金剛普通作水稲田の田植えを6月下旬に予定して、連日のように、準備作業に追われる。これまでは自生の蓮華草が種をつけるのを待って、蓮華草を鋤き込み、田の耕耘に取りかかっていたが、それでは時期的に大分遅れて、準備作業が慌ただしくなるので、今年は作業日程を1カ月ほど早め、まだ蓮華草が花をつけている間に、鋤き込み、耕耘に取りかかった。それから水漏れが甚だしかった畔を削り、荒ぐれのため、水を注入した。その後水漏れ具合を注意しながら、荒ぐれに取り掛かる。荒ぐれというのは、水を田に注入して、泥と一緒にかき混ぜ、草などを腐らせ、乾田から水田に転換させる作業である。1カ月ぐらい、水を張ったまま、田を放置する。普通はそれでいいのだが、金剛田は畔や土手から水漏れが激しく、さらには田の土壌面に高低差があり、水を溜めると、水位が異なり、不都合が生じる。それで、今回は1カ月日程を早めたことにより、田を寝かせている間に、田の修復作業に取り組むことにした。畔や土手は放置しておくと、モグラが穴を開けたり、そのほかの理由で隙間だらけになって、水が漏れだす。水が漏れだすと、常時水を注入し続けなければならない。水はダムの底から送り出されるので、真夏でも冷たいし、早期作水稲田の頃は更に冷たいから、苗の成長の障害になるから、出来るだけ、田の保水力を向上させて、注水を控えるのが望ましい。
金剛空間も四半世紀の間、毎年田を作って来たから、初歩的な知識は経験を通じて学んでは来たが、本当のことはまだ何も分かってはいないまま、足腰が衰え、筋肉労働が骨身に堪えるようになってきた。若い頃、進学校に入り、受験勉強をして、せっかく東大に入ったのだから、社会に出て通用するだけの学問や知識を身につける資格を得たにもかかわらず、身の程知らずの傲慢さ、尊大さで何一つ学ばなかった付けを今頃になって払っている。ギリシャ語やラテン語を修得して、プラトンやアリストテレスを学び、またドイツ語やフランス語を修得して、カントやヘーゲル、デカルトやパスカルなどを研究したら、哲学の教師ぐらいにはなれたかも知れないが、入学して駒場の教養学部で哲学の授業に出て見たものの、直観的にこんなところでは真理は得られないと判断し、大学そのものを辞めようと思ったが、親に説得されて、卒業だけをすることに決め、哲学者の道は捨て、全く考えてもいなかった国文科に進学し、卒業だけはさせてもらった。しかしそんな事だからそれから先の人生は成り行き任せに終始し、そして青天の霹靂のように突然金剛没落回帰大地方程式空間が出現し、爾来四半世紀が流れ、70歳の老人が鍬を取って、田の泥運びや畔塗りの日々を送ることになった。
東大に勝る学舎田植かな 金剛