金剛空間は虚無的悲観論者を以て自ら任じていたが、70歳を過ぎて性懲りもなく、田植えをして、稲刈りをする、しかも一人ですべての作業を切りまわしてのける所を見ると、実は本人が自任するところの虚無的悲観論者という性格規定は甚だ自己韜晦の匂いがする。先達て、運河のメールに子規と金剛空間の共通性を何点か挙げてあったが、金剛空間の農業は子規の病に匹敵する意味を持つという見解が述べられていた。文字通りに取れば、金剛空間の農業は病気であるということになる。子規の病気に匹敵すると言われれば、例え病気であるとしても唯の病気とはわけが違う。大いに名誉としなければならないし、子規の偉大さに僅かでも肖らなければならない。
金剛没落回帰大地方程式空間などと嘯いて四半世紀を超え、30年近く農業に従事して来たことの正体が病気であったとすれば、本人は全くの無自覚であったのだから、ひたすら虚無的悲観論者になって、捻くれ、僻んでいたのも病気の症状に過ぎなかったということである。確かに今夏の稲刈りを例に取って考えてみれば、一人で衰えた筋力に拠って、総量2トンに及ぶ籾をコンバイン(刈取脱穀兼用機械)から積み下ろし、再びトラックに積み上げ、更に乾燥機に投入し、今度は乾燥した籾を取り出し、更に再びトラックに積み込み、集荷場まで運び、ライスセンターの籾受け入れタンクに放り込むという何とも気の遠くなるような作業を3回繰り返した。籾袋に入れた30キロ近い籾を全身の筋肉の力で乾燥機に入れたり、空けたり、軽トラックに持ち上げたり、下ろしたり等々、70歳の老人が一人でやるのだから、これは運河ならずとも病気ではないかと疑うのも無理はない。さて病気であるとすれば病名は如何。先天的倒錯性筋肉失調症候群とでも言うべきか。
上記の稲刈実況紹介は夏の陣であり、もう一回全く同じような過程が秋の陣において繰り返されるのであるから、こうなっては病膏肓に入ったというべき重態である。但し秋の陣には流石に気の毒に思ったのか、愛知県在住の妹夫婦が墓参りを兼ねて、飛行機を乗り継いで助っ人に駆けつけてくれるというから、まだ金剛空間の臨終も先のことである。金剛空間の不治の病のようだから、病気が快癒した時は金剛空間が成仏を遂げた時である。正に死に至る病ともいうべきか。
子規と金剛空間の共通性など実に臆面もないが、結論的に言うならば、真相はこうなのではないか。子規との共通性などとは不遜かつ傲岸たるや甚だしいものがあるが、両者における究極の共通性は子規も金剛空間も天性の楽観論者ではなかったか。子規のことはおくとしても、金剛空間のここまでの半生を顧みれば、虚無的悲観論者を隠れ蓑にした狡猾極まりない楽天家の本性が垣間見えないか。子を知るものは親に如かずというが、学生時代の金剛空間が夏休みに帰省した時、卒業論文執筆に真剣に取り組もうともしないのを見て先考が一言漏らしたのを覚えている。「お前は呑気だね」。今にして思えば呑気どころか、一歩間違えば奈落の底に落ちるような際どい崖っぷちをここまで無事歩いて来たことだけを以て良しとすべし。これから先には本当の奈落が俟っているのだろう。否、既に奈落の底に落ちてしまっているのが現在ではないか。
稲刈りや火もまた涼し化楽天 金剛