「あの二人、もどかしいねェ」
「仕方ありませんわ」
彼が彼女を見つめる。
伏せ気味のその視線にあまりにも密やかに想いを載せるものだから、常に女王の傍に侍る補佐官は気付いてしまった。
だけど気付いてしまえば、彼の想いはあまりにもぴたりとくるもので。
ロザリアは彼の恋を応援していた。
「でもね、ロザリア。二人きりだというのに他の男の話なんて関心しないよ」
シルクのドレスの上からロザリアの腰に腕を回し、その細さと柔らかさを楽しんでいたオリヴィエが言う。
補佐官の恋人はまた補佐官ばかりを見つめるものだから、彼女が気付いた『それ』にすぐに気付いた。
「ふふっ、オリヴィエ。ルヴァに妬いてますの? あのルヴァに?」
心の底からおかしそうに笑う恋人に。
「恋する男は純情なのさ」
と拗ねるオリヴィエの頬をロザリアは愛しげに掌で撫でて。
「ねぇ、オリヴィエ、気付いてまして?」
「どうしたのさ?」
「ルヴァが陛下を見つめるように、わたくしの視線の先にどなたがいるのかは気付きませんこと?」
そういって潤んだ瞳で自分をみつめてくるロザリアに、オリヴィエはわざとらしく肩を竦めて両手を挙げる。
そのままその手を伸ばし再度ロザリアを引き寄せると薄水色のシーツの波へと沈めていった。
次の日は生憎の平日で、ロザリアは女王の執務室の傍で自身の仕事を処理していた。
身体は気だるいが、その気だるさに包まれてロザリアは幸せだった。
気にかかるのは地の守護聖の恋の行方だった。
ルヴァの気持ちは分かったが肝心のアンジェリークの気持ちが判らなかった。
女王候補時代のアンジェリークは慣れるまではともかく慣れてからは地の守護聖の執務室に入りびたりという表現が正しいほど毎日ふたり一緒に過ごしていた。
ロザリアは彼女とお茶する度に地の守護聖の話を聞かされすぎて、当時そんなにルヴァと関わった記憶がないのに彼に不思議な親しみをもつようになったのもそれが原因だ。
ルヴァのことを話すアンジェリークの表情は確かに恋する乙女そのものだったと思う。
幸せそうなその顔を見るたび、自分にもいつかそういう対象が出来るのかと密かに心躍らせたものだった。
その願いはかなったけれど。
女王となったアンジェリークが、なぜか今ではルヴァの話をすること自体がまれで。
ルヴァの視線に気付いていないのか、気付いていない振りをしているのか、女王とその地の守護聖という関係を崩さずにいることがロザリアには不思議だった。
執務が終わり、やれやれと背を伸ばすアンジェリークがある一点をみつめると、ロザリアをしきりに気にしていた。
「陛下、どうしましたの?」
「えーと……」
言いにくそうに口をもごもごとさせる女王に補佐官は不審に思う。
いつもであれば女王にしては気安過ぎる彼女は何でもロザリアに話すというのに何か変だ。
少し頬を赤色にしたアンジェリークがロザリアのそれを指差す。
「鎖骨のとこ、赤いわ」
ロザリアが慌てて視線を落とすと鬱血の跡。
思わず昨日の行為を思い出し顔に赤みが差す。
一日気付かなかったのは迂闊だった。
幸いにも今日は出歩く執務はなく気付かれたのが親友であるアンジェリークだけだったのは幸運だったのかもしれない。
男ばかりの同僚にこんな痴態を見せるわけにはいかなかった。
アンジェリークがそわつきながら尋ねてくる。
「ねぇ、お相手は誰?」
「え?」
直接口にしたことはないものの、ロザリアは自身が夢の守護聖と付き合っているのをアンジェリークはとっくに知っていると思っていたものだから驚く。
「オリヴィエですわ」
告げた途端、自分がこのような話をするのは初めてだと気付き何だか少し恥ずかしくなってしまう。 アンジェリークが固まりながら言った。
「ロザリアってオリヴィエが好きだったの!?」
「あんた今更……」
「えー! えー! どうしていってくれなかったの?」
