赤薙山  日光連山の東端

栃木県  赤薙山2,010m、奥社跡峰2,203m、丸山1,689m、小丸山1,601m 2020年3月23日

(赤薙山)栃木百名山

490

立派な駐車場があり、その奥に元スキー場らしきスロープが見える。今は長い階段がついていて、1,445段の先に展望台があり、そこから赤薙山の登山道が始まるらしい。

冬晴れの日、幾人かが階段を歩いている。犬を連れた人も。だがみんな散歩や散策の人たちで、登山スタイルは私のみ。

階段の終点に着き、展望台に上がるとすばらしい展望が開けていた。大きな方位図で山名を同定できる。

展望台から登山道に進む。「赤薙山」の道標があり、整備された登山道が続いている。道の真ん中になぜか回転ドア。その左右には何もないからドアの意味がないが、おそらく昔は鹿除けの金網が張られていたのだろう。回転ドアの向こうに尾根道が見えていて、その先に赤薙山が真っ青な空の下に立っている。

左手には男体山が美しい姿を見せている。やや斜めになった頂上、白い雪の斜めの筋模様。

広い雪斜面を登り切ると赤薙山への細尾根が現われ、そこからは雪を踏んでいく。赤薙山への急な斜面は朝はクラストしていたが、ここも踏跡を辿って登り、赤薙山頂上2,010mに着く。最初に見えたのは灌木の中の祠。その右に小さな鳥居と頂上標識。

この先で二つ目のピーク(P2)に着き、そこからまた下降。下りの急なクラスト・トラバースに苦戦。

やっとのことで奥社跡峰に着く。「奥社跡」という標識が立っていて、そこから先に「女峰山」の道標。縦走路は東から北に大きく回って西の女峰山に向かっており、縦走路の尾根が北に見えている。

細尾根から広い斜面にかかったあたりで「焼石金剛」という岩場に登ってみる。眼下には広い雪原斜面が広がり、背後には赤薙山から奥社跡峰のピークが並んでいた。左にP3を従えた奥社跡峰は手前にまだらのナギを落とし、精悍な姿。

焼石金剛の岩場の傍らには祠があり、小さな菩薩像が置いてあった。

 道の真ん中になぜか回転ドア。その左右には何もないからドアの意味がないが、おそらく昔は鹿除けの金網が張られていたのだろう。回転ドアの向こうに尾根道が見えていて、その先に赤薙山が真っ青な空の下に立っている。
 「焼石金剛」という岩場に登ってみる。背後には赤薙山から奥社跡峰のピークが並んでいた。左にP3を従えた奥社跡峰は手前にまだらのナギを落とし、精悍な姿。
 左手には男体山が美しい姿を見せている。やや斜めになった頂上、白い雪の斜めの筋模様。
女峰山
 長い階段がついていて、1,445段の先に展望台があり、そこから赤薙山の登山道が始まるらしい。
 焼石金剛の岩場の傍らには祠があり、小さな菩薩像が置いてあった。
  6:57 霧降高原P発  7:27 展望台  7:39 小丸山1,601m  9:10 赤薙山2,010m10:39 奥社跡峰2,203m・・・・・・・・・・・・・・・・・・・登り3時間42分10:50 奥社跡峰発11:56 赤薙山12:37 焼石金剛13:40 丸山1,689m14:05 小丸山14:09 展望台14:37 霧降高原P・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・往復7時間40分

**********************************************

大佐飛の翌日は完全休養。道の駅しおばらに昼過ぎまでいて、メモを書き終え、写真選定に着手。それから那須塩原のオータニで買い物し、道の駅しおのやに移動。オータニには良いウィンナーがなく、鶏肉を買い、小さなフライパンで鶏肉と野菜いためを3回に分けて食べる。うまかった。また鶏肉にしよう。この後、写真選定まで終了したのは20時頃だったと思うが、20分仮眠をとってから写真リストを作成しようと思ったが、アラームを消した後で起きられず、そのまま寝込んでしまう。0時頃目覚めるが、トイレに行ってそのまま寝る。

