未丈ヶ岳 迫力の大展望尾根
新潟県 未丈ヶ岳1,553m、日向倉山1,431m 2019年4月6日
(未丈ヶ岳)新潟百名山
394
おまえさん、雪山には慣れてるね
なあに、トレースさえあれば楽なもんだ
空気はピンと張りつめて
神々しい純白の山々
晴れて視界が広がると
すっかり名山に取り囲まれている
☼☼☼☼☼
日向倉山の頂上は真っ白な雪の丘。標識や三角点も雪の下。そこからは奥只見湖が眼下に見えていた。南には荒沢岳、中ノ岳、駒ヶ岳が青空の下に悠然と並んでいる。しかし、この頃はまだ未丈は分厚い雲の下で灰色の姿で、行き着くのは難しそうに見えた。
さて、半分あきらめてスキーを履き、滑走開始。一応、未丈に向かう北尾根方面に滑っていくと、なんと踏み跡がある。歩いていた人がいたのか。俄然元気が出て北尾根を滑走。
ようやくP5にたどり着き、本日2度目の休憩。ここからは先行トレースなし。だが、行く手には、今や青空が広がり、真っ白な未丈が待っている。ここまで来たんだ、なんとかして登りたい。スキーを履いてコル3まで滑走。
未丈は遠く、縦位置で近く見えていた頂上は、尾根を登っていくと、いったん巨大な雪庇に遮られて視界から消える。ところが、未丈が稜線の先に再び見えてきたとき、とんでもなく高い頂上丘(麓から70mくらい)が立ちはだかっていた。まだこんなのに登らないといけないのか。
頂上丘の上の未丈の頂上は広かった。西側にまばらに灌木が生えている以外は真っ白な雪。その奥に黄色い頂上標識が黙然と立っている。苦労してなんとかたどり着け、とてつもなくうれしかった。
未丈の頂上は越後と会津の雪山の大展望地だった。西に見える荒沢、中ノ岳、越後駒、南に見えるピラミッドの独立峰が燧。その左にずうっと東に連なっているのは会津駒から丸山岳、会津朝日の稜線に違いない。そして北に見える浅草岳の手前に毛猛山があった。威圧的な白いピラミッド。今日、登れてよかった。
なだらかな頂上をゆっくり滑り、急斜面は下が見えないので登りトレースに沿って滑走。雪が緩いので大きなターン。急斜面が終わるとコル3まで緩斜面滑走。行く手には天を突くP5が見事だが、あれを越えなくてはならない。コル3からスキーをしょって登る。
P5・1,340m地点から、標高差30mの登り返しを回避してトラバース滑走を試みるが、思ったより厳しかった。灌木の生えているところは安心感があるが、数本ある細い谷を横切るときは緊張して足がつりそうになる。
細い谷の横断を何度か繰り返し、ようやく南尾根の登りトレースに合流し、P5のトラバース滑走を終了すると、行く手に平らな頂上の日向倉山が穏やかに見えていた。
日向倉山のトラバースは、P5のときほどの緊張感はなく通過し、西尾根の雪庇にも勢いをつけて横向きに乗り上げて越え、西尾根の北斜面を少しトラバースして往路の踏み跡に合流。踏み跡は太くなっていて、大勢のスノーシュー・パーティが登ってきたらしい。
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未丈ヶ岳には5月連休に丸山スキー場から登る計画だったが、4月初めはまだ休業中かもしれないと思い、銀山平から日向倉山経由のプランとする。実際は丸山スキー場はオープンしていたようだが、丸山方面からの登山者は見ず、トレースもなし。
前日、磐越に入ると雨が降り出し、阿賀野川SAでは本降り状態。こんなことで山に行けるのか。弁当はうまかったが、不安の一夜。翌朝、雨は上がり、高速を南に向かうと次第に晴れてくる。だが雲も多く、どっちに転ぶか分からない。以前、銀山平に入ったのは2004年と2007年だから、15年前と12年前。ずいぶん時間が経ったが、ゲートを通り、狭いトンネルを走ると、ついこないだのような感じ。後に付いた2台を先に行かせる。彼等は丸山スキー場の方に向かったが、こんなに早く行ってスキー場が開くまで待つのだろうか。小出にはほとんど雪は無かったが、銀山平は雪に埋まっていた。除雪してある車道以外は雪。トンネル入口を出て。ずっと西に入ったところに温泉や駒ヶ岳の登山口があるはずだが、今回のスタート地点はトンネルの入口のすぐ西側。そこには車道から少し奥まった駐車スペースが除雪されていて、2台が駐車しており、一人が歩きだそうとしていた。もう一台分のスペースがあるが、最近のものと思われる雪が積もっている。スコップがあれば・・・・と思ったが、今回はMTBを乗せてきたのでスコップは持ってきていない。ここは車でまっすぐ入ってみて、なんとかなりそうなので方向転換してバックして駐車。
