「産後のリウマチ手記 (中間報告)」
39歳2008年3月22日
39歳2008年3月22日
私のリウマチの発症は、2002年夏のことでした。
ある日朝起きると、両手の10本の指がウインナーのようにパンパンに腫れ、曲げ伸ばしができないほどの状態になりました。
それまで、病気らしい病気をしたことがなかったこともあり「大したことないだろうけど、念のため病院にいこうか」と近所の内科の診療所に出向きました。
そこでの診察結果は「リウマチの可能性」とのこと。
初めて聞く言葉に、なぜか人事のような気がしてあまり深く考えることもなく3日後に血液検査の結果を聞きにくるようにといわれ、帰路に着きました。
家に帰り軽い気持ちでインターネットで「リウマチ」と検索をかけてみると、そこには信じがたいなんとも恐ろしい症状がたくさん書かれていました…。
「え?私、寝たきりになるの?」「手足がこんなに酷い姿になっていくの・・・?」
どのページをめくっても、「治る」という言葉は書かれていませんでした、むしろ、一生上手に付き合っていかなくてはならない.…とのこと。
私はわけがわからないけれども、とにかく予想しない現実に頭がおかしくなってしまいそうでした。
血液検査結果では抗核抗体反応は正常値を少し上回るものの、RF値は正常値
である、指の腫れも大分引いた…とのことで、その時診ていただいた診療所の
ドクターは「時々、急性でこういう症状がでることもある。疲労が溜まっていますね。-ヶ月くらいしたら膠原病の専門の病院で検査したら良いでしょう。」と、今考えるとなんともいい加減な診察結果を説明されました。
1ヶ月後に、近所の膠原病、リウマチを専門としている個人病院で検査するも、RF値が正常であることと、指の腫れもすっかりおさまっているので、経過観察ということで診察は終了しました。
それから、私の身体に少しずつ変調が現れてきました。
まず、とても疲れやすくなり、何をするのも億劫で休みの日はとにかく-日寝ていることが多くなりました。いえ、今こうして改めて考えてみると、大学受験が終わった年の春に初めて「花粉症」なるものになり、目の周りは象の皮膚のようにガサガサになり、クシャミ鼻水はもちろん、目の中は炎症で真っ赤になり眼科にも通うほどでした。
この頃が、私のアレルギーの始まりだったのでしょう。(しかし、このときあえて私のズボラな性格によ'〕、花粉症の治療を全くしなかったのが今としては
本当によかったのですが。)
それからは、あんなに丈夫だけが取り柄だったのに風邪をひきやすくなり、
しかも一旦引いてしまうとズルズルと長弓|いてなかなか治らなかったり、「自分の身体がおかしいな?」と思うことはあっても、重篤な症状がなかったので、「加齢のせいで、身体も弱くなるんだ」と今思えばおかしな理由で自分を納得させる毎日でした。
2005年6月に長男を出産しました。
破水しても陣痛がつかなかったので、緊急帝王切開での出産となりました。
確認はしてないのですが、このときに術後、痛み止めの注射や点滴を受けています。産後、慣れない育児と睡眠不足、ある程度覚悟はしていたもののその慌しさは想像を絶するものでした。あまり寝ないし、とにかく一日中泣いている子供だったので私は食事をとるのもままにならず、主人は仕事が本当に忙しくて家に居ることがない上、出張ばかりで一日中子供と二人きりの私のストレスは増える一方でした。
なんとか、息子が1歳になり育児が落ち着いてきたころ、かなりの自覚症状が現れるようになりました。残念なことに、私は「痛み」が激しいタイプではなく、とにかく「倦怠感」の症状が酷いタイプだったようで、余計に病院に行く機会を失っていました。とにかく一日中体がだるく、何もしないのに朝から疲れ切っていて自分のことさえ儘ならないのに、だんだん活発になってきた息子の世話は本当に耐え難い苦痛でした。辛くて起きているのがやっとなのに、歩けるようになって外の世界に興味が出てきた息子は、朝から外で遊びたがります。私はボサボサの髪でとりあえず洋服をまとい、息子をベビーカーに乗せて朝から公園に行きますが、それだけで疲れきってしまう私は公園でへたりこんでしまい言うことを聞かない子供を怒鳴り散らし、今思えば子供には本当にかわいそうなことをしました。それでも、自分を騙し騙し毎日を過ごすのにも限界を感じていた頃、市で行われる市民検診の通知が来たので、子供を母親に預けて行ってみることにしました。
