南昌山、毒ヶ森、赤林山、箱ヶ森     紫波三山縦走2・ツーリング縦走

岩手県  南昌山848m、毒ヶ森782m、赤林山855m、箱ヶ森866m  2020年7月10日

(南昌山、赤林山、箱ヶ森)岩手の山150

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地理院地図には赤林山への登山道は載っておらず不安だったが、ちゃんと登山口標識あり。

矢巾温泉には「銀河鉄道の夜」の案内(*2)があり、宮沢賢治の銀河鉄道が飛び立ったのは南昌山だったと記してあった。

植林はすぐに終わり、ずっとブナ林。太い大きなブナ、細い若いブナ、それに幹がたくさん寄り集まったのもある。たどり着いた赤林山の頂上は林の中。周囲はすっかりブナに囲まれている。

そこを下るとブナ平という場所があり、そこで2度目の休憩。幹を束ねた太いブナ。スティックのベルトにとまっている茶色の蛾はセセリチョウだろうか。樹間に雲をかぶった岩手山。

次の箱ヶ森に登ったのは7年ぶり。東の視界がわずかにある。天気は曇だが、眼下に田園風景が見えている。7年前よりも頂上の木々が増えている感じ。2013年に太田薬師の方(北側)から登った時はもっと視界があった気がする。

最低コルから登り返し、毒ヶ森の南尾根に上がるが、そこにあったのは南に向かう南昌山への道標のみ。手袋をはめてヤブに突入するとテープ発見。踏跡はほとんど獣道程度で、急斜面を直登。木々とヤブの頂上にはトライアングルポイントの頂上標識と図根三角点があった。苦労して頂上まで登り、頂上標識と三角点を見つけられたのは幸運だった。

南昌山は丸い頭ながら垂直にちかい斜面をもっているが、頂上は広く、東側に展望台もあった。展望台の手前には宮沢賢治の銀河鉄道の夜の案内(登山口にあったのとは別)(*3)。展望台から見えているのは街並み。

こんなに宮沢賢治と関係の深い山だとは知らなかったが、銀河鉄道が飛び立った山だというのはただごとではない。今後、この山を見るたびにそのことが頭をよぎるだろう。

南昌山の頂上から登山口までは500mくらいだったと思うが、この道はやや賑やかで、ニガナの黄色い花、ガマズミの白い花、紫色のウツボグサ、それに橙色のキイチゴの実、そして大きなヤブレガサの葉を見て、やがて登山口に到着。

縦走路の道標ポールにチェーンロックしておいたMTBのところに行き、靴を履き替え、登山靴をザックに入れ、MTBに乗る。矢巾温泉から南昌山登山口までは半分未舗装だが下り斜面なのでブレーキかけっぱなしで楽に走れる。

舗装路のところは気持ちよく飛ばし、未舗装の手前でフルブレーキ。温泉までの少し緩い登りを軽く登り返し、駐車場に帰着。

駐車場から矢巾温泉・南昌の湯まで歩いて入りに行く。温泉を出てから雨が降り出す。登山の最中に降られなくてよかった。

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南昌山(2007年2月24日):東から見る南昌山は銀河鉄道が飛び立つのにふさわしいやさしい鋭角の姿で天を指している。

