北股岳、大日岳     初秋の飯豊連峰

山形県 北股岳2,025m、梶川峰1,692m 2019年9月14日

新潟県 大日岳2,128m、西大日岳2,092m 2019年9月15日

(大日岳)新潟百名山

(北股岳)東北百名山

432

おいらは三角点

四角四面のつらがまえ

あっちの方が高そうだからって騙されるんじゃないぞ

おいらのいるところが山頂なんだ

こらっ!座るんじゃない

(^^)(^^)(^^)(^^)(^^)

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突然、目の前の樹間にあの梅花皮岳と北股岳のつくるアーチが見える。これは2002年にここを登って一番心に残った景観だ。すばらしい自然の造形美を目に焼き付ける。

梶川峰の頂上標識がハイマツと笹の切り分けの道の途中に現われ、今回はそこにあるはずの三角点を探す。登山道を引返し、登山道脇の深い笹の中に潜り込み、ほぼGPSの示す地点に二等三角点を発見。こんな笹ヤブの中に放置されているとは。誰かが周囲を刈り払いしてくれることを望む。

北股岳は力強い全景を見せ、その左に美しいアーチがかかる。この山には力強さと美しさの両方が備わっている。梅花皮岳の左(南)には烏帽子岳が見え、その左(東)に見えているのは飯豊本山とダイグラ尾根だ。飯豊本山と駒形山は双耳に近く見えており、ダイグラ尾根の上の宝珠山の三つの峰、千本峰らしい二つの峰、休み場の峰はその下の目立たないピークだろうか。それにしても青空にすばらしい絶景。

主稜線の扇ノ地神からは西に二王子岳、そして大日岳の横長の姿が見えていた。この横長の大日岳の西にある二つのピークが西大日岳と薬師岳。今回はその二つがターゲットだが、梅花皮小屋から10㎞のかなたにある。

北股岳頂上に到達。そこには昔と同じ、鳥居と祠と三角点があった。昔馴染みの里に戻ってきたような、とてもなつかしい気分にひたる。頂上から南西方向には「おういんの尾根*」に下る踏み跡があるが、横に渡されたヒモで封鎖されていた。

D2

結局、梅花皮小屋から御西小屋まで一度も休まずに歩き通した。御西小屋でザックを下ろしたときは、ややぐったりだった。閑散としていた梅花皮小屋からの道に対し、大日岳への道は賑やかで、行く手には登る人たち、下る人たちが見え、背後からは足自慢の人たち(単に私の足が遅いのだが、)が迫り、何度も道を譲る。

いったん霧で隠れていた大日岳は快晴の秋空の下に力強くたたずんでいる。それは左に牛首山を従え、深緑で底の広いトライアングルの姿をしていて、やはり御西小屋方面(もしくは飯豊本山方面)から見るこの大日岳がいちばん華麗かつ威厳があると思う。

大日岳の頂上でアームバンドとガーデン手袋をはめ、西大日に向かう。大日岳頂上から見る西大日はすっきりした底の広いトライアングルの形をしている。

ハイマツの裏側で稜線中央に戻ると、大日岳頂上と人々の姿は見えなくなり、静かな旅になる。コルまで下り、そこから稜線に登り返す。だが、登り返した残雪の上の斜面にミヤマリンドウとウサギギクがたくさん咲いていた。

稜線に登り返すと踏み跡があり、最後は稜線の左側(南側)から西大日岳の頂上に至る。そこには真っ白な二等三角点とだいぶ風化したケルンがあった。15年ぶりの三角点に再会して感激。

ハイマツと灌木の中の踏み跡を辿れば薬師岳まで行けるだろうが、相当に時間がかかるだろう。そこで、今回も諦めることにする。残念。踏み跡を辿って西大日の頂上に戻り、ザックを下ろし、3度目の休憩をとって帰路につく。

 北股岳は力強い全景を見せ、その左に美しいアーチがかかる。この山には力強さと美しさの両方が備わっている。
 いったん霧で隠れていた大日岳は快晴の秋空の下に力強くたたずんでいる。それは深緑で底の広いトライアングルの姿をしていて、やはりこの大日岳がいちばん華麗かつ威厳があると思う。
天狗岳付近から見る飯豊本山
夕日と北股岳
 笹ヤブの中の梶川峰の三角点
 北股岳の頂上の鳥居と祠
 西大日岳の白い二等三角点
 ハハコグサ
 ハクサンイチゲ
 ミヤマリンドウ
ウサギギク
ウメバチソウ
マツムシソウ
D1  5:56 飯豊山荘脇P発  7:44 湯沢峰1,021m  9:15 五郎清水10:55 梶川峰・頂上標識11:05 梶川峰・三角点1,692m12:20 扇ノ地神1,889m(主稜線)13:17 門内岳1,887m14:43 北股岳15:25 梅花皮小屋・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・登り9時間29分 (2002年、登り9時間52分)D2 3:11 梅花皮小屋発  3:46 梅花皮岳2,000m  4:18 烏帽子岳2,018m  5:43 御手洗ノ池  6:30 天狗ノ庭  7:32 御西小屋  9:14 大日岳10:09 西大日岳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・登り6時間58分10:34 西大日岳発11:27 大日岳13:09 御西小屋13:43 天狗ノ庭15:20 御手洗ノ池17:12 烏帽子岳17:55 梅花皮岳18:24 梅花皮小屋・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・往復15時間13分 (2002年、大日岳まで往復11時間12分)D3  6:40 梅花皮小屋発  7:23 北股岳  8:47 門内岳  9:31 扇ノ地神10:15 地神山1,850m10:45 地神北峰1,790m11:33 丸森峰13:06 夫婦清水15:08 飯豊山荘脇P・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・下り8時間28分 (2002年、下り6時間54分)

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予定通り4時に起きて5時前に道の駅を出る。まだ真っ暗な道の駅の上に朝焼け。R113から立体左折路をぐるっと回って県道15&260を南下すると、後に数台がくっついてくる。道を譲ってゆっくり行けばよかったのだが、そのまま先頭を走って飯豊山荘Pに入る。ここはさすがに車が多いが、スペースはまだある。少し奥に駐車し、ゆっくり準備して歩き始める。駐車場にはキンミズヒキ。紫色はタツナミソウかな。前にここに来たのは石転雪渓を登った2004年だから、15年ぶり。梶川尾根に登ったのは2002年だから17年ぶり。そのときに通り過ぎてしまって探した梶川尾根登山口は今回はすぐに分かり、登山者カードを出していく。「登山届出所」の小さな小屋の外に待っている人がいたが、その夫婦は梶川には登ってこなかった。たぶん石転雪渓はもう登れないだろうから、ダイグラ尾根を登ったのだろうか。2002年には途中でへばってしまった梶川尾根だが、今回はトレーニングの成果で北股岳まで(前回10時間を)7時間で登れると見た(結局、9時間半)。それにしても最初からすさまじい急登。眼下の車道や飯豊山荘がみるみる眼下に低くなっていく。もう9月なので花には期待しておらず、梶川尾根で最初に見たのはピンクのママコナにアキノキリンソウ。長いヒゲの花はホツツジらしい。一人旅なのでウォークマンを起動。ジェネシスを最初から。途中で立ち止まっていた三人の先に行くが、その三人はすぐ背後に追いついてきたので道を譲ろうかなと思うと、また休止しているようなので、先に進む。そうしているうちに突然、目の前の樹間にあの梅花皮岳と北股岳のつくるアーチが見える。これは2002年にここを登って一番心に残った景観だ。すばらしい自然の造形美を目に焼き付ける。その少し先の湯沢峰の頂上からはアーチが更に良く見え、その左(南)に飯豊本山も見えていたが、飯豊本山は平べったい丸い山に見えており、2002年にはそれが飯豊本山だとは気付かなかったに違いない。飯豊本山の左に見えるのはダイグラ尾根の上の宝珠山、右に見えている平べったい山は駒形山のようだ。まだ元気なので休まずに先に進む。いったん下りとなり、登り返していく。

