意識空間には現実空間と想像力空間の二空間がある。現実空間は自然物理空間であり、想像力空間は記号空間である。記号空間の中で最も基本的空間が言語空間であり、発展形態として映像空間がある。写真や映画、テレビ、ビデオなどである。映画空間が出来たことによって、それまで記号空間の中心であった言語空間に由る文学空間がその座を譲った。文学が言語によって詳細に描写した人間の容姿や自然の風景に替わって、実在の人物や風景の映像が取って代わった。パリやニューヨークの街並みを細かに描いて髣髴とさせる代わりに、カメラがそのままそっくりに映し出す。主人公の眼鼻立ちを表現する代わりに俳優が登場する。この劇的変化の前には漱石も潤一郎も川端や三島も筆の力を以てしては太刀打ちできない。つまりかつては文字の力によって想像力を喚起したが、今では映像が想像力を代替するのである。山本富士子が現れ、オードリー・ヘップバーンが現れ、アラン・ドロンや石原裕次郎が、吉永小百合や高倉健が、等々俳優たちが想像力空間に羽ばたく。
現実空間の側も天変地異や人工構造物、ピラミッドや万里の長城、エッフェル塔や東京スカイツリー、新幹線や高速道路、等々自然物理空間を総動員させる。しかし天変地異や人工構造物も直ちに映像化されてしまい、想像力空間に呑み込まれてしまう。ニューヨークにある摩天楼も一瞬にして地球を半周して金剛空間茶の間のテレビ画面に取り込まれてしまう。20世紀を象徴したような電話の進化は遂に掌に入る携帯電話の爆発的普及によって、地球上世界の果てまで同時交信が実現した。自然物理空間的には地球の裏表という遠距離を隔てていても、記号空間においては膝を突き合わせている世界と変わらない。テレビ画面を通じて見るアメリカ大統領選両候補の表情はあたかも同じ場所で顔を合わせているのと変わらない。これが21世紀記号空間世界の実態である。
人類は言語を開発してから想像力空間を意識空間において発展させ続け、それを以て自然物理空間に働きかけて来た。メソポタミアやエジプトの巨大な柱廊を持った神殿遺跡、それはギリシア、ローマに引き継がれ、パルテノン神殿やコロセウムなどを生み出し、現代巨大都市空間における摩天楼群に至ったのである。東京スカイツリーも復元された東京駅も人類が開発した記号空間の成果である。勿論そのような目に見える建築群ばかりが記号空間の成果ではない。宗教や国家もまた記号空間が作り出したものである。現代欧米社会を同じ宗教性で結ぶキリスト教はユダヤ教徒のイエスやパウロが2000年前に、ローマ帝国支配下のユダヤ、小アジア、ギリシアの地で作り上げたものである。旧約聖書創世記の有名なノアの箱舟の物語はユダヤ教徒の独占物ではない。ギリシア神話も同じ物語を残しているのである。東地中海を取り巻くエジプト、パレスチナ、ユダヤ、小アジア、ギリシア、ローマなどは共通した神話、宗教を育んだのである。
静岡県三島市にある臨済宗の古刹龍沢寺に住した中川宋淵老師は飯田蛇笏の俳句の高弟であり、「たらちねの生まれる前の月あかり」という句が知られている。宋淵老師と小宮山摂子元天草俳壇副主宰の若き日の挿話を平野卍前主宰が天草俳壇に詳しく書いてあるのは周知のことである。この宋淵老師の一句は想像力空間を五七五に由って捉えたものである。父母未生とは祖父母は生まれていても、自分と祖父母を繋ぐ両親はまだ生まれていない。自分が存在するためには父母の存在は絶対条件である。父と母が生まれていれば自分が生まれる絶対条件は成立している。後は二人が結ばれればいいのである。ここで宋淵老師が想像力を働かせて、祖父母の時代において皓々として輝く月明を詠んだのである。自己が存在しないということは想像を絶する世界である。宇宙誕生も宇宙消滅も宇宙理論物理学において解き明かされるとしても、解き明かす当該の科学者は存在しなければならない。自己が存在しない過去と未来を解明する宇宙理論物理学が通用するのはそれが記号空間の賜物であることに由る。人類がメソポタミア、エジプト、ギリシア以来発展させて来た自然科学は記号空間に由る想像力の賜物である。正に想像力空間そのものであると言っても過言ではない。記号空間を所有することに由って、父母未生の過去はもとより、子や孫、曾孫や玄孫既生の後の月あかりを詠むこともできるのである。
人類の意識が想像力空間を発展させ、現代文明を築き上げたということが出来る。即ち現代社会に生きる人類は文明という名のもとで、実は想像力空間を生きていると言っても過言ではない。そしてその想像力空間の元になっているのは言語空間であり、言語空間は即ち記号空間である。地球上の無数の山を「やま」という音声、あるいはひらかな、更には「山」という漢字で言語化即ち記号化することによって、現実の過去、現在、未来の山の全てを漏れなく指示することが出来るのである。この奇跡によって神話が生まれ、孔子や釈迦やキリストが生まれたのである。テレビやラジオ、新聞、雑誌で見たり、聞いたり、読んだりする芸能人やスポーツ選手といった現代文明社会のスターたちは記号空間が発達させた想像力空間の化身である。その意味では神話上の英雄や歴史上の英雄たちも全く同じ性格を持っている。ヘラクレスもスサノオノミコトも想像力空間を駆け巡る記号に他ならない。ここに金剛総観念論哲学の所以が存在するのである。