この冬はことのほかの厳冬になり、暖房費が嵩み、心細さが一層募る感じが付き纏った。幸い風邪も引かず、立春を迎えられたが、その後も寒さは引き続き厳しかった。そうこうしているうちに早期水稲田の準備が動き出し、また例年の作業が始まる。農業を取り巻く諸情勢はTPPなど社会的にも個人的にも予断を許さないものがあるが、人類が文明を作りだした最初の産業であるから、一筋縄ではいかないものがある。金剛空間も思いがけないことから、農業世界へ迷い込み、四半世紀を超え、後3年すれば30年水稲耕作に従ったことになる。鹿児島から上京し、東京大学に入学して以来の文明生活が25年であったから、金剛没落回帰大地方程式空間の方が既に長くなってしまい、都落ちというよりは田舎に再び根付いてしまったというべきか。そうはいってもこれからどれだけ生き延びられるかも分からないから、祖父が植えた立木を先考が子供の学資などにするために伐採した跡地に植林したまま、その後手入れを途中で打ち切った山林の始末をつけておかなければならない相続人としての責任がある。椎や樫などの広葉樹に負けてしまって、杉や檜も商品になるべくもないが、学生時代、先考に命じられて自ら植林した思い出があるから、放置しておくのも申し訳がないと思い、地元の森林組合を訪ねて、相談したら、国の林業補助事業に組み込んで間伐対象山林にすることが出来た。祖父の代では山の頂上まで人間の手が入り、湧水を利用し、石垣を築いて山の中に田圃があったし、その石垣だけが今も残っている。牛を引いて山奥まで1日がかりで畑を作りに行った農家などの話も聞いた。「山の神」という字名がまだ残っているが、山は太古の昔から大事な生活資源であったのだ。現在では林道が整備されない所では山に入ることも容易ではなく、山は荒れるに任せてあると言ってもいい。金剛空間の子供の頃は燃料としての薪や炭は山から手に入れるしかなかったから、日常生活においても個人で山を所有しなければ生活することも簡単にはできなかったのだ。人類の文明は僅か1万年かそこらで広大な森林伐採など自然を食い潰して成り立ったものだ。3・11の原発事故で福島の被災地は人間が追い出され、自然が放射能で汚染された。それでも人類は更なる文明の発展を目指して、地球上を原発で覆い尽くそうとする。これが自殺行為であることを大企業の経営者も政治家も知らない。ミサイルを飛ばし、核実験を繰り返し、人類滅亡の道をひた走るのみである。
先日、熊本県の地元文楽劇団の「傾城阿波鳴門 巡礼歌の段」公演を見に行ったついでに、隣の展示場で盆栽展を覗いた。見慣れぬ盆栽があったので尋ねたら定家葛という返事が返って来たのには驚いた。能「定家」所縁の定家葛が地元の盆栽愛好家によって展示されていたのだ。天草の山から採って来て盆栽に仕立てたものだ。
義太夫の悲嘆極まり春寒し
盆栽の定家葛や猫の恋