2013年11月16日、運河から電話があり、話の流れの中で、「今日はおれの誕生日なんだよ」と言ったので、「実は今日は親父の命日で、仏壇に線香を上げ、念仏を唱えたばかりだ」と返事すると、彼が直ぐ「生まれ変わりかも知れないね」と答える。先考がなくなった時は、運河は30歳位になっているので生まれ変わりと言うことはあるはずもないが、妙な会話を交わしたものだ。金剛空間は無神論者であるから、信仰は形式的なものに過ぎないが、運河は幼児洗礼を受けたカトリック信者であり、彼の父も法学者ではあったが、カトリックの世界では啓蒙家の一人であった。金剛空間も高校時代はカトリック系のラサール高校で聖書の授業など受けたこともあり、修道士と接触する機会もあったが、宗教上の理由から入学したわけでもなく、当時鹿児島県下で知られ始めていた進学校という理由で県内外の受験者に交って、中位の成績で入学しただけのことである。不思議なことに、金剛空間における唯一のカルチャーショックはこの学校で起きたと言ってもいい。というのは鹿児島市から南に40キロばかりの所にある指宿市で金剛空間は小学2年の後半から中学3年間、地元の学校に学んだ。その頃は鉄道の駅一つ離れた地元の商店街に行くのが、ちょっとした外出の機会で、鹿児島市に行くことなどほとんどなかったというくらいだから、当時は鹿児島市に隣接する谷山市にあったラサールに入り、2時間ばかりの汽車通学をするようになって後、市内から通う同級生に誘われ、ロードショウの洋画『めぐり逢い』を始めて見て、白人の美女や美男に目を見張り、豪華客船やエンパイヤステートビルに驚くような全くの田舎者であった。
カルチャーショックは華やかな洋画見物のこともあるが、小学、中学までは勉強しなくても上位の成績は取れていたのが、ラサールに入って最初の実力試験を受け、その成績が公開され、150人中、50番目ぐらいの成績に留まったことが大きな驚きであった。後に東大に入って、落第したり、成績が最下位に近かったりしても少しも意に介さなかったが、まだ15歳の少年にとっては、自分の能力が公平に見て、中位であるというのは初めてのカルチャーショックであった。金剛空間の意識では鹿児島市も日本も、更には世界もこれまで住んで来た指宿市の単なる拡大版であり、そこに質的差別はないはずだった。少年にとっては自分が経験する世界がそのまま全世界であった。所が豈図らん、高校に入学して最初の実力試験の成績の結果、世界はどうも自分が考えていたような均一な空間ではないのだぞと初めて日本や世界の広さと深さについて漠然とながら認識を新たにしたのだ。これが金剛空間の最初で最後の唯一のカルチャーショックの内容である。このカルチャーショックを厳しく受け止めて、これから先待ち受けている秀才たちが鎬を削る広い世界の現実と向き合えば、その時から30年後、金剛没落回帰大地方程式空間が出現することもなく、あるいは社会の先端とは行かなくてもそれなりの場に立てたかも知れないが、金剛化楽天方程式空間が天性である以上、遂に目覚めることはなかった。実はもう一つ逆カルチャーショックがあったのだ。それこそが決定的なカルチャーショックであった。そして30年、そのカルチャーショックに圧倒され続けているのだ。
若いころ読んだ小林秀雄に拠れば「歴史とは思い出である」のだが、金剛空間も70歳を過ぎた今、歴史とは何かということをよく考える。ふとこう考えても見る。あるいは小林秀雄流であるかも知れないが、「歴史とは死ぬことである」と定義してみたら如何。三島由紀夫が愛読した武士道の奥義書『葉隠』は「武士道とは死ぬことと見つけたり」というが、金剛空間の定義は両者の折衷案のようでもある。
金剛空間の父母の世代に続き、兄や姉の世代の各界の有名人の死が報道されることが多くなった。金剛空間が40代、50代位までは有名人の死が報道されても、自分の現在とは無縁の遠い事柄で特別の感慨はなかったが、60代、70代になって見ると、彼ら社会的有名人の死と共に、金剛空間の人生も過去化し、失われて行くかのような身につまされるものがある。政治家や実業家には接触もなかったし、特別の思い入れもないが、映画俳優や歌謡曲の歌手、プロ野球選手、陸上や水上などオリンピックの選手、相撲取りなど大衆のヒーローやヒロインの死は自分の人生とは直接の関係は全くなかったが、あるいは逆にそれ故かも知れないが、何かが終わったことを感じさせるものがある。その何かが「歴史」であるとすれば、「歴史とは死ぬことである」という定義も案外的外れではないかもしれない。
生きている間はまだ歴史ではない。死んでからが歴史である。だからこそ、死後百年も二百年も立って、坂本龍馬が活躍し、土方歳三が蘇り、西郷隆盛が勝海舟と会談するのであり、数年前に死んだ森繁久弥が『社長漫遊記』で新珠三千代や池内淳子と浮気し、寅さんがマドンナに失恋するのである。高峰秀子が『二十四の瞳』で瀬戸内海の島の小学教師になり、市川雷蔵や勝新太郎が眠狂四郎や座頭市になって妖剣や居合の大立ち回りを披露し、川上哲治や大下弘が赤バット、青バットのホームラン王になり、三橋美智也が美声を聞かせ、三波春夫が浪曲入りの「俵星玄蕃』を唸り、栃若や柏鵬が名勝負を見せる、等々会ったことも見たこともない小説や映画やテレビで読んだり、見たりしたスターが歴史上の存在と化して大衆を魅了するのである。歴史は非情であるから、死後僅かの間活躍した切り、其の儘沈黙し、忘れ去られるものもあれば、死後何十年も何百年も立ってから、不滅の存在になることもある。金剛空間も生きている間は金剛没落回帰大地方程式空間であり、金剛化楽天空間であったけれども、死後は歴史の片隅に残らないとも限らないではないか。この楽天性が金剛空間の真骨頂であり、救い難いものであるかも知れない。
金剛空間の学生時代、友人が「司馬遼太郎は大作家である」と言っていたが、金剛空間の認識ではギリシア叙事詩人ホメロスやシェークスピア、ゲーテなどが大作家であり、司馬遼太郎など全く眼中になかった。しかし、あれから半世紀が過ぎると、その友人の言の方が正しく、金剛空間も『龍馬がゆく』や『坂の上の雲』などの長編小説を読み、司馬遼太郎の大作家たる所以を納得した次第である。しかし、彼が死後、歴史に残るかは断言の限りではない。