相変わらず雲は多いが日も差してきたのでサンオイルをたっぷり塗り、シールを貼って歩き始める。隣の車の主はスノーシュー、というかワカンに近い踏み跡。準備している間に数台のパーティがやってきて、奥に入れずに車道脇に駐車して準備していた。あの人たちも未丈ヶ岳?いや日向倉山だろうか。そこからは南に荒沢岳が見えていた。古い踏み跡が沢沿いに西に向かって続いていたが、それは駒ヶ岳に向かうものかもしれない。私はすぐに北への沢筋のトレースに取付く。その沢筋の左岸尾根がGPSルートだが、直接登っている踏み跡はなく、沢筋にあったのは滑走トレースだったと思うが、それは左岸尾根から下ってきていた。右岸尾根を登る踏み跡もあるようだった。沢筋からキックターンを切って左岸尾根に上がり、そこからはその尾根をひたすら登る。急な尾根で、背後の景観がどんどん広がり、まだ雲に隠れた駒ヶ岳と中ノ岳が雄大に見えてくる。だいぶ登ったつもりでGPSを見ると、まだ稜線まで半分も登っていない。これは思ったよりもたいへんだ。しかし、前週、八甲田で快調だった体力は健在で、まったく休まずに淡々とキックターンで登り続ける。ところが、スキーが何かにひっかかった感触があり、見るとシールが外れている。これは困ったなとスキーを外してみると、なんとシールのエンド・フックがなくなっている。何かにひっかけて外れてしまったらしい。スキーを両方外し、あたりに目を凝らしてみたが、フックは見当たらない。トレースに埋まったのかと探してみるが、黒いのは落ち葉。早朝でまだ雪は硬かったので下まで滑り落ちていったのだろうか。だが、少し下まで降りてみたが、途中の傾斜が緩くなっているところにも何も見えない。ここで諦める訳にもいくまい。シートラーゲンにして歩いて登る。徒歩での尾根登りはまっすぐ登れるのはいいが、ブーツが雪に埋まるので歩きにくい。しかし、他にどうすることもできないのでひたすら登る。今年の初めまでの私だったら、ここらで休み休みの登りとなり、日向倉山にもたどり着けずにあきらめていたかもしれない。しかし、足は止まらず、早い動きはできないが、登り続ける。尾根の東側は雪庇になっていて、割れ目ができているところもある。踏み抜きは雪庇側だけでなく、反対側の灌木の生え際にもあり、たまに思い出したようにズボッといき、あせらずにゆっくりブーツを引き上げる。
ようやく稜線が近づき、稜線上からこちらを見下ろしている男性がいるのに気づく。それは私の前に出かけて行った男性で、右岸尾根を登ったのかもしれない。稜線に上がると踏み跡があり、ぐっと歩きやすくなる。ワカンの踏み跡が二つ。どちらも浅く、ブーツでは沈んでしまうが、何もないよりはまし。稜線にはアップダウンがあり、P1・1,250mを越えて少し下り、次のP2・1,277mを越えて大きく下る。日向倉山はそれら小ピークの奥に控えており、その左に北に続く稜線とその途中のP5・1,370mが見え、その奥にまだ雲に隠れた未丈ヶ岳が初めて見えた。未丈は燧や会津駒から何度か見た覚えがある。それは銀山平に向かって長い稜線を伸ばしていた。決して高くはないが、細かく波打ち、手ごわそうな稜線のかなたで、「さあ、ここまで来てみろ」と待っている。縦位置なので近く感ずるが、まだ6kmはある。P1に上がると日向倉山が近く、大きく立ちはだかる。これも切り立ったピークではないが、P2からの標高差200mの稜線がはるかに続き、そこに小さくワカンの踏み跡。まさにそこを登っている人影。いったんコルに下降し、日向倉山に向かって淡々と登る。途中で下ってきたワカンの男性に会う。その人は私たちと同じ駐車スペースからではなく、日向倉山の東側からやってきていたのかもしれない。「どこまでですか」と聞かれ、「できれば未丈ヶ岳まで行きたいが、無理かもしれない」と答える。「今日は風が強いから」と言っていたが、その人も未丈を目指していて、諦めてこちらに下ってきたのかもしれない。その後、下ってきた二人目の男性にも会う。それは駐車場で隣にいた男性だったと思う。