2007年6月のことでした。
こういう類の検診には今まで一度も引っかかったことがない私でしたが、「血小板数異常」と書かれた封書が検診から2週間後に届いたときには、なんとなくこのような事態を予期していたのか「やっぱりな・・」というのが正直な感想でした。「検査結果に異常が見られるので、精密検査をしてください」とのことなので
とにかく大きな総合病院がよいだろうと、すぐに「日赤病院」の内科を訪ねました。診察前の看護士さんの問診で「以前、リウマチの疑いがあるといわれたことがあるので、できれば膠原病科の先生に診察をお願いしたい」と申し出たところ、「どの先生を受診するかはこちらで決めることですので。」と、冷たく返され取り付く暇もありませんでした。結局、「初診外来」というところにまわされ、以前手の指が腫れたことや、膠原病の疑いがあると診断されたことを訴えても、「CRP値が正常である」という理由で詳しい検査さえもしてもらえず「経過観察」ということで帰されてしまいました。もちろん、私の倦怠感、だるさは消えることはありません。そこで、友人に勧められ「松本漢方クリニック」を訪ねてみる事にしました。その友人は、私が以前「膠原病の疑い」と診断された頃同時期に「リウマチ」を発症し、半年ほど大阪市内の大学病院で「抗リウマチ剤」を処方されていましたがこのままその薬を飲み続けることに不安を感じ、その後知人の紹介で「松本漢方クリニック」でお世話になり、「リウマチ」を完治させていたので、私には何の不安や戸惑いもありませんでした。身近に、しかも仲のよい友人が「リウマチ」を完治させていたのは、誰のどんな言葉よりも私の大きな支えとなりました。
初めて、診察を受けたのは2007年7月初旬。
何年も前からホームページは何度も読み返していましたので、皆さんが描く病院の通りであることに軽い感動を覚えたほどでした。平日でしたので、何時間も待つことなく番が順番来ました。先生は、穏やかな話し方でちゃんと私の話を聞いてくださり、皆さんが書かれていた人格とはかなり違うなあ(失礼!)というのが、私の正直な感想でした。ただ、頭の回転が恐ろしく速い方だとお見受けしました。きっと、私を含めその先生の明晰さになかなかついていける人がいないので、それが先生のストレスに少なからずともなっているのではと勝手に解釈しております。
松本先生は、私の症状からして「リウマチ」だろうけど、血液検査をすればわかる、とおっしゃいました。翌週、検査結果を聞きに再度受診。主人にも同行してもらいました。血液検査の結果、「バリバリのリウマチです!」「絶対、治してあげるから!完治させてあげるから!」ホームページで何度も読ませていただいた言葉を、このとき私も目の前で聞くことになりました。また、身体のだるさや倦怠感も、リウマチの症状であると教えていただきました。病気が悲しいというよりも、やっと見つけていただいた…安堵の気持ちのほうが大きかったように思います。松本先生の理路整然とした病状や治療の説明も、私をとても安心させてくださるものでした。主人も、何度かホームページを見ただけで十分に理解できないまま、病院にやって来たのですが先生の真筆な対応を真正面で見て、「この先生は信用できる。」と察したようでした。その日から、家族の協力を得て私の治療が始まりました。痛みも少し出始めていましたが、気になるほどでもなく、幸い他の病院で一切治療もしていないので覚悟を決めることなく簡単に治療を始めたのですが、やはり甘かった!!!!帝王切開手術で使われた痛み止めの筋肉注射や、鎮痛剤、その他のものが確実にリパウンドとしてやってきました。
漢方を飲み始めて-週間もすると、両手首、両肘、肩、足首。・・・次々と臼替わりで痛みはやってきました。毎週、鍼灸治療に通い、漢方を煎じて飲み、-日おきに漢方のお風呂に入りました。それでも痛みは容赦なく、やってきました。
痛い手首や肘には、特に毎日たくさんのお灸をしました。そうすれば本当に痛みが軽減するのです。夏の暑い時期でしたので、お灸の痕だらけの腕を見て驚かれることもしばしばありましたが、見た目を気にすることよりも、とにかく痛みをやわらげたいので箪笥の奥から長袖の服を引っ張りだしどうにか隠していました。松本先生のことは、友人が治していただいた事実があるので疑うことは-度もありませんでした。それでも痛みの真っ只中にいるときは、「このまま痛みがなくならなかったらどうしよう・・」不安になることもしばしばありましたが、その頃は毎日ホームページの手記を読むことで乗り切りました。