「てっきり気付いてると思ってたわ。あんたは? ルヴァとどうなってるの?」
「ルヴァと?」
アンジェリークはそれを聞くときょとんとして、すぐに困ったように首を傾げた。
まさか本当に気付いていないんだろうか?とロザリアは変なところで鈍い女王に思い当たり、ルヴァに加勢していう。
「ルヴァは陛下をお好きでしょうし」
「ルヴァが私を? あ、ありえないわっ」
なぜか動揺するアンジェリークにロザリアもつられて慌てる。
「ルヴァはきっとあんたを好きだわ!」
「ロザリア……」
アンジェリークがそっと視線を伏せると更に呟く。
「あのね、ルヴァが好きだった」
「だった…?」
「……私ふられちゃったの」
「振られた…?」
振った男があんな切なげな視線で彼女をみるだろうか。
オリヴィエと恋に落ちるまで恋に疎かった自分から見ても、あの視線は恋慕を含むもので。
あんな眼差しを受けて振られたと笑う友の心情が理解できなかった。
もしかしてこの親友は本当にとっても鈍いのかもしれない。
好きだったと過去形でいいながら今にも泣き出しそうな表情をしているアンジェリークにロザリアの胸が痛む。
「もうこの話はおしまいよ!」
言い切って夕食の話に話題を変えたアンジェリークに、
ロザリアは混乱する頭を抱えながら女王の部屋から出て行った。
◇ ◇ ◇
「ふーん」
「どういうことなのかしら?」
「ルヴァがなんかヘマやったんだろうねェ…」
ちょうどよく帰り際のオリヴィエに会ったものだから、柱の影に誘い、アンジェリークとの先ほどのやりとりを告げる。
「あ」
「どうしかした?」
「オリヴィエ! キスマークをつけるのはやめてくださらないといっていたのに」
鎖骨を撫でつつ思い出して怒る恋人にオリヴィエは笑う。
「あんたがあまりにも可愛いこというからさ、私のシルシをつけただけだよ」
「オリヴィエ~~!」
「ここなら痕にならないよね」
そういって唇に口付けを落とすオリヴィエを結局は受け入れて。
ロザリアはつくづく自分がこの恋人に甘いことを知らされたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「で、ルヴァなんでアンジェを振ったのさ?」
オリヴィエの言葉にルヴァは最初ぽかんと口を開けて、やがて青褪めて返す。
「オリヴィエ! 話がまったく見えないのですが」
しかも陛下を呼び捨てにするなんてと小言をつらつらと話し出すルヴァを遮る。
「小言を聞きにきたわけじゃないよ」
これは質問の問いを聞くまで帰らないだろうとルヴァは早々に諦めて簡潔に答える。
「あー、えー……振られたのは私なんです」 「ん? どういうコトさ?」
ルヴァはかなり渋ったもののオリヴィエに負けたのか話し始めた。
「つまんない話ですよ。陛下には使命がありました。私はそれを超えられる男ではなかった。ただそれだけです」
「はぁ?」
確かにアンジェリークが成し遂げたことは偉業だったけど、それからも確かに色んなことが起こったけれど。
それらはすべて解決した筈で、今のこの平和さを考えるとこちらの女王にも恋人の一人二人いたっていいとオリヴィエは考えていた。
そもそも前代の女王が恋を禁忌としただけで、今までの女王に恋人がいたのをオリヴィエは独自の情報網で知っていた。
それはこの目の前の男も知っている筈だったのだが。
「それに私は満足なのですよ」
「ん?」
「彼女は女王になりました。これからも万物から愛され、万物を愛するでしょう……そのサクリアが尽きるまで誰のものにもならず孤高の女王として」
ルヴァの回答にオリヴィエは眉を潜める。
「ルヴァ、あんたッ!」
微笑むルヴァの顔は男だった。
同僚で仲のいい男が初めて見せるその顔にオリヴィエは違和感を拭えない。
「正直、彼女が女王のサクリアを開花させなければ、もしくは通常の女王の交代であれば、なんて夢想したときもありますが、これはこれで満足なんですよー」
