成田を発ってから一時間ほど、飯豊の乗った台北行きのエコノミークラスはほぼ満席である。大部分が日本人客だ。
ワゴンを押したキャビンアテンダント(CA)が近づいてくる。なぜだか知らないが、最近は、スチュワーデスと言ってはいけないらしい。かといって、「キャビンアテンダントさん」とか「CAさん」とか呼ぶのもなんだかこそばゆいから、「あの~」とか「ちょっと」とか果ては「すみません」などといきなり謝ってしまったりする。
そのCAが飯豊の近くまで来た時、隣に座った女性客が「あの~、すみません」と声をかけた。飯豊の席は通路側で、女性はその奥だから、飯豊はCAと30代前半と思しきその女性客とにはさまれている格好だ。
先ほど機内食を配った時に聞いた日本語から察するに、CAの女性は多分台湾出身なのだろう。飯豊の隣の女性客に向かって、「御用は何ですか?」というように微笑む。女性客が言った。
「コーヒー貰ってもいいですか」
CAは、ちょっと戸惑ったように
「ハイ?ナンデショウカ」
“貰ってもいいですか”という言い回しが理解できないようなのだが、女性客は自分の声が聞こえなかったと思ったらしく、
「コーヒー貰ってもいいですか」とひときわ大きな声で繰り返す。CAはますます困惑の態だ。飯豊はたまりかねて、CAに
「コーヒーを下さいと言っています」と通訳してしまう。
“コーヒーを下さい”と言えばいいのに、最近の人はなんか回りくどい言い方をする。‟コーヒを頂けますか”ならわかるが、“貰ってもいいですか”というのはおかしい、と飯豊は考える。
そういえば、さっき、トイレに行こうとしたら、座席の上の手荷物入れから何かを出そうとしている若い男が通路上に立ち塞がっていて、飯豊に向かって
「すみません。ちょっと待って貰ってもいいですか」と言っていたが、あれも「すみません。ちょっと待ってください」でいいではないか。もっとも、それ以前に、ちょっと体をずらせば済む話なのだが。
そんなことを考えているうちに、飯豊も何か飲み物が欲しくなってきた。ちょうどさっきのCAが、通路の一番後ろまで行って戻って来たところである。合図をして呼び止め、
「コーヒーを・・・」
CAがやさしく微笑むのへ向かって
「貰って下さい」