天祖山、ウトウの頭  霧の奥多摩

東京都  天祖山1,723m、滝谷ノ峰1,710m、水松山(あららぎ)1,699m、ウトウの頭1,588m  2019年9月1日

(天祖山)日本の山1,000

433

おいらは三角点

四角四面のつらがまえ

あっちの方が高そうだからって騙されるんじゃないぞ

おいらのいるところが山頂なんだ

こらっ!座るんじゃない

(^^)(^^)(^^)(^^)(^^)

つづら折りを登り、再び緩くなった尾根に上がると天祖山まで200mの表示があり、その先に社務所もしくは宿坊と思われる建物があった(*2)。雨水をためるタンクがあり、ガラス窓の中は整然と片付けられていた。中の土間や板間はきちんと整頓され、スリッパが並べられていた。草むらに咲いているのは大きなホタルブクロ。

社務所or宿坊から100m少し先が天祖山の頂上だった。林の中の広い丘のてっぺんに天祖山神社が建っており、その正面に三角点があった。1,723mの山頂にいるとは思えない、穏やかで古色蒼然とした雰囲気。

縦走路から100mほどの緩い登りで、三角点と頂上標識のある水松山頂上に着く。そこも開けている感じだったが、霧で周囲は隠されていた。

ひょっこりヘリポートに出会う。こんなところにこんなものがあるとは。ヘリポートのHを描いた平地には細かな網がかぶせられていて、大きな草や木が生えないようにしてあった。ヘリポートの先で見た白い花はキイチゴだろうか。

そしてコルの先の霧の中に、ウトウの頭の北峰の岩峰が見えてくる。なるほど、こいつはすごい。これをロープや鎖を掴んでハラドキの登りになるんだろうか。だが、赤テープは岩峰を直登する方向には向かわず、右側に回り込んで右斜面をうまい具合に登っていき、いつの間にかウトウの頭の北峰(P9)1,570mに達していた。やや拍子抜けだが、それだけうまいルートを選んでいるということだろう。

最初に見たのは三角点で、それを見て、ウトウの頭に着いたと分かる。少し経ってから、頂上標識があるはずと探し、黒い鳥の頭を描いた二つの頂上標識を発見する。一つは青い背景に黒い善知鳥で、穏やかな顔つき。もう一つは紫の背景に黒い善知鳥で、ちょっとすました顔。

なぜウトウの頭(かしら)と呼ぶのか?については、井出敏博氏の長文の報告があり、「『孫惣谷にあるウトウ沢の頭にあるから』と考えるのが妥当だろう」と結論づけている。(toshihiroide,wordpress.com)

ウトウの頭からの下りにある、「篤沢ノ丸」(すずさか)には、ふくろうの絵の真新しい頂上標識が架かっていた。次の「金袋山」(きんたいさん)には、茶色の袋を黄色いヒモでしばった形のしゃれた頂上標識。

大きな木の根元に「ミズナラの巨木」という標識が置いてあった。その大木が「金袋山のミズナラ」だったようだ。幹の根元には緑のコケが生えていて老木という感じだが、見上げるとゆるくカーブした幹は力強く、緑の葉を空いっぱいに繁らせていた。

 社務所or宿坊から100m少し先が天祖山の頂上だった。林の中の広い丘のてっぺんに天祖山神社が建っており、その正面に三角点があった。1,723mの山頂にいるとは思えない、穏やかで古色蒼然とした雰囲気。
 霧の中に、ウトウの頭の北峰の岩峰が見えてくる。なるほど、こいつはすごい。
 ヨメナ
 穏やかな顔つきのウトウの頭の頂上標識
 ちょっとすました顔のウトウの頭の頂上標識
 「篤坂ノ丸」(すずさか)には、ふくろうの絵の真新しい頂上標識
 「金袋山」(きんたいさん)には、茶色の袋を黄色いヒモでしばった形のしゃれた頂上標識
 チャバネセセリとヒマワリ
  4:15 日原駐車場発  5:07 天祖山登山口  6:42 大日大神の壊れた社  7:42 岩尾根1,500m、唐松平  8:31 社務所or宿坊  8:38 天祖山・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・登り4時間23分  8:54 天祖山発10:24 水松山(あららぎ)11:19 ヘリポート11:50 滝谷ノ峰12:14 モノレール終点13:11 ウトウの頭・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・天祖山から4時間33分13:56 篤坂ノ丸1,456m14:15 金袋(きんたい)山1,325m14:33 人形山1,176m14:39 ミズナラの巨朴14:55 一石(いっせき)山1,007m15:42 一石山神社16:18 日原駐車場・・・・・・・・・・・・・・・・・・ウトウの頭から3時間7分・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・周回12時間3分

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出発が鳩ノ巣駐車場になったので、2時半のアラームで起き、トロロソバを食べて駐車場を出る。私と同じくらいに起き、私よりも先に出て行った車も数台。車中泊している車は10数台。狭い日原街道を慎重に進む。道端に車中泊したことがあったが、その場所はどこだったろう。意外にスペースは散在していた。沢に入ったときの横道を過ぎ、日原トンネルに入り、思ったよりもトンネルから離れたところに駐車場がある。半分ほどの入りなので、手前に駐車し、準備。近くにいた車がエンジンをかけ、出て行った。私も準備が終わって歩き始め・・・・・・と思ったら、登山靴を履いてなかった。車のバックドアを開け、登山靴を履く。

最初は天祖山登山口まで、車道を3.5㎞。最初の橋までは明るい街灯が点いていて、ヘッドランプは不要。日原はお祭りがあるらしく、斜面の上の道沿いに吊るした明かりが見える。駐車場を出たところにある酉谷山への登山口は、天目山から下った時に通ったことがあり、集落の中にある鷹ノ巣山への登山口も通った記憶がある。鷹ノ巣谷は初心者クラスというふれこみとは全然違う、えらくしんどい沢だった。(そのときは長いツメを登り切って稜線の登山道に出てほっとし、道端に寝転んでいると、登山道をやってきたパーティが楽しそうに歩いて行き、えらく場違いなカルチャー・ショックを感じた。今となっては良き思い出。)最初の橋(小川谷橋)を渡り、渡った先の分岐を左に入ると砂利道になる。そのすぐ先に釣り堀があり、そこの駐車場に停めて準備している人たちがいたが、釣りなのか登山なのか不明。二つ目の橋を渡った先あたりで追いついてきた車がいたが、追い越してはいかなかった。その先の、材木運搬ケーブルのあたりで、もう明るくなり、ヘッドランプを消す。車が一台、先に行く。このあたりまで車で来るべきだったか、いや、帰りが最初の橋の近くだから、今回駐車したところが正解だろう。三つ目の橋の手前にある駐車場に停めてある車が一台。さっきの車ではない。三つ目の橋(八丁橋)は水浸しで、橋の全面が水たまりになっていた。水が濁っていて深さが分からない。スティックを水の中に突いて支えにし、欄干の下の一段高くなったところを無理やり歩いて渡る。三つ目の橋を渡った先にゲートと天祖山登山口があり、そこにさっきの車が駐車してあり、更に軽バイクの二人がやってきた。彼等は皆、雲取山方面に向かったのだろう。

