肉体は意識にとっては他者である。自己ではない。しかし他者ではあっても他人ではない。人間は当然ながら、肉体であり、精神は肉体の所産である。意識が精神であるとすれば、意識は肉体に従属する。しかし、意識は自らが肉体の上位にあることを信じている。「精神一到何事か成らざらん」というスローガンは精神の肉体への優位を謳い上げる。そうは謂いながらも、精神的卓越もさることながら、肉体的卓越に対するコンプレックスには抜きがたいものがある。現代社会において肉体的卓越は精神的卓越よりも一般的評価が高く、普遍性がある。東大受験に合格するより、甲子園で勝利することの方がはるかに評価が高い。総理大臣も日銀総裁も高級官僚の存在など知らなくても、オリンピック、大リーグ、ワールドカップ、フィギュアースケート、甲子園のヒーローやヒロイン達はテレビや新聞で一躍スターになる。ノーベル賞受賞の大騒ぎもあるが、スポーツ選手の人気や報酬には茫然とする。人類がまだ動物的存在であった時から、肉体的卓越が生存競争において有利であったことの名残が現代のスポーツ選手達の評価につながっている。近代戦争が始まるまでは腕力や脚力が最大の戦闘能力であり、オリンピック競技の原点には砲丸や円盤、槍投げなど腕力を競う競技、百メートルからマラソンまで脚力を競う競技がある。
確かに現代コンピュータ文明社会においては小さな機器の表面を指でなぞるだけで、あらゆる知識が瞬時に得られる魔法の空間が出現したが、中々肉体の直接性に勝つことは難しい。スポーツ選手ばかりではない、歌や踊りなどこれも肉体が主役の芸能世界が現代社会の興味と関心を掻き立てる。映画やテレビさらには音楽界から大スターが誕生する。精神世界はブラックボックスであるから、ニュートンやアインシュタインの偉大性を理解することは難しいが、スポーツ選手や芸能人の活躍は目で見て耳で聞いて快感がたちどころに伝わってくる。ボルトやイシンバエワは現代によみがえった古代ギリシアの英雄アキレウスであり、女神ヴィーナスである。
四半世紀を越えた金剛没落回帰大地方程式空間の最初の肉体行動は山に登って、掛け干し用の長木を渡す三本脚を切り出すという奴隷労働にも近い過酷な作業から始まった。指導者は遠い親戚筋に当たる十歳ばかり年長の地元で評判の「山芋掘り」と噂される風雅人である。彼と初めて会ったのは四十歳をいくつか過ぎた金剛空間が二十歳前から住み慣れ、多分このまま都会人として生涯を送るはずであった東京を突然後にし、先祖伝来の地へ単身回帰し、一か月もたってはいない、まだ右も左もよくは分からない夢うつつの頃であった。そんなある日の朝方、地元の世話役が訪ねて来て無常を知らせた。無常とは人の死を意味し、葬式の事を言う。誰が誰かさっぱり分からないながらも通夜の席に加わり、無常の手伝いに駆り出され、一連の葬式の諸次第が完了し、集落の参加者全員が会食の席に並び、今朝葬式の準備作業の場で顔を合わせたばかりの人物と隣り合わせに座り、出された酒や食事を前に雑談をしていた。彼はその日知り合ったばかり、昼前、作業が一段落した後も金剛空間の傍らを離れようとはせず、いったん自宅に引き上げた金剛空間について来て、そのまま家に上がり込んで、話し続けた。まだ都会人の習性に馴染んでいた金剛空間にとっては帰れとも言えず、彼の話の相手をするしかなかった。金剛空間は彼が何者であるか全く手がかりを持たなかった。彼の舌は滑らかであり、問いかけに対する返事も立て板に水を流す如くに流暢であった。彼には新参者である金剛空間に対する事前知識があったし、地元の人間関係、家柄など知らないことはなかった。彼は金剛空間の人物検証を試みていたのだ。一つには興味本位であり、一つには生きるための手段を探すためもあったかも知れない。金剛空間自身より、金剛空間を取り巻く家や祖先のことについて知識があった。長時間話しているうちに、この人物が何者であるか、金剛空間に閃くものがあった。
金剛空間の父が亡くなったのはその時より既に15年ばかり前のことであり、その後は母が名古屋と行ったり来たりしながら、家屋敷や田や畑などの耕作委託などの財産管理一切を行っていた。その関係で現れた人物の一人と金剛空間も知り合い、天草回帰の発端からその人物にはいろいろ相談に乗って貰った。この人物が話の合間に漏らすどうにも手に負えない息子のことが突然閃いたのだ。目の前に座って、何もかも呑み込んだように話している男こそが老人がこぼした息子その人であったのだ。そうであるとすれば彼が金剛空間に対する事前知識を持ち、人物鑑定に乗り出して来たわけも納得できるというものだ。
この人物と彼の父親の老人が金剛没落回帰大地方程式空間の門戸を開いたのである。老人が言うにはせっかく田圃を所有しているのだから、自分で一度米を作ってみたら面白いだろうと何気なく誘ったのである。金剛空間がこの言葉の意味することなど何も知らずに、子どもの頃、周りで見ていた米作りの風景、金剛空間の幼い脳裏に刻み込まれた原風景がそれに反応したのだ。それで小作に出していた田を取り戻し、これにも理不尽な地主の振舞いだとして地元の農業委員から呼び出しがかかり、面倒なことになったが、どういう判断をしたのか小作地は割とすんなり戻ってきた。推測するにどうせ農業などやったことのない都会帰りの気紛れだから、様子を見てみようということだったのかも知れない。ちょうどその頃は農業基盤整備事業に拠って圃場整備が完了したばかりの時期であったのが幸いし、圃場も区画整理され、田圃の脇にトラックを横付け、大型農業機械を田に導入でき、水はダムからパイプによって供給され、バルブを捻るだけで、給水でき、新たな米作りの展望が見えて来たその瞬間であった。都会から回帰した未経験の農業参入者にも、機械を導入すれば、従来の伝統的な農作業をせずに、体力的には可能になった。これも大きな見方をすれば巡り合わせであった。いくら能天気な金剛空間でも、従来の伝統的稲作は肉体的には無理であっただろう。
この老人の誘いの言葉と彼の息子の農業指導に拠って金剛没落回帰大地方程式空間が誕生したのである。勿論まだ大型機械を購入するなど先の話で、さしあたりは老人の手持ちの小型農業機械や農協が大型機械を使って、農作業の支援事業をするのを利用したり、苗作りの共同育苗に参加したり、今思い出してもいろいろ関わりを持ったものだ。とにかく頭の中には何一つ具体的、現実的な知識はないのだから、好奇心というか、空想というか、そういう思い込みだけで動きまわっていたのだ。先ずは何事も体当たりでやって見る外には何事も勘所は掴めないのだ。所で老人の箸にも棒にもかからないと嘆いた息子は農業高校から、県の農業大学校まで卒業しているのだから、実践的にも学問的にも立派な農業指導者の資格を持っていたのだ。