翌朝、4時のアラームで起き、ホットレモンとカフェオレを作り、いつもの朝食を食べて道の駅を出たのは5時半頃。録画NFLを見ていて、動きがにぶかった。朝は寒かったが晴れそうだ。道の駅からも赤薙山は見えていたが、雪がありそうもないのが不安。日光に向かうと正面に男体山と女峰山、そして赤薙山がずっと見えていた。そして日光から初めて霧降高原に右折する。登っていく途中で赤薙山手前の斜面が見えたが、全く雪はない。こいつはダメだ。標高1,300mあたりまで登ると立派な駐車場があり、その奥に元スキー場らしきスロープが見える。今は長い階段がついていて、1,445段の先に展望台があり、そこから赤薙山の登山道が始まるらしい。さて、どうしよう。雪がないから諦めて下るか。いや、今回も夏靴で登ろう。それでチャレンジ・ファイブと言えるのか?まあ、登ってみて決めよう。

夏靴アイゼンがないのがまた障害になるかもしれないが仕方ない。スキーブーツのアイゼンは今回は置いていく。1,445段の階段は長く、片手にピッケルストックを持って登っていくと息があがり、腰が痛む。こいつはだいぶ疲れがたまっているかな、と思ったが、登山道に入って両手でピッケルストックを持つと、突然、腰の痛みはなくなり、楽に息ができるようになる。両手を広げてストックを使って登るのによほど慣れてしまったのだろう。冬晴れの日、幾人かが階段を歩いている。犬を連れた人も。だがみんな散歩や散策の人たちで、登山スタイルは私のみ。階段の途中に、ニッコウキスゲのことと(*1)、昔ここにあったスキー場のことを記した案内(*2)があった。昔はもっと雪が多かったのだろう。かなり急傾斜のところもあり、おもしろそうだ。階段の終点に着き、展望台に上がるとすばらしい展望が開けていた。大きな方位図で山名を同定できる。北には女峰山と赤薙山、西には日光市街の奥に鳴虫山、その奥に夕日岳、南には高原山、その手前に栗山ダムがあり、その右にあるのが月山、東には男鹿連峰が見えており、大佐飛は朝は雲をかぶっていた。展望台の下には「小丸山と日光連山」の生い立ちの案内(*3)。

(*1)・・・・霧降高原キスゲ平は日本を代表するニッコウキスゲの群生地であったため、その「ニッコウ」という名の由来にもなっています。・・・・鹿による食害やクマザサの繁茂により一時は絶滅が心配されたことがありました。そのため、霧降高原園地では鹿の進入を防ぐネットの設置やクマザサの刈払い、ニッコウキスゲの苗の補植作業など自然環境の保全活動を続けています。

(*2)・・・・1965年に日光市営の霧降高原スキー場が開かれ、2003年まで38年間営業していました。・・・・最大斜度36度は上級者も本格的な滑りを楽しむことができるものでした。・・・・コースの設営と維持のために草木を刈り取ることで人の手の入った大きな草原ができ、ニッコウキスゲをはじめとする草花の宝庫となりました。・・・・・放っておくと、やがて木が侵入して徐々に森へと変わり、草原の草花は姿を消してしまいます。そのためスキー場がなくなったこれからも、人の手によって草原を維持していく必要があるのです。

(*3)山のカタチ・・・・日光連山には丸いカタチの山々が多く見られます。これは火山が噴火したときに粘り気の強い溶岩が流れ出て盛り上がってできた山(溶岩円頂丘)だからです。・・・赤薙山や・・・女峰山、帝釈山は尖ったカタチをしていますが、昔は一つの大きな山だったものが、長い年月をかけて雨風に浸食されて現在のような三つの尖った山になりました。

展望台から登山道に進む。「赤薙山」の道標があり、整備された登山道が続いている。赤薙山の頂上が見えており、あともうわずかに見える。少し登ると小丸山の頂上標識。だが、ここはピークとうよりは斜面の途中。分岐があり、右が丸山、左が赤薙山と女峰山。道の真ん中になぜか回転ドア。その左右には何もないからドアの意味がないが、おそらく昔は鹿除けの金網が張られていたのだろう。回転ドアの向こうに尾根道が見えていて、その先に赤薙山が真っ青な空の下に立っている。その先から登山道は広い斜面の左端(西端)の笹の切り分けの中を進むが、霜柱が融けかかっていた。これでは午後には泥んこになってしまうだろう。広い斜面には雪が残っていたが、登山道には雪はなし。行く手には赤薙山の右にいくつかピークが並び、右端の一番高いのが奥社跡峰だろう。右手には丸山。今日はこの二つのピークにも登ろう。スキーができないのだから、その代わりにこの二つのピークに登ってみよう。左手には男体山が美しい姿を見せている。やや斜めになった頂上、白い雪の斜めの筋模様。誰もいないのでウォークマンをスピーカーで鳴らしていく。二日前の続きのソフト・マシーン。

