「なんだ?おめーもオッサンに世話になった口かよ」
「そうだねェー…今残っている大抵の守護聖はルヴァに世話になっているんじゃないのー?」
オリヴィエが当時を思い出して笑う。
聖地に着たばかりの頃、教育係としてつけられたのは自分とそう年が変わらないであろう地の守護聖だった。
もっとも聖地や守護聖というのは外見年齢と重ねたときが一致しないもので、見た目や喋り方などから推測しただけであったけれど。
あまりにものんびりと喋るその様や、せっかくの綺麗な青緑の髪を隠している野暮ったいターバン。
機能的みたいだが身体の線を隠すだぼだぼの服。
何もかもオリヴィエの美意識からはかけ離れた存在だった。
しかし、無視や反抗するほど子どもでもなかったから、最初からそこそこ良い関係を築けてたと思う。
決して踏み込ませない境界は引いていたけれど。
いつからだろう?
その意識と境界が変わったのは。
ただ慣れた後で同じ年頃のオスカーやリュミエールに聖地に着たばかりの頃の教育係が誰だったか聞いたときには、つくづくルヴァでよかったと思ったものだ。
オリヴィエは大人になってから守護聖としての力に目覚めたため、教育期間もそう長いものではなかったのも幸いだった。
それにオスカーはともかくリュミエールは実質ルヴァが教育係だったといってもいいようなものだ。
教育を任された守護聖がリュミエールに守護聖のイロハを教えたとは考えにくい。
実質、面倒見の良い(押し付けられたともいう)ルヴァが教えたのであろう。
それでも刷り込みというのは恐ろしいものでリュミエールは今でもせっせと当時の教育係の執務室に通っているみたいだったが。
オリヴィエは頭の中に思い浮かぶセピア色になるには早い記憶を巻き戻し言った。
「あのコロはさ、ワタシもぶっとんでたんだよね~」
「おめーは今でもぶっとんでんだろっ!」
片手でゼフェルの頭をクッションに押し付けつつ、続きを語る。
苦しいのか暴れるゼフェルをいなして、力を緩めてやった。
「来てしばらくは大人しくしてたんだけどねェ、ちょびっとばかし聖地抜け出したらルヴァがおっかけてきてさ。あれは面白かったね」
「へぇ!あのオッサンが?マジかよ?」
「ルヴァは視察とかじゃない限り聖地から出ないしね」
そうあれは聖地にも慣れて、いやその清らかな空気に慣れることができなくて、娑婆の空気を吸おうとこっそり外界に出たときのことだ。
要領の良いオリヴィエは入念に準備し脱走した。
聖地からの脱走。
清らかで優しい檻から逃げ出した。
勿論逃げ切れるとは思ってなかった。
ただ息を抜きたかっただけ。
連れ戻される前提で抜け出したものであったが、それは、初めて教育係を任されたルヴァに大きなショックを与えたようで、なんとあの男はオリヴィエを追って外界に下りたらしい。
派手な男女が行き交う主星一もっと猥雑な街、グランディア。
オリヴィエは当てもなく雰囲気の良いバーを見つけては呑み、次の場所へと通りを彷徨う。
少し路地に入ると途端に淫靡な雰囲気をかもし出し、紅を引き、肌も露な女たちが手を伸ばしてくる。
誘うように。救いを求めるように。
金で買う一夜の恋を求める気分でもなかったから、今日はもう休もうと宿を目指す。
メインストリートから西へ少し行ったところで見覚えのある緑のローブを見かけた。
美しくも淫靡な蝶たちがまとわりついている。赤や紫のドレスの向こうに見える真っ白なターバン。
困り顔のまま慌てている青年。
あまりにも似合わない光景だった。
「こっちへおいで」
「あーあああ!オリヴィエ、やっと発見しましたよー!」
そのまま、女や物乞いを引き離し少し話せる場所へ移動する。
「あんたこんなトコでなにやってんのさ?トロトロしてると食われちゃうよ!」
「オリヴィエ~…食われるって……彼女たちは人食人種なのでしょうか?」
「バ!バッカだねェ」
脱力したオリヴィエに気付くことなく、きょとんとしているルヴァがいう。
「こんなところでって……貴方を探しにですが」
与えられた役目を責任感から果たしにきたのは感心するとオリヴィエはニヤリと笑う。
「お役目ご苦労さん!」
束の間の休息もこれまでかと肩を竦めて両手を上げた途端、肩に重みがかかる。
首から抱き締められていた。
繁華街にはつきものの肉や煙草や香水の咽返るような臭いの中で、ルヴァからは汗とお日様の匂いがした。
いつかの記憶にある母のような匂い。
泣きそうになっている教育係を見やるとオリヴィエの顔を見て安心したように微笑んで。
「はぁ~…オリヴィエ。あまり心配をかけないでください」
「心配?」
「ええ、皆心配してますよー。帰りましょう、オリヴィエ」
聖地の人間が来たばかりのオリヴィエの心配なんて誰がするものか、その身に宿すサクリアにしか興味がないのではと思っていたけど。
この男だけは例えオリヴィエの教育係でなかったとしても仲間を心配するのだろうと。
短い付き合いの中でもそれは多分真実だろうとオリヴィエは思った。
(他人に心配されるなんて何年ぶりかな?)
少し嬉しくなってしまう。
無事でよかったと安堵の溜め息を吐くルヴァにいう。
「フフッ、そうだねェ。一緒に檻に戻ってあげるよ」
「檻ですか……」
苦笑いしたルヴァの肩を叩いて。
「優しい監獄に戻ろう」
「一緒に帰りましょう」
あまりにも短い脱走劇はルヴァ以外にはバレることもなく、あっけなく幕を閉じた。
その後、周りとは一線を引いていた夢の守護聖が地の守護聖の前でだけは珍しく素を出すようになったこと。
オリヴィエが外界に息抜きにいくときはルヴァにばれないようにいくようになったこと。
それを知りつつも聖地に戻ってくることを確信しているのか、ため息をつくのみでただ待っているルヴァをみるようになったこと。
やがてオリヴィエが他の守護聖にも時折素を出すようになり、ルヴァがそれを嬉しそうにみていたこと。
それをすべてオリヴィエが理解るようになったのはもう少し後の話だった。
ふと、ソファーに視線を落とすとゼフェルが寝入っていた。
いつの間にか眠ってしまったゼフェルに肩を竦めて。
他人の話の途中で寝るなんて失礼な子だと化粧でもしてやろうかとメイクボックスを取りにいこうとしたとき、
遠くからゼフェルを呼ぶ声に気付いた。
聞きなれたその声にオリヴィエは自室の扉を開けてその人物を手招きする。
「あああぁ、オリヴィエ。こんにちは。 ゼフェルをみませんでしたか?」
唇に指をあててソファーを指差す。
それに気付いたルヴァがそっと近寄る。
「おやー、眠ってしまったんですねー」
「よく寝てるよ」
「こうして眠っているのをみると可愛いもんなんですけどねー」
そういってゼフェルを見るその眼差しはかつて自分が受けたとても温かいもので。
「ルヴァ」
「はい?どうしたんですかー?」
「そのガキにもきっと判るときがくるさ」
「?」
「理解らないならいいよ」
「いえ、オリヴィエ。ありがとうございます」
微笑んだルヴァにオリヴィエは頷く。
もう少し大人になれば、ね。
きっと理解るようになるさ。