-度読んだ箇所でも、もう一度読み返すとそのときの不安の答えや励みになることが、いつも書かれてあり、「手記を繰り返し読むように」という意味がわかりました。そんな方たちへの感謝の気持ちと、私も微力であるけれども少しでもこれから治療に入られる方の励みになればと、手記を書くようにといわれるのを励みにしながら治療を続けました。
治療から2ヶ月もすると、痛みはあるものの血液検査の数値が動いてきました。
RF値が正常の範囲である19になりました。
その頃から、腕や太ももあたりに赤いぶつぶつが表れ痒みがでてきました。
「これがアトピー?まさかそんなに早く現れることはないよね・・・」
でも、早くアトピーになりますようにと願いながら、漢方を煎じては飲み、お灸の毎日でした。さらに-ヶ月後、漢方風呂に入ると全身に痒みが現れました。痒くて我慢ならないというわけではないけれどもあきらかに身体に異変が起ころうとしているようです。それから、お風呂に入ると猛烈な痒みが始まりました。
いわゆるアトピーの方の様な肌の症状はありませんが、松本先生に聞くと「アトピーや!」とのことで同じく出現した鼻炎や目のアレルギーのお薬も処方していただきました。そのころから、薄皮をはがすように徐々に痛みが日に日に軽減していきました。薬を飲み始めて約3ヶ月、辛かったりパウンドの時期が終わりを告げたようでした。
そこからは、激しいアトピーを期待しましたが、全身痒くて痒くて掻きまくるほどの痒みはなく酷い痒みは膝から下と頭皮に限られました。ただ、膝から下は肌の色が変わる程のアトピーが今も続いています。
治療を始めて5ヶ月たった頃、先生から「そろそろ手記の準備をしておきなさい。」と言われました。幸い大阪府下に住んでいるものの、自宅から松本漢方クリニックまで電車を乗り継いで片道1時間半、他の都道府県から遠距離の中いらしている患者さんには申し訳ないですが、幼い子供がいるなかでの治療は、現実的にかなりの負担がありましたので、やっと長いトンネルの出ロがかすかに見えてきたようで、また治療に疲れてきていた時期でもあったので、「松本先生の治療が嘘ではないということを、ここまで回復できた感謝の意味も込めて手記を書こう!絶対に完治するまで頑張ろう!」新たな心の励みにもなりました。
幼い子供がいると、家事と育児、それに突発的な子供の病気や通院・・・母親には、まとまってパソコンに向かう時間を作ることが本当に難しく、拙い文章になってしまいお恥ずかしい限りですが、治療から7ヶ月が過ぎ、現在の私は身体のどこにもリウマチの痛みがありません。
松本先生が常におっしゃるリウマチ完治の理論は理解できるものの、それを持ってここに記す明噺さは残念ながら私にはありませんが、生きる証人として声を大にして皆さんにお伝えしたいのは、私が知りうる限り医学という世界で医療に携わる先生方の中で、真摯に患者のことを慮り本当に病気を根本から完治させてくださるのは、松本先生以外にはいらっしゃらないと思います。
私は最初に松本先生にお会いしたときに「絶対に直してあげるから!」ただこの言葉を信じ続けて治療に励みました。残念ながら、治療は生易しいものではありません。毎日毎日痛みの中リパウンドで症状が悪くなっていく頃は、人間でいるのを諦めたくなるほどの深い絶望感に襲われることも少なくありませんでした。そこで安易に治療を諦めただろうと思われる方が、無法地帯のネット上で松本漢方クリニックに対する中傷を書かれているのも知りました。ただ、確実に言えるのは、
私は漢方と鍼灸、そして漢方風呂のおかげでここまで回復することが、できました。松本漢方クリニックにお世話になっていなかったら、今頃どうなっていたのだろう…と
思うと恐ろしい限りです。松本先生に出会えたことを心から感謝いたしております。先日の診察では、「後もう少しや!絶対直してあげるから。」という言葉まで頂きました。あの頃毎日しんどくて辛くて、人生を諦めていた頃が嘘のように本当に元気にしていただきました。
今年3歳になる息子は、あれからますます活発に元気に育ってくれ、以前以上に付いて走るのが、大変になってきましたが、笑顔で息子と今走り回れていることを本当にありがたく思います。完治まであと少し!松本先生、最後の最後までどうぞよろしくお願いします。