冬から春先までは農作業も忙しくはないから、旧約聖書などを集中して読む時間もあったが、まだ読了まで至らぬうちに農作業が多忙になって来たから、『ダニエル書』途中で進まなくなり、『新約聖書』の『ルカ伝』などの分かりやすいものを時々読み、キリストなる西洋世界最大の存在の言行について考える。金剛空間は学者でもないし、知識人でもない、一介の市井の読書人に過ぎないから、研究論文や著作など発表できる能力も資格もないが、その分無責任に何を述べても書いても良い気楽な身分ではある。俳句結社の主宰とは言っても十年以上続いた第一代主宰時代の最末期に加入して、高齢化や諸事情に拠って会員が減少し、組織の維持が困難な状況で後継主宰を委嘱され、何の自信も展望もない例の無責任と等しい呑気さで引き受けたものの、俳句の知識も句作の経験も乏しい中での引き継ぎであるから、当然予想していたように早晩行き詰まりが来て投げ出す事態になるはずの所、運河に言わせれば、「現在尚新入会員が増えるなど発展しているから凄い」などという能天気な評価をするから、慌てて「運河や梨翁さんなどの人脈のお蔭であって、俺は何一つ力を発揮してはいないよ」と苦しい弁明に努め、ひたすら運河の努力を持ち上げるばかりであるが、もう一方の協力者である淳風の方はこちらも本人及び和子夫人の人脈に拠って『天草俳壇』の発展の一翼を担ってくれる。
所がこの『天草俳壇』の推進力である運河、淳風の両人が最近共に体調を崩し、主宰としては心細い限りである。運河は中国の大学で日本語教員をしたり、インドネシアにイスラム圏の食習慣についての会議に行ったり、国際的に活動したことに拠る無理が原因の一つであるし、淳風の方は以前からのアレルギー症状が悪化したようで、いずれも70代に入って無理が利かなくなっているようである。両人ともゆっくり静養し、『天草俳壇』の為にも、これからも尚力になって貰わないと金剛空間の浅学菲才だけでは『天草俳壇』の前途も風前の灯である。俳句文芸など芭蕉や子規などの大天才はいざ知らず、金剛空間などにとってはとても自分の俳句理論や作品に拠って世に問うといった才能も同人、会員の俳句制作の指導などの力もあるべくもないから、途中で放り出した所で本人にも俳句結社にも何の影響も打撃もあるわけではないが、人生不思議な縁ではしなくも出会った世界であるから、出来るならば拙い業であり、乏しい才ではあるが、厚顔無恥を承知で運河や淳風の力を借りて続けて行けるだけは行きたいと思うばかりである。両人の一日も早い健康回復を祈る。
愚を笑ふ田の草取りも修行かな 金剛