Old Fashioned Love Song For You
女王補佐官ロザリアが女王に呼ばれたのは、ある日の執務時間終了直後。
女王の執務室ではなく私室に呼ばれた。
それを訝しげにするもの、やや珍しい程度で通常でも有り得ることだったから。
ただ妙な胸騒ぎは消えずロザリアは思わずその豊満な胸に手をやる。
薄絹に包まれたその胸からはいつもよりも早い鼓動が感じられる。
急いで扉を開けると悲痛そうな表情の女王がいた。
「陛下! どうかなされたのですか? もしやまた宇宙に……」
「違うの……宇宙は平和だわ」
「それはよろしゅうございますわ」
安心していつもの定位置に向かおうとする。
「いい? ロザリア、落ち着いて聞いてね」
「なんですの?」
「ジュリアスのサクリアの減少が始まったわ」
それは光の守護聖の交代を示す言葉であった。
「まさかっ!」
「守護聖の交代は就任順でも年齢順ではないけれど、まさか次はジュリアスだなんて……」
ロザリアは戸惑った表情(かお)をみせていたものの、やがてそのまま肯定する。
「陛下が感じるのであれば『そう』なんでしょうね……」
ふらつくロザリアをアンジェリークが支えてやる。
ロザリアはアンジェリークの助けをかり、身体をソファにもたれさせると深く息を吐いた。
ジュリアス本人よりも先に女王アンジェリークがわざわざ女王補佐官ロザリアに伝えたのは、単純に執務上必要だからではない。
プライベートでは親友のロザリアが、首座の光の守護聖ジュリアスと恋人だということを知っていたから。
恋人であれば本人が告げるのではないかと思うが、当代の光の守護聖はその高潔な人柄か、本人が気付いていても
心の準備ができるまではきっと他者にはその事実を告げないに違いないと、輝くばかりの力を持つ女王はそう短くは無い
付き合いでわかっていたから、ジュリアスが彼女に告げる前に告げたのであった。
ジュリアスの心の準備……その準備期間を待っていては手配が間に合わないことを女王は理解していた。
「明日、ジュリアスと面会の準備をしてくれる?」
「承知いたしましたわ」
覚束無い足取りで退出しようとしたロザリアに声をかける。
「ロザリア、大丈夫?」
「心配してくれるの?アンジェ」
「今日はもう戻ってこなくていいから」
本来であれば、この時間は女王と補佐官が二人で過ごす大切な時間の筈だ。
それを中止して更にはその後の時間を与えてくれる。 ロザリアはアンジェリークの心遣いに感謝しつつ、駆け出したい衝動を抑えながらジュリアスの館へと向かった。
執事がロザリアを来訪を告げるとジュリアスの私室に通される。
ジュリアスはいつもとは違い薄闇の中に僅かな光だけを灯したまま佇んでいた。
「ジュリアス……」
「陛下から伺ったか」
「貴方までいなくなってしまうなんて」
「いつかはくる。解っていた事だ」
心なしか青褪めたジュリアスをみてロザリアはジュリアスに抱きつく。
ジュリアスは縋りつくロザリアをいつも通り抱きしめ返そうとして、腰に回そうとしたその手を止める。
このまま抱きしめてしまえば、ロザリアは胸の内にいるだろう。
今はまだごく僅かとはいえ自身から失われていくサクリアと、その後の身の振り方が頭を過ぎる。
ジュリアスはロザリアを突き放した。
「ジュリアス!?」
「蜜月は終わりだ。本来の職務へ戻るが良い」
「ジュリアス!わたくしは……」
「そなたは女王補佐官。その座の重さをよく考えよ」
ジュリアスが執事を呼び、ロザリアを帰す手配を始めた。
本来の訪問理由をそこで告げることになったのは皮肉なことだった。
「あら、おかえり」
てっきりジュリアスの館で一晩過ごすつもりだと思っていたアンジェリークは
帰ってきたロザリアに声をかけて書類から顔をあげた。
「ジュリアスとの明日の謁見の準備整いましてよ」
「ありがとう。どうかしたの?」
ペンを置いて、ロザリアを気遣う。
無理に笑みを作ろうとしたロザリアであったが、その顔は強張ったままで。
アンジェリークが手を引いて、その胸のうちにロザリアを抱き寄せた。
アンジェリークより少し背の高いロザリアの頭を抱えるようにする。
いつもアンジェリークが落ち込んだときにそうやって慰めるのはロザリアだった。