日向倉山の頂上は真っ白な雪の丘。標識や三角点も雪の下。そこからは奥只見湖が眼下に見えていた。南には荒沢岳、中ノ岳、駒ヶ岳が青空の下に悠然と並んでいる。しかし、この頃はまだ未丈は分厚い雲の下で灰色の姿で、行き着くのは難しそうに見えた。ここまで3kmを3時間かかって10時半だったが、ここから未丈までまだ4kmある。風も強いし、シールもないし、止めておこうか。ところで、日向倉山の頂上からは踏み跡が東や北にも続いており、それらがどこからやってきているのかは不明。シルバーラインのトンネルのどこかの出口からだろうか。二つ持ってきたテルモスの一つを飲み、バナナを食べる。さて、半分あきらめてスキーを履き、滑走開始。風が強いので頂上付近はアイスバーンに近い状態。一応、未丈に向かう北尾根方面に滑っていくと、なんと踏み跡がある。歩いていた人がいたのか。俄然元気が出て北尾根を滑走。それはどこまでもぐんぐん下っていき、最初の1㎞をわずかな時間でクリアしてしまった。なんだ、これなら3時間くらいでたどり着けそうだ。ということで、コル1・1,230mからスキーを担いで登り、P4・1,272mから再び滑走し、本日最大の難関が待ち受けるP5・1,370mに向かって登る。このとき、P5に登っている男性を見る。風が強いのでゴーグルに替え、ローシュ・グローブをインナー付ではめる。
ようやくP5にたどり着き、本日2度目の休憩。なぜか先行する男性が戻ってきた。この先が細尾根になっていてワカンでは下れないらしい。それに、ここは丸山スキー場からのルート上にあるはずなのに全くトレースがない。ここからは先行トレースなし。だが、行く手には、今や青空が広がり、真っ白な未丈が待っている。ここまで来たんだ、なんとかして登りたい。先行していた男性にそう言い、スキーを履いてコル3まで滑走。私にしてみれば、細尾根で下りにくいとなれば当然スキーだが、男性には気を付けるよう念を押され、気を付けます、と答えて滑走開始。男性は山中泊もできると言っていたが、ツエルトかシュラフを持っていたのだろうか。その先は急斜面の先が確かに細尾根になっており、東側はえぐれていて踏み込めないが、西側は灌木がまばらに生える急斜面になっている。こういう片斜面は歩くのには不向きだが、スキーで滑走するのには向いている。スキーでも踏み抜きそうな色の変わった細尾根の上を進むのを止め、東斜面に少し下ったところをトラバース滑走。灌木を抜け、尾根の段差を大きく東側にトラバースし、コル3・1,290mに滑り込んでそこから再び徒歩で登り始める。踏み跡がないので足場を作りながら黙々と登る。足は止まらなかったがかなりの低速だったとみえ、その後、背後に小さく見えてきた先行男性はみるみる追いついてくる。先行男性は空身だったが、ワカンをアイゼンに替えていたから条件はあまり変わらない(スキーブーツと登山靴の違いはある)。雪の上を歩きなれていて、体力も私よりあるということだ。未丈は遠く、縦位置で近く見えていた頂上は、尾根を登っていくと、いったん巨大な雪庇に遮られて視界から消える。ところが、未丈が稜線の先に再び見えてきたとき、とんでもなく高い頂上丘(麓から70mくらい)が立ちはだかっていた。まだこんなのに登らないといけないのか。その頂上丘を撮影し、背後を見ると、先行男性がもうすぐ後ろに迫っていた。ここまでこれたのも先行男性の踏み跡がP5まであったからだから、先に頂上に登ってもらって当然だとは思ったが、男性は速かった。瞬く間に追越し、70mの急斜面をどんどん登っていく。私は「早い!」と声を上げ、彼の踏み跡をありがたく使わせてもらう。この踏み跡が無ければ、相当に苦労しただろう。
頂上丘の上の未丈の頂上は広かった。西側にまばらに灌木が生えている以外は真っ白な雪。その奥に黄色い頂上標識が黙然と立っている。その近くに男性が立ち、周囲を見渡している。私はたぶん5分くらい遅れて頂上に到達。苦労してなんとかたどり着け、とてつもなくうれしかった。男性がいなければ大きな声を上げていただろう。男性が写真を撮ってくれた。黒いヘルメットに黒いゴーグル。こうやってみると歳はわからないな。空身の男性は先に帰途につき、私は頂上で3度目の休憩。二つ目のテルモスのホットレモンをゆっくり飲み、ホットケーキを詰め込む。全く食欲は無かったが、帰りはハードになるだろう。今回、登っている間はあまり写真を撮らなかった。たくさん撮ったのは未丈の頂上のみ。未丈の頂上は越後と会津の雪山の大展望地だった。西に見える荒沢、中ノ岳、越後駒以外はすぐには同定できなかったが、眺めているうちに、南に見えるピラミッドの独立峰が燧だと気づく。そんな形の燧は初めてだ。すると、その左にずうっと東に連なっているのは会津駒から丸山岳、会津朝日の稜線に違いない。そして北に見える連嶺は守門岳と浅草岳だろうと思ったが、その手前に毛猛山があった。威圧的な白いピラミッド。何巡りか四周を撮影し、帰途につく。西には夏道のある尾根が続くが、これも楽ではなさそうだ。今日、登れてよかった。