滝見場の分岐標示があり、そちらに寄ってみる。そこからはあの梅花皮岳と北股岳のアーチに加え、そのアーチに向かう石転沢の雪渓が見えていた。青空と重厚な緑の山の斜面にかかる一本の白い線。雪渓はもうだいぶ小さくなっているようで、登れそうもない。一方、滝見場から見えるはずの梅花皮大滝は樹木に遮られてさっぱり見えず、滝見場の背後の斜面を少し登ったところからわずかに大滝の一部が見えていた。分岐に戻ると、さっきの三人が滝見場に向かわずに先に行く。やはり私より先に行きたかったのか。今度は別の三人が追いついてくるが、彼等も少しやっかいな段差や登りにくい箇所があると遅れるので、多少経験の多いらしい私がリードを保つ。だが、単調な道になると間を詰められ、五郎清水に着いて最初の休憩。パンとポカリの前に、五郎清水まで行ってみるが、歩きにくい急坂をだいぶ下ったところにあった。手ですくって4杯ほど飲むと、えらく冷たかった。さっきの三人は水を汲みに降りてきたが、両手にペットボトルを持って降りてくるというのはだいぶ危なっかしい。水場は危険がいっぱいなのだ。五郎清水への途上から、はるか眼下に飯豊山荘と駐車場の一角が見えていた。濃い紫色のオヤマノリンドウに黄色いニガナ。五郎清水からも急登は続き、背後の眼下に見えていたのは倉手山だろうか。次第に傾斜が緩くなり、梶川峰の手前で、梅花皮大滝の見える展望所があった。最初の滝見場から見えていたのは大滝の中段、二つ目の展望所から見えていたのは下部のみだったようだが、数段・数本に分かれて流れ落ちている大滝の姿を見ることができた。オヤマノリンドウにコゴメグサを見る。

梶川峰の頂上標識はハイマツと笹の切り分けの道の途中に現われる。そこは、へばってしまった2002年にハイマツの上に横になって休んだ思い出の場所。今回は、そこにあるはずの三角点を探す。GPSには三角点マークが出ているが、頂上標識よりも数十メートル東のようである。ハイマツの中ではなさそうなので、登山道を引返し、登山道脇の深い笹の中に潜り込み、ほぼGPSの示す地点に二等三角点を発見。こんな笹ヤブの中に放置されているとは。まわりをきれいにしておきたいところだが、強烈な笹ヤブを取り除くのは素手では無理なので、そのままにしておく。誰かが周囲を刈り払いしてくれることを望む。かわいそうな二等三角点。梶川峰の頂上標識のところではバナナを食べる。視界が広がり、北には朝日連峰、北東には蔵王連峰、東には吾妻連峰。ここから見る大朝日はまるっこい形。北股岳は力強い全景を見せ、その左に美しいアーチがかかる。この山には力強さと美しさの両方が備わっている。梅花皮岳の左(南)には烏帽子岳が見え、その左(東)に見えているのは飯豊本山とダイグラ尾根だ。飯豊本山と駒形山は双耳に近く見えており、ダイグラ尾根の上の宝珠山の三つの峰、千本峰らしい二つの峰、休み場の峰はその下の目立たないピークだろうか。それにしても青空にすばらしい絶景。2002年はこの後、主稜線に上がった時は霧に包まれてしまったが、今回はどうだろう。梶川峰で休んでいるときに2~3のパーティが先に行く。そこから主稜線まではすぐ近くに感じたが、実際には遠かった(1.5㎞弱)。今度は北の視界が開け、主稜線の地神山や朳差岳が見えてくる。ゆっくり歩けばいいのだが、背後に迫る人の気配を感じるといつの間にか足が早まる。だが、この稜線でマツムシソウやオヤマノリンドウ、それにコゴメグサを見たと思う。

主稜線の扇ノ地神は2003年に北の胎内方面から来たことがあるから、2度目。当時もだいぶかすれていた木標の文字は読めなくなっており、代わりに道標と共用の頂上標識があった。そこからは西に二王子岳、そして大日岳の横長の姿が見えていた。この横長の大日岳の西にある二つのピークが西大日岳と薬師岳。今回はその二つがターゲットだが、梅花皮小屋から10㎞のかなたにある。それらよりももっと手前には、二ツ峰の尖ったピークが目立っており、それは門内岳から胎内まで続く胎内尾根の途中にあるのだが、昔はそこにあったらしい尾根道は今はもう失われているらしい・・・・・と思ったら、昨年(2018年)7月と8月にそこを辿った記録が載っていた。「40年前に国体で切り開かれた・・・」とあるが、どんな感じなのだろう。楽ではなさそうだ。不思議なことに、門内岳の一つ手前のピークに胎内山の石の頂上標識がある。地図には載っておらず、そこは胎内尾根の起点ではないのに、なぜだろう。門内岳に登る途中にある門内小屋の手前に分岐があり、左(東)に湿原と道があり、そこを歩いている人がいたので、寄ってみる。ちょうど休もうと思っていたので、ザックを下ろし、人が歩いて行った道を北東に辿り、湿原の東側の尾根を越えてゆくと、東斜面に水場があった。門内小屋の水場で、水量は多くはないが、両手で受けて4杯ほどいただく。帰りに道脇に咲いていた薄紫の小さな花はミヤマリンドウのようだ(ガクが花びらのように開いている。イイデリンドウはガクが直立)。門内小屋のすぐ下にはテント場があり、3日目にはそこにテントを張っている人がいた。門内小屋の正面には鐘がぶらさがっており(鳴らさず)、女子トイレの前になぜか濃いピンクのフウロが咲いていた。門内岳の頂上には立派な石の頂上標識と赤い祠があるのでお参り。そこから西に胎内尾根が派生しているのだが、踏み跡らしきものは見当たらない。

門内岳から北股岳までは長かった(約1.8㎞)。慰霊碑のある1,880m峰の手前に小さな池。1,880m峰の先のコルからの緩い登りを淡々と登っていると、背後に登山者を感じ、足が早まる。この道ではハクサンイチゲとウメバチソウを見る。同じような白い花だが、ハクサンイチゲは黄色い中心部と真っ白な花びらのツートン・カラー、ウメバチソウは小さな葉っぱにアンバランスな大きな白い花。この二つはこの後も何度も見た。一方、チングルマは咲き残りを少し見ただけ。ウォークマンのバッテリーが切れ、この日はそこまで。追いついてきた二つのパーティ(一人と三人)より少し前に北股岳頂上に到達。そこには昔と同じ、鳥居と祠と三角点があった。昔馴染みの里に戻ってきたような、とてもなつかしい気分にひたる。ザックを下ろしてお参り。そこからの見ものは、切れ落ちた東斜面に下の石転沢。はるか下に、崩壊した雪渓が残る石転沢が延々と連なっている。その左(北)には、まさに今日登ってきた梶川尾根。湯沢峰はずいぶん低く見えている。その上に見えている飯豊本山は、駒形山と共に美しい双耳の形になっている。やはり飯豊本山はこの駒形山との双耳の形が一番美しいと思う。頂上から南西方向には「おういんの尾根*」に下る踏み跡があるが、横に渡されたヒモで封鎖されていた。ここは2016年まで登った記録があるが、その後、加治川ダムから湯ノ平までの道が崩壊・通行不能になっているらしい。もうここを歩くこともなかろう。結局、二つのパーティには先を越されたが、急いだのはテント場のスペースがなくなっているかもしれないからだった。梅花皮小屋まで下ると、小屋の手前にテントが数張見えたが、スペースはまだあった。前回(2003年)にテントを張った小屋の南側に行くと、そこは小石がたくさんあって不向きに見え、しかもさっきの三人が先に陣取っていた。谷側の小さなスペースにはもうテントが張ってあり、その少し先の、登山道脇に狭いスペースを見つけ、ザックを下ろす。平で、スペースはぎりぎり十分。もう少し先まで登山道を登ってみるが、使えそうなところは無かった。その途上で黄色い小さなハハコグサを見る。