渋るロザリアから事情を訊きだしたアンジェリークは怒っていた。
良くも悪くも子どものようなところがある女王は親友を拒絶したジュリアスに対して本気で怒っていた。
「なんてことを!」
「仕方ないですわ」
ロザリアの伏せた長い睫に雫が溜まるのをやるせなく見ていたアンジェリークはその顔に疑問を浮かべて言った。
「どうして? 一緒についていけばいいじゃない」
「え?」
アンジェリークから告げられた言葉は思ってもみないことだった。
自分は256代女王の補佐官、自身の命か女王のサクリアが途切れるそのときまで傍にいるつもりだった。
それを当の女王が否定したのだ。
「ジュリアスのことだから退位後に帰るのは前に言ってた主星だろうし。主星ならちょーっと遠くにいっちゃうだけだし、また逢えない訳ではないし」
「……」
補佐官や友人としても自分は不要なのだろうかと一瞬影を落としたものの、遠く離れていても
友だちには変わりないしと続ける友人を見て、沈んでいた心が少しだけ軽くなる。
しかしジュリアスには拒絶されたのだ。
今更ついて行く話でもなかった。
「アンジェ……わたくしはずっとあんたの傍にいるわよ!」
「ジュリアスの傍に他の娘がいてもいいの?」
「それは……」
「今なら二人で一緒に年を取れるのよ? ジュリアスと共に生きて、ジュリアスの子を産んで、二人で老いる。
そんな幸せが手に入るの。それを捨ててでも私の傍にいるというの? ……その先にジュリアスがいなくても?」
「アンジェ! わたくしは……」
「ううん、もう充分だわ。ねぇロザリア開放してあげるわ」
そう頭を振るとアンジェリークは扉へと向かった。
扉に手をかけるとロザリアを振り返って告げる。
「幸せに、ロザリア」
ロザリアは閉じられた扉をただ呆然と見ていた。
肩を落とすアンジェリークを後ろから包み込む。
その温もりに気づき、張り詰めていた緊張が解けるのを女王は感じた。
「がんばりましたね」
女王の自室で待っていた地の守護聖ルヴァがアンジェリークに労いの言葉をかける。
「よかったのですかー?」
問いかけるルヴァにアンジェリークは首を縦に振る。
だってルヴァ仕方ないじゃない。
とても平和な日の曜日。
お忍びでルヴァと出かけたセレスティアへのデート。
あそこでは私たちが聖地の住人だと知っている者はいないから、
ただの恋人同士になれる場所。
私が休日だということはロザリアも休日で。
偶然、ジュリアスと過ごすロザリアを見かけた。
あんなに幸せそうにジュリアスを見つめているロザリアをみると、その幸せがずっと続くように思ったものだった。
女王試験のときから一緒だった。
いつも面倒をみてくれた。
皇帝に囚われてしまったときも、自分を助けるためにどんなに心を砕いたのか知っていた。
この先、ずっとずっと一緒にいれるものだと思っていた。
大切な大切な友達。
自分の傍に置いておきたい、そう願ったのは自分の筈であるのに、自分の傍でいるよりも幸せそうなロザリアを望んだ。
「ちょっぴり寂しいけど仕方ないわね」
「彼女は幸せになりますよ」
ルヴァの言葉に少し心がふわっとなる。
いつもこの地の守護聖がくれる言葉はアンジェリークにとって女王としても人間としても恋人としても必要なものばかりで嬉しくなるのだった。
「そうよね!」
「ええ…それに」
ルヴァの腕の中にいるものだから、自分より背の高いルヴァを見上げると自然に距離が近くなってしまう。
「それに?」
「貴女は私が幸せにしますよー、アンジェ」
「ルヴァ!」
アンジェリークが身体を捩り、ルヴァの胸へと飛び込む。
ルヴァはアンジェリークをしっかりと抱き寄せるとその赤く震えている唇に口付ける。
その夜、地の守護聖の館に主人は帰らなかった。
「陛下、それにルヴァ?」
謁見に訪れたジュリアスが眉を顰める。
通常であれば女王の傍に侍る補佐官の姿はなく何故か地の守護聖がいた。
形式ばった挨拶を行おうとするジュリアスを女王は遮り、光のサクリアの減少とその交代の手はず、
今後の身の振り方について簡単にジュリアスに確認をとると、爆弾を落とす。
「ロザリアを一緒に連れていきなさい」
「……ロザリアは陛下の女王補佐官です」
「貴方ね!」
玉座から立ち上がろうとするアンジェリークをルヴァが抑えた。