なだらかな頂上をゆっくり滑り、急斜面は下が見えないので登りトレースに沿って滑走。雪が緩いので大きなターン。急斜面が終わるとコル3まで緩斜面滑走。小さなアップダウンをやりすごし、トロトロを滑るが、いつの間にか歩いて下っている男性に追いついてしまった。「どうも」と言って先に行く。行く手には天を突くP5が見事だが、あれを越えなくてはならない。何度が停止し、P5に登り返さずにトラバース滑走できないか、P5の西斜面を観察。遠目にはできそうに見えたが、近づくにつれ、灌木の間に細い谷が何本か落ちていて、ちょっと無理そうだ。そこでコル3からスキーをしょって登る。スキーで下った跡を登るのは楽ではないが、男性が歩いて下った踏跡があるので、それを使わせてもらい、P5・1,370mの頂上手前の1,340m地点で難所をクリア。スキーとザックを下ろして休憩。そこからならトラバース滑走できそうに思えた。男性が再び追いついてきて、P5に登っていく。彼はこの後、山中泊したらしく、P5から下ってくるところは見なかった。たぶん雪洞泊まり?
P5・1,340m地点から、標高差30mの登り返しを回避してトラバース滑走を試みるが、思ったより厳しかった。灌木の生えているところは安心感があるが、数本ある細い谷を横切るときは緊張して足がつりそうになる。それでもなるべく高度を落とさぬようにトラバース滑走していき、対岸の灌木帯に着いたときはほっとする。緊張を解くと本当に足がつり、足をバタバタさせる。やな感じ。細い谷の横断を何度か繰り返し、ようやく南尾根の登りトレースに合流し、P5のトラバース滑走を終了すると、行く手に平らな頂上の日向倉山が穏やかに見えていた。コル2まで尾根を滑走。P4に登り返し、コル1まで滑走し、そこから日向倉山への登り返しが長かった。ここもなんとかトラバースできないかを探る。トラバースを妨げている枝尾根を越えたが、行く手にはへこんだ谷が待ち構えていた。こいつは滑りにくい。しかも日向倉山の西尾根への合流地点付近に雪庇がある。トラバースで下り過ぎると西尾根に合流しにくくなりそうだ。だが、そのへこんだ谷は傾斜はそれほどでもなく、灌木もまばらに生えていたので、P5のときほどの緊張感はなく通過し、西尾根の雪庇にも勢いをつけて横向きに乗り上げて越え、西尾根の北斜面を少しトラバースして往路の踏み跡に合流。踏み跡は太くなっていて、大勢のスノーシュー・パーティが登ってきたらしい。スキー・トレースもあり。
もう暗くなり始めていたが、P2手前の小ピークやP2は北側をトラバース滑走できた。だが、暗くなってくると斜面が見ずらく、さすがに滑走しにくくなってくる。そこでP1手前のコルでヘッドランプを装着し、少し休憩してからP1に登り返し、ヘッドランプを点灯して滑走再開。だが、気温が下がって雪が固くなり、横滑りができない。まっすぐ短く滑ってすぐターン停止を繰り返すが、これではなかなか前に進まない。眼下には銀山平の車道の街路灯が気持ちよさそうに灯っているのだが、遠かった。ようやく尾根下降点に到達し、尾根を下るが、さきほどの太いスノーシューの踏み跡はこの尾根に続いていた。尾根の傾斜は稜線上よりもかなりきつく、ターン滑走で下っていくしかなかったが、疲れていて連続ターンできないのでカメの歩み。雪が柔らかければ横滑り、アイスバーンくらい固くても横滑りで下れる(摩須賀岳の夜の下りもヘッドランプでアイスバーンをガリガリ下った)のだが、中途半端な硬さの雪は始末が悪い。わずか距離750m、標高差370mの尾根を下るのに2回ほど休憩をとり、やっと取付き点に到達。車道から少し奥まった駐車地点には明かりはなく、車が2台。一台は私のだが、もう一台はたぶん先行した男性のものだろう。
