久保田万太郎は作家、劇作家、俳人として、いずれの分野でも高く評価されている。いわゆる文人俳句としてくくれるようなスケールではなく、まさに「マルチ俳人」と呼ぶにふさわしいであろう。
俳人としては、
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり
の句がとりわけ有名である。久保田万太郎という人は、私生活では辛い経験をした人で、最初の奥さんを自死のようなかたちで亡くし、晩年には子の死も遭っている。この句は、子あるいは最愛の人を亡くしたときのものとも言われており、多くの俳人が、これ以後、湯豆腐の句を作れなくなったという伝説も生まれている。
しかし、これは万太郎自身が亡くなった昭和三十八年の作で、昭和二十四年に、
生豆腐いのちの冬をおもへとや
があり、案外旧作の推敲によって生まれた句なのかもしれない。
万太郎の俳句で好きなのは、明るい軽やかな表現でサラリと作られたような句である。
竹馬やいろはにほへとちりぢりに
一句二句三句四句五句枯野の句
時計屋の時計春の夜どれがほんと
また、万太郎には人名を織り込んだ
芥川龍之介仏大暑かな
この校歌杢太郎作小春かな
猫八のなくこほろぎや冬隣
などの句もある。芥川龍之介は府立三中の一年後輩で、万太郎の処女句集に序文を寄せている。この句は、芥川が自死した時のものと思われるが、悲壮感なく仕上げられている。
昭和三十八年五月六日、梅原龍三郎邸の食事会に招かれ、赤貝の寿司を詰まらせて窒息死している。
浅草の生まれということもあってか、小説、戯曲の世界では、失われていく下町情緒を好んで描き、俳句でもそれに通じるしっとりとした名句を数多く残した万太郎の、呆気ない死であった。俳号にちなんで五月六日を傘雨忌と称する。