金剛空間が現在このようにして、ここに存在しているのは全くの偶然であるのか。今から72年前にこの世に生まれて来て、今尚生き永らえ、物ごころついてからの自己の全ての行為について確かな記憶があり、自己が一貫して存在して来たことを疑わない。その全ての行為、全ての出来事は全くの偶然なのか。人間は自分の行為、自分が見聞きした事実については疑わないが、他者の行為や自分が見聞きしない出来事については直接知ることは出来ない。またこれから起きる出来事については予測できることもあるが、正確な把握は出来ない。これから1秒後、あるいは1分後の自分の行為、自分の周りの出来事はほぼ完全に予測できるが、30分後、1時間後になると完全にとはいかない。明日のこととなるとさらに不確実性が増す。しかしそれ等の未来の行為や出来事が全て偶然に左右されているわけではない。完全に予測できないというだけのことかも知れない。10月最後の日曜日は地元の神社の村祭りであったから、鉦と太鼓の音につられて、神輿を先導する鳥毛行列を見に出かけたら、何人かの人間と挨拶したり、馴染みの顔を見かけたりしたが、その出来事は全く予測していなかった。もし祭りの行列を見に行かなかったら、その事実は再びは発生しないのは確実である。しかし、行かなかったとしてもそれ等の人物は当該の時間、当該の場所に存在していたことは事実である。金剛空間がそこに現れることと彼らがそこに現れることの間には何の約束も取り決めもない。唯金剛空間の行為と彼らの行為が当該時刻、当該場所において一致しただけのことだ。全くの偶然の遭遇に過ぎない。この偶然の遭遇に至るまでのそれぞれの過去の行為を時系列を追って辿れば偶然ではなく必然であったということが出来るのではないか。唯当人たちがこの遭遇を聊かも念頭に置いていなかっただけのことに過ぎないと言えるのではないか。
あるいはまた祭り行列の見物から戻り、テレビをつけたら宝田明というまだ現役の有名な俳優のインタビュー番組を放送していて、そこで1962年公開の映画『放浪記』について、彼が自分の代表作の一つであると評価し、共演した主役の高峰秀子に関して撮影中のエピソードを語っている。午前中、天草俳壇同人の淡路房子さんが送ってくれた高峰秀子の随筆を紐解いていたから、偶然に驚く。宝田明と高峰秀子の接点など何も予想していなかった。更にその番組が終わり、ケーブルテレビに切り替えたら、韓国のテレビドラマで以前見たことがあるような女優が映し出され、見ているうちに当該女優に間違いがなかった。テレビ番組は3カ月ばかりの間台風情報以外は見なかったから、その日テレビをつけて、二つの偶然のせいでインタビュー番組と韓国ドラマを見ることになった。その日高峰秀子の随筆を読んだのも全く何の理由もなかったし、宝田明のインタビュー番組もチャンネルを切り替えているうちにぶつかっただけであるし、韓国ドラマの方について言えば、当該女優について名前も知らないし、ドラマも初知見であった。そもそも祭りなど見に行くつもりもなかったのだ。ここしばらく鉦の音や太鼓のお囃子の音が夜遅くまで聞こえて来ていたから、それが大きな伏線になって覗いてみるという行為を引きだしたのかも知れない。金剛空間の70年間は偶然に翻弄されただけの歴史であったのか。それともそこには一貫した何かの意味があるとでも言うのか。間もなく幕が下ろされることは間違いのない金剛空間の70年間の歴史のエピローグに差し掛かって何が起きようとしているのか。
こちらの話は偶然とは言えないかもしれないが、月に一回地元の中央図書館で開かれている古文書講読会に金剛没落回帰大地方程式空間の最初期の頃から、断続的に通っていたが、古文書解読能力は一向に身につかないのは勉強不足の一言であるが、それでも長い間通っているうちに江戸時代の肥後国天草郡の実態についてはおぼろげながらも見えて来るものはあった。現在は苓北町である旧富岡町に江戸幕府直轄の天領天草郡の代官所があり、そこから天草郡十組の大庄屋宛に「覚」とか「触」という通達や指令が出され、それに従って各組大庄屋が所属の村々の庄屋に上意下達するというのが支配機構の大筋である。金剛空間が現在居住する楠浦村は本戸組に属し、その本戸組の大庄屋の末裔は江戸幕府崩壊後も引き続き旧大庄屋所在地に代々相続し、現在も健在であるし、11月の古文書会には志岐組の大庄屋の末裔が達者な姿を見せていた。もし金剛空間が金剛没落回帰大地方程式空間に踏み切らなかったら、自らの大地と血の源の世界についてはほとんど何も知ることはなく、徒に大都会の変貌に目を奪われるのみであったかも知れない。お蔭で腰が伸びて背伸びすることは免れたが、今度は下ばかり見て逆に腰が曲がってしまい、上を向けなくなったようだ。
所で偶然の話の続きであるが、11月の古文書会の帰りに図書館が古い本をリサイクル本として自由に持ち帰っていいように棚に並べている中にあった1冊の『デカルトの青春』という表題に釣られて著者について何の知識もなくエッセイか小説の類いの本かと思って持ち帰って何気なく拾い読みしていたら、これがまだ当時20代後半のフランス文学哲学の若い研究者の野心的論文集であった。デカルトは哲学史の中でも後世に大きな影響を与えた大哲学者であるが、有名な「我思う、故に我あり」という「コギト」の説によって一般に知られている。あらゆるものを疑って、最後に疑いえないものとして「我思う」という根本認識に到達した。カントやヘーゲルなどの大哲学者も後世に大きな影響を与えたが、現代ではほとんど誰もその哲学に哲学史上以外の意味は見出してはいないが、デカルトの「コギト」の射程距離は現代から遥かに未来に及ぶものがあり、金剛空間の総観念論もその射程圏内に入っているのだろう。この『デカルトの青春』は1965年初版発行であるから、まだ金剛空間が学生時代のことになるが、半世紀ばかり前に発行された本が何の因果か巡り巡って金剛空間の手元に届き、まだ20代後半の若き学徒の野心的論文集に時間を割く事態になったのは、偶然であるとしても不思議というしかない。この著者について今まで一度も耳にしたことはなかったから、一般的にはそれほど知名度があったのでもないだろうが、若い時の野心作が50年を経過して、遥々西の果て金剛空間と遭遇したことは事実には違いない。まだ最初の一部しか読んでいないが、読み終わった後の感想や如何。