「それでは、この申込用紙にご記入いただいてもよろしいでしょうか」
平日の昼下り、与良史郎は市立図書館にいる。インターネットで図書館の本の予約や検索ができると聞いてその方法を聞きに来たのである。与良が来意を告げると受付カウンターの女性が一枚の用紙を手渡して、冒頭のように言ったのだ。
与良は、「はい分かりました」と用紙を受け取ったが、少しの違和感を感じた。「ご記入いただいてもよろしいでしょうか」というのは、‟あなたが記入するかどうかを判断して、記入してもいいと思えば記入してください”という意味である。しかし、この申込用紙に記入しなければインターネットでの検索や予約はできないのだから、記入するかどうかを判断することなどはじめから必要ないのではないか。それなのにどうして「記入してください」ではなくて、敢えて「ご記入いただいてもよろしいでしょうか」と聞いてくるのだろう、などと考えながら、用紙に氏名や図書館利用カードの番号などを記入してカウンターの先ほどの女性のところに持っていく。
女性は、手際よく手元のパソコンを操作して、プリントアウトした紙を手渡してくれる。
「ここに利用番号と初期設定のパスワードが記入されておりますので、今日から五日間のうちに図書館のホームページで利用開始の手続きをしてください。その際にパスワードも変更されるほうがよろしいと思います」実にてきぱきと気持ちがいい。最近、図書館の運営を県内の大手書店チェーンに委託したと聞いた覚えがあるが、以前の仏頂面に比べればまさに雲泥の差である。
「どうもありがとう」と礼を言って帰ろうとすると、女性は「どうもありがとうございました」と元気に答えてくれるが、与良は、“礼を言うのはこちらで、俺は別に礼を言われるようなことはしていないけどな~”などと失礼なことを考えている。
図書館を出た与良はすぐ隣の銀行に向かう。昨日、駅のそばのキャッシュコーナーで現金を引き出そうとしたら、“コノかーどハ使エマセン。店舗ノ窓口デオ問イ合ワセクダサイ”と機械に言われてしまったので、問い合わせに行くのである。
窓口で事情を話して調べてもらうと、カードの磁気がおかしくなっているので作り直してくれるという。しばらく待っていると出来上がったらしく名前を呼ばれてカウンターに行く。感じのいい女子行員が新しいカードを渡してくれて一枚の紙を差し出し、
「新しいカードの受領証です。ここに署名をしていただいてもよろしいでしょうか」
また、“よろしいでしょうか”だと思いながら署名をしてカードを受け取る。礼を言って帰ろうとすると女子行員が言った。
「本日のご用件は以上でよろしかったでしょうか」
あらら、今度は過去形になってしまった。非常によろしくない。