さて、天祖山に登っていったのは私だけだったが、その登山道というのは切り立った左岸斜面に付けられており、しかも登山口標識に「注意、倒木多し」の表示がくっつけてあった。こいつは苦労しそうだと覚悟して登るが、古い登山道は急斜面に緩くて長いつづら折りを切って付けられており、手を使うことなく、足とスティックで淡々と登る。つづら折りが折り返してきたところで眼下を見ると、はるか下に林道が見えている。林道の真上の長いつづら折りがようやく終わり、少し緩い斜面を登った先はまたまた広い急斜面のつづら折り。下から見上げると、石を積み上げてつづら折りを補強してあるのが良くわかる。「水源林巡視路」という標識があったから、本来は巡視路として作られたのだろう。どのくらい昔に作った道なのだろう。途中で誤ってイクシーの切替つまみを動かしてしまい、赤味ががったのや周囲がボヤけたのができる。新潟の未丈ヶ岳では原因が分からず、へんてこな写真をたくさん作ってしまったが、この日は冷静に切替を元に戻す。ようやく広々とした尾根に上がり、最初の休憩。登り9㎞の半分弱4㎞まで来ていたからだが、ほとんどは車道歩き。駐車場から登山口まで3.5㎞、高低差140mに対し、登山口750mから尾根・休憩地点970mまで距離500m、高低差220m。地面は湿っていたのでシートを敷いてその上に座る。静かな山の中でウォークマンを起動。パンを食べ、缶ポカリを飲む。缶ポカリ3個、ペット・ポカリ3本を詰めたザックはずっしり重かったが、涼しかったのでペット・ポカリ2本は飲まず。

再びつづら折りがあり、途中の巡視路の分岐を右に入り、つづら折りを登り切るあたりで尾根の西側に出ると反射板のようなのがあった。それはたぶんロボット雨量計で、反射板のようなのは太陽電池なのだろう。そこは西の視界が開けていて、半分雲に隠れていたのは雲取山に違いない。半壊した大きな建物(*1)があったのは標高1,140mの広い尾根の途中。それは神社の建物で、仏像などは持ち出されていたようだが、残された像や太鼓が数個、埃をかぶっていた。こんなところにこんな大きな建物を作ったのもたいへんだったと思うが、撤去するのも大変だろう。このまま朽ちていくのにまかせるということだろうが、ちょっとわびしい感じ。この建物については諸説があるが、大日大神というのが正しいのかもしれない。

(*1)半壊した大きな建物について以下のような記録あり

・天神神社(ヤマケイ)、

・大日天神堂(日本山岳会奥多摩支部)、

・「『宮内敏雄著 奥多摩 百水社 昭和19年発行』の地図に天祖山の尾根の大日大神峰の別名が『ドンブラン』と記載されておりました」(yamaotoko7、ヤマレコ147398)、

・大日大神(ドンブラン)の廃神社に残された神鏡、太鼓、人形・・・・(ameblo、pairzu)

この先でこの日初めての花、白いヨメナを見る。その先のつづら折りを登って最初のピーク(P1・1,355m)に着く。東京都水道局の林班界標が立っていた。スピーカーがバッテリー切れとなり、入れ替える。その先で岩場の細尾根を越えるが、岩場の手前にあった祠の屋根は風で飛ばされたものなのだろうか。細尾根を越えた、標高1,500m付近を唐松平と呼ぶらしい(koma1、itsumoharenaraヤマレコ2019年5月10日)。余り写真を撮っていないが、ブナに混じってカラマツらしき細い幹を確認できる。倒れて「支障木」のテープを巻かれているのもあった。薄紫の花は何だろう。

再びつづら折りを登り、再び緩くなった尾根に上がると天祖山まで200mの表示があり、その先に社務所もしくは宿坊と思われる建物があった(*2)。雨水をためるタンクがあり、ガラス窓の中は整然と片付けられていたので、引き戸を開けて中に入ってみる。引き戸はそれほど重くなく、中の土間や板間はきちんと整頓され、スリッパが並べられていた。これなら十分、シュラフと水、食料さえあれば快適に泊れるだろう。社務所or宿坊の前の草むらに咲いていたのは大きなホタルブクロ。

(*2)天祖山頂上直下の建物について

・江戸期は白石山と呼ばれていた山で、明治初年天学教の霊山となり、天祖山と山名が変わった。山頂に天祖神社が祭られ、その表参道に宿坊が建てられ、今日に至る。礼祭日には信者による登拝が行われている。(ヤマケイオンライン)、

・「社務所だったのかな?お札を売ってたようです。一枚1000円。いつの頃かな?今は荒廃した大日神社の他に、大月神社もあったようです。」(a kasari、ヤマレコ)

・「そろそろ1,700mになろうかというときに社務所(というか信者のみが泊まるところ)に着きます」(tok2.mmxtozantai)

社務所or宿坊から100m少し先が天祖山の頂上だった。最後の斜面は木の根が林の中の広い丘のてっぺんに天祖山神社が建っており、その正面に三角点があった。1,723mの山頂にいるとは思えない、穏やかで古色蒼然とした雰囲気。神社は柵で囲まれていて中には入れなかったが、「天祖山神社」という表札がかかっており、祠がたくさん柵の内側に並べられていた。ここも林と霧で眺望はなし。裏の湿った倒木の上にシートを敷いて二度目の休憩。バナナを食べ、缶ポカリを飲む。日差しはなく、風が寒いくらい。早々に北の縦走路に向かって歩き始める。