*おういん尾根: もう登れまいと思っていたおういん尾根を、なんと今年(2019年)7月に登っている人がいた。片道20㎞強にMTBを使い、早朝3時発、12時半に北股岳、20時半帰着という、スーパー日帰り登山。登山口にずいぶん近い所に住んでいるということらしいが、吊橋が通れない場合の渡渉準備をし(吊橋は渡れた)、ハチに刺されながらも登り続け、頂上の鳥居が見えたときは泣きそうだった、というのは感動的。ずいぶん事前準備したうえの登山だったのだろう。心から拍手。(2109年7月21日、YAMAPカネゴン)

テントを張って中にもぐりこむと、もう16時半。すぐに暗くなってしまうので、ビショルドを読むのは諦め、食事にする。すぐ近くにある治二清水は大量の水がほとばしっていて、2リットル水袋にたっぷり入れる。白米にお湯を入れ、野菜を煮込んでソーセージを刻んで入れ、雑炊にして食べる。最近の定番。食事を終わり、カフェオレを2杯ほど飲み、小屋の水洗トイレに行き、就寝。食事中に夕日を写しに梅花皮岳方面に登っている人がおり、トイレに行ったときに小屋の北に見に行く。もう夕日は落ちていたが、西の空には夕焼けの赤い筋。北股岳は黒いシルエットだったが、背後の梅花皮岳はアーベントロートに赤く染まっていた。初日は少し遅れたが、まずまずだった。明日が勝負。

 

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前日の夕方は冷たい風が吹き、憂鬱だった。汚れたレインウェアを着込んでシュラフに入るが、せっかく持って行ったダウンを着るべきだった。夜中に目が覚めるとやけに明るい。トイレに外に出てみると、満月が輝いていた。晴天なので星も見えていたが、月明かりでサソリらしきのは良くわからず。カシオペアは分かった。翌朝は予定通り2時起床。西大日・薬師岳まで片道10㎞に往復14時間とみて、3時発、17時帰着の予定。夕食のときは風で火が点かないのでテントの中で火を点けて、外で湯を沸かしたが、朝はテントの中で湯を沸かし、カップ麺とカフェオレ2杯を飲む。ミニカップ麺(105円?)よりも安い(98円)ので買った普通サイズのカップうどんは全然おいしくなかった。これじゃあ98円でも買えないな。明け方は霧で包まれていたが、ヘッドランプで出かけるときはまた晴れていて、シルエットの北股岳や梅花皮岳が月光に浮かんでいた。つづら折りを登って梅花皮岳に到着。まだ暗く、梅花皮小屋のヘッドランプが見える。向こうもこっちのヘッドランプに気づいただろうか。次の烏帽子岳はすぐ隣に見えるが、結構、距離がある。歩いているうちに次第に朝焼けやモルゲンロートが広がる。裸眼で赤くなる頃には、デジカメで撮るともう明るくなってしまうので、まだ暗いうちに撮影すれば赤い空を写すことができる。今回はどうだろう。飯豊本山のあたりに日の出が上がりそうだ。烏帽子岳頂上にはだいぶ地表の上に出た三角点。もう四方が見渡せ、横長の大日、小屋のある御西岳、双耳の本山、前日に登った梶川尾根などを何度も写す。朝日連峰も見えているが、じきに見えなくなるだろう。

烏帽子岳のあたりでは稜線は南東方向に向かっており、二つのマイナーピーク(1,990mと1,960m)の先で南に向きを変えていく。その二つのマイナーピークのコルに下ると涸れた池があるが、往路では暗くて気づかなかったと思う。マイナーピーク1,960mの先は大きく下り、東斜面に残雪が残っているコル1,850mから少し登り返すと草原があり、二つ目の池があった。このあたりで日の出。飯豊本山の左、ダイグラ尾根の宝珠山のあたり。二つ目の池のあるマイナーピーク1,860mから少し下り、登り返した次のマイナーピーク1,850mの上も草原で、三つ目の小さな池があった。この池は地図には出ていない。そこからコル1,840mに下っていくと、眼下に広いカール地形が広がっていて、緑のカールの中に咲いている白い花の群落はトウキのようだ。ここは15年前に間違ってカール底に下ってしまい、苦労して登り返した地形のようだ。登山道の西側に四つ目の池があったが、これも地図には出ていない。カールの西壁をトラバースしてゆき、「オグニ」と印刷された指導票の脇を登り返したところがP9・1,856mで、その頂上東側には、大きな御手洗ノ池があった。狭い稜線いっぱいに水をたたえている。このあたりで見た薄青色のリンドウはガクが開いているのでミヤマリンドウらしい。ウサギギクも咲いていた。御手洗ノ池から天狗ノ庭までは距離1.5㎞、標高差50mくらいだが、1時間弱。このあたりでこの日初めて人に会う。白いコゴメグサに薄紫のツリガネニンジンに黄色いキンポウゲ。天狗ノ庭というのは天狗岳1.979mの手前にあるP10・1,930mの東側に広がる池のある草原で、カールのようにも見える。保全作業が行われて立入禁止になっているので、昔は中に入れたのだろう。どんな花が咲いているのか気になる。木道でも敷いてくれないかな。ところで、天狗岳というからにはそれらしい形をしているはずだが、天狗岳1,979mそのものは平べったい山で天狗とは言えない。その手前、天狗ノ庭のあるP10・1,930mは、さきっぽが丸い少し傾いた形をしており、「鼻」のようにも見える。天狗岳1,979mの頂上に立ってみたかったが、登山道は頂上の20mほど東側をトラバースしている。笹ヤブを掻き分けて登れないこともないと思ったが、笹ヤブは結構手ごわそうに見え、どうせ頂上に立っても三角点がある訳でなし。ちょうど向こうから人もやってきたので、頂上には登らずに御西小屋に向かう。

結局、梅花皮小屋から御西小屋まで一度も休まずに歩き通した。夜明け前は涼しかったので良かったが、夜明け後は日差がきつく、御手洗ノ池か天狗ノ庭で少なくとも1回は休むべきだったと思う。御西小屋でザックを下ろしたときは、ややぐったりだった。御西小屋周辺は賑やかで、テントをたたんでいるパーティ、食事中のパーティ、そして次々に大日岳に向かうパーティ。もう大日岳から戻ってくる人たちもいる。気がはやるが、ここはじっくり休むべし。夜明け前の寒いときから着たままのレインウェア上下を脱ぎ、パンを食べ、サングラスを出す。この日は曇時々晴の予報だったと思うが、その通りに晴れたり曇ったりだった。ただし、晴間の日差は夏の日差だった。御西小屋の水洗トイレは改修中ということで、野外の古いトイレが使用されていた。閑散としていた梅花皮小屋からの道に対し、大日岳への道は賑やかで、行く手には登る人たち、下る人たちが見え、背後からは足自慢の人たち(単に私の足が遅いのだが、)が迫り、何度も道を譲る。いったん霧で隠れていた大日岳は快晴の秋空の下に力強くたたずんでいる。それは左に牛首山を従え、深緑で底の広いトライアングルの姿をしていて、やはり御西小屋方面(もしくは飯豊本山方面)から見るこの大日岳がいちばん華麗かつ威厳があると思う。尾根道の北斜面の下にある大きな文平ノ池を過ぎると登り返しとなり、急ぎ過ぎないようじっくり登っていると、次々に単独の人や女性パーティ、更に数人パーティなどが追いついてきて、先に行ってもらう。そうして、大勢で賑わう大日岳頂上に到達。ここには三角点はないが、頂上標識の木柱は10数年前に見た古いものから取り替えられていたようだ。GPSによると大日岳の標高点2,128mは頂上標識の地点よりも東側にあり、そのあたりを歩いている人もいた。たぶんその最高点のあたりは狭いので、広いところに頂上標識を立てたのだろう。まあ、三角点がないのでは、どこに頂上を設定してもいいのだろうが、頂上標識の地点よりも高いところが明らかなのは如何ともしがたい。

