プラトンの『饗宴』はエロス論でもある。ソクラテスはアルキビアデスという若者に恋をしていた。しかしソクラテスの若者への恋は精神的なものであり、アルキビアデスが誘っても肉体的な関係には進まなかった。ソクラテスは若者への恋を通じて彼らを真理へ導こうとしたのであり、後に若者たちを惑わしたことによって死刑にされる。ソクラテスはデルポイの神託によって彼以上の賢人はいないとされるが、その意味は、彼は自分が何も知らないことを知っているが、他の知識人たちは何かを知っていると思っているが、実は問答して見ると何も知らないことが明らかになる。このことを指してデルポイの神託はソクラテスを最高の賢人といったのであることを悟り、ソクラテスは真理への道を進むように優れた若者たちを街角の対話に引き込んで行くことを生涯の務めにする。ソクラテスは聡明であるのみのらず、肉体的にも頑健であり、たびたびの戦争においても際立った働きをなし、市民としての義務においても忠実であった。彼が何故、罪を蒙り、死刑に処されねばならなかったかはよく分からないが、彼としては何が罪に値するかは特に弁明にも努めず、寧ろ死後の世界に幸福があることを確信し、喜んで刑に服し、従容として毒杯を仰ぐ。
さて日本社会は他の文明国家を上回る勢いで少子高齢化社会に突入し、その対策に追われているが、中々効果的な政策はない。若者たちは結婚願望がないわけでもないのだろうが、かつてのような世代交代の法則が働かなくなっている。貧しい家庭での一家団欒に替わって、豊かな社会での小人数でのあるいは個別の食事風景が増えているようでもある。社会において優位な立場に立つためには高学歴に象徴される広範な知識獲得が優先し、幼児期から様々な知識が不可欠になって来るから、何よりも頭脳が重要視されて来る。生きるために、農業や漁業、あるいはさまざまな手作業の技術などを覚え、直接生産に携わる代わりに、将来への教育投資が優先される。かつてはどこそこの街角や巷にうろちょろしていた子供たちを全く見かけなくなってしまった。学校が終わると塾や予備校に直行するのだ。家にいる時はスマートフォンで友達と連絡を取ったり、新たなアプリを探すのだ。デジタルネイティブが次々に社会に送り出され、労働観もかつてと様変わりするのだ。眼の前の、直ぐ傍らの若い女子社員の魅力に気が付きもしないのだ。最強の本能であるエロスが息も絶え絶えで死に掛かっているのだ。エロスも下半身から直接発生するのではなく、視覚や聴覚、嗅覚や触覚などから間接的に刺激を取り入れるのであるから、小さな人工画面を連日連夜食い付くように見ているうちに、視覚も聴覚も嗅覚も触覚も利かなくなって来る。人類史の頂点は既にとっくの昔に終わっているのかも知れない。ソクラテスやプラトンの哲学等も実はギリシャ文明の頂点期ではなく、長い目で見れば人類文明の終末期の現象かも知れない。現代人類も宇宙にロケットや衛星を飛ばして文明発展期のようであるが、そんなものは科学技術の発展の事例の一つではあっても、人類が熱狂し、興奮するには何か違うようにも見える。ヨーロッパの知識人にとっては中国や東南アジアにおけるイギリスやフランスなどの植民地が未知の領域であり、そこに革命を起こし、ヨーロッパ的社会を作り出すことが最後のロマンであったのかも知れない。つい70年前までは日本の有為の青年たちはソ連や中国に人類の夢を見ていたのだし、マルクスやレーニン、毛沢東の著作、『資本論』、『帝国主義論』、『矛盾論・実践論』などは聖典であったというのに。政治革命への情熱、学生運動、労働運動に新しい世界や社会を夢見るロマンがあったのも事実であろう。それが70年ばかり経った今では夢やロマンどころか、金余り、人余り、物余り、土地余りなど、夢の残骸同然の世の中が訪れてしまった。現代世界からはマルクスやレーニン、毛沢東ばかりではなく、トーマス・マンもアンドレ・マルローもハイデッガーもサルトルもカミュも、行動主義も実存主義も、最新最先端の哲学潮流でもあったデリダやフーコーなども消え去ってしまった。替わって世の中を欧米からアジア、アフリカ、中東まで謳歌闊歩するのはスマホであり、アプリである。誰かが一喝を入れてエロスを蘇らせなければ人類は終焉の時を迎えるのは確実の情勢である。ギリシャ神話によればエロスはガイア(大地)と共に第一世代の神である。大地が死に、エロスが死ぬ日が近い。
永井荷風や谷崎潤一郎、川端康成など日本を代表する作家たちは老いて尚、性の世界に魅せられ、『濹東奇譚』、『鍵』、『瘋癲老人日記』、『眠れる美女』といった優れた作品を残している。三島由紀夫も軍神マースに捉われず、美神アフロディーテに従って、老人のエロスの世界を彷徨うべきであった。活字や書籍が姿を消せば、思想や文学も拠り所を失ってしまい、文明は新たな思想も文学も生み出せなくなって行く。電子空間の文字には活字空間の文字に匹敵する生命力、エロスは存在しない。