5月に入り、新緑が目に痛く、卯の花が咲き、杜鵑の声を聞くと何とか厳しい冬を乗り越え、命あることを喜べる実感がわく。金剛早期作水稲田田植えを済ませ、一息吐く間もなく、金剛普通作水稲田田植えの準備に掛かる。普通作水稲箱苗の注文を取りに来た地区の班長から「普通作水稲田の作付者はこの地区ではあなただけですよ」と言われる。大部分の兼業農家は早期水稲を作付し、それも老齢化や後継者不在で請負農家に耕作や田植えを頼んでいるのが実情である。戦後70年が経過して日本農村共同体は崩壊した感がある。人類社会はまだまだ国家間の対立、民族紛争など解決の糸口が見えない難問を抱えているが、先進文明国家では物余り、金余り、人余りの人類史上初めての事態に突入した感がある。先日、高名な政治評論家の大先輩から、突然の病気に倒れ、九死に一生を得たという電話を受け、驚くと同時に予後の経過もよく順調に回復しつつあり、秋ごろには社会復帰もなるということを聞き、一日も早い全快を祈り、再び、混迷が深まる一方の社会に警鐘を鳴らしていただきたいと願う。丸一昼夜続いた人事不省から覚めた瞬間「こんなことで死んでたまるか」と周囲で見守る家族や医師達を一喝したら、主治医始め皆が「これなら大丈夫だ」と初めて愁眉を開き安堵したという。「体力は元より、その精神力が奇跡の生還を齎したのでしょう」と応じる。電話の中で序ながら「私はあなたは日本の老子であると思っている」というとんでもない言葉をいただき、赤面、汗顔、忸怩たるものがある。そのような老荘的な達観など一欠けらもなく、ただただ自分の身の程知らず、無力を恥じ、都落ちして逼塞しているだけの未練たらたらの窮状を訴えるばかりである。半世紀以上のおつきあいをいただいているが、いよいよ並々ならぬ稀有の大人物の知遇を得たものだと思いを新たにし、合わせて身の竦む思いをさせられるばかりである。
杜鵑一喝忽ち甦る
群鳥に際立つ声や杜鵑
光芒の乱舞の夢や皐月闇 金剛