言わずと知れた大文豪である。荷風に関しては、いろいろな方が書き、全集も繰り返し刊行されており、このほど岩波文庫から、「荷風俳句集」(加藤郁乎編)が出た。以下、この句集を底本として荷風の俳句を見ていこう。
荷風といえば女性である。
肌ぬぎのむすめうつくし心太
稲妻に臍もかくさぬ女かな
などの句が見えるが、時代が過ぎると、
世の中や踊るはだかも年のくれ
となり、さらには
秋高くもんぺの尻の大(おおい)なり
スカートの内またねらふ藪蚊哉
などと変化してゆくのが面白い
永井荷風、本名永井壮吉は、明治12年に現在の東京都文京区春日に生まれている。父はプリンストン大に留学するほどの高級官僚、母方の祖父は父の恩師にして有名な儒学者という家系であったが、病気療養などを機に文学に惹かれてゆく。
ある時から家族とは極めて疎遠となったが、
元日やひそかにをがむ父の墓
の句も残している。
荷風の俳句では、いまでは失われてしまった風物や習慣がたびたび登場する。
胡坐かいて水飯をめす紳士かな
人もなき座敷の隅の竹夫人
思ひ出でゝ恋しきときは夏書かな
水飯とは、文字どおりご飯に水をかけたもので、夏の暑い時に食されたもの。現在でも冷汁などとして水をかけたご飯は食べられているが、当時は一般的な食べ方だったようである。
竹夫人(ちくふじん)とは、竹で編んだ抱き枕で、夏に涼を取るために使われたものというが、意味深な名称である。
夏書(げがき)とは、夏安吾(陰暦4月15日から7月15日まで)の間に行う写経のことで、これも当時は一般的であったようだ。
風物としては、物売りなどの商売に関する句も多く、
売声に似はわぬ爺や寒の紅
大道に吸物を売る女かな
春さめや隣に住ふ(すまう)琵琶法師
琵琶法師の句は明治33年であり、当時まだ職業としての琵琶法師が珍しくなかったようである。
荷風は昭和33年に亡くなるが、その際に全財産が現金と預貯金で残されていたのは有名である。金額も高額あったが、俳句では、
人のもの質に置きけり秋の暮れ
銭も無く用もなき身の師走かな
など、貧乏に関する句がある。
いわゆる孤独死で、半藤一利「荷風さんの昭和」(ちくま文庫)によれば、遺体は小さ過ぎる棺桶に、手足を折るようにして無理やり押し込められたそうである。