いったん急坂を下り、登り返してP3・1,671mに達し、再び急坂の下り。このつづら折りの道はだいぶ崩壊していて、コル近くは落石で道筋が不明瞭になっており、慎重に下降。二つ目のコルの方が低く、梯子坂のクビレという古い標識が立っていた。そこから先の二つのピークはトラバースしてゆく道が付けられていて、実に歩きやすかった。ピークにも登ってみたいが、こんなに歩きやすいんではトラバース路も捨てがたい。ありがたく歩きやすい道を歩む。P4・1,662mの真下を通過し、縦走路尾根にある1,710m峰の東側で、尾根に上がったところで縦走路に出るだろうと思い、ひたすら歩く。やっとのことで尾根に着くと標識があったが、それはもう縦走路の標識になっていて、分岐は水松山に向かうものだ。GPSを見て、縦走路分岐を通り過ぎていたことを知り、引き返す。わざわざ引返してみても仕方ないのだが、分岐の存在を確認しておきたかった。こうして約200mを引返し、そこに縦走路との分岐標識を発見。こんな大きなものに気づかずに通り過ぎていたとは。下ばかり見て歩いていたからだろう。分岐はトラバース路の途中にあり、尾根に登って1,710m峰の北側をトラバースしているようだ。さきほどの水松山分岐に戻り、水松山に向かう。100mほどの緩い登りで、三角点と頂上標識のある水松山頂上に着く(*3)。そこも開けている感じだったが、霧で周囲は隠され、風が寒いので、早々に下り、分岐のところで腰を下ろし、3度目の休憩。三つ目の缶ポカリを飲み干し、最初のナッツを半分食べる。水松山が全工程18㎞の中間点となり、ここでGPSを下山コースのトラックに切り替える。時刻は10時半。4時出発とすれば、30分の遅れ。まずまず。

(*3)水松山を「あららぎ」と読むのは当て字ではないか?

・アララギとはイチイの別名。同名の短歌会は「阿羅々木」。

・水松は、①スイショウと読み、スギ科のマツに似た木、②イチイのこと (wikipedia等)

縦走路もトラバース路だったが、尾根からかなり南側に下ったところに付けられていた。その道でホタルブクロとアキノキリンソウを見る。北アルプスではたくさんありすぎて無視していたアキノキリンソウだが、花に乏しいここでは貴重。多少、形が悪くてもきれいに見える。次の滝谷ノ峰の頂上にも登りたかったので、コルからトラバース路に向かわず、尾根を登ってみるが、たどり着いたピークは手前にある1,708m峰だった。その先でいったんトラバース路に下るが、どんどん下っていくのが不安で、再び尾根に登り返し、尾根上を進んで行って、ひょっこりヘリポートに出会う。こんなところにこんなものがあるとは。ヘリポートのHを描いた平地には細かな網がかぶせられていて、大きな草や木が生えないようにしてあった。ヘリポートの先で見た白い花はキイチゴだろうか。黄色いダイコンソウ。ヘリポートの先で、尾根を200m、標高差30mほど登れば滝谷ノ峰だったのだが、ここでトラバース路の方をたどってしまう。滝谷ノ峰の東側から登った方が楽だろうと思ったためだが、トラバース路が尾根に上がったのは標高1,610m地点で、距離は200m強だったが、標高差100mはやや辛かった。しかも、滝谷ノ峰には三角点がなく、ピークが4つほどある。その全てが標高1,710mの等高線内にあるので、どのピークでもいいことにはなるのだが、東端の1峰と西端の4峰よりも、中央にある2峰と3峰の方が高く見えた。そして4峰から戻るとき、2峰に頂上標識を発見。たぶん、標高点に近いからここにしたのだろうが、誰が付けたものであれ、頂上標識を発見できて幸せだった。

滝谷ノ峰の分岐は四つ角になっていて、東西が縦走路、北が滝谷ノ峰、南がウトウの頭への道となるのだが、道標は東西縦走路のものしかない。だが、ウトウの頭に向かう広い尾根と、その尾根を下る踏み跡は明瞭だった。その踏み跡を少し下ったところで4回目の休憩。缶ポカリを飲みつくし、ペット・ポカリを1/3ほど飲む。低い灌木の道を行くと、忽然と現れたのは銀色の運搬用モノレールだった。その「終点」は標高1,730mのあたりだと思うが、モノレールは踏み跡の上にまっすぐに付けられており、大きな倒木の上も跨ぎ越し、P8・1,602mに登り返した先で踏み跡を離れて南西斜面に下っていた。たぶん孫尊谷の林道まで下っているのだろう。銀色のモノレールにタッチして別れを告げる。

そしてコルの先の霧の中に、ウトウの頭の北峰の岩峰が見えてくる。なるほど、こいつはすごい。これをロープや鎖を掴んでハラドキの登りになるんだろうか。岩峰の下でザックを下ろし、このときのために持ってきたヘルメットをかぶり、ガーデン・グローブをはめる。だが、赤テープは岩峰を直登する方向には向かわず、右側に回り込んで右斜面をうまい具合に登っていく。スティックでひょいひょい登っていくと、いつの間にかウトウの頭の北峰(P9)1,570mに達していた。やや拍子抜けだが、それだけうまいルートを選んでいるということだろう。この先は地図では読み取れないアップダウンと小ピークを越えていくが、結局、予想したほどの困難はなく、ウトウの頭の頂上に着く。最初に見たのは三角点で、それを見て、ウトウの頭に着いたと分かる。少し経ってから、頂上標識があるはずと探し、黒い鳥の頭を描いた二つの頂上標識を発見する。一つは青い背景に黒い善知鳥で、赤いクチバシに白いスジ3本の穏やかな顔つきをしていて、黄色い字で「ウトウの頭、1,587.9m」とある。もう一つは紫の背景に黒い善知鳥で、白っぽいクチバシに白いスジ2本の顔は、ちょっとすました顔。白い字で「ウトウ、1,587.9」とだけ書かれている。ネット情報には、前者は武藤氏製作、後者は八木氏製作とあり、裏面かどこかにサインがあるのかもしれない。この他、二つの標識の上に、錆びた鈴と登山靴のマスコット(西穂高2,908.8?と書いてある)が掛けてあった。登頂したときの記念品だろうか。(*4)(*5)