頭が良すぎるのも問題かもしれない。
このひねくれた考えがどこからきたのか、オリヴィエはため息を吐くと告げる。
「アンジェには好きな男がいるそうだよ」
「え」
先ほどよりも、もっと青褪めていくルヴァにオリヴィエが美しく手入れのされた金の頭を抱える。
「女王陛下には別に恋人がいたっていいんだし」
「オリヴィエ、貴方は私に何を求めているんですか…?」
「玉砕するなら玉砕して諦める。鬱陶しいのは嫌いなんだよ」
「だから私はもう振られていると…なるほど、黒幕はロザリアですかねぇ」
何にもいっていないのに背景を見破るルヴァにオリヴィエはわざとらしく咳払いすると肩を竦めて言う。
「自分のことでなければ鋭いんだねェ」
「簡単な推測です。貴方はロザリアを心のうちにいれていますから。執着心の薄い貴方がロザリアの意向関係なく私を煽ったりはしないでしょう」
ルヴァの話には返答せず、オリヴィエは更に問うた。
「マジな話さ、もし陛下が別の誰か選んだら、あんたは地のサクリアが喪失(なく)なるまでそれを見ることになるんだけどそれでいいの?」
真っ白な顔色のルヴァにオリヴィエは笑いつつ、ルヴァの肩を掴む。
「ロザリアのこともあるけど。私はこれでもあんたのこと心配してんだよ」
「オリヴィエ…」
「素直になってごらんよ。もしも、あんたがアンジェに振られたって、この夢の守護聖オリヴィエ様がとびきりの夢、みせてあげるからさ★」
ルヴァは深く息を吐くと同意の右手を挙げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ルヴァ…」
入り口のほうからアンジェリークがやってくる。
ルヴァは思わず固まった。
今度は偽らない想いを告げる決意はできたが、心の準備はできていなかった。
ルヴァはオリヴィエに嵌められたと考えたものの久々に役割ではなく逢った想い人に柔らかな想いを抱く。
封じ込めていたその想いに気をとられて、いつの間にか消えたオリヴィエさえ気が付かなかった。
アンジェリークは座り、微妙な位置で呆然と佇むルヴァに自分の隣に座るように促す。
ルヴァはぎこちなくアンジェリークの隣に座った。
「ルヴァ様は私のこと嫌いなんですよね」
「陛下……」
「最近は目も合わせてくださらないし」
いつの間にか戻っている言葉遣いに戸惑いつつ、それをうれしく感じる自分がルヴァには不可解だった。
アンジェリークが女王候補のときはこうして彼女がそばで笑っているだけで幸せだった。
宇宙はこんなにも充たされているというのに自分の心が充たされないのは何故なのか、それを解決する術をルヴァは知っていたけれど。
自分の心を充たしてしまうのは手に入れたものが失われる恐怖だった。
いっそ手に入らないのであれば、と自分の心を偽って彼女にそれを告げさせなかったけれど。
その選択後の日々を振り返るとそれは誤りだったと気付いた。
「陛下」
「ずっとずっと考えてたの」
アンジェリークがルヴァを見上げて告げる。
「あの頃に戻ることはできませんか?」
想いを交わさなくても二人一緒にいるだけで幸せだったあの頃に戻りたいというアンジェリークにルヴァは少し笑って。
「もう戻れないですねぇ」
「そ、そうですよね……」
慌てて立ち上がり部屋を出ようとするアンジェリークをルヴァがその細い手首を掴む。
「……戻ることはできなくても進むことはできます」
「ルヴァ…」
「一緒に進んでください……アンジェリーク」
懇願するように告げたルヴァに、アンジェリークはルヴァの首元から抱きつく。
その耳元で何事か囁いた後、ルヴァの両手も彼女で埋められた。
「ここから先は覗くのはヤボだね」
「ですわね」
ルヴァとアンジェリーク、扉の向こうで二人の恋の行方を見守っていたオリヴィエとロザリアは
顔を見合わせて満足げに微笑むとお互いの手を取り、その場から立ち去った。
End.