大日岳の頂上ではバナナを食べ、それからアームバンドとガーデン手袋をはめ、西大日に向かう。北股岳方面から見た西大日は横長の大日岳の西側にある平坦なピークにすぎないが、大日岳頂上から見る西大日はすっきりした底の広いトライアングルの形をしている。そこに至る稜線には微かな踏み跡が認められ、それを辿って西大日に登ったのは15年前(2004年)だった。当時参考にしたヤマケイ地図の解説には、西大日の先にある薬師岳までは行けるとあったが、15年前は西大日までしか行ってない。よって今回は薬師岳が新たなターゲット。西大日から薬師岳までは400m弱しかないが、その稜線はハイマツで覆われていた記憶がある。大日岳から西大日に向かう踏み跡を進むとすぐにハイマツに遮られる。15年前はハイマツを掻き分けてその中にある微かな踏み跡をたどったが、今回はそのハイマツを右(北)に迂回する新たな踏み跡があったので、それを辿る。つまり、誰か西大日まで登っている人がいるということだ。ならば今回も行けるだろう。ハイマツの裏側で稜線中央に戻ると、大日岳頂上と人々の姿は見えなくなり、静かな旅になる。残雪の残るコルに向かって急な斜面から沢筋の中を下る。その沢筋には草に覆われて底が見えないところに段差があり、最初の段差はうまく着地したが、深そうな二つ目の段差は思ったよりもずっと深く、差し出したスティックも空を切り、いっぱいに伸ばした右足も踏み込めず、斜め右前にひっくり返る。無理に手を使うと痛めるので、背中のザックで着地だが、メガネバンドをはめたメガネが取れそうになる。少し頭がくらくらしたが、頭はどこも打ってはいない。まあ、大過なしだが、気をつけなくては。実は、この段差のところから斜面をトラバースする踏み跡があるのだが、往路ではそれに気づかず、コルまで下り、そこから稜線に登り返す。だが、登り返した残雪の上の斜面にミヤマリンドウとウサギギクがたくさん咲いていた。

稜線に登り返すと踏み跡があり、その踏み跡は稜線の上もしくは稜線の少し左(南)に途切れながらも続いており、稜線上の草原や小さな池の近くを通り、最後は稜線の左側(南側)から西大日岳の頂上に至る。そこには真っ白な二等三角点とだいぶ風化したケルンがあった。15年ぶりの三角点に再会して感激。だが、すぐに薬師岳に向かう。稜線上にはハイマツが待ち構えており、踏み跡は見当たらない。稜線の左右は笹ヤブで覆われているが、左(南)の笹ヤブに切れ目があり、その先に踏み跡を期待して笹ヤブに突入。だが、そこに踏み跡はなかった。背丈ほどの笹ヤブの中を稜線まで登り返すとハイマツと灌木が混じってくるが、その中に踏み跡を発見。その踏み跡は稜線のほぼ中央をハイマツの真ん中を進んでいた。その踏み跡を辿れば薬師岳まで行けるだろう。だが、相当に時間がかかるだろう。そこで、今回も諦めることにする。残念。踏み跡を辿って西大日の頂上に戻る。踏み跡は頂上からまっすぐ稜線を進んでいたが、枯れた灌木が邪魔していて踏み跡はほとんど分からない。西大日の頂上にザックを下ろし、3度目の休憩をとって帰路につく。大日岳から西大日に向かう頃から霧が出始め、谷から上がってきた霧がすっかり周囲を隠してしまい、しばらくするとまた晴れて大日岳が見えている。それが何度も繰り返され、冷たい風に吹かれたり、夏の日差にあぶられたりを繰り返したが、帰り道は順調で、コルの手前でミヤマリンドウの斜面にもう一度寄り、そこから稜線右(南)の踏み跡をたどり、ひっくりかえった段差のところから沢筋を登り返す。最後のハイマツのところも往路と同様に迂回し、戻ってきた大日岳頂上には男性が一人。その人は「西大日まで行ってきたんですか」と感心した口ぶりで話してくれた。すると、西大日のことを知っている人はいるのだ。この日、私以外にも西大日まで行った人はいたのだろうか。

大日岳への登山道は稜線の南側をトラバースして登ってきて、最高点と思われる東端を迂回して頂上標識のところに出ているが、帰りにはその最高点まで行ってみる。GPSの標高点2,128mは頂上稜線の東端にあり、低いハイマツを踏んづけて越えていく。その間に、別の人たちが大日岳に登ってきた。私は彼等と入れ替わりに大日岳を下っていく。立ちくらみになったのは、下り切ったところから御西小屋までの登り返しのところで、あと600mくらいのところ。ゆっくり登ればいいのに、ややオーバーペースで登り、足も上がるのだが、日にあぶられていて熱中症ぎみになっていたのかもしれない。立ちくらみから回復して歩きだすと、今度は急に肩が痛みだし、とても歩いていられなくなってザックを下ろし、横になって休憩。御西小屋でももう一度休憩した。御西小屋はだいぶ閑散としていたが、数人の人たちがいた。夏の日差をあびて熱中症ぎみだったのに、大日岳からの下りで少し飛ばし過ぎたのが立ちくらみの主因だろうが、西大日への途上でひっくりかえって頭がくらくらしたのも影響したかもしれない。こんな状態で梅花皮小屋まで戻るのは憂鬱だったが、御西小屋に泊まろうとは思わなかった。この日は雨が降らなかったのが幸いで、御西小屋から梅花皮小屋までの6km弱を1kmづつ6区間に分け、こまめに休憩をとっていく。歩き始めるとすぐに北からやってくる人に会い、その後も北から御西小屋方面に向かうパーティにいくつも会ったが、梅花皮小屋方面に向かう人には全く会わなかった。最初に休んだのは天狗ノ庭の標識のあるスペース、二つ目は御手洗ノ池の標識スペース。ペースは遅いが調子は悪くないので次は烏帽子岳まで歩き、登り返す。いったん見えなくなった夕方の太陽が再び見え、夕焼けの赤い光に北股岳の黒いシルエット。

烏帽子岳から梅花皮岳に行くまでにどんどん暗くなり、背後の烏帽子岳がアーベントロートの代謝色に染まり、西の地平線には夕焼けの赤い線。その下にわだかまっている雲の中で輝いていた夕日が落ちる前に、朝は真っ暗だった梅花皮岳頂上に着き、切れ落ちた東の崖下を覗いてみる。そこから下る間に夕日は落ち、テントに着いたときはもう薄暗く、とりあえずヘッドランプを出して小屋のトイレに行く。小屋の北側のテントサイトは空になっていたが、南側のテントは4つとも残っていた。とりあえず着替え、ダウンの上を着込み、シュラフにもぐりこんで寝る。夕食のために起きたのはもう深夜過ぎ。食欲はなかったが、食べないと力がでないだろうし、荷物も減らない。ナポリタンは全然うまくなく、いつもはおいしい野菜スープもおいしく感じなかったが、全部食べてから就寝。カフェオレを2杯飲もうと思ったら、前日に4杯分使っていてもう2杯分しか残ってないのに愕然。朝のために二つとも残し、水バッグから直接、水を飲む。

 