赤林山(2007年2月24日):ゆったりした尾根を伸ばす赤林山。登山道はそのゆったりしたブナ林の尾根の中を行く。

毒ヶ森(2017年2月19日):紫波三山から更に南のナメトコ山、駒頭山あたりまで含む山域を「毒ヶ森山塊」と呼ぶらしい(*4)。

ならば、その盟主たる毒ヶ森には是非登っておきたい。標高の低い毒ヶ森(782m)は盛岡側からは見ることができず、西の御所湖から見たこの姿が毒ヶ森だと思う。

 東から見る南昌山は銀河鉄道が飛び立つのにふさわしいやさしい鋭角の姿で天を指している。(2007年2月24日)
 紫波三山から更に南のナメトコ山、駒頭山あたりまで含む山域を「毒ヶ森山塊」と呼ぶらしい(*4)。ならば、その盟主たる毒ヶ森には是非登っておきたい。標高の低い毒ヶ森(782m)は盛岡側からは見ることができず、西の御所湖から見たこの姿が毒ヶ森だと思う。(御所湖より、2017年2月19日)
 ゆったりした尾根を伸ばす赤林山。登山道はそのゆったりしたブナ林の尾根の中を行く。(2007年2月24日)
 ブナ広場の幹を束ねたブナ
 毒ヶ森の頂上
銀河鉄道
セセリチョウ
ヤマボウシ
 キイチゴの実
 4:29 南昌山登山口、MTBデポ  5:22 赤林山登山口P発  8:08 赤林山855m・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・登り2時間46分  8:42 ブナ広場  9:48 箱ヶ森865m・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・赤林山から1時間40分10:51 ブナ広場12:02 毒ヶ森782m・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・箱ヶ森から2時間14分14:34 南昌山848m・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・毒ヶ森から2時間32分15:20 南昌山登山口・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・赤林山登山口から9時間58分15:30 南昌山登山口発、MTB15:48 赤林山登山口P・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・南昌山登山口から18分・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・赤林山登山口から10時間26分

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金曜のみ晴れるという予報で、木曜夜に出かけて岩手山SAに泊まり、金曜の夜明け前に毒ヶ森に向かう。

南昌山の登山口にMTBを置き、矢巾温泉から赤林山に向かう。矢巾温泉には赤林山への登山口、登山者P、それに日帰り温泉もあった(525円)。地理院地図には赤林山への登山道は載っておらず不安だったが、ちゃんと登山口標識あり。矢巾温泉の日帰り温泉は最近できたものかもしれない。南昌山の登山口にも駐車場があり、宮沢賢治がかって南昌山に登ったことが書かれた案内が立っている(*1)。南昌山登山口の反対側(南側)には東根山への縦走路表示もあった。矢巾温泉には「銀河鉄道の夜」の案内(*2)があり、宮沢賢治の銀河鉄道が飛び立ったのは南昌山だったと記してあった。

(*1)宮沢賢治が愛した南昌山その5:「南昌山の肩」賢治は盛岡中学、盛岡高等農林の学生時代に南昌山を度々訪れている。この五合目を「肩」と呼び、南昌山に登る者、雫石側に越える者の休憩地となっていた。大正六年、賢治が盛岡高等農林の三年生のときに南昌山に登り、この肩で一休みしたと思われ、短歌を添えた自筆の南昌山の絵が遺っている。絵の中に書かれた短歌:岩鐘の きわだちくらき 肩に来て 夕の雲は 銀の挨拶 この絵には賢治が健次郎と二人で石を採集した石原が描かれており、この日も石原で石を拾ったものと思われる。また、ここにたどり着いた時は夕方になっていることから、この日は野宿したと想像される。

(*2)銀河鉄道の夜の案内:盛岡中学の寄宿舎十二号室で同室であった賢治と健次郎は土日の休みになると南昌山を訪れ水晶やのろぎ石などを採集し楽しんだ。健次郎は野球部の四番バッターとして活躍したが、遠征の帰り大雨にぬれ、腸チフスに罹り急逝した。(明治43年9月)賢治は大きなショックを受け、後に健次郎を慕い、童話「鳥をとるやなぎ」「谷」詩・短歌など多くの作品を残している。中でも天国の健次郎に自分の思いを伝えるために書いた大作「銀河鉄道の夜」の舞台は南昌山であり、ジョバンニは南昌山頂上の「天気輪の柱」(雨乞いの石柱)の下から天国のカムパルネラのもとに出発した。作品の中には南昌山での二人の思い出が多く描かれている。松本隆著「童話『銀河鉄道の夜』の舞台は矢巾・南昌山」より撰文

赤林山は遠かったが3㎞をやっぱり3時間で到達。展望はなし。意外だったのは花がまったくなかったこと。最初にオカトラノオみたいなのを見たような気がしたが、いまいちだったので撮らなかった。ところがその後、毒ヶ森への途上でヤマボウシを見るまでまったく花はなかった。イチゴの葉っぱはたくさんあったので、ヘビイチゴは咲いていたのかもしれない。道中、ほとんど視界がないのもちょっと寂しい。植林はすぐに終わり、ずっとブナ林。太い大きなブナ、細い若いブナ、それに幹がたくさん寄り集まったのもある。赤林山への途中で最初の休憩をとり、前日に買った腕時計のアラームを初めて使い、5分間休憩。そこからひと登りでたどり着いた赤林山の頂上は林の中。周囲はすっかりブナに囲まれている。赤林山頂上の少し手前に縦走路の道標があり、その先で通った赤林山・西峰861mは実は赤林山855mよりも高かった。そこを下るとブナ平という場所があり、そこで2度目の休憩。幹を束ねた太いブナ。スティックのベルトにとまっている茶色の蛾はセセリチョウだろうか。樹間に雲をかぶった岩手山。前日、スイミングスクールの向かいにオープンしたローソンで買った割引パンを食べる。

