意識が言語空間を開発したことに拠って、意識は言語空間において他者と意識交換が出来る。他者と意識交換が出来ることに拠って何が起きたかといえば、意識を共有できるということが起きたのである。この共有された意識が人類が所有する知識である。人類史が進めば進むほど過去の知識が累積し、膨大な量の知識が存在する。勿論間違った知識や有用性がなくなった知識は廃棄されるが、宗教的知識は最も古い知識でありながら生き残って来ている。一方最近の科学技術の爆発的発展に伴い、新規の知識が大量に生み出され、実用化され、現代人の生活が一変する事態が生まれる。
パレスチナ紛争はイスラエル建国以来、ユダヤ人とパレスチナ人との間に、和解が成立しないまま、現在尚血みどろの戦闘が続いている。ユダヤ教はキリスト教やイスラム教がそこから誕生した世界最古の一神教宗教であり、ユダヤ人が国家を失った後も、民族的一体性を保ち続けてきた最大の拠り所であった。ユダヤ人が離散した後、そこに住みついたパレスチナ人は後にイスラム教を信仰し、ユダヤ人離散以来2000年後の現在、イスラエル建国がきっかけとなってパレスチナ紛争が激化の一途を辿る。中東地域は帝国主義の時代、ヨーロッパ列強とくにイギリスがトルコ支配の同地域を占領し、以後信託統治し、第二次世界大戦後、イスラエル国家が建国され、パレスチナ人が長年住み慣れた居住地を追われることになった。この経緯にはイギリスのアラブ、ユダヤ双方に交わした二枚舌外交の背信行為がある。ヨーロッパ的アイデンティティとユダヤ的アイデンティティ、更にアラブ的アイデンティティの背後にあるのは出自を共有する三大宗教の教義と歴史の近親憎悪的対立である。たとえば、イスラエルがアラブ世界において孤立し、世界的にも支持が微妙に分かれる中で、アメリカが一貫してイスラエルを支持する理由は何であるのか。アメリカがイスラエルに圧力を加えれば、事態は和解、妥協の道がありそうに見えるが、アメリカはイスラエル寄りの立場を崩すことはない。日本を取り巻く情勢も最近大きく様変わりをし始める。特に日本と中国、日本と韓国の対立が際立って来ている。これは中国や韓国が経済成長の結果、国力が増強したことに拠って、日本との相対的地位が上昇し、更に軍事力が強化され、実力行使に踏み切る姿勢を見せて来たことが大きい。
意識は言語空間を介して自己を同定する。言語空間において自己を同定することに拠って自己同一性を安定させる。言語空間を共有するということは他者空間との同一性を実現することである。その意味においては俳句空間も言語空間であるから、そこで他者空間との同一性が実現していることになる。同人とは蓋しよく名づけたものである。
世の中が全く様変わりした感を強くするこの頃である。こういうことを言うのは自らが世の中の動き、変化の波から取り残されたということを告白しているに過ぎない。端的に言えば、歳を取ったということである。70歳を過ぎても社会の頂点にいる政治家や実業家、あるいは芸術家、芸能人は逆に時代の変化に疎いかも知れない。時代が変わったことを認識できるということは実は認識においては正常であるということかもしれない。所で変化を認識し、自分が時代遅れになったことを受け入れるためには無変化のもの、変わらざる者があって、それが変化を測る尺度にならなければならない。変化とともにすべてが流れて行けば、変化を察知できない。それでは変わりゆく者を認識する基準としての変わらざる者、動かざる者はどこにあるのか。我々をして世の中が変わったと言わしめるものとは何か。父や母がいない、あるいは夫や妻がいない、更には兄弟姉妹がいないという身辺の大変化が起きた時、大きく世の中が変わり、時代が変わっているのだが、それを認める基準は何者か。70歳を過ぎて見れば、各界の有名人たちの大部分は死んでしまい、新しい、否、実は現代の有名人については何の知識もないことが普通になる。石原裕次郎や美空ひばりに替わる現代の人気スターについての知識はない。世間が大騒ぎをするから、現代の人気スターを見ても自分の子供より若く、孫みたいであったりすれば、そこに同一化して自分があたかもスターに乗り移ったような陶酔も昂揚も生まれては来ない。眼鏡をかけていながら、眼鏡を探す愚を笑うしかない。人間は恐らくは太古の昔から、神話や伝説上の神々や英雄に自己の分身を見出して同一化を図り、民族および国家共同体を作り上げて来たのだろう。現代の神々や英雄は王侯貴族ではなく、テレビの司会者であったり、スポーツ選手や芸能人であったりするのだろう。政治家や官僚、実業家などの地位が相対的に下がり、日本には戦争の英雄はいなくなってしまった。この先の人類は誰に同一化の対象を割り当てるのだろうか。古事記や日本書紀は日本国家の誕生時期、経緯について正確な記述を残さず、粉飾しているから、未だに邪馬台国論争が決着もせず、日本人の自己同一性を曖昧化し、混乱させる。その点では中国や韓国の方が遥かに自己同一性が確立している。