広い雪斜面を登り切ると赤薙山への細尾根が現われ、そこからは雪を踏んでいく。踏跡がたくさんくっきり残っており、土日には大勢が登っていたらしい。おかげでアイゼンがなくても楽に登れる。赤薙山への急な斜面は朝はクラストしていたが、ここも踏跡を辿って登り、赤薙山頂上2,010mに着く。最初に見えたのは灌木の中の祠。その右に小さな鳥居と頂上標識。三角点は雪に埋まっていた。そこからも男体山と女峰山が見えていたので、灌木の外に出て眺める。すぐに先に進むが、クラストした細尾根の下りが始まり、灌木を掴み、後ろ向きになって下降。下りきったところには雪がなく、そこでザックを降ろして最初の休憩。二つ持ってきたパン(木曜に買ったランチパックと金曜に買ったチーズパン)の一つを食べ、ペットコーヒーを飲む。この先で二つ目のピーク(P2)に着き、そこからまた下降。このあたりで最初の登山者に会う。大きなアイゼンを付けていて、さっさと行ってしまう。女峰までだろうか。どこまで行くのかと問われ、行く手に見える二つのピークの高い方(奥社跡峰)までと答える。だが、下りの急なクラスト・トラバースに苦戦。

三つ目のピーク(P3)には通過した覚えがない。おそらくトラバースしたのだろう。最後の登りは比較的広いが長い雪斜面で、この途中で二人目の登山者に会う。軽装の人で、ザックなしのアイゼンとピッケルのみ。すごいスピードで登っていった。どこまで行くのだろう。やっぱり女峰山までかな。そして私はやっとのことで奥社跡峰に着く。「奥社跡」という標識が立っていて、そこから先に「女峰山」の道標。縦走路は東から北に大きく回って西の女峰山に向かっており、縦走路の尾根が北に見えている。ここで二度目の休憩。二つ目のパンを食べ、ホットレモンを飲む。スキーはもってこなかったが、たとえ雪があっても赤薙山から奥社跡峰の間の細尾根をスキーで登ったり滑走したりはできないだろう。だが、奥社跡峰は標高2,203m、登った標高差は900mくらいだが、散策階段から広い斜面、細尾根の急なアップダウン、それに見事な景観。これならチャレンジ・ファイブの中にいれてもいいだろう。

アイゼンなしでは帰りの下りの方がやっかいだが、やはり下りの方が足は軽い。雪はだいぶ緩くなっていて歩きやすいが、ところどころ硬いところもある。やはりP3は気づかずに通過し、行く手に見えたのはP2。そこに登り返し、その先で見えた赤薙山はずいぶん低く見えた。細尾根の最後の難所(アイゼンがあれば難所ではない)を抜け、赤薙山頂上に着いて3度目の休憩。スピーカーがバッテリー切れになっていたが、取り換えずに下る。柔らかくなりかけの雪は歩きにくくはないが、柔らかさがところによって違う。グリセードはいまだに下手で、二度ほどしりもち。雪の細尾根まで下ると傾斜が緩み、楽になるが、今度は雪が融けて泥んこになってくる。朝は霜柱が融けかかっていたところがすっかり融けて、踏み込むとずるっといく。細尾根から広い斜面にかかったあたりの標識(往路のときは気づかず)に従い、少し左(東)にある「焼石金剛」という岩場に登ってみる。眼下には広い雪原斜面が広がり、背後には赤薙山から奥社跡峰のピークが並んでいた。左にP3を従えた奥社跡峰は手前にまだらのナギを落とし、精悍な姿。焼石金剛の岩場の傍らには祠があり、小さな菩薩像が置いてあった。そこにも雪の上に踏跡が残っていて、その踏跡を広い斜面に下る。その踏跡は斜面を狭い九十九折りを切って登っていたが、そんな細かい九十九折りで下れないので、まっすぐ下る。やがて広大な雪斜面となり、踏跡は東に斜めに下っていくので、それを見放して西の登山道の方に向かうが、雪斜面のなかに古いスキートレースのような跡が残っていた。なるほど、これだけ雪があればスキーもできるだろう。だが、スキーを担いであの1,445段の階段を登り、下るのはあまり魅力的ではない。

