虚子が子規の最期を書いた作品「柿二つ」を読み終わる。死に至る子規の最後の数年及び虚子との交際の事情が分かる。虚子にとっては子規との交際は相当な重荷になっていたようであるが、子規を離れた人生も考えられなかった。子規の最後の夜も泊りこんでおり、子規の傍らで付き添っていた母の声で飛び起きて、子規を見たときには既に子規は死んでいた。子規と虚子は師弟関係を超えた友情あるいは兄弟のような愛情で結ばれていた。虚子なくても子規はあったが、子規なくては虚子は何者でもなかった。子規の主宰の下、『ホトトギス』を発行することで、虚子の存在は大きくなった。子規没後はいよいよ高まる子規の名声の下、事実上の後継者として俳壇の中心人物になった。虚子の人物像については関心はなかったが、「柿二つ」を通じて知る限りでは、他者の思惑などはあまり気にせずに行動する性格である。観念的なところは少なく、現実的な判断を的確にする。周りの意見に左右されず、寧ろ無関心である。子規との関係が古く、更に絆が深かったので、子規にとっては最も愛着が深かった。虚子は自己弁解や自己表現より、寧ろ勝手に言わせておく、無視するという強力な自立性を持っていた。その点では子規と正反対の性格であった。子規は常に他者の評価を測り、それを超えようとしたが、虚子は他者の評価には無頓着であった。
子規は徹底して陽性の人間であったが、虚子は陰性であった。陰陽相惹かれるという原理が両者の中に働く。子規は我儘であり、天衣無縫であるが、虚子にはそんな芸当は願っても出来ない。そこは天才と追従者の差である。天才も又追従者を集め、追従者は天才を押し立てる。虚子には追従者でありながら、天才を上回る洞察力が備わっていた。これもあるいは天与のものであった。つまり子規が単なる郷土の先輩であり、俳句の師であるばかりではなく、全く別次元の天才であることを洞察したのだ。この人物を自分のものにしなければならないという天の声であった。虚子は他の弟子たちとは違い、自分を殺すことを知っていた。自分を殺して、子規に従うことを選んだ。他の弟子たちは自分を生かして、子規を立て、崇敬した。子規は彼らにとって錦の御旗であった。虚子は違う。他の弟子たちのように子規を権威にして、子規の代弁をするのではなく、寧ろ子規の名声や権威に逆らうことによって、子規を我がものにした。他の弟子たちと同じように、子規を崇め奉ったのでは、子規は他の弟子たちとの共有物になって、我がものにはならない。これは恐るべき戦略であり、虚子の凄みであり、子規ですら虚子を怖れた。師にとっては自分の一言一句を尊重する弟子は当然であっても、少しも恐れることはないが、自分の意向に従わない弟子は許せない。許せないが、恐れがある。ここに弟子のつけ込む隙がある。他の能天気な弟子の群れと虚子が違い、事実上の後継者として、子規没後の俳壇を牛耳った所以である。虚子は他の弟子のように子規を恐れなかった。子規の機嫌を取らなかった。これは虚子だから出来ることであった。虚子は子規の愛情を逆手に取ったのである。他の弟子たちは虚子は思い上がっている、子規は虚子を甘やかしていると受け取り、虚子に反感を持つ。しかし、弟子たちが反感を持っても子規が宥めてくれることを虚子は知っていた。「窮鳥懐に入れば猟師もこれを殺さず」という心理を知っていたのである。虚子には以て生まれた他者に対する観察眼があった。常識や観念によって誑かされない、人間観察力があった。子規や漱石、鴎外後には芥川などは大読書人であり、大知識人であったが、虚子は読書人などではない。寧ろ本人も意外なほどの算盤を弾くの得手であったのだ。子規も『ホトトギス』の発行責任者としての虚子の商人性に意外な思いを持つ。商売人の本屋の番頭が驚くほどの商売の才能があったのだ。これも虚子の持つ人間観察眼が見事に発揮されたのだ。商売の本質は資本主義などという難しいものではなく、人間観察眼が何より優先する。経営の神様の松下幸之助やあるいは現在のユニクロ創業者が世界的な成功を収めたのも、彼らの類い稀な人間観察眼を以てしてのことである。小説家などの人間観察眼など高が知れている。とても商売人に及ぶところではない。虚子なども、子規などに弟子入りせずに、最初から商売に手を出せば、『ホトトギス』の成功など問題にもならぬ、三菱や三井に匹敵する財閥を創業できたかも知れないのだ。虚子にとっての子規との出会いは幸いであったか。子規にとっては如何。