雪が融けでズブズブの車の脇でスキーとザックを片付け、着替えて車に入るともう20時半。銀山平の温泉に行けば入れたかもしれないが、シラバーラインを戻ることにする。ゲートは6時から18時までとは知っていたが、トンネルの照明は灯っており、出ていくことはできるのではないかと思ったのだが、ゲートは閉じられていた。仕方ないのでゲート脇の駐車場に入れて車中泊。温泉は諦めていたが、顔も洗えず、買い物もできないが、食べ物も飲み物もあるし、DVDを見ながら車中泊すればよい。だが、翌日朝6時まで拘束されてしまうのが一番痛かった。
奥只見シルバーライン入口
未丈ヶ岳には5月連休に丸山スキー場から登る計画だったが、4月初めはまだ休業中かもしれないと思い、銀山平から日向倉山経由のプランとする。実際は丸山スキー場はオープンしていたようだが、丸山方面からの登山者は見ず、トレースもなし。
銀山平と荒沢岳
前日、磐越に入ると雨が降り出し、阿賀野川SAでは本降り状態。こんなことで山に行けるのか。弁当はうまかったが、不安の一夜。翌朝、雨は上がり、高速を南に向かうと次第に晴れてくる。だが雲も多く、どっちに転ぶか分からない。以前、銀山平に入ったのは2004年と2007年だから、15年前と12年前。ずいぶん時間が経ったが、ゲートを通り、狭いトンネルを走ると、ついこないだのような感じ。後に付いた2台を先に行かせる。彼等は丸山スキー場の方に向かったが、こんなに早く行ってスキー場が開くまで待つのだろうか。小出にはほとんど雪は無かったが、銀山平は雪に埋まっていた。除雪してある車道以外は雪。トンネル入口を出て。ずっと西に入ったところに温泉や駒ヶ岳の登山口があるはずだが、今回のスタート地点はトンネルの入口のすぐ西側。そこには車道から少し奥まった駐車スペースが除雪されていて、2台が駐車しており、一人が歩きだそうとしていた。もう一台分のスペースがあるが、最近のものと思われる雪が積もっている。スコップがあれば・・・・と思ったが、今回はMTBを乗せてきたのでスコップは持ってきていない。ここは車でまっすぐ入ってみて、なんとかなりそうなので方向転換してバックして駐車。
尾根取付き地点
相変わらず雲は多いが日も差してきたのでサンオイルをたっぷり塗り、シールを貼って歩き始める。隣の車の主はスノーシュー、というかワカンに近い踏み跡。準備している間に数台のパーティがやってきて、奥に入れずに車道脇に駐車して準備していた。あの人たちも未丈ヶ岳?いや日向倉山だろうか。そこからは南に荒沢岳が見えていた。古い踏み跡が沢沿いに西に向かって続いていたが、それは駒ヶ岳に向かうものかもしれない。私はすぐに北への沢筋のトレースに取付く。その沢筋の左岸尾根がGPSルートだが、直接登っている踏み跡はなく、沢筋にあったのは滑走トレースだったと思うが、それは左岸尾根から下ってきていた。右岸尾根を登る踏み跡もあるようだった。沢筋からキックターンを切って左岸尾根に上がり、そこからはその尾根をひたすら登る。急な尾根で、背後の景観がどんどん広がり、まだ雲に隠れた駒ヶ岳と中ノ岳が雄大に見えてくる。
荒沢岳
越後駒ヶ岳
尾根登り
だいぶ登ったつもりでGPSを見ると、まだ稜線まで半分も登っていない。これは思ったよりもたいへんだ。しかし、前週、八甲田で快調だった体力は健在で、まったく休まずに淡々とキックターンで登り続ける。ところが、スキーが何かにひっかかった感触があり、見るとシールが外れている。これは困ったなとスキーを外してみると、なんとシールのエンド・フックがなくなっている。何かにひっかけて外れてしまったらしい。スキーを両方外し、あたりに目を凝らしてみたが、フックは見当たらない。トレースに埋まったのかと探してみるが、黒いのは落ち葉。早朝でまだ雪は硬かったので下まで滑り落ちていったのだろうか。だが、少し下まで降りてみたが、途中の傾斜が緩くなっているところにも何も見えない。ここで諦める訳にもいくまい。シートラーゲンにして歩いて登る。徒歩での尾根登りはまっすぐ登れるのはいいが、ブーツが雪に埋まるので歩きにくい。しかし、他にどうすることもできないのでひたすら登る。今年の初めまでの私だったら、ここらで休み休みの登りとなり、日向倉山にもたどり着けずにあきらめていたかもしれない。しかし、足は止まらず、早い動きはできないが、登り続ける。尾根の東側は雪庇になっていて、割れ目ができているところもある。踏み抜きは雪庇側だけでなく、反対側の灌木の生え際にもあり、たまに思い出したようにズボッといき、あせらずにゆっくりブーツを引き上げる。