(*4)ウトウ(善知鳥)について

「北日本沿岸からカリフォルニア州までの北太平洋沿岸に広く分布する。日本でも北海道の天売島、大黒島、渡島小島、岩手県の椿島、宮城県の足島などで繁殖する。天売島は約100万羽が繁殖するといわれ、世界最大の繁殖地となっている。足島は日本での繁殖地の南限とされ[1]、「陸前江ノ島のウミネコおよびウトウ繁殖地」として、「天売島海鳥繁殖地」とともに国の天然記念物に指定されている。 体長は38cmほどで、ハトよりも大きい[2]。頭から胸、背にかけて灰黒色の羽毛に覆われるが、腹は白い。くちばしはやや大きく橙色である。夏羽では上のくちばしのつけ根に突起ができ、目とくちばしの後ろにも眉毛とひげのような白い飾り羽が現れて独特の風貌となるが、冬羽ではくちばしの突起と飾り羽がなくなる。」 (wikipedia)

(*5)なぜウトウの頭(かしら)と呼ぶのか?については、井出敏博氏の長文の報告があり、海鳥・善知鳥の元となった青森の伝説から、ウトウの生態、能の演目・善知鳥まで詳細、多岐に分析し、最後に現地ビジターセンターに問い合わせ、「孫惣谷にあるウトウ沢の頭にあるから」と考えるのが妥当だろう」と結論づけている。(toshihiroide,wordpress.com)

ウトウの頭からの下りにも厳しいところはあると思い、頂上では休まずに下り、大きな岩の先を後ろ向きになって下る(東側を巻いて登れると思う)。その下の急坂を少し下るといったん傾斜は緩くなるが、そのあたりで尾根が二つに分岐し、右(南)に下らなくてはと思っていると、尾根の中央に斜めにロープが張ってあり、まさに右に進むように誘導していた。これも立派な道標だな。急坂に付けられたつづら折りを下り、傾斜が緩くなったところで5度目の休憩。そこから少し下ってコルで、コルからP11・1,456m峰への登り返しとなるが、ほとんど登りを意識せずに頂上に到達。そこには思いがけず「篤沢ノ丸」(すずさか)の頂上標識があった。古い標識は字が霞んで読めなかったが、それとは別に、ふくろうの絵の真新しい頂上標識が架かっていた。ウトウの頭とタワ尾根を登ったネット情報は多いが、正式の登山道はないのに、登っている人はそれだけ多いのだろう。篤坂ノ丸の先も尾根が二つに分岐しており、ルートは右だが、ここにも尾根の中央に斜めにロープが張ってあり、右に進む。次のP12・1,325mには「金袋山」の頂上標識が二つあり、一つは茶色の袋を黄色いヒモでしばった形をしていた。これまたしゃれた頂上標識。ここは標高点の記載があるものの、ほとんどピークとは言えないタワ尾根の地点。なのに、ネットで調べると登山記録がウトウの頭と並んでたくさん出てくる。金袋(かねぶくろ)とは財布、金入れのことを指すらしいが、金袋山は「きんたいさん」と読むらしい(ネット情報)。

P13・1,176mには「人形山」の頂上標識が三つ。一つは古い木製、一つは金属製で「タワ尾根、人形山、1,176m」とあり、もう一つが額をはめた絵のような頂上標識で、描かれているのは森の中のキツツキ、もしくは善知鳥なのだろうか。人形山の先も尾根が分岐しており、ルートは右のはずだが、赤テープは左を示している。やや疑心暗鬼に赤テープの方角に進むと、大きな木の根元に「ミズナラの巨木」という標識が置いてあった。その大木が「金袋山のミズナラ」だったようだ。幹の根元には緑のコケが生えていて老木という感じだが、見上げるとゆるくカーブした幹は力強く、緑の葉を空いっぱいに繁らせていた。ネット情報によると、2013年頃に大枝の一本が折れ、痛々しい姿をしていたらしいが、今はまったく元気に見えた。ミズナラの先で赤テープは南斜面の下に向かい、分岐の左尾根から右尾根に方向転換する。右尾根に入ったあたりから、尾根の右側がきれいに植林された杉林となり、縦にまっすぐ、見事に並んだ姿が美しい。P14・1,007mには「一石山」の頂上標識が二つ。古い木製と金属製。金属製のものは人形山のものと同じ材質で、同じ人が作ったものだろう。金属の右上に描かれているのはキツツキのようだ。一石山の先の尾根をまっすぐ下ると燕岩の断崖に出てしまうのだが、ここには早めに南に下る道標(「日原→この先急坂!歩行注意」)がついている。これがほとんど垂直に見える急斜面なのだが、その急斜面もきっちり植林されていて、背の高い杉がびっしり、まっすぐに伸びており、その間に付けられた長いつづら折りの道を下っていく。下りだからいいものの、ここを登るのはしんどそうだ。

ようやく急斜面のつづら折りが終わり、いったん傾斜が緩んでテラスになったところにベンチが二つ置いてあり、そこにザックを下ろして最後の休憩。下りとはいえ、もうだいぶ足が痛い。そこからは燕岩の南側にあるガレ沢沿いをつづら折りに下る道で、もう眼下に日原街道の一角が見え、車の音も近い。ガレ沢には何箇所も砂防ダムが築かれており、上の方にある砂防ダムにはだいぶ土砂がたまっているのが見える。この一石山に向かう道は、植林と防災監視路も兼ねているのだろう。つづら折りの道は地理院地図の破線よりも幅広に付けられていて、いったん砂防ダムの一つの上流側(ここは土砂で埋まっていない)を通って下に見える神社の北側にまで進み、南に方向転換して砂防ダムの下流側を通り、最後は二つ見える神社の建物のうち、南側の建物の入口の真横に下る。入口のところには何の道標もなく、少し登ったところに「金袋山のミズナラ入口、悪路です!歩行注意」という道標がついているのみ。これでは、初めて神社に来た場合、ここが登山口だとは分かるまい。南側の神社の建物には門標はなかったが、北側の建物には二人の女性がお参りしていた。写真を撮るのに時間がかかりそうなので、合間をみてお参り。今日、無事に山を周回できたことを感謝する。ここには「一石山神社」の門標がかかっていた。境内はきれいに掃き清められていて、気持ちの良い神社だった。そこから石段を下って日原街道に出る。正面付近に日原鍾乳洞があり、駐車場は満車。観光客が行き交い、休んでいる人もいる。交通整理の人がいて、久しぶりに人に挨拶。ちょうどそこに一石山神社の湧水(神明水)というのがあり、ひしゃくですくって何杯かいただく。

