あれはまだ顕現して間もない頃のこと。
月も天に上がりきり丑みつ時を過ぎても三日月は寝入ることができず、褥の上でただ座していた。
伏せていても仕方がないと身を起こしたもののやることもなく、蒲団の中にいる。
「眠れないのかい?」
隣で眠っていた石切丸が身体を起こし三日月の方へ向く。
心配気な顔つきで尋ねてきた石切丸へ三日月は声を潜めて返した。
「この、なんだ。身は疲れているのに内が熱く気がまだ高ぶっているようだ」
心の臓あたりを押さえながら深く息を吸って吐き出された三日月の言葉に石切丸は合点がいった様で、苦笑いをしながら頷く。
「ああ、今日はその身で自らを使って初めての実戦だったからね。気が昂ぶって眠れないのか」
すぐに正解に辿り着いた石切丸に三日月は拗ねた様に続ける。
「おぬしは昨夜と変わらんな」
顕現してから初めて実戦を行ったといえば石切丸も同じはずで、そのことについて三日月が問うと石切丸は困ったように笑った。
「私は神社暮らしも長いし気を静める術も得ているからね」
石切丸の言葉に面白くなさそうに三日月は見解を述べる。
「眠るという行為が慣れんのもあるな」
不慣れな行為をあげて。
顕現してわずか数日。
肉の身の要求にはまだ慣れず。
刀であった頃は意識したことがなかった、食べる、眠るなどの欲を満たすことはなかなか難しかった。
「では、私が呪まじないをして差し上げよう」
「は?」
石切丸の提案に少し身じろいだが。
目の前の刀は同じ三条、数日共に過ごした限りはそう悪い刀とは思えない。
何より同じ派ゆえか流れる気が合うというか、身を得てからはまだ数日しか経っていないというのに、千年前から共にいたような気安さで接してしまう。
そんな石切丸のことだからそう無体なこともしないだろうと三日月は案に乗ることにする。
「よかろう。俺は何をすればよい?」
三日月が尋ねると石切丸はにっこりと笑う。
明かりを落としているというのに表情がはっきり見えるほど近くにいたことに気づく。
もう寝るばかりで戦化粧の落とした石切丸の顔は幼く見えてまだ本丸(ここ)にいない弟分を思い出した。
「眼をとじて」
石切丸の指示通りに三日月は眼を閉じる。
「そう」
三日月の瞼の上の薄い皮膚を何か温かなものが触れた。
これが呪いかと三日月は首を捻ろうとするが、どうやら頭を石切丸に固定されているらしく思ったように動かせない。
「何をしている?」
ちゅと何か音がして触れていたものが離れた。
「お呪いだよ」
「はははっ、呪いなぞ……」
戯れに過ぎんと、眼を開ければ前には石切丸の顔があって。
「三日月にはもっとよく効く呪いをして差し上げよう」
特別だよ、と耳元で囁かれて三日月は思わず後ろ手をついた。
「御休みなさい」
たしかにあのまじないは利いた。
翌朝、三日月は馬当番を割り振られていたにも関わらず寝過ごした。
一緒の当番だった粟田の短刀が起こしに来て気づいた。
以後、三日月が眠れぬ夜には石切丸からおやすみの呪いを受けることになったが。
三日月がまじないとはのろいの一種だと気付いたのは、人の三大欲を石切丸に教えられた後だった。
石切丸のこの呪いを己しか受けたことがないことに三日月が気づくのはもっとずっと後の話となる。