初めて見えた未丈ヶ岳
ようやく稜線が近づき、稜線上からこちらを見下ろしている男性がいるのに気づく。それは私の前に出かけて行った男性で、右岸尾根を登ったのかもしれない。稜線に上がると踏み跡があり、ぐっと歩きやすくなる。ワカンの踏み跡が二つ。どちらも浅く、ブーツでは沈んでしまうが、何もないよりはまし。稜線にはアップダウンがあり、P1・1,250mを越えて少し下り、次のP2・1,277mを越えて大きく下る。日向倉山はそれら小ピークの奥に控えており、その左に北に続く稜線とその途中のP5・1,370mが見え、その奥にまだ雲に隠れた未丈ヶ岳が初めて見えた。未丈は燧や会津駒から何度か見た覚えがある。それは銀山平に向かって長い稜線を伸ばしていた。決して高くはないが、細かく波打ち、手ごわそうな稜線のかなたで、「さあ、ここまで来てみろ」と待っている。縦位置なので近く感ずるが、まだ6kmはある。
日向倉山
P1に上がると日向倉山が近く、大きく立ちはだかる。これも切り立ったピークではないが、P2からの標高差200mの稜線がはるかに続き、そこに小さくワカンの踏み跡。まさにそこを登っている人影。いったんコルに下降し、日向倉山に向かって淡々と登る。途中で下ってきたワカンの男性に会う。その人は私たちと同じ駐車スペースからではなく、日向倉山の東側からやってきていたのかもしれない。「どこまでですか」と聞かれ、「できれば未丈ヶ岳まで行きたいが、無理かもしれない」と答える。「今日は風が強いから」と言っていたが、その人も未丈を目指していて、諦めてこちらに下ってきたのかもしれない。その後、下ってきた二人目の男性にも会う。それは駐車場で隣にいた男性だったと思う。
P1付近から北の景観: 未丈ヶ岳、P5、P4、日向倉山、P2
日向倉山の頂上
日向倉山の頂上は真っ白な雪の丘。標識や三角点も雪の下。そこからは奥只見湖が眼下に見えていた。南には荒沢岳、中ノ岳、駒ヶ岳が青空の下に悠然と並んでいる。しかし、この頃はまだ未丈は分厚い雲の下で灰色の姿で、行き着くのは難しそうに見えた。ここまで3kmを3時間かかって10時半だったが、ここから未丈までまだ4kmある。風も強いし、シールもないし、止めておこうか。ところで、日向倉山の頂上からは踏み跡が東や北にも続いており、それらがどこからやってきているのかは不明。シルバーラインのトンネルのどこかの出口からだろうか。二つ持ってきたテルモスの一つを飲み、バナナを食べる。
東側から見る日向倉山の頂上
日向倉山・東峰と丸山?
奥只見湖
日向倉山から北の景観: 未丈ヶ岳、P4、P5
P5付近から見る日向倉山
さて、半分あきらめてスキーを履き、滑走開始。風が強いので頂上付近はアイスバーンに近い状態。一応、未丈に向かう北尾根方面に滑っていくと、なんと踏み跡がある。歩いていた人がいたのか。俄然元気が出て北尾根を滑走。それはどこまでもぐんぐん下っていき、最初の1㎞をわずかな時間でクリアしてしまった。なんだ、これなら3時間くらいでたどり着けそうだ。ということで、コル1・1,230mからスキーを担いで登り、P4・1,272mから再び滑走し、本日最大の難関が待ち受けるP5・1,370mに向かって登る。このとき、P5に登っている男性を見る。風が強いのでゴーグルに替え、ローシュ・グローブをインナー付ではめる。
P5から丸山方面への尾根
北側から見るP5
ようやくP5にたどり着き、本日2度目の休憩。なぜか先行する男性が戻ってきた。この先が細尾根になっていてワカンでは下れないらしい。それに、ここは丸山スキー場からのルート上にあるはずなのに全くトレースがない。ここからは先行トレースなし。だが、行く手には、今や青空が広がり、真っ白な未丈が待っている。ここまで来たんだ、なんとかして登りたい。先行していた男性にそう言い、スキーを履いてコル3まで滑走。私にしてみれば、細尾根で下りにくいとなれば当然スキーだが、男性には気を付けるよう念を押され、気を付けます、と答えて滑走開始。男性は山中泊もできると言っていたが、ツエルトかシュラフを持っていたのだろうか。
まだ遠い未丈ヶ岳
巨大な雪庇の奥の未丈ヶ岳