続けられた言葉に女王は眉を顰めた。
「それに」
「それに?」
「守護聖を降りた後の私はロザリアに相応しい男ではありません」
「相応しい、相応しくない、は誰が決めたの?」
「ロザリアは陛下の女王補佐官です。どうしてただの男となる私に相応しいといえるのでしょうか?」
高潔ではあるものの、その傲慢さに気付かない光の守護聖に女王はため息を吐くと言った。
「もう遅いわ」
「遅いとは? 何がでしょうか?」
「だって貴方、退位後は主星で暮らすって申請あったから、ロザリアと二人分の用意させちゃったし、家もね」
「は?」
「少し郊外になるけど大きな家よ。家族が増えても十分住めるわ」
女王が次々と落とす爆弾にジュリアスは唖然となる。
ルヴァはジュリアスとは長くの付き合いになるが、あんな表情のジュリアスを見るのは初めてだった。
呆けているジュリアスを無視してアンジェリークが言う。
「結婚式は聖地でしますから!」
「結婚……式……」
ジュリアスは展開についていけてなかった。
ルヴァを見ると困ったような顔を作ってはいるものの、いつもの柔らかな笑みを浮かべており助力は期待できない。
「その前に重要なことがあるの」
「……重要なこととは?」
ようやく搾り出した返答に、アンジェリークはにっこり微笑んで。
ジュリアスもまたこの笑顔が出たときの女王には誰も勝てないことを知っていた。
「プロポーズよ!」
「は?」
「貴方まだロザリアにプロポーズしてないでしょ? ふふっダメよー。女の子の夢なんだからっ」
「……」
女王は他人の話を聞いていたのだろうかと不敬なことを思うジュリアスであったが
「あー、ジュリアス、諦めてください」
眉を顰めたまま何もいわないジュリアスに女王もまた眉を寄せる。
地の守護聖だけが困ったような微笑みを浮かべていた。
「それともロザリアを連れて行きたくないの? 貴方がそうであれば私は放さないわよ」
「……」
「それとも女王の命じゃないと連れて行けない? 情けない」
「なっ! ロザリアは陛下の…」
「私は貴方の望みを訊いているのよ、ジュリアス」
「私は……」
またもや押し黙ってしまったジュリアスに、意外なところから助けが入る。
「陛下、ジュリアスの退位はしばらくかかります。まだ次代もみつかっていませんから。彼に猶予を与えていただけませんかー?」
「ルヴァ……」
「男にとっても大切な決断はすぐにはできませんよ」
しぶしぶ頷いた女王にジュリアスは安堵のため息をつくと、女王の退出を見送った。
ジュリアスのサクリアが失われつつあるということをアンジェリークから訊いたとき、ロザリアは絶望に包まれると同時にアンジェリークに嫉妬した。
女王候補時代であればともかく、二人三脚、ふたりで同じ道を歩み始めてからはほぼ沸かなかったその感情。
陛下が女王だからわかること、嫉妬したって仕方ないのにとは思うものの、自分よりも先に知ったのがアンジェリークである事実。
そんな些細な話でもロザリアの心に陰りを落とすくらいロザリアはジュリアスを愛していた。
ジュリアスを失って聖地で安穏と暮らしていくにはどんなに心が悲鳴をあげるだろうと、想像しただけでも身が凍る思いで。
アンジェリークの前で取り乱さなかったのは自分の誇りゆえだった。
ジュリアスを愛しすぎていた。
候補時代からの憧れが、補佐官となって共に聖地で過ごせることなり、幸運にも想いが通じ合ったと思っていた。
愛しているのに、縋った身体は離されて、自分もよく似た種類の人間であったからジュリアスの中の葛藤を判らないでもなかったけれど。
自身の想いほど恋人は自分を好きではなかったことを知らされ、ロザリアの心は傷ついていた。
扉の開く音がする。
アンジェリークが戻って来たのだろう。
ロザリアは何とか笑みを浮かべると振り返った。
「陛下? おかえりなさいま…」
最後まで言えず、口ごもってしまう。
最愛の恋人ジュリアスがそこにいた。
昨日まで見せていた悲壮な表情は消え去り、緊張のためかやや張り詰めた感がある。
「ジュリアス…」
「夜分遅くにすまない……」
近付いてくるジュリアスに問う。
「今更、どういうおつもりですの?」
震えたくないのにその声が震えているのはロザリアにとって辛いものだったが、