D3

ぐっすり眠れずに何度か目覚めるが、パラパラと音がし始めたのが雨のようなので、すっかり憂鬱になる。だが、起きたときには止んでいた。不幸中の幸い。アラームの4時起床を5時起床に変えていたが、3時頃から人が動きだし、4時のアラームが鳴る直前に起床。さっき食べたばかりなのでカフェオレだけにしようかとも思ったが、やはりカップ麺も食べる。今度のカップ麺は肉そばだったが、やはりおいしくない。肉といっても小さなパサパサした玉。他の人たちは私よりも早く、食事中に梅花皮岳に向かった人が二人ほど、その他の人たちは皆、北股岳方面に向かったようだ。濡れたテントをポールを張ったまま持ち上げて水を落とし、ザックに収納し終えるころには、最後のテントの三人が出かけていく。私が歩き始めたときに残っていたのは小屋に一人で、その人には門内岳頂上で追いつかれた。まず北股岳へ登り、最初の休憩。祠のところに小さな犬の人形が二つ置いてあるのに気づく。普通の犬のように見えるが、やはり狛犬なのだろうか。この頃はまだ高曇りで、本山や梶川尾根が見えていた。その向こうには朝日連峰の黒いシルエット。月山も見えている。北股岳から下っていくと、咲き残りのウスユキソウや紫色のイワギキョウ?を見つける。門内小屋のテント場でテントを収納している人がいて、その人には胎内山のあたりで追いつかれる。扇ノ地神の手前の分岐付近で追いついてきたパーティは梶川尾根への巻道の方に行き、私は扇ノ地神に登って地神山に向かう。地神山に向かう頃からまた雲が広がって周囲の景色が閉ざされ、すっかり霧の中になって地神山頂上に到達。二等三角点。小さな薄紫の細長いリンドウのような花。

地神北峰から丸森尾根に下る。最初は草斜面の中の沢筋のような細いガレ沢。ガレは大雨のときは動いているらしく、動く石があって歩きにくい。細いガレ沢は草斜面の上をうねり、時に斜面に並行にすすみ、再び太さを増して草斜面を下る。斜面に並行の部分は人が作ってガレ沢をつないだものなのだろうか。更にやっかいなのは土の急斜面や段差で、縦に細くえぐれた斜面や段差の足場は削れてしまっていて、灌木や枝を掴んで下降する。白い花はイワイチョウかな。それにシロバナニガナ。ようやくガレ沢はコルに下り、正面に見えていた低い丸いピークに登り返すと、笹の切り分け道の中に丸森峰の頂上標識があった。丸森尾根を三分の一弱、下ったことを確認し、4度目の休憩。困ったことに肩が痛くなってきた。休憩はあと1回と考えていたが、結局4回ザックを下ろす。霧雨が若干強くなってきた感じなので、タフを出してイクシーと並べて首からかける。花のみイクシーを使う。林の中の道は雨はしのげるが、段差箇所が数十メートルごとに出てくるのがやっかい。急斜面トラバースにはロープが備え付けてあるところもあったが、他はロープや鎖は一切なし。ワイルドな道だ。そのワイルドな道を延々と下っていったんM3・1,077mに少し登りかえし、再び下るところで、霧雨の中を登ってくるパーティに遭遇。この天気なのに今から登るとは。若い男女(3~4人)で、彼等もレインウェアは着ていなかった。そしてたどり着いた平坦な広場に夫婦清水の標識が立っていた。ここは15年前に梅花皮小屋から同じように下り、最初は雨だったが途中で晴れ、昼食を食べた記憶がある。だが、その時は水場までは行ってなかったので、今回は行ってみる。水場は少し下ったところにあり、手ですくって飲むが、水量は多くはない。残りは2km弱ということで元気に出発するが、雨が強くなってきたため、標高930m付近でザックを下ろし、レインウェアの上のみを着る。カギ型のトモエシオガマ。終盤で見たのは長いヒゲのホツツジと赤いマルバハギ。

細尾根の下りとなり、登り返したピークがM1・765mだと思ってザックを下ろすが、そこはまだM1の手前のM2・760m?だった。この先、M1やM2以外にもマイナーピーク多数。やっかいな岩場や木の根の急斜面の下りあり。M3のあたりからずっと沢の音が聞こえており、南の湯沢からの水音が大きくなるが姿は見えず、M1の先で初めて大きなダムが落ちているのを見る。尾根の北の林の中に見えていた二つの建物は何だろう。更に下り、突然、樹間に駐車場が見え、行く手に車道が見え、ついに登山口に到達。それは飯豊山荘入口の真正面だった。三日前に満車に近かった駐車場の車は数台のみ。飯豊山荘にも数台のみで、一人が飯豊山荘から出ようとしている。今朝、山から下ってきた人たちは皆、午前中か昼過ぎ頃に降りてきて、風呂に入って帰ってしまったのだろう。車に戻り、もう15時半になっていたのはショックだったが、仕方ない(2002年の7時間より1時間半も遅い)。また体を鍛えて出直しだ。ゆっくり片づけて車に乗り込み、カーナビを設定していると、丸森尾根から降りてきたらしいパーティが南の駐車場の方に歩いて行った。私よりも遅い人たちがいたわけだ。飯豊温泉では源泉かけ流しの風呂を独り占めしてゆっくり温まる。露天はないが、建物の内装はきれいで、泊まってみたくなる宿だった。

D1

キンミズヒキ


タツナミソウ?

小さな登山届出所

梶川尾根登山口

尾根を登る

初めて見えた北股岳とアーチ

初めて見えた飯豊本山

湯沢峰の頂上標識

ダイグラ尾根

滝見場から見る北股岳とアーチと石転雪渓

滝見場の分岐標示があり、そちらに寄ってみる。そこからはあの梅花皮岳と北股岳のアーチに加え、そのアーチに向かう石転沢の雪渓が見えていた。青空と重厚な緑の山の斜面にかかる一本の白い線。雪渓はもうだいぶ小さくなっているようで、登れそうもない。一方、滝見場から見えるはずの梅花皮大滝は樹木に遮られてさっぱり見えず、滝見場の背後の斜面を少し登ったところからわずかに大滝の一部が見えていた。分岐に戻ると、さっきの三人が滝見場に向かわずに先に行く。やはり私より先に行きたかったのか。今度は別の三人が追いついてくるが、彼等も少しやっかいな段差や登りにくい箇所があると遅れるので、多少経験の多いらしい私がリードを保つ。だが、単調な道になると間を詰められ、五郎清水に着いて最初の休憩。パンとポカリの前に、五郎清水まで行ってみるが、歩きにくい急坂をだいぶ下ったところにあった。手ですくって4杯ほど飲むと、えらく冷たかった。さっきの三人は水を汲みに降りてきたが、両手にペットボトルを持って降りてくるというのはだいぶ危なっかしい。水場は危険がいっぱいなのだ。五郎清水への途上から、はるか眼下に飯豊山荘と駐車場の一角が見えていた。濃い紫色のオヤマノリンドウに黄色いニガナ。五郎清水からも急登は続き、背後の眼下に見えていたのは倉手山だろうか。次第に傾斜が緩くなり、梶川峰の手前で、梅花皮大滝の見える展望所があった。最初の滝見場から見えていたのは大滝の中段、二つ目の展望所から見えていたのは下部のみだったようだが、数段・数本に分かれて流れ落ちている大滝の姿を見ることができた。オヤマノリンドウにコゴメグサを見る。