その先は急斜面の先が確かに細尾根になっており、東側はえぐれていて踏み込めないが、西側は灌木がまばらに生える急斜面になっている。こういう片斜面は歩くのには不向きだが、スキーで滑走するのには向いている。スキーでも踏み抜きそうな色の変わった細尾根の上を進むのを止め、東斜面に少し下ったところをトラバース滑走。灌木を抜け、尾根の段差を大きく東側にトラバースし、コル3・1,290mに滑り込んでそこから再び徒歩で登り始める。踏み跡がないので足場を作りながら黙々と登る。足は止まらなかったがかなりの低速だったとみえ、その後、背後に小さく見えてきた先行男性はみるみる追いついてくる。先行男性は空身だったが、ワカンをアイゼンに替えていたから条件はあまり変わらない(スキーブーツと登山靴の違いはある)。雪の上を歩きなれていて、体力も私よりあるということだ。未丈は遠く、縦位置で近く見えていた頂上は、尾根を登っていくと、いったん巨大な雪庇に遮られて視界から消える。ところが、未丈が稜線の先に再び見えてきたとき、とんでもなく高い頂上丘(麓から70mくらい)が立ちはだかっていた。まだこんなのに登らないといけないのか。その頂上丘を撮影し、背後を見ると、先行男性がもうすぐ後ろに迫っていた。ここまでこれたのも先行男性の踏み跡がP5まであったからだから、先に頂上に登ってもらって当然だとは思ったが、男性は速かった。瞬く間に追越し、70mの急斜面をどんどん登っていく。私は「早い!」と声を上げ、彼の踏み跡をありがたく使わせてもらう。この踏み跡が無ければ、相当に苦労しただろう。
近づいた未丈ヶ岳
未丈ヶ岳に向かう男性
背後に並ぶ荒沢岳、中ノ岳、越後駒ヶ岳
未丈ヶ岳・頂上
頂上丘の上の未丈の頂上は広かった。西側にまばらに灌木が生えている以外は真っ白な雪。その奥に黄色い頂上標識が黙然と立っている。その近くに男性が立ち、周囲を見渡している。私はたぶん5分くらい遅れて頂上に到達。苦労してなんとかたどり着け、とてつもなくうれしかった。男性がいなければ大きな声を上げていただろう。男性が写真を撮ってくれた。黒いヘルメットに黒いゴーグル。こうやってみると歳はわからないな。空身の男性は先に帰途につき、私は頂上で3度目の休憩。二つ目のテルモスのホットレモンをゆっくり飲み、ホットケーキを詰め込む。全く食欲は無かったが、帰りはハードになるだろう。今回、登っている間はあまり写真を撮らなかった。たくさん撮ったのは未丈の頂上のみ。未丈の頂上は越後と会津の雪山の大展望地だった。西に見える荒沢、中ノ岳、越後駒以外はすぐには同定できなかったが、眺めているうちに、南に見えるピラミッドの独立峰が燧だと気づく。そんな形の燧は初めてだ。すると、その左にずうっと東に連なっているのは会津駒から丸山岳、会津朝日の稜線に違いない。そして北に見える連嶺は守門岳と浅草岳だろうと思ったが、その手前に毛猛山があった。威圧的な白いピラミッド。何巡りか四周を撮影し、帰途につく。西には夏道のある尾根が続くが、これも楽ではなさそうだ。今日、登れてよかった。
未丈ヶ岳頂上から北と東の景観: 毛猛山、浅草岳、会津朝日岳、丸山岳、梵天岳、高幽山、窓明山、三岩岳、会津駒ヶ岳、燧岳、平ヶ岳、日向倉山
未丈ヶ岳頂上から南と西の景観: 平ヶ岳、日向倉山、荒沢岳、中ノ岳、越後駒ヶ岳、毛猛山、浅草岳
燧岳
頂上からの滑走直前
未丈ヶ岳の広い頂上
頂上急斜面の滑走
なだらかな頂上をゆっくり滑り、急斜面は下が見えないので登りトレースに沿って滑走。雪が緩いので大きなターン。急斜面が終わるとコル3まで緩斜面滑走。小さなアップダウンをやりすごし、トロトロを滑るが、いつの間にか歩いて下っている男性に追いついてしまった。「どうも」と言って先に行く。行く手には天を突くP5が見事だが、あれを越えなくてはならない。何度が停止し、P5に登り返さずにトラバース滑走できないか、P5の西斜面を観察。遠目にはできそうに見えたが、近づくにつれ、灌木の間に細い谷が何本か落ちていて、ちょっと無理そうだ。そこでコル3からスキーをしょって登る。スキーで下った跡を登るのは楽ではないが、男性が歩いて下った踏跡があるので、それを使わせてもらい、P5・1,370mの頂上手前の1,340m地点で難所をクリア。スキーとザックを下ろして休憩。そこからならトラバース滑走できそうに思えた。男性が再び追いついてきて、P5に登っていく。彼はこの後、山中泊したらしく、P5から下ってくるところは見なかった。たぶん雪洞泊まり?