強がっていないと崩れてしまう。
自分はまだジュリアスをこんなにも想っているのに更にとどめを刺しにでもきたのだろうか。
「ロザリア、私はそなたに言うべきことがある」
「……」
ジュリアスの告白をロザリアは訝しげに聞いていた。
「この間のことは……女王陛下に忠誠を誓う光の守護聖として、女王補佐官の恋人として、最も良い選択をした。
いや、したつもりであった。だが、私はただ真実の気持ちを告げ、そなたに拒否されることを恐れていたのかもしれない。
この私が、だ。今更かもしれないが聞いて欲しい。ロザリア、私はそなたを愛している。
その輝かしい地位を捨て、唯人となる私についてきてはくれないだろうか?」
ジュリアスの告白を頭が理解すると同時に熱いものがこみ上げて来る。
ロザリアの頬を雫が伝った。
それを確認したジュリアスが珍しく狼狽したようにロザリアのほうへ近付いてくると、ロザリアはその胸に飛び込んだ。
「ジュリアス!」
「愛している、ロザリア」
二つの影が一つになる。
重なった二人の影をテラスから差し込む月の光だけが照らしていた。
緩やかなハープの音が聞こえてくる。
曲が終わり、リュミエールがハープを傍らに置く。マルセルがハーブティーを差し出した。
「しかし、陛下がロザリアを手放すとは思ってもみませんでした」
「だぜ。しっかもジュリアスにだろ~?」
リュミエールがいうと、ゼフェルがマルセルから受け取った瓶の水を口の中に含みつつ返す。
「二人は確かに愛し合っていましたし、問題はないのですが……ルヴァ様、どうやって陛下を説得したのですか?」
リュミエールが尋ねると、ルヴァは頬を掻きながらいった。
「えーと、私は特に何も……ですね。唯一つ言えるのは」
「「「?」」」
「陛下はやはり女王なのです」
「は?」
「すべてお見通しなのですよー」
あの時――
彼女は仰った。
ついて行けるだけ幸せなのだと。
ジュリアスは僥倖なのです。
私のときは恐らく99%『彼女』を『連れて』はいけません。
またついてくることも宇宙の理からは決して許されないでしょう。
どんなに抗ってもそれは変えられない運命なのです。
それは仕方ないことですが。
物思いに沈んだルヴァにリュミエールはハーブティーのまだ残るカップを置くと、更なる調べを爪弾き始めた。
――幕間。
謁見後、柔和な笑みを浮かべたルヴァがジュリアスを呼び止めて広間横の小部屋に誘う。
「ジュリアス。あー、そのうー」
「なんだ、ルヴァ。そなたはいつもそうだ。はっきりといえば良い」
決して助かったなどと礼をいうつもりはなかった。
それを咎めることもなくルヴァは続ける。
「我儘になっていいんですよ」
「ルヴァ! ……ロザリアは私の……想い人である前に女王補佐官である」
「陛下は、アンジェは貴方がロザリアを自分の傍にいるより幸せにできると思ったから憎まれ役までかって出たんですよ」
「な、陛下は……」
「ジュリアス、貴方は貴方でない誰かとロザリアが幸せになっても良いのですか?」
「愚問だ」
「それは肯定でしょうか? 否定と受け取っても?」
「ロザリアが陛下のことを大切にしているのはよく理解っているだろう」
「アンジェだってロザリアのこと、とても大切だと思ってますよー」
「ならば……」
「かつて補佐官のいない女王はいました。そのために我ら守護聖9人がいるのです。大丈夫ですよー」
黙ってしまったジュリアスをみつめて、微笑んでいう。
ジュリアスにはそのどこか儚い笑顔をかつて別の男でみたような記憶があった。
「私は正直貴方が羨ましいですよ」
「……」
「私は連れて行けませんから」
「ルヴァ、そなた……」
「幸せなんですよ、貴方は。クラヴィスはあの方に会えたのでしょうかねぇ」
外界へ還った『アンジェリーク』とクラヴィス。
聖地と外界の時の流れは違う。
おそらく奇跡は起こらなかっただろう。
考えるところがあるのか遠い目をしてしまったジュリアスに止めを刺す。
「それに貴方がいなくなればオスカーが喜んでロザリアのナイト役をかって出るでしょうし?」
「う……」
ふふ、もっと葛藤してください。
これから貴方に待っている『幸福』を思えば、これくらいの意地悪は許してもらえるでしょう。
煩悶し始めたジュリアスを残してルヴァは去っていった。