十数年ぶりに上京する。半世紀前、まだ学生時代4年間起居した鹿児島県人寮「同学舎」舎友会の親睦団体の一つ「よかにせ会」幹事から講演依頼の電話が舞い込んだのは早春3月になったばかりの頃であった。例年催している懇親会の恒例の記念講演の講師として白羽の矢が立ったのである。田舎に引籠ったまま30年、全く鳴かず飛ばず、仮死状態の金剛空間に講師委嘱とは寝耳に水の如き申し入れであるから、即答も出来ず、一週間から十日ばかり返答の猶予を貰う。幹事は半世紀前に同じ釜の飯を食った後輩であり、その後会っていないとしても当時の顔かたちはまだ鮮明に記憶に残っていたから、半世紀ぶりに声を聞くだけでも往時が蘇る思いがする。不思議なもので昨日今日何があったか、誰と会ったかなどは思い出せなくても半世紀前の人や事件は昨日の如く覚えているものだ。古い記憶は定着して消え去らないのだ。新しい記憶はなかなか定着せずにすぐ剥がれ落ちて行くのだろう。
俳句の話をしてくれというのがテーマについての希望であったが、東京在住の功なり名遂げた社会的エリートを前に地方の俳句結社の主宰が俳句の講演をするなど、とても無理だとは思ったが、これも何か大きな巡り合わせかも知れないし、こんな機会でもないともう二度と東京に行くこともないだろうなど気持ちが大きく揺れる。地方暮らしが染み付いて、飛行機を乗り継ぎ、東京のホテルに泊るなど社会的リハビリが可能かどうか甚だ自信もなかった。急速に進化する情報網、交通網、更には国際化などハードルが高い。
羽田からはホテル直行のリムジンバスに乗ったが、羽田を出て間もなく地下に潜り、地下高速道を疾走し、どこを走っているかなど関係ない。空中の旅の次は高速地下移動である。地上に上がっても中々地理を掴めない。新宿駅西口、京王プラザホテル周辺の高層ビル群を見て漸く見覚えのある風景に安堵する。巨大ホテル京王プラザの館内では方向感覚が狂い何度も場所を尋ねる。まだ国内であるし、かつて東京で生活したこともあるから、言葉や地理についての不安はないが、それでもホテル内は殆ど外の雑踏と変わりないくらいに大勢の客の出入りがある。アジア系、ヨーロッパ系の外国人も多い。エレベータの中でも外国人と一緒に乗り合わせたが、言葉を交わすまでには至らなかった。ホテルの部屋は南館の19階であったから、ホテルの部屋からは正面に東京都庁のツウィンタワーが見える。入った当座は気が付かなかったが、ふと閃いて富士山は見えないのかと目を凝らしたら、都庁のツウィンタワーと隣の高層ビルの谷間に遥かに微かにそれらしい白い雪に覆われた山影らしいものが覗くではないか。白内障ですっかり視力の衰えた老眼であっても紛れもなき富士山であることを確信する。これは付いていると思わずほくそ笑む。そういえばホテルのフロントで係の女性が部屋のグレードを挙げておきましたと言っていたのはこのことであったかと後で思い合わせて見る。最大1500人の宿泊客を泊め、1000人ばかりの従業員を擁する超高層巨大ホテルにおいては眺望も料金のうちである。金剛空間は世界の巨大都市は香港や北京、あるいは旧サイゴンのホーチミンなどアジアの都市しか訪れたことはないから、ヨーロッパやアメリカの巨大都市の滞在経験はない。超高層ホテルに泊った経験も記憶にはない。しかし日本の超高層ホテル宿泊経験は欧米のそれとも大同小異であろうと判断する。日本が世界最先端文明国家になったという事実からして、東京がアジアのみならず、世界を代表する国際都市であることも間違いのない所である。
鹿児島在住の友人の医師が最近忠告してくれた「歳を取った、衰えた、老人になった」と嘆くことは止めた方が良いという言葉を思い出す。金剛空間なども最近頓に口癖のように嘆いていることが彼の耳に止まり、そのような忠告に及んだのであろう。今が一番最先端にいるという自信を以て生きて行けということであろう。そういうことであって見れば金剛空間にもこれから更に新しい経験が俟っていることを期待してもいいのではないか。日本文明は元より世界文明の最先端に直接触れる日があることを夢見るのも悪くはない。
僅か三泊四日の大都市文明空間の旅であったが、金剛最晩年且つ最先端方程式空間においては歴史的意義のある行動になったのではないかと判断する。十八歳で初めて東京駅のホームに降り立ってから半世紀以上を隔てて、この間の東京での四半世紀、帰郷して三十年の歳月を挟んで、今回十数年ぶりに見た東京は今年三十周年を迎える金剛没落回帰大地方程式空間と十分拮抗する迫力を持っていたが、決して圧倒するまでの大都市文明空間の集積を以て迫ってきたとは言えない。