いわずと知れた国民的俳優である。平成8年に68歳で亡くなったが、その際に俳句を作っていたことが報じられ、新聞等で
さくら幸せにナッテオクレヨ寅次郎
が紹介されている。
渥美清は、本名田所康雄、昭和3年に東京・台東区で生まれ、浅草のストリップ劇場のコメディアンとなり、その後NHKテレビの「夢で逢いましょう」などの出演を経て、車寅次郎に至る。
俳号は「風天」、フーテンである。森英介氏が、出身小学校や小諸の記念館などを巡ってこの風天句を丹念に収集し、「風天 渥美清のうた」としてまとめている(大空出版 平成20年刊)。
寅さんを連想させる句としては、冒頭句のほかに
旅芝居土橋を渡り猫柳
残暑の辻行商のひと立止り
小春日や柴又までの渡し舟
などがある。旅芝居の句は、「男はつらいよ」シリーズにしばしば登場する旅芝居一座を思い出させる。一座の者から「車先生」と呼ばれ、座長役は、冒頭のお決まりの寅次郎の夢にも悪役で登場する吉田義男である。シリーズ37作目「男はつらいよ 幸福の青い鳥」は、この座長が亡くなるという設定であるが、吉田義男は、この作品公開の2日後に実際に亡くなったそうである。
また、早坂暁氏と種田山頭火をテレビドラマ化する企画を練っていたというが、直前に渥美清が降りてしまったため、フランキー堺が山頭火を演じて、NHKで放映されている。小林運河氏が山頭火終焉の地「一草庵」のガイドさんに聞いた話では、早坂氏と一緒に来た渥美清は、仏壇にお参りして傍らの木魚をたたいたのち、ポツリと言ったそうである。「やっぱり私に山頭火は演じられない」
釣堀誰もいなくて少し風吹く
いまの雨が落したもみじ踏んで行く
はるかぜ口笛よくにあう
などの句は、山頭火を彷彿とさせる。
渥美清の句のもう一つの魅力は、郷愁、追憶である。
少年の日に帰りたき初蛍
好きだからつよくぶつけた雪合戦
切干とあぶらげ煮て母じょうぶ
切干の句は、三崎千恵子演じる「おばちゃん」にも通じるようだ。
若いころに結核を患い、死の何年か前には癌を発症していたというが、
ようだい悪くなり苺まくらもと
疫痢悲しげんのしょうこ残されて
冬の蚊もふと愛おしく長く病み
などの病気にまつわる句も残している。かとおもえば、
むきあって同じお茶すするポリと不良
初めての煙草覚えし隅田川
手袋にかくした小指短くて
などの句もあるが、死の数年前からは、格調の高い句が目立つようになる。
雨蛙木々の涙を仰ぎ見る
流れ星ひとり指さし静かなり
がばがばと音おそろしき鯉のぼり
平成8年8月4日死去。翌月国民栄誉賞を授与される。
お遍路が一列に行く虹の中
が、平成12年発行の「カラー版新日本大歳時記」(講談社)に収録された、
参考:「風天 渥美清のうた」 森英介著 大空出版 2008年7月10日発行