次の箱ヶ森に登ったのは7年ぶり。赤林から箱ヶ森の道は最近刈払いされたようで、ヤブを漕がずに済む。刈払われたササが急坂に積もっているところは下りで転ぶだろうと思ったが、新しい歩き方で靴を進めると、結局転ばなかった。この日の靴はコネロ。まだ右足が時々古い歩き方になって足が痛むが、左足はまったく痛まない。たどり着いた箱ヶ森の頂上は広く、石の獅子頭が奥と手前の二箇所に、頂上南に頂上標識と三角点があり、奥には二つの下山道標識(簡保下山道、つなぎ下山道)。東の視界がわずかにある。天気は曇だが、眼下に田園風景が見えている。7年前よりも頂上の木々が増えている感じ。2013年に太田薬師の方(北側)から登った時はもっと視界があった気がする。

ブナ平には縦走路の標識があり、それには毒ヶ森の名前が出ていたので期待して縦走路を南に進むが、箱ヶ森に向かったときと同様、がっかりするほど下っていき、その向こう側の木々の向こうに毒ヶ森らしき峰が大きく高くそびえている。憂鬱。縦走路は古道のようにくぼんでいて、荒れたところを迂回してる箇所もあった。深い林の中でヤマボウシを見る。最低コルから登り返し、毒ヶ森の南尾根に上がるが、そこにあったのは南に向かう南昌山への道標のみ。北に見えている毒ヶ森への道標はなし。毒ヶ森の頂上までは400mくらい。ここは登っておこう。手袋をはめてヤブに突入するとテープ発見。踏跡はほとんど獣道程度で、急斜面を直登。木々とヤブの頂上にはトライアングルポイントの頂上標識と図根三角点があった。4回目の休憩。苦労して頂上まで登り、頂上標識と三角点を見つけられたのは幸運だった。苦労して登っても何もないこともある。

最後の南昌山へ3㎞弱。途中にマイナーピークが二つ。白い花はイチヤクソウ。もうだいぶ疲れていて、途中一度休憩。前日購入した腕時計の5分アラームで休む。アラームの音が小さすぎて聞こえないが、5分計測には有効。最初の休憩、ブナ平、箱ヶ森、毒ヶ森、南昌途中、南昌山の6回、使ったと思う。南昌山は丸い頭ながら垂直にちかい斜面をもっているが、頂上は広く、東側に展望台もあった。頂上手前(北側)で最初に見た石標は主三角点。右肩が削れて何等だか分からない三角点がその近くの頂上標識の支柱のところにあった。その奥に古い石像がたくさん並び、石の獅子頭ともう一つの頂上標識、展望台の外の木の幹には更に三つの頂上標識があった。そのうちの一つはトライアングル・ポイントのもの。展望台の手前には宮沢賢治の銀河鉄道の夜の案内(登山口にあったのとは別)(*3)。展望台から見えているのは街並み。ベンチに横になって5分休み、帰途につく。こんなに宮沢賢治と関係の深い山だとは知らなかったが、銀河鉄道が飛び立った山だというのはただごとではない。今後、この山を見るたびにそのことが頭をよぎるだろう。

(*3)宮沢賢治が愛した南昌山その6:賢治は盛岡中学一年のときに親友藤原健次郎と二人で初めて南昌山に登った時のことなどを綴ったノートの中に「藤原健次郎 南昌山 頂上」と記録している。頂上に立った感動が如何に大きかったかが伺われる。以来、賢治は「雨乞いの山」など幾多の伝説に包まれた神秘な山「南昌山」に魅せられ、何度も訪れ数々の作品を遺している。そして賢治は南昌山を「経理(きょうう)ムベキ山」に指定している。また、延歴年代の征夷大将軍、坂上田村麻呂は霊験あらたかなこの山を「徳ヶ森」と称し、頂上に宮柱を建て手厚く奉ったと云われている。元禄16年には南部藩主信恩公が儒学者xx恭斉に命じ、南部繁盛を祈願し「南昌山」と命名した。また江戸時代の絵師、谷文晁が「日本名山図絵」の中に南昌山を描いており、昔から有名であった。