頭上に現われた梶川峰

アキノキリンソウ

五郎清水の入口

眼下の飯豊山荘と駐車場

二つ目の展望台から見る北股岳とアーチ

二つ目の展望台から見る梅花皮大滝

朝日連峰

倉手山

開いたオヤマノリンドウ

梶川峰・頂上標識

梶川峰の頂上標識はハイマツと笹の切り分けの道の途中に現われる。そこは、へばってしまった2002年にハイマツの上に横になって休んだ思い出の場所。今回は、そこにあるはずの三角点を探す。GPSには三角点マークが出ているが、頂上標識よりも数十メートル東のようである。ハイマツの中ではなさそうなので、登山道を引返し、登山道脇の深い笹の中に潜り込み、ほぼGPSの示す地点に二等三角点を発見。こんな笹ヤブの中に放置されているとは。まわりをきれいにしておきたいところだが、強烈な笹ヤブを取り除くのは素手では無理なので、そのままにしておく。誰かが周囲を刈り払いしてくれることを望む。かわいそうな二等三角点。梶川峰の頂上標識のところではバナナを食べる。視界が広がり、北には朝日連峰、北東には蔵王連峰、東には吾妻連峰。ここから見る大朝日はまるっこい形。北股岳は力強い全景を見せ、その左に美しいアーチがかかる。この山には力強さと美しさの両方が備わっている。梅花皮岳の左(南)には烏帽子岳が見え、その左(東)に見えているのは飯豊本山とダイグラ尾根だ。飯豊本山と駒形山は双耳に近く見えており、ダイグラ尾根の上の宝珠山の三つの峰、千本峰らしい二つの峰、休み場の峰はその下の目立たないピークだろうか。それにしても青空にすばらしい絶景。2002年はこの後、主稜線に上がった時は霧に包まれてしまったが、今回はどうだろう。梶川峰で休んでいるときに2~3のパーティが先に行く。そこから主稜線まではすぐ近くに感じたが、実際には遠かった(1.5㎞弱)。今度は北の視界が開け、主稜線の地神山や朳差岳が見えてくる。ゆっくり歩けばいいのだが、背後に迫る人の気配を感じるといつの間にか足が早まる。だが、この稜線でマツムシソウやオヤマノリンドウ、それにコゴメグサを見たと思う。

笹ヤブの中の梶川峰・三角点

北股岳

飯豊本山

初めて見えた朳差岳

初めて見たマツムシソウ

尾根終点の扇ノ地神とトンボ

初めて見えた大日岳(中央)

地神山

扇ノ地神の頂上

主稜線の扇ノ地神は2003年に北の胎内方面から来たことがあるから、2度目。当時もだいぶかすれていた木標の文字は読めなくなっており、代わりに道標と共用の頂上標識があった。そこからは西に二王子岳、そして大日岳の横長の姿が見えていた。この横長の大日岳の西にある二つのピークが西大日岳と薬師岳。今回はその二つがターゲットだが、梅花皮小屋から10㎞のかなたにある。それらよりももっと手前には、二ツ峰の尖ったピークが目立っており、それは門内岳から胎内まで続く胎内尾根の途中にあるのだが、昔はそこにあったらしい尾根道は今はもう失われているらしい・・・・・と思ったら、昨年(2018年)7月と8月にそこを辿った記録が載っていた。「40年前に国体で切り開かれた・・・」とあるが、どんな感じなのだろう。楽ではなさそうだ。不思議なことに、門内岳の一つ手前のピークに胎内山の石の頂上標識がある。地図には載っておらず、そこは胎内尾根の起点ではないのに、なぜだろう。門内岳に登る途中にある門内小屋の手前に分岐があり、左(東)に湿原と道があり、そこを歩いている人がいたので、寄ってみる。ちょうど休もうと思っていたので、ザックを下ろし、人が歩いて行った道を北東に辿り、湿原の東側の尾根を越えてゆくと、東斜面に水場があった。門内小屋の水場で、水量は多くはないが、両手で受けて4杯ほどいただく。帰りに道脇に咲いていた薄紫の小さな花はミヤマリンドウのようだ(ガクが花びらのように開いている。イイデリンドウはガクが直立)。門内小屋のすぐ下にはテント場があり、3日目にはそこにテントを張っている人がいた。門内小屋の正面には鐘がぶらさがっており(鳴らさず)、女子トイレの前になぜか濃いピンクのフウロが咲いていた。門内岳の頂上には立派な石の頂上標識と赤い祠があるのでお参り。そこから西に胎内尾根が派生しているのだが、踏み跡らしきものは見当たらない。

胎内山

門内岳と門内小屋

トリカブト

二ツ峰

ミヤマリンドウ

キンポウゲ

ヤマハハコ

門内小屋の鐘

門内岳の頂上

ハクサンイチゲ

キジムシロ(ミツバツチグリ?ヘビイチゴ?)

北股岳の頂上

門内岳から北股岳までは長かった(約1.8㎞)。慰霊碑のある1,880m峰の手前に小さな池。1,880m峰の先のコルからの緩い登りを淡々と登っていると、背後に登山者を感じ、足が早まる。この道ではハクサンイチゲとウメバチソウを見る。同じような白い花だが、ハクサンイチゲは黄色い中心部と真っ白な花びらのツートン・カラー、ウメバチソウは小さな葉っぱにアンバランスな大きな白い花。この二つはこの後も何度も見た。一方、チングルマは咲き残りを少し見ただけ。ウォークマンのバッテリーが切れ、この日はそこまで。追いついてきた二つのパーティ(一人と三人)より少し前に北股岳頂上に到達。そこには昔と同じ、鳥居と祠と三角点があった。昔馴染みの里に戻ってきたような、とてもなつかしい気分にひたる。ザックを下ろしてお参り。そこからの見ものは、切れ落ちた東斜面に下の石転沢。はるか下に、崩壊した雪渓が残る石転沢が延々と連なっている。その左(北)には、まさに今日登ってきた梶川尾根。湯沢峰はずいぶん低く見えている。その上に見えている飯豊本山は、駒形山と共に美しい双耳の形になっている。やはり飯豊本山はこの駒形山との双耳の形が一番美しいと思う。頂上から南西方向には「おういんの尾根*」に下る踏み跡があるが、横に渡されたヒモで封鎖されていた。ここは2016年まで登った記録があるが、その後、加治川ダムから湯ノ平までの道が崩壊・通行不能になっているらしい。もうここを歩くこともなかろう。結局、二つのパーティには先を越されたが、急いだのはテント場のスペースがなくなっているかもしれないからだった。梅花皮小屋まで下ると、小屋の手前にテントが数張見えたが、スペースはまだあった。前回(2003年)にテントを張った小屋の南側に行くと、そこは小石がたくさんあって不向きに見え、しかもさっきの三人が先に陣取っていた。谷側の小さなスペースにはもうテントが張ってあり、その少し先の、登山道脇に狭いスペースを見つけ、ザックを下ろす。平で、スペースはぎりぎり十分。もう少し先まで登山道を登ってみるが、使えそうなところは無かった。その途上で黄色い小さなハハコグサを見る。

*おういん尾根: もう登れまいと思っていたおういん尾根を、なんと今年(2019年)7月に登っている人がいた。片道20㎞強にMTBを使い、早朝3時発、12時半に北股岳、20時半帰着という、スーパー日帰り登山。登山口にずいぶん近い所に住んでいるということらしいが、吊橋が通れない場合の渡渉準備をし(吊橋は渡れた)、ハチに刺されながらも登り続け、頂上の鳥居が見えたときは泣きそうだった、というのは感動的。ずいぶん事前準備したうえの登山だったのだろう。心から拍手。(2109年7月21日、YAMAPカネゴン)

北股岳から見る大日岳

南に向かう主稜線

おういん尾根への踏跡

梅花皮岳と烏帽子岳

梅花皮岳と梅花皮小屋

テントを張って中にもぐりこむと、もう16時半。すぐに暗くなってしまうので、ビショルドを読むのは諦め、食事にする。すぐ近くにある治二清水は大量の水がほとばしっていて、2リットル水袋にたっぷり入れる。白米にお湯を入れ、野菜を煮込んでソーセージを刻んで入れ、雑炊にして食べる。最近の定番。食事を終わり、カフェオレを2杯ほど飲み、小屋の水洗トイレに行き、就寝。食事中に夕日を写しに梅花皮岳方面に登っている人がおり、トイレに行ったときに小屋の北に見に行く。もう夕日は落ちていたが、西の空にはアーベントロートの赤い筋。北股岳は黒いシルエットだったが、背後の梅花皮岳は赤く染まっていた。初日は少し遅れたが、まずまずだった。明日が勝負。

