平成19年5月に平野卍初代主宰の後を受けて天草俳壇第二代主宰に就任してから満5年がたち、6回目の新年を迎える。引き受けた当時は大した責任感もなく、1,2年何とか持たせればいいぐらいの軽い気持ちであったが、思いがけなく5年という長期に亘って、続けられたことは無芸無才の身にとっては感慨無量のものがある。若い時は身の程知らずの唯我独尊で来たものの、金剛没落回帰大地方程式空間を決断して、大地空間に身を投じてからは日々身の程を知らされるばかりであった。そして70歳を過ぎた今、人生の黄昏に及び、わが身の如何を思い知らされるばかりである。若い時のように大言壮語、大法螺を吹こうとも聞く相手もいない。聞く相手がいなければ如何に身の程知らずの金剛空間も為すすべがなく、鍬を取り、鎌を握るしかない。初めの頃は鍬を取り、鎌を握っても怪我ばかりしていたが、今ではトラクターやコンバインなど大型農業機械を運転しても咄嗟の反応で事なきを得るという正に年寄りの冷や水を地で行っている。
昨年は春先から心機一転して、屋敷内の草だらけの畑に何回目かの菜園作りを試みた。軒先には一カ所はゴーヤ棚、もう一カ所には糸瓜棚を立てかけた。畑にはトマトやキュウリ、オクラ、シシトウ、サツマイモ、インゲン、エダマメなど植え付けて見た。結果はゴーヤ棚と糸瓜棚は見事に成功し、野菜は大きく負け越しという成績に終わった。それでもキュウリは物になったし、ミニトマトは夏草の伸びた中に少しずつ熟れた赤い実をつけ、つまみ食いの種になったし、またサツマイモも数えるほどの収穫しかなかったが、掘り立ての蒸かし芋を味わうことは出来た。完敗ではなかったのだから、いつの間にか金剛空間にも少しばかりは大地空間の泥まみれの効用はあったのかも知れない。
先日は永年ほとんど手入れもせぬまま放っておいた地生え同然の茗荷の根元を掘ってみたら茗荷が花をつけているのを見つけ、初めて自ら茗荷を収穫し、俳句の季語「花茗荷」をものにした。天保を遡る先祖伝来の屋敷であるから、自給自足経済の中で、栽培していた食用植物が金剛没落回帰大地方程式空間の決断に由って生き残ったのである。村落共同体が崩壊し、先祖伝来の家屋敷が廃墟になったり、現代建築にふさわしい庭づくりに替わったりする中で、滅びる寸前の金剛空間の荒れ屋敷がまだ花茗荷を誰にも気づかれずに花開かせていたとは、その味には天保を遡る二百年の格別の薬味が施されていたのではないか。
我と肖て命冥加や花茗荷 金剛