GPSで見ると登山道はすぐ近くだが、登山道に復帰するには雪斜面をだいぶトラバースした。踏跡のない雪斜面よりも雪のない登山道のほうが歩きやすいと思ったのだが、いきなり泥に滑ってしりもち。こいつは楽ではなさそうだ。靴は泥んこになり、スパッツも泥んこ。おかげでスキー服は無事だった。登っていく二人連れに出会ったのはこのあたりだったろうか。小丸山の手前で左側(西)を下っていくパーティがいて、それが丸山へのルートだった。その道に入ると、斜面をぐるっとトラバースしてゆき、登り返しとなるが、雪がなくなるとまた泥んこに悩まされる。四角く切り出したらしい石で作った階段や木の階段があるが、それらが無い窪んだ地形のところもあり、難所になっていた。やっと登り切ったと思ったところは頂上手前の広場で、そこから登り返して広い頂上に着く。そこからも背後に、赤薙山と奥社跡峰が雄々しく並んでいるのが見えた。東にはすっかり姿を現わした男鹿連峰。その中央の一番高いのが大佐飛だろう。

丸山から下り、小丸山を経て展望台の下のベンチで最後の休憩。展望台にもう一度登ってから下山する。ちょうど階段を登り切ってくる年配夫婦。ご苦労さん。快調に下っていくと、苦しそうに登ってくる人たちに何人か会う。ふと横を見るとすごい傾斜。ここの雪斜面を滑ってみたかった。帰着した駐車場には車が五分の入り。これから階段を登ろうとしている人もいる。朝は閉じていたレストハウスが開いていて、そこのトイレで着替える。おみやげスポットがあったが、サイフを持ってなかったので買わず。

日光は日帰り温泉が無く、ネットで調べた大江戸温泉というのは1万円強のホテル。やしおの湯があるが、グーグルによるとその手前にもう一つある。それはヤフーで調べた別の名前の温泉と同じ電話番号だったが、名前を変えてちゃんと営業していた(きりふり温泉ほのか)。ただし、ペンションの小さな温泉で、それを日帰りにも開放しているもので、無人。500円払って入る。湯は熱く、シャワーもシャンプーもよかったが、露天は狭く、二人はいると満員。道脇に可愛い花が咲いていた。いつものレオンドール日光で買い物し、下道を道の駅くろほねやまびこまで移動する。ここには何度か泊っている。

 

 女峰山(中央左奥)、赤薙山(中央手前)と奥社跡峰(中央右)

大佐飛の翌日は完全休養。道の駅しおばらに昼過ぎまでいて、メモを書き終え、写真選定に着手。それから那須塩原のオータニで買い物し、道の駅しおのやに移動。オータニには良いウィンナーがなく、鶏肉を買い、小さなフライパンで鶏肉と野菜いためを3回に分けて食べる。うまかった。また鶏肉にしよう。

 霧降高原の階段起点とレストハウス

翌朝、4時のアラームで起き、ホットレモンとカフェオレを作り、いつもの朝食を食べて道の駅を出たのは5時半頃。録画NFLを見ていて、動きがにぶかった。朝は寒かったが晴れそうだ。道の駅からも赤薙山は見えていたが、雪がありそうもないのが不安。日光に向かうと正面に男体山と女峰山、そして赤薙山がずっと見えていた。

 レストハウス

 


階段の起点、標高1,345m

冬晴れの日、幾人かが階段を歩いている。犬を連れた人も。だがみんな散歩や散策の人たちで、登山スタイルは私のみ。階段の途中に、ニッコウキスゲのことと(*1)、昔ここにあったスキー場のことを記した案内(*2)があった。昔はもっと雪が多かったのだろう。かなり急傾斜のところもあり、おもしろそうだ。階段の終点に着き、展望台に上がるとすばらしい展望が開けていた。展望台の下には「小丸山と日光連山」の生い立ちの案内(*3)。

 ニッコウキスゲの案内

(*1)・・・・霧降高原キスゲ平は日本を代表するニッコウキスゲの群生地であったため、その「ニッコウ」という名の由来にもなっています。・・・・鹿による食害やクマザサの繁茂により一時は絶滅が心配されたことがありました。そのため、霧降高原園地では鹿の進入を防ぐネットの設置やクマザサの刈払い、ニッコウキスゲの苗の補植作業など自然環境の保全活動を続けています。

