸を満たす息吹。
星の誕生をも思わせるその輝きにルヴァはすっかり夢中になっていた。
宇宙の崩壊の音も忘れるくらいで。
だからルヴァは元より興味のなかったそれをすっかり忘れていた。
午前中に5日ぶりにルヴァの元に訪れたアンジェリークから育成を頼まれた。
久しぶりにアンジェリークに逢うとルヴァの心臓が跳ねた。それを訝しげに思ったもの嬉しさですぐに忘れてしまった。
いつもなら育成の依頼のときにでも楽しそうにルヴァの執務室へ居着く彼女が今日に限ってすぐに帰ると大きく溜め息をつく。
最近忙しそうにしているからと誘いに行けず、余計に会えない時間が増えて溜め息の回数が増えた。
あまりにも溜め息を吐くものだから、隣の夢の守護聖に誘いに行けばいいのにと茶化されたのはつい昨日の話だ。
逢えなくても溜め息、逢えても溜め息と自分の感情ながら理解不能だとルヴァは思う。
「ルヴァ! いるか~?」
「あー、こんにちは」
午後の執務に入ってすぐに最近素直な教え子の訪問を受けるとお茶を準備しようとしたところで、ゼフェルに引っ張られる。
「おめーがいねぇと話になんねぇんだよ! 早くこいよ!」
通路では何故かオリヴィエが待っていた。
「おい! オリヴィエ、オレはまだ別件があるから、オッサン先に連れていけよ!」
「フフ、了解」
美しい色で飾られた手をひらひらとゼフェルに振ると、オリヴィエがルヴァを引っ張っていく。
「オリヴィエ、一体どうしたんですかー?」
「んー、着いてのお楽しみさ」
訳も判らずオリヴィエに着いて行く。
オリヴィエが扉を開けて、ルヴァを先へと押し出す。
ルヴァは慌てて足に力をいれると、広間に入った。
途端にパーンと弾ける音がいくつも鳴り響く。
驚いて後ずさったものの後ろから来ていたオリヴィエに当たるとそこで止まる。
二人の女王候補やマルセルにランディ、女王補佐官のディアまでもが入り口に向けてクラッカーを鳴らしていた。
すぐ後ろにはリュミエールやオスカーが珍しく穏やかに二人並んでおり、さらに後方にクラヴィスとそれを引っ張っているゼフェル、やや柔らかい表情のジュリアスがいた。
「あの、これは、い、一体、何が?」
守護聖が勢揃いで一体何の騒ぎかと、上擦った声で尋ねると紫の髪の女王候補が微笑んでいう。
「アンジェリークがルヴァ様のお誕生日を皆様とお祝いしたいと企画しましたの。お誕生日おめでとうございます。ルヴァ様」
「ぼくも手伝ったんです! おめでとうございます! ルヴァ様」
「ルヴァ様、おめでとうございます!」
「おめでとーさん☆」
次々と被せられる祝いの言葉にルヴァの胸は詰まる。
守護聖となってから時の長さに囚われて思い出すこともなかったけれど、こうして祝われるのは嬉しいものだと。
「皆さん…」
女王試験が始まるまでは、守護聖全員が集まってこうやって談笑するなど考えられなかった。
それぞれは仲が良いなどはあったものの個性的過ぎる彼らはまとまりがなかった。
これも彼女たちの力だろうか。
人の心を掴むというのはこのようなことかとルヴァの中に色んな思いが駆け巡る。
気が付けば思考が彼女に直結していた。
アンジェリークと二人、テラスに出て夜風に当たっていた。
宴会はまだ盛り上がり続いていて大人たちにはアルコールが入って陽気になったせいか、主役が抜けても気にされていない。
喧騒を後ろに感じつつ、静かなときを過ごしていた。
「アンジェ、そういえば私の誕生日に話したいことがあるっていってませんでした?」
「あれは……」
「あれは?」
「もう無理なんです。ごめんなさいっ」
とても申し訳なさそうに謝るアンジェリークにルヴァは残念に思う。
「それは残念ですねー」
奇妙な沈黙が落ちると、アンジェリークが話し出した。
「ルヴァ様!」
強い意志を湛えた若緑色の瞳にルヴァの胸は高鳴る。
「私、女王になります! だからっ!」
アンジェリークの告白にルヴァは目の前が真っ暗になった。
彼女が女王になる。
それはとても喜ばしい出来事の筈だ。
走馬灯なぞ見たことがないが、走馬灯のように今までこの飛空都市で彼女と過ごした日々が駆け抜けていく。
執務室のドアからやや緊張しながら入ってきた彼女、初めて一緒に出かけたあの日、贈った向日葵を飾り続けてくれた彼女、彼女が好きな森の湖、まだ一緒にいたいと駄々を捏ねられ二人寄り添って見たあの夕日。
色付いては褪せていくその風景にルヴァの心は締め付けられる。
確かにあと数日もすれば彼女の大陸からの建物が中の島に建つだろう。
いや、今日は午前に育成の依頼があった。
今週のエリューシオンの望みには地のサクリアへの要求が高かったはずだ。
自分がサクリアを送れば、早ければ明日にでも彼女が女王となる可能性がある。
先送りにしていた問題を突きつけられて、ルヴァは何とか騒ぎ出した心を落ち着けると搾り出すように言った。
「……貴女ならきっと立派な女王になれますよー、だからとは?」
「なるべく長く守護聖様でいてくださいね!」
「は?」
返された言葉にぽかんとしたルヴァにアンジェリークが焦ったように説明し始める。
「他の方からルヴァ様は守護聖様としての任期が終わったら故郷の惑星に帰るってお聞きしました。守護聖様って長生きなんですよね?」
そういえば、昔ランディだかマルセルにそんなことを話した覚えがあった。
アンジェリークに守護聖になると肉体の成長の進みが通常より遥かに緩やかになることを話した記憶もあった。
それが今一体何の関係が……?
「女王になれたら守護聖様たちみたいに長生きできるって聞いて、その!」
アンジェリークの続けられた発言にルヴァの目が零れそうになる。
「私、ルヴァ様と一緒に月夜の砂漠を散歩したいです!」
「えーと、貴女まさかそのために……?」
「女王になりますよ?」
自分と生きるために女王になるのだと少女は言う。
直接的な言葉を全く訊かされていないのに、もしかして自分はすごい愛の告白を受けているのではないかとルヴァの顔が真っ赤に染まる。
「ルヴァ様、いつか砂の惑星へ連れてってくれますか?」
返事を待って、そわそわ不安そうな顔になっているアンジェリークに、真っ赤になったままのルヴァが答える。
「はい、『その時』は一緒に散歩しましょうね」
ルヴァからの返事にアンジェリークがとびあがらんばかりに喜ぶと。
「絶対ですよ!」
アンジェリークがルヴァの手をとると室内へと駆け出す。
ルヴァはアンジェリークの細い指に掴まれながら、幸せが駆けてくる足音を聴いた気がした。
fin.