一石山神社から日原駐車場までは3.5㎞くらいある。鍾乳洞付近の駐車場に停めれば近いが、そこは観光客のみとある。それに、この日は道が空いていたが、車が混雑すると奥から出るのに一苦労だろう。車道沿いにはギボウシ、ヤマアジサイなどが咲いており、集落に入るともっといろんな花が並んでいて、ときどき立ち止まって鑑賞しながら歩く。川向うに見える尖峰の稲村岩には、沢から鷹ノ巣山に登った時に近くを通過した想い出の山。登ったことがないのに、強烈な印象が残っている。学生らしき二人連れや登山スタイルの人たちがえらく早いペースで追い越して行ったのは、日原バス停のバスに乗るためだったらしい。私がバス亭を通過したときは、停車中のバスには乗客が乗り込んでいて、出発間際だった。運転手がまだ外にいたのは、もしかすると私を待っていたのかもしれない。「乗りません」と言うべきだったか?斜面の上からは太鼓の音が聞こえていて、今日はお祭りなのだろうか。戻ってきた日原駐車場は半分程度の埋まり具合。片付けしている間に戻ってきた人はいなかった(車が一台きて、すぐに出て行った)。ここは駐車料金一日500円だが、無人。出かけたときは暗くて分からなかったが、このときはサイフをもっていって投入口に500円を入れる。

小川谷橋の先の道標を左へ

出発が鳩ノ巣駐車場になったので、2時半のアラームで起き、トロロソバを食べて駐車場を出る。私と同じくらいに起き、私よりも先に出て行った車も数台。車中泊している車は10数台。狭い日原街道を慎重に進む。道端に車中泊したことがあったが、その場所はどこだったろう。意外にスペースは散在していた。沢に入ったときの横道を過ぎ、日原トンネルに入り、思ったよりもトンネルから離れたところに駐車場がある。半分ほどの入りなので、手前に駐車し、準備。近くにいた車がエンジンをかけ、出て行った。私も準備が終わって歩き始め・・・・・と思ったら、登山靴を履いてなかった。

夜明け前に見た天祖山方面のピーク

天祖山登山口

最初は天祖山登山口まで、車道を3.5㎞。最初の橋までは明るい街灯が点いていて、ヘッドランプは不要。日原はお祭りがあるらしく、斜面の上の道沿いに吊るした明かりが見える。駐車場を出たところにある酉谷山への登山口は、天目山から下った時に通ったことがあり、集落の中にある鷹ノ巣山への登山口も通った記憶がある。鷹ノ巣谷は初心者クラスというふれこみとは全然違う、えらくしんどい沢だった。(そのときは長いツメを登り切って稜線の登山道に出てほっとし、道端に寝転んでいると、登山道をやってきたパーティが楽しそうに歩いて行き、えらく場違いなカルチャー・ショックを感じた。今となっては良き思い出。)最初の橋(小川谷橋)を渡り、渡った先の分岐を左に入ると砂利道になる。そのすぐ先に釣り堀があり、そこの駐車場に停めて準備している人たちがいたが、釣りなのか登山なのか不明。二つ目の橋を渡った先あたりで追いついてきた車がいたが、追い越してはいかなかった。その先の、材木運搬ケーブルのあたりで、もう明るくなり、ヘッドランプを消す。車が一台、先に行く。このあたりまで車で来るべきだったか、いや、帰りが最初の橋の近くだから、今回駐車したところが正解だろう。三つ目の橋の手前にある駐車場に停めてある車が一台。さっきの車ではない。三つ目の橋(八丁橋)は水浸しで、橋の全面が水たまりになっていた。水が濁っていて深さが分からない。スティックを水の中に突いて支えにし、欄干の下の一段高くなったところを無理やり歩いて渡る。三つ目の橋を渡った先にゲートと天祖山登山口があり、そこにさっきの車が駐車してあり、更に軽バイクの二人がやってきた。彼等は皆、雲取山方面に向かったのだろう。

補強された九十九折の道

さて、天祖山に登っていったのは私だけだったが、その登山道というのは切り立った左岸斜面に付けられており、しかも登山口標識に「注意、倒木多し」の表示がくっつけてあった。こいつは苦労しそうだと覚悟して登るが、古い登山道は急斜面に緩くて長いつづら折りを切って付けられており、手を使うことなく、足とスティックで淡々と登る。つづら折りが折り返してきたところで眼下を見ると、はるか下に林道が見えている。林道の真上の長いつづら折りがようやく終わり、少し緩い斜面を登った先はまたまた広い急斜面のつづら折り。下から見上げると、石を積み上げてつづら折りを補強してあるのが良くわかる。「水源林巡視路」という標識があったから、本来は巡視路として作られたのだろう。どのくらい昔に作った道なのだろう。途中で誤ってイクシーの切替つまみを動かしてしまい、赤味ががったのや周囲がボヤけたのができる。新潟の未丈ヶ岳では原因が分からず、へんてこな写真をたくさん作ってしまったが、この日は冷静に切替を元に戻す。ようやく広々とした尾根に上がり、最初の休憩。登り9㎞の半分弱4㎞まで来ていたからだが、ほとんどは車道歩き。駐車場から登山口まで3.5㎞、高低差140mに対し、登山口750mから尾根・休憩地点970mまで距離500m、高低差220m。地面は湿っていたのでシートを敷いてその上に座る。静かな山の中でウォークマンを起動。パンを食べ、缶ポカリを飲む。缶ポカリ3個、ペット・ポカリ3本を詰めたザックはずっしり重かったが、涼しかったのでペット・ポカリ2本は飲まず。

ロボット雨量計

雲に隠れた雲取山

大日大神の崩壊した社

再びつづら折りがあり、途中の巡視路の分岐を右に入り、つづら折りを登り切るあたりで尾根の西側に出ると反射板のようなのがあった。それはたぶんロボット雨量計で、反射板のようなのは太陽電池なのだろう。そこは西の視界が開けていて、半分雲に隠れていたのは雲取山に違いない。半壊した大きな建物(*1)があったのは標高1,140mの広い尾根の途中。それは神社の建物で、仏像などは持ち出されていたようだが、残された像や太鼓が数個、埃をかぶっていた。こんなところにこんな大きな建物を作ったのもたいへんだったと思うが、撤去するのも大変だろう。このまま朽ちていくのにまかせるということだろうが、ちょっとわびしい感じ。この建物については諸説があるが、大日大神というのが正しいのかもしれない。

(*1)半壊した大きな建物について以下のような記録あり

・天神神社(ヤマケイ)、

・大日天神堂(日本山岳会奥多摩支部)、

・「『宮内敏雄著 奥多摩 百水社 昭和19年発行』の地図に天祖山の尾根の大日大神峰の別名が『ドンブラン』と記載されておりました」(yamaotoko7、ヤマレコ147398)、