未丈ヶ岳の頂上峰を振り返る
未丈ヶ岳の広い南尾根
未丈ヶ岳・南尾根から東の景観: 丸山岳、梵天岳、高幽山、窓明山、三岩岳、丸山?会津駒ヶ岳、燧岳、P5、日向倉山
P5
P5への登り返し
P5の1,340m地点
未丈ヶ岳
未丈ヶ岳
P5頂上
トラバース滑走
P5・1,340m地点から、標高差30mの登り返しを回避してトラバース滑走を試みるが、思ったより厳しかった。灌木の生えているところは安心感があるが、数本ある細い谷を横切るときは緊張して足がつりそうになる。それでもなるべく高度を落とさぬようにトラバース滑走していき、対岸の灌木帯に着いたときはほっとする。緊張を解くと本当に足がつり、足をバタバタさせる。やな感じ。細い谷の横断を何度か繰り返し、ようやく南尾根の登りトレースに合流し、P5のトラバース滑走を終了すると、行く手に平らな頂上の日向倉山が穏やかに見えていた。コル2まで尾根を滑走。P4に登り返し、コル1まで滑走し、そこから日向倉山への登り返しが長かった。ここもなんとかトラバースできないかを探る。トラバースを妨げている枝尾根を越えたが、行く手にはへこんだ谷が待ち構えていた。こいつは滑りにくい。しかも日向倉山の西尾根への合流地点付近に雪庇がある。トラバースで下り過ぎると西尾根に合流しにくくなりそうだ。だが、そのへこんだ谷は傾斜はそれほどでもなく、灌木もまばらに生えていたので、P5のときほどの緊張感はなく通過し、西尾根の雪庇にも勢いをつけて横向きに乗り上げて越え、西尾根の北斜面を少しトラバースして往路の踏み跡に合流。踏み跡は太くなっていて、大勢のスノーシュー・パーティが登ってきたらしい。スキー・トレースもあり。
日向倉山
もう暗くなり始めていたが、P2手前の小ピークやP2は北側をトラバース滑走できた。だが、暗くなってくると斜面が見ずらく、さすがに滑走しにくくなってくる。そこでP1手前のコルでヘッドランプを装着し、少し休憩してからP1に登り返し、ヘッドランプを点灯して滑走再開。だが、気温が下がって雪が固くなり、横滑りができない。まっすぐ短く滑ってすぐターン停止を繰り返すが、これではなかなか前に進まない。眼下には銀山平の車道の街路灯が気持ちよさそうに灯っているのだが、遠かった。ようやく尾根下降点に到達し、尾根を下るが、さきほどの太いスノーシューの踏み跡はこの尾根に続いていた。尾根の傾斜は稜線上よりもかなりきつく、ターン滑走で下っていくしかなかったが、疲れていて連続ターンできないのでカメの歩み。雪が柔らかければ横滑り、アイスバーンくらい固くても横滑りで下れる(摩須賀岳の夜の下りもヘッドランプでアイスバーンをガリガリ下った)のだが、中途半端な硬さの雪は始末が悪い。わずか距離750m、標高差370mの尾根を下るのに2回ほど休憩をとり、やっと取付き点に到達。車道から少し奥まった駐車地点には明かりはなく、車が2台。一台は私のだが、もう一台はたぶん先行した男性のものだろう。
最後に見た優雅な未丈
雪が融けでズブズブの車の脇でスキーとザックを片付け、着替えて車に入るともう20時半。銀山平の温泉に行けば入れたかもしれないが、シラバーラインを戻ることにする。ゲートは6時から18時までとは知っていたが、トンネルの照明は灯っており、出ていくことはできるのではないかと思ったのだが、ゲートは閉じられていた。仕方ないのでゲート脇の駐車場に入れて車中泊。温泉は諦めていたが、顔も洗えず、買い物もできないが、食べ物も飲み物もあるし、DVDを見ながら車中泊すればよい。だが、翌日朝6時まで拘束されてしまうのが一番痛かった。