南昌山の頂上から登山口までは500mくらいだったと思うが、縦走路と違ってきちんと木板で階段が切ってあり、急なところは長い九十九折になっていた。途中に東に向かう上級者向け登山道分岐があったがそれには入らず、MTBを置いてある登山口に向かう。この道はやや賑やかで、ニガナの黄色い花、ガマズミの白い花、紫色のウツボグサ、それに橙色のキイチゴの実、そして大きなヤブレガサの葉を見て、やがて登山口に到着。縦走路の道標ポールにチェーンロックしておいたMTBのところに行き、靴を履き替え、登山靴をザックに入れ、MTBに乗る。矢巾温泉から南昌山登山口までは半分未舗装だが下り斜面なのでブレーキかけっぱなしで楽に走れる。道脇にヤマアジサイ。舗装路のところは気持ちよく飛ばし、未舗装の手前でフルブレーキ。矢巾温泉の手前にぬさかけの滝の分岐があり、そこから温泉までの少し緩い登りを軽く登り返し、駐車場に帰着。

駐車場から矢巾温泉・南昌の湯まで歩いて入りに行く。ルドベキアや菊などの花がたくさん。温泉はちょっと手狭で露天もなかったと思うが、湯は熱く、良い湯。温泉を出てから雨が降り出す。登山の最中に降られなくてよかった。

 

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(毒ヶ森山塊の山々)

南昌山(2007年2月24日):東から見る南昌山は銀河鉄道が飛び立つのにふさわしいやさしい鋭角の姿で天を指している。

赤林山(2007年2月24日):ゆったりした尾根を伸ばす赤林山。登山道はそのゆったりしたブナ林の尾根の中を行く。

毒ヶ森(2017年2月19日):紫波三山から更に南のナメトコ山、駒頭山あたりまで含む山域を「毒ヶ森山塊」と呼ぶらしい(*4)。ならば、その盟主たる毒ヶ森には是非登っておきたい。標高の低い毒ヶ森(782m)は盛岡側からは見ることができず、西の御所湖から見たこの姿が毒ヶ森だと思う。紫波三山の縦走路標識にその名が書いてある毒ヶ森への刈払い道は無く、微かな踏跡を辿る。

(*4)「真昼山地と県道1号線を挟んで向かいの東側に位置する山塊は《毒ヶ森(ぶすがもり)山塊》と呼ばれており、紫波・花巻にむけて広がっています ちなみに宮沢賢治の童話に出てくる《ナメトコ山》もここにあります 」(amebloジムニーであちこち)

 

見えてきた南昌山と赤林山

 

南昌山登山口


宮沢賢治が愛した南昌山その5

「南昌山の肩」賢治は盛岡中学、盛岡高等農林の学生時代に南昌山を度々訪れている。この五合目を「肩」と呼び、南昌山に登る者、雫石側に越える者の休憩地となっていた。大正六年、賢治が盛岡高等農林の三年生のときに南昌山に登り、この肩で一休みしたと思われ、短歌を添えた自筆の南昌山の絵が遺っている。絵の中に書かれた短歌:岩鐘の きわだちくらき 肩に来て 夕の雲は 銀の挨拶 この絵には賢治が健次郎と二人で石を採集した石原が描かれており、この日も石原で石を拾ったものと思われる。また、ここにたどり着いた時は夕方になっていることから、この日は野宿したと想像される。