・大日大神(ドンブラン)の廃神社に残された神鏡、太鼓、人形・・・・(ameblo、pairzu)

大日大神に残された神鏡、太鼓、人形

ヨメナ

この先でこの日初めての花、白いヨメナを見る。その先のつづら折りを登って最初のピーク(P1・1,355m)に着く。東京都水道局の林班界標が立っていた。スピーカーがバッテリー切れとなり、入れ替える。その先で岩場の細尾根を越えるが、岩場の手前にあった祠の屋根は風で飛ばされたものなのだろうか。細尾根を越えた、標高1,500m付近を唐松平と呼ぶらしい(koma1、itsumoharenaraヤマレコ2019年5月10日)。余り写真を撮っていないが、ブナに混じってカラマツらしき細い幹を確認できる。倒れて「支障木」のテープを巻かれているのもあった。薄紫の花は何だろう。

岩の多い細尾根

唐松平付近?

ミヤマモジスリ

ヨメナ

社務所or宿坊

再びつづら折りを登り、再び緩くなった尾根に上がると天祖山まで200mの表示があり、その先に社務所もしくは宿坊と思われる建物があった(*2)。雨水をためるタンクがあり、ガラス窓の中は整然と片付けられていたので、引き戸を開けて中に入ってみる。引き戸はそれほど重くなく、中の土間や板間はきちんと整頓され、スリッパが並べられていた。これなら十分、シュラフと水、食料さえあれば快適に泊れるだろう。社務所or宿坊の前の草むらに咲いていたのは大きなホタルブクロ。

(*2)天祖山頂上直下の建物について

・江戸期は白石山と呼ばれていた山で、明治初年天学教の霊山となり、天祖山と山名が変わった。山頂に天祖神社が祭られ、その表参道に宿坊が建てられ、今日に至る。礼祭日には信者による登拝が行われている。(ヤマケイオンライン)、

・「社務所だったのかな?お札を売ってたようです。一枚1000円。いつの頃かな?今は荒廃した大日神社の他に、大月神社もあったようです。」(a kasari、ヤマレコ)

・「そろそろ1,700mになろうかというときに社務所(というか信者のみが泊まるところ)に着きます」(tok2.mmxtozantai)

ホタルブクロ

社務所or宿坊の中のスリッパ

社務所or宿坊の中

天祖山神社

社務所or宿坊から100m少し先が天祖山の頂上だった。最後の斜面は木の根が林の中の広い丘のてっぺんに天祖山神社が建っており、その正面に三角点があった。1,723mの山頂にいるとは思えない、穏やかで古色蒼然とした雰囲気。神社は柵で囲まれていて中には入れなかったが、「天祖山神社」という表札がかかっており、祠がたくさん柵の内側に並べられていた。ここも林と霧で眺望はなし。裏の湿った倒木の上にシートを敷いて二度目の休憩。バナナを食べ、缶ポカリを飲む。日差しはなく、風が寒いくらい。早々に北の縦走路に向かって歩き始める。

天祖山の三角点

天祖山神社の表札

梯子坂ノクビレ

縦走路合流点

トラバース終了点、水松山分岐

水松山の頂上(頂上標識と三角点)

いったん急坂を下り、登り返してP3・1,671mに達し、再び急坂の下り。このつづら折りの道はだいぶ崩壊していて、コル近くは落石で道筋が不明瞭になっており、慎重に下降。二つ目のコルの方が低く、梯子坂のクビレという古い標識が立っていた。そこから先の二つのピークはトラバースしてゆく道が付けられていて、実に歩きやすかった。ピークにも登ってみたいが、こんなに歩きやすいんではトラバース路も捨てがたい。ありがたく歩きやすい道を歩む。P4・1,662mの真下を通過し、縦走路尾根にある1,710m峰の東側で、尾根に上がったところで縦走路に出るだろうと思い、ひたすら歩く。やっとのことで尾根に着くと標識があったが、それはもう縦走路の標識になっていて、分岐は水松山に向かうものだ。GPSを見て、縦走路分岐を通り過ぎていたことを知り、引き返す。わざわざ引返してみても仕方ないのだが、分岐の存在を確認しておきたかった。こうして約200mを引返し、そこに縦走路との分岐標識を発見。こんな大きなものに気づかずに通り過ぎていたとは。下ばかり見て歩いていたからだろう。分岐はトラバース路の途中にあり、尾根に登って1,710m峰の北側をトラバースしているようだ。さきほどの水松山分岐に戻り、水松山に向かう。100mほどの緩い登りで、三角点と頂上標識のある水松山頂上に着く(*3)。そこも開けている感じだったが、霧で周囲は隠され、風が寒いので、早々に下り、分岐のところで腰を下ろし、3度目の休憩。三つ目の缶ポカリを飲み干し、最初のナッツを半分食べる。水松山が全工程18㎞の中間点となり、ここでGPSを下山コースのトラックに切り替える。時刻は10時半。4時出発とすれば、30分の遅れ。まずまず。

(*3)水松山を「あららぎ」と読むのは当て字ではないか

・アララギとはイチイの別名。同名の短歌会は「阿羅々木」。

・水松は、①スイショウと読み、スギ科のマツに似た木、②イチイのこと (wikipedia等)

水松山の頂上標識

霧の森

アキノキリンソウ

へリポート

縦走路もトラバース路だったが、尾根からかなり南側に下ったところに付けられていた。その道でホタルブクロとアキノキリンソウを見る。北アルプスではたくさんありすぎて無視していたアキノキリンソウだが、花に乏しいここでは貴重。多少、形が悪くてもきれいに見える。次の滝谷ノ峰の頂上にも登りたかったので、コルからトラバース路に向かわず、尾根を登ってみるが、たどり着いたピークは手前にある1,708m峰だった。その先でいったんトラバース路に下るが、どんどん下っていくのが不安で、再び尾根に登り返し、尾根上を進んで行って、ひょっこりヘリポートに出会う。こんなところにこんなものがあるとは。ヘリポートのHを描いた平地には細かな網がかぶせられていて、大きな草や木が生えないようにしてあった。ヘリポートの先で見た白い花はキイチゴだろうか。黄色いダイコンソウ。ヘリポートの先で、尾根を200m、標高差30mほど登れば滝谷ノ峰だったのだが、ここでトラバース路の方をたどってしまう。滝谷ノ峰の東側から登った方が楽だろうと思ったためだが、トラバース路が尾根に上がったのは標高1,610m地点で、距離は200m強だったが、標高差100mはやや辛かった。しかも、滝谷ノ峰には三角点がなく、ピークが4つほどある。その全てが標高1,710mの等高線内にあるので、どのピークでもいいことにはなるのだが、東端の1峰と西端の4峰よりも、中央にある2峰と3峰の方が高く見えた。そして4峰から戻るとき、2峰に頂上標識を発見。たぶん、標高点に近いからここにしたのだろうが、誰が付けたものであれ、頂上標識を発見できて幸せだった。