ハハコグサ

北股岳と夕焼け

アーベントロートに染まる梅花皮岳

夕焼けと北股岳

D2

朝焼けと飯豊本山

前日の夕方は冷たい風が吹き、憂鬱だった。汚れたレインウェアを着込んでシュラフに入るが、せっかく持って行ったダウンを着るべきだった。夜中に目が覚めるとやけに明るい。トイレに外に出てみると、満月が輝いていた。晴天なので星も見えていたが、月明かりでサソリらしきのは良くわからず。カシオペアは分かった。翌朝は予定通り2時起床。西大日・薬師岳まで片道10㎞に往復14時間とみて、3時発、17時帰着の予定。夕食のときは風で火が点かないのでテントの中で火を点けて、外で湯を沸かしたが、朝はテントの中で湯を沸かし、カップ麺とカフェオレ2杯を飲む。ミニカップ麺(105円?)よりも安い(98円)ので買った普通サイズのカップうどんは全然おいしくなかった。これじゃあ98円でも買えないな。明け方は霧で包まれていたが、ヘッドランプで出かけるときはまた晴れていて、シルエットの北股岳や梅花皮岳が月光に浮かんでいた。つづら折りを登って梅花皮岳に到着。まだ暗く、梅花皮小屋のヘッドランプが見える。向こうもこっちのヘッドランプに気づいただろうか。次の烏帽子岳はすぐ隣に見えるが、結構、距離がある。歩いているうちに次第にモルゲンロートが広がる。裸眼で赤くなる頃には、デジカメで撮るともう明るくなってしまうので、まだ暗いうちに撮影すれば赤い空を写すことができる。今回はどうだろう。飯豊本山のあたりに日の出が上がりそうだ。烏帽子岳頂上にはだいぶ地表の上に出た三角点。もう四方が見渡せ、横長の大日、小屋のある御西岳、双耳の本山、前日に登った梶川尾根などを何度も写す。朝日連峰も見えているが、じきに見えなくなるだろう。

日の出

ヨメナ

御手洗ノ池(右後に烏帽子岳)

烏帽子岳のあたりでは稜線は南東方向に向かっており、二つのマイナーピーク(1,990mと1,960m)の先で南に向きを変えていく。その二つのマイナーピークのコルに下ると涸れた池があるが、往路では暗くて気づかなかったと思う。マイナーピーク1,960mの先は大きく下り、東斜面に残雪が残っているコル1,850mから少し登り返すと草原があり、二つ目の池があった。このあたりで日の出。飯豊本山の左、ダイグラ尾根の宝珠山のあたり。二つ目の池のあるマイナーピーク1,860mから少し下り、登り返した次のマイナーピーク1,850mの上も草原で、三つ目の小さな池があった。この池は地図には出ていない。そこからコル1,840mに下っていくと、眼下に広いカール地形が広がっていて、緑のカールの中に咲いている白い花の群落はトウキのようだ。ここは15年前に間違ってカール底に下ってしまい、苦労して登り返した地形のようだ。登山道の西側に四つ目の池があったが、これも地図には出ていない。カールの西壁をトラバースしてゆき、「オグニ」と印刷された指導票の脇を登り返したところがP9・1,856mで、その頂上東側には、大きな御手洗ノ池があった。狭い稜線いっぱいに水をたたえている。このあたりで見た薄青色のリンドウはガクが開いているのでミヤマリンドウらしい。ウサギギクも咲いていた。御手洗ノ池から天狗ノ庭までは距離1.5㎞、標高差50mくらいだが、1時間弱。このあたりでこの日初めて人に会う。白いコゴメグサに薄紫のツリガネニンジンに黄色いキンポウゲ。天狗ノ庭というのは天狗岳1.979mの手前にあるP10・1,930mの東側に広がる池のある草原で、カールのようにも見える。保全作業が行われて立入禁止になっているので、昔は中に入れたのだろう。どんな花が咲いているのか気になる。木道でも敷いてくれないかな。ところで、天狗岳というからにはそれらしい形をしているはずだが、天狗岳1,979mそのものは平べったい山で天狗とは言えない。その手前、天狗ノ庭のあるP10・1,930mは、さきっぽが丸い少し傾いた形をしており、「鼻」のようにも見える。天狗岳1,979mの頂上に立ってみたかったが、登山道は頂上の20mほど東側をトラバースしている。笹ヤブを掻き分けて登れないこともないと思ったが、笹ヤブは結構手ごわそうに見え、どうせ頂上に立っても三角点がある訳でなし。ちょうど向こうから人もやってきたので、頂上には登らずに御西小屋に向かう。

ウサギギク

コゴメグサ

P10(天狗ノ庭ピーク)と天狗岳

天狗ノ庭

ツリガネニンジン

ウメバチソウ

天狗ノ庭と烏帽子岳

大日岳(天狗岳付近より)

牛首山と大日岳(御西小屋より)

結局、梅花皮小屋から御西小屋まで一度も休まずに歩き通した。夜明け前は涼しかったので良かったが、夜明け後は日差がきつく、御手洗ノ池か天狗ノ庭で少なくとも1回は休むべきだったと思う。御西小屋でザックを下ろしたときは、ややぐったりだった。御西小屋周辺は賑やかで、テントをたたんでいるパーティ、食事中のパーティ、そして次々に大日岳に向かうパーティ。もう大日岳から戻ってくる人たちもいる。気がはやるが、ここはじっくり休むべし。夜明け前の寒いときから着たままのレインウェア上下を脱ぎ、パンを食べ、サングラスを出す。この日は曇時々晴の予報だったと思うが、その通りに晴れたり曇ったりだった。ただし、晴間の日差は夏の日差だった。御西小屋の水洗トイレは改修中ということで、野外の古いトイレが使用されていた。閑散としていた梅花皮小屋からの道に対し、大日岳への道は賑やかで、行く手には登る人たち、下る人たちが見え、背後からは足自慢の人たち(単に私の足が遅いのだが、)が迫り、何度も道を譲る。いったん霧で隠れていた大日岳は快晴の秋空の下に力強くたたずんでいる。それは左に牛首山を従え、深緑で底の広いトライアングルの姿をしていて、やはり御西小屋方面(もしくは飯豊本山方面)から見るこの大日岳がいちばん華麗かつ威厳があると思う。尾根道の北斜面の下にある大きな文平ノ池を過ぎると登り返しとなり、急ぎ過ぎないようじっくり登っていると、次々に単独の人や女性パーティ、更に数人パーティなどが追いついてきて、先に行ってもらう。そうして、大勢で賑わう大日岳頂上に到達。ここには三角点はないが、頂上標識の木柱は10数年前に見た古いものから取り替えられていたようだ。GPSによると大日岳の標高点2,128mは頂上標識の地点よりも東側にあり、そのあたりを歩いている人もいた。たぶんその最高点のあたりは狭いので、広いところに頂上標識を立てたのだろう。まあ、三角点がないのでは、どこに頂上を設定してもいいのだろうが、頂上標識の地点よりも高いところが明らかなのは如何ともしがたい。

