物のあわれや侘び、寂びといった日本文学の伝統的価値観が現代日本社会では通用しなくなった。その最大の原因は世界空間が狭くなり、時間の経過が慌ただしくなってしまったことにある。西行の時代は今から800年以上昔、芭蕉の時代は400年以上昔、その頃から和歌は貴族階級の日本人にとって最高の教養であったし、そこから連歌などを経て派生的に発達して来た俳句は新興町人階級にとっては初めて手に入れた高度な価値観であった。俳句に限って言えば、蕪村や一茶など農民階級の富も身分もない下層階級の日本人にとってもそれほど手の届かない高尚な世界の価値ではなかった。俳句で以て身を立てることは容易ではないにしても、俳句を作ることによって、現実世界の身分関係や社会秩序の封建的壁を突き抜けて、精神世界を発見することが出来た。この精神世界で発見したものが実は物のあわれであり、侘び、さびという高尚な価値観であった。食うものもない、着るものもない、住むところもないという社会生活の不自由、拘束そして貧困の中で精神世界の発見が光明を齎したのだ。朝廷や大名の世界には無縁な一介の農民や町人であっても、文字の読み書きさえできれば言葉一つで遊べる、楽しめるという精神世界の発見は特別のものがあった。
しかし、明治以降、封建制が崩れ、社会は一元的価値観、即ち西洋近代文明の価値観を以て統一され、日本社会が文明開化の波に呑み込まれて行くに従って、物のあわれや侘び、寂びどころではなくなったのだ。何も精神世界に遊ばなくても、現実世界で富を掴み、権力を掴めばいいではないかという立身出世主義が社会を席巻する。森鴎外も夏目漱石も正岡子規もそういう近代日本国家の風潮の中で、東京大学に入り、出世階段を上る足掛かりを掴んだのだ。しかし彼らにはまだ明治以前の伝統的価値観が根強く残っていたから、官僚や軍人、実業家などにはなり切れずに、いかにも中途半端なところがあった。
さらに第二次世界大戦敗北によって、連合国に占領され、アメリカに代表される価値観が押し付けられ、一段と伝統的封建的価値観から脱却し、市民経済的価値観が最優先し、今や最高段階の豊かな社会に変貌を遂げた。物のあわれや侘び、さびなどどこ吹く風という世界が現代日本社会である。俳句環境もまた一大変貌を遂げたのである。