滝谷ノ峰ヘリポートの案内

キイチゴ

滝谷ノ峰の南東、四ツ角付近

滝谷ノ峰の頂上標識(東から二つ目ピーク)

タワ尾根に降る踏跡

モノレールの終点

滝谷ノ峰の分岐は四つ角になっていて、東西が縦走路、北が滝谷ノ峰、南がウトウの頭への道となるのだが、道標は東西縦走路のものしかない。だが、ウトウの頭に向かう広い尾根と、その尾根を下る踏み跡は明瞭だった。その踏み跡を少し下ったところで4回目の休憩。缶ポカリを飲みつくし、ペット・ポカリを1/3ほど飲む。低い灌木の道を行くと、忽然と現れたのは銀色の運搬用モノレールだった。その「終点」は標高1,730mのあたりだと思うが、モノレールは踏み跡の上にまっすぐに付けられており、大きな倒木の上も跨ぎ越し、P8・1,602mに登り返した先で踏み跡を離れて南西斜面に下っていた。たぶん孫尊谷の林道まで下っているのだろう。銀色のモノレールにタッチして別れを告げる。

モノレールの終点表示

P8・1,602mから西に下っていくモノレール

ウトウの頭・北峰(P9・1,570m)

そしてコルの先の霧の中に、ウトウの頭の北峰の岩峰が見えてくる。なるほど、こいつはすごい。これをロープや鎖を掴んでハラドキの登りになるんだろうか。岩峰の下でザックを下ろし、このときのために持ってきたヘルメットをかぶり、ガーデン・グローブをはめる。だが、赤テープは岩峰を直登する方向には向かわず、右側に回り込んで右斜面をうまい具合に登っていく。スティックでひょいひょい登っていくと、いつの間にかウトウの頭の北峰(P9)1,570mに達していた。やや拍子抜けだが、それだけうまいルートを選んでいるということだろう。この先は地図では読み取れないアップダウンと小ピークを越えていくが、結局、予想したほどの困難はなく、ウトウの頭の頂上に着く。最初に見たのは三角点で、それを見て、ウトウの頭に着いたと分かる。少し経ってから、頂上標識があるはずと探し、黒い鳥の頭を描いた二つの頂上標識を発見する。一つは青い背景に黒い善知鳥で、赤いクチバシに白いスジ3本の穏やかな顔つきをしていて、黄色い字で「ウトウの頭、1,587.9m」とある。もう一つは紫の背景に黒い善知鳥で、白っぽいクチバシに白いスジ2本の顔は、ちょっとすました顔。白い字で「ウトウ、1,587.9」とだけ書かれている。ネット情報には、前者は武藤氏製作、後者は八木氏製作とあり、裏面かどこかにサインがあるのかもしれない。この他、二つの標識の上に、錆びた鈴と登山靴のマスコット(西穂高2,908.8?と書いてある)が掛けてあった。登頂したときの記念品だろうか。(*4)(*5)

ウトウの頭・北峰の西側を登る

ウトウの頭・北峰(1,570m)頂上付近

北峰からウトウの頭への岩尾根

ウトウの頭の頂上(左下に三角点、右上に二つの頂上標識)

(*4)ウトウ(善知鳥)について

「北日本沿岸からカリフォルニア州までの北太平洋沿岸に広く分布する。日本でも北海道の天売島、大黒島、渡島小島、岩手県の椿島、宮城県の足島などで繁殖する。天売島は約100万羽が繁殖するといわれ、世界最大の繁殖地となっている。足島は日本での繁殖地の南限とされ[1]、「陸前江ノ島のウミネコおよびウトウ繁殖地」として、「天売島海鳥繁殖地」とともに国の天然記念物に指定されている。 体長は38cmほどで、ハトよりも大きい[2]。頭から胸、背にかけて灰黒色の羽毛に覆われるが、腹は白い。くちばしはやや大きく橙色である。夏羽では上のくちばしのつけ根に突起ができ、目とくちばしの後ろにも眉毛とひげのような白い飾り羽が現れて独特の風貌となるが、冬羽ではくちばしの突起と飾り羽がなくなる。」 (wikipedia)

(*5)なぜウトウの頭(かしら)と呼ぶのか?については、井出敏博氏の長文の報告があり、海鳥・善知鳥の元となった青森の伝説から、ウトウの生態、能の演目・善知鳥まで詳細、多岐に分析し、最後に現地ビジターセンターに問い合わせ、「孫惣谷にあるウトウ沢の頭にあるから」と考えるのが妥当だろう」と結論づけている。(toshihiroide,wordpress.com)

ウトウの頭の頂上標識(穏やかな顔)

ウトウの頭の頂上標識(すました顔)

マスコット登山靴(西穂高・・・?)

錆びた鈴

篤坂ノ丸(すずさか)1,456mの新しい頂上標識

金袋山(きんたい)1,325mのしゃれた頂上標識

ウトウの頭からの下りにも厳しいところはあると思い、頂上では休まずに下り、大きな岩の先を後ろ向きになって下る(東側を巻いて登れると思う)。その下の急坂を少し下るといったん傾斜は緩くなるが、そのあたりで尾根が二つに分岐し、右(南)に下らなくてはと思っていると、尾根の中央に斜めにロープが張ってあり、まさに右に進むように誘導していた。これも立派な道標だな。急坂に付けられたつづら折りを下り、傾斜が緩くなったところで5度目の休憩。そこから少し下ってコルで、コルからP11・1,456m峰への登り返しとなるが、ほとんど登りを意識せずに頂上に到達。そこには思いがけず「篤沢ノ丸」(すずさか)の頂上標識があった。古い標識は字が霞んで読めなかったが、それとは別に、ふくろうの絵の真新しい頂上標識が架かっていた。ウトウの頭とタワ尾根を登ったネット情報は多いが、正式の登山道はないのに、登っている人はそれだけ多いのだろう。篤坂ノ丸の先も尾根が二つに分岐しており、ルートは右だが、ここにも尾根の中央に斜めにロープが張ってあり、右に進む。次のP12・1,325mには「金袋山」の頂上標識が二つあり、一つは茶色の袋を黄色いヒモでしばった形をしていた。これまたしゃれた頂上標識。ここは標高点の記載があるものの、ほとんどピークとは言えないタワ尾根の地点。なのに、ネットで調べると登山記録がウトウの頭と並んでたくさん出てくる。金袋(かねぶくろ)とは財布、金入れのことを指すらしいが、金袋山は「きんたいさん」と読むらしい(ネット情報)。