 草原と霧降高原スキー場の案内

(*2)・・・・1965年に日光市営の霧降高原スキー場が開かれ、2003年まで38年間営業していました。・・・・最大斜度36度は上級者も本格的な滑りを楽しむことができるものでした。・・・・コースの設営と維持のために草木を刈り取ることで人の手の入った大きな草原ができ、ニッコウキスゲをはじめとする草花の宝庫となりました。・・・・・放っておくと、やがて木が侵入して徐々に森へと変わり、草原の草花は姿を消してしまいます。そのためスキー場がなくなったこれからも、人の手によって草原を維持していく必要があるのです。

 1,445段を登り切る

 


展望台の方位図


 丸山

 



栗山ダム湖(左)、月山(中央)と高原山(奥)


鳴虫山


外山


夕日岳


小丸山と日光連山の案内

(*3)山のカタチ・・・・日光連山には丸いカタチの山々が多く見られます。これは火山が噴火したときに粘り気の強い溶岩が流れ出て盛り上がってできた山(溶岩円頂丘)だからです。・・・赤薙山や・・・女峰山、帝釈山は尖ったカタチをしていますが、昔は一つの大きな山だったものが、長い年月をかけて雨風に浸食されて現在のような三つの尖った山になりました。

 

回転ドアの先の赤薙山

展望台から登山道に進む。「赤薙山」の道標があり、整備された登山道が続いている。赤薙山の頂上が見えており、あともうわずかに見える。少し登ると小丸山の頂上標識。だが、ここはピークとうよりは斜面の途中。分岐があり、右が丸山、左が赤薙山と女峰山。道の真ん中になぜか回転ドア。

 

小丸山の頂上標識

 

赤薙山と細尾根

 


 


細尾根を行く


赤薙山の頂上

広い雪斜面を登り切ると赤薙山への細尾根が現われ、そこからは雪を踏んでいく。踏跡がたくさんくっきり残っており、土日には大勢が登っていたらしい。おかげでアイゼンがなくても楽に登れる。赤薙山への急な斜面は朝はクラストしていたが、ここも踏跡を辿って登り、赤薙山頂上2,010mに着く。

 赤薙山の頂上標識


赤薙山の祠


赤薙山(北面)


男体山


女峰山


 

P2

 

P3と奥社跡峰(P2より)


奥社跡峰の頂上

三つ目のピーク(P3)には通過した覚えがない。おそらくトラバースしたのだろう。最後の登りは比較的広いが長い雪斜面で、この途中で二人目の登山者に会う。軽装の人で、ザックなしのアイゼンとピッケルのみ。すごいスピードで登っていった。どこまで行くのだろう。やっぱり女峰山までかな。そして私はやっとのことで奥社跡峰に着く。

 

奥社跡の標識

 

クラストしたトラバース


焼石金剛の標識

アイゼンなしでは帰りの下りの方がやっかいだが、やはり下りの方が足は軽い。雪はだいぶ緩くなっていて歩きやすいが、ところどころ硬いところもある。やはりP3は気づかずに通過し、行く手に見えたのはP2。そこに登り返し、その先で見えた赤薙山はずいぶん低く見えた。

 

焼石金剛の祠

 


焼石金剛の祠の小さな菩薩像


 赤薙山と奥社跡峰(焼石金剛より)

 丸山(北面)

GPSで見ると登山道はすぐ近くだが、登山道に復帰するには雪斜面をだいぶトラバースした。踏跡のない雪斜面よりも雪のない登山道のほうが歩きやすいと思ったのだが、いきなり泥に滑ってしりもち。こいつは楽ではなさそうだ。靴は泥んこになり、スパッツも泥んこ。おかげでスキー服は無事だった。登っていく二人連れに出会ったのはこのあたりだったろうか。

 丸山の頂上標識

丸山から下り、小丸山を経て展望台の下のベンチで最後の休憩。展望台にもう一度登ってから下山する。ちょうど階段を登り切ってくる年配夫婦。ご苦労さん。快調に下っていくと、苦しそうに登ってくる人たちに何人か会う。ふと横を見るとすごい傾斜。ここの雪斜面を滑ってみたかった。

 赤薙山と奥社跡峰(丸山頂上より)

 レンテンローズ?(きりふり温泉ほのか)

日光は日帰り温泉が無く、ネットで調べた大江戸温泉というのは1万円強のホテル。やしおの湯があるが、グーグルによるとその手前にもう一つある。それはヤフーで調べた別の名前の温泉と同じ電話番号だったが、名前を変えてちゃんと営業していた(きりふり温泉ほのか)。

オオイヌノフグリ?(きりふり温泉ほのか)