金剛没落回帰大地方程式空間が建立したのは1985(昭和60)年であるから、今から29年前のことである。来年まで存続すれば30周年になる。その年の夏、東京駅から運河ほか10人ばかりに見送られて、父祖伝来の地、天草へ向けて旅立ったのが、遠い遠い遥か昔の出来事のようである。あの時はまだ40代前半であり、これで運命が決定的に変わるなどという見通しはまだなかった。とにかく一か八かで自己の運命に挑戦して見るのみという決断に基づいて行動に踏み切った一種の賭けであった。全てを天に任せ、天草についてから何事か始めればいい位の呑気な考えでしかなかった。しかし、いったん行動を起こしてからは何一つとして自分の思うようにはことを動かすことは出来なかった。つまり自分の意思でことを変えようと思っても、そう簡単には変えることが出来ないという行動の自由を許さない得体の知れない巨大な重りがくっ付いていたのだ。それまでの人生では大概の事は自分の自由意思で決めることは出来たし、他者の介入があっても、それに従わずに自分の意思を通すことが出来た。ところが、一旦、天草に居を移し、農業に従事してからは、相手が人間や社会ではなく、自然になっていたことに気がつかなかった。自然とは何か。それは物言わずして絶対的意思を貫いて行く非人間的、非社会的実在である。それと戦っても、それに逆らっても、相手には少しも堪えない。全くの独り相撲に終わるだけのことだ。だからといって手を拱けば、その結果は覿面であり、逃げ出すほかはない。しかし逃げ出したからといって、相手が快哉を叫ぶわけでもないから、逃げ出したところで、敗北感があるというわけでもないから、始末に困る。それでは謝って、舞い戻れば許してくれるかといえば、相手はそんな事は知らぬ振りである。何とも手に負えない相手である。ここが金剛没落回帰大地方程式空間の日本的、あるいは東洋的自然観と違う所である。日本的、東洋的自然観は人間空間、社会空間の柵から解放されて、「悠々として南山を見る」という陶淵明的なあるいは漱石的な文人的、あるいは良寛などの禅的自然観が特徴的であるが、金剛没落回帰大地方程式空間は違うのだ。そのような文学的、宗教的な高等な自然観ではなく、農業労働者的、農家的、百姓的なドロドロした生々しい自然観なのであるから、これは我ながら理解に苦しみ、自縄自縛的なところがある。抜け出すためには、足を洗うためには命を取られても止むを得ない所まで行かないと出来ないという強迫性がある。
さて先日、テレビで農協改革について論争した番組を見た。一方は元農協組織の幹部出身の自民党農林族参院議員であり、他方は農林省高級官僚出身の大企業研究所員である。自民党参院議員の方は農協組織擁護論であり、大企業研究所員の方は農協改革論者である。対立の根本構造は郵政民営化とほとんど同じであると言ってよい。郵便局と同じように農協が国の特別法によって独占的特権及び保護を受けて巨大化し、自由競争から免れることに拠って、本来の目的から逸脱して独占的利益を上げていることに拠る弊害を除去し、競争原理を導入することに拠って、農協体質を抜本的に改革し、日本農業再生の切り札にしようというものである。かつては郵便局も農協も自民党の大票田であったから、二大聖域であり、政府与党の手厚い庇護のもとにあったのであるが、日本社会の構造変化に伴い、農業人口が減り、農村から都市への政治的、経済的、更に社会的重心のシフトが完了し、政府、自民党にとって郵便局も農協もかつての政治的観点から見た聖域的価値を有さない事態が生まれている。戦後日本の奇跡的ともいえる経済成長を支えたのは農村から供給された膨大な労働人口であった。しかし、その結果、農村自身は後継者などの労働人口を失い、高齢化し、疲弊し、それに伴い農協も郵便局も本来的機能を果たさなくなって来た。そこで小泉政権が郵政民営化を断行し、続いて安倍政権が農協改革に手をつけ、農協を完全民営化するというのが狙いである。農協組織が出身母体である自民党参院議員は農協の利益代弁者であり、大企業研究所員は農協独占を切り崩すための政府及び大企業利益代弁者である。金剛空間は郵便局にも農協にもほとんど何の利害も関係する所はないが、末端農協の組合員であるという身分に属するから、少しは現場の実情についての認識はある。大都市住民にとっては郵便局も農協もあるいは過去の遺物の如き存在でしかないかも知れないが、実はそこにはもう一つ大きな裏があるのである。というのは農協貯金の額は郵貯、三菱UFJに次いで第3位であり、89・5兆円の規模に達するのである。この膨大な金融資産を誰かが狙っているという裏のからくりがあるのである。
日本の戦後の高度成長を支えた膨大な農村労働人口が大都市へシフトし、農村が供給する労働人口が枯渇した時、日本の経済成長もストップしたのである。勿論今でも農村の子弟は高等教育を受けるため大都市の教育機関へ進学し、高卒で就職するものも大都市にしか就職先はないから、たとえば天草の工業高校など職業教育機関の卒業生たちは中部圏の自動車産業や電力会社などの大企業に就職することを望むのである。彼らが天草に残って、農業に従事し、次の世代を再生産して行くことは殆どないのである。地元に就職できる若者は極めて限られた数にならざるを得ないのが現状である。天草市では前身の本渡市時代から16年という長期に渡って市長の座にあった現職が新人に敗れるという大波乱が起きたのも地元天草政治経済界における危機感の表れの一端かも知れないが、果たして新市長の下、地方都市の実態をなす農村及び農業復興の展望が生まれてくるかは分からない。金剛空間などは農業革命、大地革命の大波に間もなく呑み込まれて掻き消えるのみである。