人形山1,176mの絵画(キツツキ?)の頂上標識

人形山1,176mの板金・頂上標識

ミズナラの巨木の標識

P13・1,176mには「人形山」の頂上標識が三つ。一つは古い木製、一つは金属製で「タワ尾根、人形山、1,176m」とあり、もう一つが額をはめた絵のような頂上標識で、描かれているのは森の中のキツツキ、もしくは善知鳥なのだろうか。人形山の先も尾根が分岐しており、ルートは右のはずだが、赤テープは左を示している。やや疑心暗鬼に赤テープの方角に進むと、大きな木の根元に「ミズナラの巨木」という標識が置いてあった。その大木が「金袋山のミズナラ」だったようだ。幹の根元には緑のコケが生えていて老木という感じだが、見上げるとゆるくカーブした幹は力強く、緑の葉を空いっぱいに繁らせていた。ネット情報によると、2013年頃に大枝の一本が折れ、痛々しい姿をしていたらしいが、今はまったく元気に見えた。ミズナラの先で赤テープは南斜面の下に向かい、分岐の左尾根から右尾根に方向転換する。右尾根に入ったあたりから、尾根の右側がきれいに植林された杉林となり、縦にまっすぐ、見事に並んだ姿が美しい。P14・1,007mには「一石山」の頂上標識が二つ。古い木製と金属製。金属製のものは人形山のものと同じ材質で、同じ人が作ったものだろう。金属の右上に描かれているのはキツツキのようだ。一石山の先の尾根をまっすぐ下ると燕岩の断崖に出てしまうのだが、ここには早めに南に下る道標(「日原→この先急坂!歩行注意」)がついている。これがほとんど垂直に見える急斜面なのだが、その急斜面もきっちり植林されていて、背の高い杉がびっしり、まっすぐに伸びており、その間に付けられた長いつづら折りの道を下っていく。下りだからいいものの、ここを登るのはしんどそうだ。

ミズナラの巨木の幹

ミズナラの巨朴を見上げる

見事に並んだ植林

一石山(いっせき)1,007mの板金・頂上標識

ほとんど垂直に見える植林の急斜面の九十九折

急斜面の途中のベンチ

ガレ沢の砂防ダム

砂防ダムの下流側に下る

  一石山神社(登山口の脇の建物)

一石山神社登山口の少し上にある道標

一石山神社の建物脇の登山口

ようやく急斜面のつづら折りが終わり、いったん傾斜が緩んでテラスになったところにベンチが二つ置いてあり、そこにザックを下ろして最後の休憩。下りとはいえ、もうだいぶ足が痛い。そこからは燕岩の南側にあるガレ沢沿いをつづら折りに下る道で、もう眼下に日原街道の一角が見え、車の音も近い。ガレ沢には何箇所も砂防ダムが築かれており、上の方にある砂防ダムにはだいぶ土砂がたまっているのが見える。この一石山に向かう道は、植林と防災監視路も兼ねているのだろう。つづら折りの道は地理院地図の破線よりも幅広に付けられていて、いったん砂防ダムの一つの上流側(ここは土砂で埋まっていない)を通って下に見える神社の北側にまで進み、南に方向転換して砂防ダムの下流側を通り、最後は二つ見える神社の建物のうち、南側の建物の入口の真横に下る。入口のところには何の道標もなく、少し登ったところに「金袋山のミズナラ入口、悪路です!歩行注意」という道標がついているのみ。これでは、初めて神社に来た場合、ここが登山口だとは分かるまい。南側の神社の建物には門標はなかったが、北側の建物には二人の女性がお参りしていた。写真を撮るのに時間がかかりそうなので、合間をみてお参り。今日、無事に山を周回できたことを感謝する。ここには「一石山神社」の門標がかかっていた。境内はきれいに掃き清められていて、気持ちの良い神社だった。そこから石段を下って日原街道に出る。正面付近に日原鍾乳洞があり、駐車場は満車。観光客が行き交い、休んでいる人もいる。交通整理の人がいて、久しぶりに人に挨拶。ちょうどそこに一石山神社の湧水(神明水)というのがあり、ひしゃくですくって何杯かいただく。

  

  一石山神社・本殿

  

  

神明水と車でいっぱいの日原街道

防護金網とギボウシ

チャバネセセリとヒマワリ

ヘチマの花

    黄色いオシロイバナ

真っ赤なオシロイバナ

日原街道の道標から見る稲村岩

ホウセンカ

戻ってきた日原駐車場

一石山神社から日原駐車場までは3.5㎞くらいある。鍾乳洞付近の駐車場に停めれば近いが、そこは観光客のみとある。それに、この日は道が空いていたが、車が混雑すると奥から出るのに一苦労だろう。車道沿いにはギボウシ、ヤマアジサイなどが咲いており、集落に入るともっといろんな花が並んでいて、ときどき立ち止まって鑑賞しながら歩く。川向うに見える尖峰の稲村岩には、沢から鷹ノ巣山に登った時に近くを通過した想い出の山。登ったことがないのに、強烈な印象が残っている。学生らしき二人連れや登山スタイルの人たちがえらく早いペースで追い越して行ったのは、日原バス停のバスに乗るためだったらしい。私がバス亭を通過したときは、停車中のバスには乗客が乗り込んでいて、出発間際だった。運転手がまだ外にいたのは、もしかすると私を待っていたのかもしれない。「乗りません」と言うべきだったか?斜面の上からは太鼓の音が聞こえていて、今日はお祭りなのだろうか。戻ってきた日原駐車場は半分程度の埋まり具合。片付けしている間に戻ってきた人はいなかった(車が一台きて、すぐに出て行った)。ここは駐車料金一日500円だが、無人。出かけたときは暗くて分からなかったが、このときはサイフをもっていって投入口に500円を入れる。

    駐車料金の投入口