電話が鳴っている。大上武は夢うつつの状態で電話のベルを聞いている。昨夜、少々飲みすぎてしまい、首から顔にかけて薄く膜が張ったような不快なけだるさが残っている。今何時だろうか?まだ、昼前のはずだが・・・。
そのうちに、母親が電話に出たらしく、少しの間受け答えの声がしていたが、いきなり枕元で、
「武、電話で、おかみさんが大丈夫かっていってるよ。おかみさんって良子さんのことかね。テニスで怪我でもしたんじゃないの?」
そういえば今日は土曜日だから、妻の良子は9時からテニスのレッスンに行っているはずだ。でも、わざわざ家まで電話をしてくるのもおかしいし、などと考えながら、二日酔の体を寝床から引きはがして、よたよたと電話口までたどり着き、
「もしもし、電話代わりましたが。」
すると、まったく聞き覚えのない、すっとんきょうな女の声が、
「オーカミサマのお宅でダイジョーブでしょうか~」
一瞬、何を言われたのか理解できずに、あっ、とか、うっ、とか間抜けな声を出した後に、「そうか、うちがオオカミかと聞いてるんだ」と思い至り
「いいえ、うちはオオウエですが」
「大変失礼いたしましたオーウエさま~。ワタクシは、東証一部に上場しております*▼◇★工業のイノウエと申しますが、本日は、当社がお勧めしております従来品の3倍の耐久性能を有しておりますエスジーアール工法による外壁塗装について・・・・・・」
女は甲高い声で話し続けているが、大上はほとんど聞いていなかった。大体、いきなり土曜の朝っぱらから人のうちに電話してきて「ダイジョウブか」とは何事だ。いきなり大丈夫かと聞かれたら、年寄りじゃなくても驚くじゃないか。それにオーカミサマとは何だ、おかみさんじゃなくて、まるっきりオーマイガーじゃないか、と次第に腹立ちが募り、
「うるさい!!」と一声吠えて受話器を置く。本来なら、こんな時は、受話器は「叩き付ける」ものらしいが、壊してしまっては元も子もないから、叩き付けることはしない。
リビングの椅子に座って時計を見ると、10時を少し過ぎたところである。子供たちも出かけけたらしく、母親が心配そうな顔で反対側に座っている。
「セールスの電話」とぶっきらぼうに言って立ち上がり、冷蔵庫から冷えた麦茶を注いで一気に飲み干す。
昨日は久しぶりに痛飲した。今日の予定は何もないから、ゆっくりと昼まで寝ているつもりだったのに、ダイジョウブ女に起こされてしまった。だが、起きてみると少し腹も空いている。確か先週、駅前に24時間営業のファミリーレストランが開店したはずだ。着替えて出かける。
「いらっしゃいませ~。コンニチハ~」。いきなり能天気に明るい声が、それも何人か分がまとまって聞こえてくる。まだ朝だから、おはようございます、だろうなどと思いながら席に案内され、メニューを見ると、「ブレックファストセット」というのが何種類かある。
ハムエッグとトーストのAセットというのを注文することにする。野菜スープもついているらしい。
「Aセットをお願いします」
「はい。Aセットおひとつでよろしいですか?」
一人なんだから一つに決まっているだろう!!などと考えてはいるのだが、
「はい」と静かに答えると、店員は
「ドリンクバーはダイジョウブですか?」
「はっ?」
ドリンクバーというのは、コーヒーや紅茶、ジュースなどの飲み放題サービスであることは大上も知っている。それが大丈夫かとはどういうことであるのか。壊れているのか、それとも毒でも入っていて、飲んだら大丈夫ではない状態になるのか。いずれにしても、客である自分に対して、大丈夫か、と聞くのはおかしいだろう。
「ドリンクバーはダイジョウブでしょうか?」再度店員が問う。
ここに至って、ようやく大上にも、ドリンクバーはいらないのか、と聞いているらしいということが分かった。野菜スープが付いているのだから
「いりません」と答えると、ようやく店員は引き下がる。今日は朝からダイジョウブに縁がある日らしい。
それにしても最近は、「要るか」というのを「ダイジョウブか」、というらしい。
隣の席に20代と思しきカップルが案内されてきた。二人そろってBセットを注文する。店員は注文を繰り返した後
「ドリンクバーはダイジョウブですか?」と聞いている。すると二人が声をそろえて
「ダイジョウブでーす」
ダイジョウブですかと聞かれてダイジョウブで~すと答える。一体ドリンクバーを注文したのか、しなかったのか、大上には理解できない。しばらく見ていると、二人ともドリンクを取りに行くそぶりはない。「ダイジョウブで~す」というのは、「いりません」という意味だったらしい。
つまり、店員が「いりますか」と聞き、客のカップルが「いりません」と答えたのである。「ダイジョウブですか」が「いりますか」で、「ダイジョウブで~す」が「いりません」ということなのだ。
Aセットが運ばれてきた。しかし、店員が、大上の目の前で何かに足を取られたらしく、野菜スープやらハムエッグやらを載せたトレイが宙に浮き、次の瞬間盛大に大上のテーブルにぶちまけられた。慌てた店員が、
「ダイジョウブですか」
ズボンにハムエッグがケチャップとともに気持ち悪く張り付いて、大丈夫なはずがないだろうと思うのだが、ダイジョウブはいりますかなのだなどと考えていたものだから、大上はとっさに言ってしまった。
「いりません!」