大日岳

ハクサンイチゲ

マツムシソウ

大日岳と文平ノ池

文平ノ池

大日岳頂上の人々と西大日岳

西大日岳

大日岳の頂上ではバナナを食べ、それからアームバンドとガーデン手袋をはめ、西大日に向かう。北股岳方面から見た西大日は横長の大日岳の西側にある平坦なピークにすぎないが、大日岳頂上から見る西大日はすっきりした底の広いトライアングルの形をしている。そこに至る稜線には微かな踏み跡が認められ、それを辿って西大日に登ったのは15年前(2004年)だった。当時参考にしたヤマケイ地図の解説には、西大日の先にある薬師岳までは行けるとあったが、15年前は西大日までしか行ってない。よって今回は薬師岳が新たなターゲット。西大日から薬師岳までは400m弱しかないが、その稜線はハイマツで覆われていた記憶がある。大日岳から西大日に向かう踏み跡を進むとすぐにハイマツに遮られる。15年前はハイマツを掻き分けてその中にある微かな踏み跡をたどったが、今回はそのハイマツを右(北)に迂回する新たな踏み跡があったので、それを辿る。つまり、誰か西大日まで登っている人がいるということだ。ならば今回も行けるだろう。ハイマツの裏側で稜線中央に戻ると、大日岳頂上と人々の姿は見えなくなり、静かな旅になる。残雪の残るコルに向かって急な斜面から沢筋の中を下る。その沢筋には草に覆われて底が見えないところに段差があり、最初の段差はうまく着地したが、深そうな二つ目の段差は思ったよりもずっと深く、差し出したスティックも空を切り、いっぱいに伸ばした右足も踏み込めず、斜め右前にひっくり返る。無理に手を使うと痛めるので、背中のザックで着地だが、メガネバンドをはめたメガネが取れそうになる。少し頭がくらくらしたが、頭はどこも打ってはいない。まあ、大過なしだが、気をつけなくては。実は、この段差のところから斜面をトラバースする踏み跡があるのだが、往路ではそれに気づかず、コルまで下り、そこから稜線に登り返す。だが、登り返した残雪の上の斜面にミヤマリンドウとウサギギクがたくさん咲いていた。

ミヤマリンドウ

ハイマツのかなたの薬師岳

西大日岳頂上の白い二等三角点

稜線に登り返すと踏み跡があり、その踏み跡は稜線の上もしくは稜線の少し左(南)に途切れながらも続いており、稜線上の草原や小さな池の近くを通り、最後は稜線の左側(南側)から西大日岳の頂上に至る。そこには真っ白な二等三角点とだいぶ風化したケルンがあった。15年ぶりの三角点に再会して感激。だが、すぐに薬師岳に向かう。稜線上にはハイマツが待ち構えており、踏み跡は見当たらない。稜線の左右は笹ヤブで覆われているが、左(南)の笹ヤブに切れ目があり、その先に踏み跡を期待して笹ヤブに突入。だが、そこに踏み跡はなかった。背丈ほどの笹ヤブの中を稜線まで登り返すとハイマツと灌木が混じってくるが、その中に踏み跡を発見。その踏み跡は稜線のほぼ中央をハイマツの真ん中を進んでいた。その踏み跡を辿れば薬師岳まで行けるだろう。だが、相当に時間がかかるだろう。そこで、今回も諦めることにする。残念。踏み跡を辿って西大日の頂上に戻る。踏み跡は頂上からまっすぐ稜線を進んでいたが、枯れた灌木が邪魔していて踏み跡はほとんど分からない。西大日の頂上にザックを下ろし、3度目の休憩をとって帰路につく。大日岳から西大日に向かう頃から霧が出始め、谷から上がってきた霧がすっかり周囲を隠してしまい、しばらくするとまた晴れて大日岳が見えている。それが何度も繰り返され、冷たい風に吹かれたり、夏の日差にあぶられたりを繰り返したが、帰り道は順調で、コルの手前でミヤマリンドウの斜面にもう一度寄り、そこから稜線右(南)の踏み跡をたどり、ひっくりかえった段差のところから沢筋を登り返す。最後のハイマツのところも往路と同様に迂回し、戻ってきた大日岳頂上には男性が一人。その人は「西大日まで行ってきたんですか」と感心した口ぶりで話してくれた。すると、西大日のことを知っている人はいるのだ。この日、私以外にも西大日まで行った人はいたのだろうか。

ママコナ

フウロ

カラマツソウ

飯豊本山(天狗岳付近より)

大日岳への登山道は稜線の南側をトラバースして登ってきて、最高点と思われる東端を迂回して頂上標識のところに出ているが、帰りにはその最高点まで行ってみる。GPSの標高点2,128mは頂上稜線の東端にあり、低いハイマツを踏んづけて越えていく。その間に、別の人たちが大日岳に登ってきた。私は彼等と入れ替わりに大日岳を下っていく。立ちくらみになったのは、下り切ったところから御西小屋までの登り返しのところで、あと600mくらいのところ。ゆっくり登ればいいのに、ややオーバーペースで登り、足も上がるのだが、日にあぶられていて熱中症ぎみになっていたのかもしれない。立ちくらみから回復して歩きだすと、今度は急に肩が痛みだし、とても歩いていられなくなってザックを下ろし、横になって休憩。御西小屋でももう一度休憩した。御西小屋はだいぶ閑散としていたが、数人の人たちがいた。夏の日差をあびて熱中症ぎみだったのに、大日岳からの下りで少し飛ばし過ぎたのが立ちくらみの主因だろうが、西大日への途上でひっくりかえって頭がくらくらしたのも影響したかもしれない。こんな状態で梅花皮小屋まで戻るのは憂鬱だったが、御西小屋に泊まろうとは思わなかった。この日は雨が降らなかったのが幸いで、御西小屋から梅花皮小屋までの6km弱を1kmづつ6区間に分け、こまめに休憩をとっていく。歩き始めるとすぐに北からやってくる人に会い、その後も北から御西小屋方面に向かうパーティにいくつも会ったが、梅花皮小屋方面に向かう人には全く会わなかった。最初に休んだのは天狗ノ庭の標識のあるスペース、二つ目は御手洗ノ池の標識スペース。ペースは遅いが調子は悪くないので次は烏帽子岳まで歩き、登り返す。いったん見えなくなった夕方の太陽が再び見え、アーベントロートの赤い光に北股岳の黒いシルエット。

キンポウゲ

アーベントロートに染まる烏帽子岳

烏帽子岳から梅花皮岳に行くまでにどんどん暗くなり、背後の烏帽子岳がアーベントロートの代謝色に染まり、西の地平線には夕焼けの赤い線。その下にわだかまっている雲の中で輝いていた夕日が落ちる前に、朝は真っ暗だった梅花皮岳頂上に着き、切れ落ちた東の崖下を覗いてみる。そこから下る間に夕日は落ち、テントに着いたときはもう薄暗く、とりあえずヘッドランプを出して小屋のトイレに行く。小屋の北側のテントサイトは空になっていたが、南側のテントは4つとも残っていた。とりあえず着替え、ダウンの上を着込み、シュラフにもぐりこんで寝る。夕食のために起きたのはもう深夜過ぎ。食欲はなかったが、食べないと力がでないだろうし、荷物も減らない。ナポリタンは全然うまくなく、いつもはおいしい野菜スープもおいしく感じなかったが、全部食べてから就寝。カフェオレを2杯飲もうと思ったら、前日に4杯分使っていてもう2杯分しか残ってないのに愕然。朝のために二つとも残し、水バッグから直接、水を飲む。

夕日と北股岳

咲き残りナデシコ

北股岳のシルエット

D3

石転雪渓を見下ろす

北股岳の小さな犬の像

ウメバチソウ

朝日連峰と月山

白いツリガネニンジン

キジムシロ(ミツバツチグリ?ヘビイチゴ?)

咲き残りウスユキソウ

キキョウ

ツルリンドウ

地神山頂上と二等三角点

地神北峰の分岐標識と頂上標識

シロバナニガナ

丸森峰

夫婦清水の広場

トモエシオガマ

ホツツジ

マルバハギ

丸森尾根登山口