現代世界はまだまだ軍事力や経済力を国力のバロメーターにして覇権争いをしているが、科学技術文明の急激な進歩は国家間の争いの次元を越えた所で大転換期に差し掛かっている。戦後日本は敗戦後の焼け野原から70年して世界最先端の豊かな社会を実現し、アメリカやヨーロッパと遜色ない先進文明国家になった。その何よりの証拠が欧米先進諸国からの翻訳、あるいは留学、映画などを通じて欧米の新技術や新知識を吸収する光景が無くなってしまったことに如実に表れている。金剛空間の学生時代には思想も文学も欧米が一歩も二歩も先行していて、文学部においても英文科や独文科、仏文科などが先進的知識を翻訳紹介する役目を担っていたし、映画などもハリウッド映画のみならず、イタリアやフランス映画などが観客を集めていたし、音楽などもシャンソンなどが人気を集めていた。鴎外や漱石などの留学時代に比べれば欧米との間の文明格差は縮まっていたかも知れないが、ヨーロッパやアメリカの思想や文学がまだ日本が目指すべき目標として捉えられていた。学生運動などもマルクス主義がまだまだ学生たちを引きつけていたし、ソ連も社会主義先進国家であったし、東大経済学部ではマルクス経済学が主流であり、近代経済学はアメリカ帝国主義に与するものとし評価は極めて低かった。又サルトルなどの実存主義もマルクス主義の観点から見れば歓迎されざる思想であったが、それでも新欧米思想としての受け止められ方はあった。
当時から半世紀が立って見れば大学の文学部の英文科、独文科、仏文科、更には露文科など、欧米の新知識の翻訳紹介の窓口の役割などすっかり終わってしまった感がある。文学そのものが欧米社会を理解するための題材としての役目を終え、日本社会が外見は既に欧米化してしまい、専門的学問研究という限られた分野を除けば、外国文学の翻訳を通じての欧米文明社会の紹介など意味がなくなってしまったのだ。そういった意味においては実用語学としての外国語大学の役割が前面に出るようになって来たのだ。実用語学教育が充実しなければ国際化が進む現代社会においては役に立たないのだ。ヨーロッパ先進文明を移入して、追い付け追い越せの国策の時代は終わり、今や対等に、あるいはそれ以上の立場で国際的競争に生き抜かなければならないという豊かな社会における新たな事態に直面しているのが現代日本の問題と言える。現代日本社会は先進国の仲間入りを果たしたが故に最先端領域での激しい国際競争に晒され、政治の舵取りも経済政策も容易ならぬ状況に直面しているから、半世紀前の政治家や財界人に比べて、現代の政治、経済分野の指導者は桁違いの難問に次から次に襲われている。
金剛空間の学生時代には外国文学の翻訳は盛んであり、国内文学状況においても純文学と大衆文学という区別があり、純文学作家は芸術家であり、大衆文学作家は娯楽作家、流行作家と見なされ、クラシック音楽と流行歌に等しい差別があった。しかし経済発展が続く中で生み出されて来た大多数のサラリーマンの嗜好に応える形で登場し、支持された松本清張や司馬遼太郎の作品が純文学作家たちの運命を決し、純文学と大衆文学の境界は無くなり、村上春樹のノーベル賞受賞が取り沙汰される文学状況が生まれて来た。ある意味では日本文学も現代世界文学に同時代文学として仲間入りしたということでもあろうか。世界と日本の文学レベルが同じ高さになったということだろうか。そういうことは取りも直さず、日本文学が描く世界やテーマが世界文学としての欧米文学と差が無くなったということであり、ジャポニスムとか異国趣味の次元を取り払った共通土壌が実現していると言うことである。このことは何も世界文学が目標とか価値があるということではなく、文学もまた社会の実態を見る基準になるということ言ってるだけのことに過ぎない。
2000年ばかり前にカエサルとキリストが創作したヨーロッパはEUという統合国家を目指し、国境通過を自由化し、通貨を統一するなど次世代国家形態の創造に向かっているが、カエサル時代の先進文明国家ギリシャの末裔たちが今尚生き残っている現代ギリシャの国家財政破綻の危機を処理するという難問に直面するが、かつてはガリアやゲルマニアと呼ばれた現代フランスやドイツの首脳たちの腕の見せ所である。日本は経済的にはアジアでは一番乗りで豊かな社会を実現したが、極東アジアの国際情勢は依然として安定しない。朝鮮半島は分裂国家のままであるし、中国は世界第2位の経済大国に発展したが、日本との関係は一触即発の危ういものがある。世界第1位の経済大国アメリカと第2位の経済大国中国、そして世界3位の経済大国日本が21世紀世界の動向を決める大きな鍵を握っているが、予断を許さないものがある。
今年3月14日は北陸新幹線が金沢まで開業し、来年3月には青函トンネルを通って北海道と本州が新幹線で結ばれ、日本列島の高速鉄道網が又一段と広がり、九州から北海道まで日本列島における社会の高速化、高密度化に拍車がかかる。2020年には東京オリンピックが開催され、首都東京は再び一大変貌を遂げることになる。その一方で農村共同体は崩壊し、解体して行く運命を免れない。明治近代国家の脱亜入欧、富国強兵策から150年、現代日本国家はどこに向かって漂流して行くのだろうか。世界及び日本の青写真を描くことの出来るカエサルとキリストあるいは吉田松陰など大英雄、大宗教家、大思想家はまだまだ現れては来ないのだろうか。このまま行けば世界の将来も人類の未来も楽観を許さない。金剛空間などには理解できないLINEなどの最新情報革命社会の技術進歩が先進文明国から中東やアフリカで吹き荒れるテロ行動に至るまで21世紀文明社会の一元化を齎しつつあるが、それだけ世界で起きる全ての問題が連鎖反応し、中心から周辺、末端に至る一個人の運命に関わって来る。不安と狂気の21世紀がこれから全面本格展開して行くのだろうか。その頃には金剛空間など既に存在していないから、何の関係もない。