MTBをデポ


赤林山登山者P


「銀河鉄道の夜」の案内

銀河鉄道の夜の案内:盛岡中学の寄宿舎十二号室で同室であった賢治と健次郎は土日の休みになると南昌山を訪れ水晶やのろぎ石などを採集し楽しんだ。健次郎は野球部の四番バッターとして活躍したが、遠征の帰り大雨にぬれ、腸チフスに罹り急逝した。(明治43年9月)賢治は大きなショックを受け、後に健次郎を慕い、童話「鳥をとるやなぎ」「谷」詩・短歌など多くの作品を残している。中でも天国の健次郎に自分の思いを伝えるために書いた大作「銀河鉄道の夜」の舞台は南昌山であり、ジョバンニは南昌山頂上の「天気輪の柱」(雨乞いの石柱)の下から天国のカムパルネラのもとに出発した。作品の中には南昌山での二人の思い出が多く描かれている。松本隆著「童話『銀河鉄道の夜』の舞台は矢巾・南昌山」より撰文

赤林山の頂上


赤林山の頂上標識と温度計(18.5度)


 

ブナ広場の幹を束ねたブナ

 

セセリチョウ


雲に霞む岩手山


縦走路・紫波三山の標識


箱ヶ森の広い頂上


箱ヶ森の頂上標識と三角点


箱ヶ森頂上の石の獅子面


簡保下山道の道標


 つなぎ下山道の道標

眼下の田園風景


古道のような道


ヤマボウシ


毒ヶ森・南尾根の道標


毒ヶ森への微かな踏跡


毒ヶ森の頂上


毒ヶ森の頂上標識(トライアングル・ポイント)


 

毒ヶ森頂上の図根点


イチヤクソウ


南昌山の頂上標識


南昌山の欠けた三角点


南昌山の主三角点


南昌山の石の獅子面(何個ある?


宮沢賢治が愛した南昌山その6

賢治は盛岡中学一年のときに親友藤原健次郎と二人で初めて南昌山に登った時のことなどを綴ったノートの中に「藤原健次郎 南昌山 頂上」と記録している。頂上に立った感動が如何に大きかったかが伺われる。以来、賢治は「雨乞いの山」など幾多の伝説に包まれた神秘な山「南昌山」に魅せられ、何度も訪れ数々の作品を遺している。そして賢治は南昌山を「経理(きょうう)ムベキ山」に指定している。また、延歴年代の征夷大将軍、坂上田村麻呂は霊験あらたかなこの山を「徳ヶ森」と称し、頂上に宮柱を建て手厚く奉ったと云われている。元禄16年には南部藩主信恩公が儒学者xx恭斉に命じ、南部繁盛を祈願し「南昌山」と命名した。また江戸時代の絵師、谷文晁が「日本名山図絵」の中に南昌山を描いており、昔から有名であった。

銀河鉄道


南昌山の展望台


 

展望台の外にある三つの頂上標識


展望台からの展望


ニガナ


ガマズミ


キイチゴの実


ウツボグサ

 

ヤブレガサ


縦走路入口とMTB


 

ヤマアジサイ

 

矢巾温泉の前の橋を走り抜ける


南昌の湯


ルドベキア


(紫波三山)

 

南昌山(2007年2月24日)

東から見る南昌山は銀河鉄道が飛び立つのにふさわしいやさしい鋭角の姿で天を指している。

 

赤林山(2007年2月24日)

ゆったりした尾根を伸ばす赤林山。登山道はそのゆったりしたブナ林の尾根の中を行く。

 

東根山(2007年2月24日)


南昌山(温泉パストラル・バーデンより、2013年11月24日)


赤林山と箱ヶ森(北東方面より、2016年9月3日)


 御所湖から見る紫波の山々(2017年2月19日)

 毒ヶ森(御所湖より、2017年2月19日)

紫波三山から更に南のナメトコ山、駒頭山あたりまで含む山域を「毒ヶ森山塊」と呼ぶらしい(*4)。ならば、その盟主たる毒ヶ森には是非登っておきたい。標高の低い毒ヶ森(782m)は盛岡側からは見ることができず、西の御所湖から見たこの姿が毒ヶ森だと思う。紫波三山の縦走路標識にその名が書いてある毒ヶ森への刈払い道は無く、微かな踏跡を辿る。

(*4)「真昼山地と県道1号線を挟んで向かいの東側に位置する山塊は《毒ヶ森(ぶすがもり)山塊》と呼ばれており、紫波・花巻にむけて広がっています ちなみに宮沢賢治の童話に出てくる《ナメトコ山》もここにあります 」(amebloジムニーであちこち)

南昌山(南東より、2017年9月24日)


 南東から見る紫波の山々(2017年9月24日)