「リウマチ手記」
49歳2006年7月13日
49歳2006年7月13日
さかのぼれば、私とリウマチの付き合いは8年になります。前兆と見られる症状が幾つもありました。風邪を引きやすく、扁桃炎、微熱、食欲が無い、体がだるい、疲れやすい、冷え、肩こり、寝汗、耳鳴り、背中の痛み、手足のしびれ感、寝つきが悪く何度と無く目が覚める為、当時は市販の風邪薬を頻繁に服用していました。自身の体調が崩れ始めた前後に一戸建てを購入、夫の会社倒産と生活が不安定だった為、自営業及び内職を掛け持っていた事も有り、体に負担をかけていたと思います。
1998年~2003年
起床時体のこわばりが有って動きが悪く、足の裏の痛みも酷くて、足を浮かせる歩き方に苦労しながらの生活。その後手首の痛みと腫れが続き、力が入らなくなる。単なる腱鞘炎と思っていたが、42歳でリウマチと診断され、頭が真っ白になった!?・・・なんで私が・・?・・(整形外科の先生は心配無いですよ、まだ初期段階です。・・・時期治りますから様子を見ましょうと、さらっと言っていました。)
痛み止めと胃薬を2年ほど服用するが、さらに手足の指と肘へ進行し、箸もペンも持てなくなり、どんどん悪化しているようで、治らないかもしれない!という不安が襲った。親、家族も心配をして、専門病院を勧められたが私は断固拒否しました。なぜならリウマチの薬は強く中でも免疫抑制剤は癌や臓器移植に使われた薬だと言われていますし、その効果も一時的なもので、後に重い副作用で命を落とす恐れも有ると参考書から学んでおりました。
リウマチ=死・・・治らないというイメージが強く有り、不安と恐怖心に捕らわれていた時に、新聞の折り込みチラシの自然治癒力(脊髄活性療法)、それは脊髄に低周波数の電流で脳細胞を活性化する療法でした。2~3ヶ月続けたが効果が出ず更なる痛みと腫れが左足首~甲にかけて進行し、もう何も信じられない思いが強まっていた。そんな最中に、友人から健康食品を勧められ飲んではみるが、1年ほど経っても特に大きな変化は無かった。
この頃から、膝関節から腰痛にまで及び、歩行困難になりテーピング生活となる。漢方専門薬局の処方漢方、信心、温泉湯治、などと体に良い事は色々行ったが良くなったり悪くなったりと不安定な状況が続きはっきりと効果が見られないままでした。
その頃、娘がインターネットのHPで松本先生との出会いを作ってくれました。今までの経緯もあり(半信半疑では有ったが、最後の神頼みで)と晴れない気持ちのまま目の前の文面に書かれていた「漢方・鍼・灸」でリウマチが治る。などその他理論がびっしりと並べ立てて有り、特に目に止まったのが(1.リウマチはアレルギーである。1. 関節の変形も確実に消える。1. リウマチは膝の風邪のようなもの)さらに過言と断言されていた。風邪は肺炎で死ぬが、リウマチで死ぬ事は絶対無いといっている。そして何人かの手記を読んでみましたが、もうすぐ完治などと温かい報告ばかりです。この時私は、何の迷いも無く、「もうこれしかない、治りたい一心」大阪に行く決心をしましたが、夫は反対でした。「500kmも有るのだぞ!と金掛けて治らなかったらどうするのだ!」と通院の大変さを厳しく言っていました・・・遠距離の人には配慮してくれると言っても夫は理解してはくれませんでした。
2004年4月
医院には娘と二人で訪れました。入ると漢方の匂いが(鼻炎でしたが、鼻に付く程)充満していた。松本先生の診察を受け、「ステロイド治療をしてなければ、そんなにかからない。」と言う。そして薬に頼らなくても人間の持つ自然治癒力が治してくれる事を強く主張した上に、「治してあげますよ。」と握手をされ、お先真っ暗な私に希望を与えてくれた事を覚えています。次に、鍼をして頂き、お灸の説明というような流れで医院を後にする。
早速、漢方治療を始めると共に日常生活にも気を配る事にしました。出来るだけ免疫力のつく食べ物を取るよう心がけました。漢方は甘いのか?苦いのか?とても飲み辛い。2週間ほど下痢が続き、追い討ちをかけるかのように度々の下痢と、36.7度~36.9度の微熱が続く中、のどの痛み、目やに、両目充血、鼻水鼻づまり、咳、寝汗(夜中に2回着替えるほど)、喉の異物感と起床時の強張りが続き、手首、足首、膝、肘に激痛が走る。さらに腰痛と歩行が辛く圧し掛かった。
間もなく、アトピーが出始め、目の回りから顔全体に広がり、首、手首、足首、体全体にと変換された時、理論道理、関節の痛みは少し落ち着いたようだったが、痒みには耐えられない程だ。夫はそんな私の状態を心配してか、「そんな治療やめちまえと、余計に酷くなるばかりだ!」と怒鳴り散らしていました。この頑固夫に理解して貰うには不可能に近いと感じ、この時、私は自分の病気は自身で治すんだと強く言い聞かせた。
自営業の為、日中漢方浴は無理です。その分夜1時間以上入るように努力し、体の芯まで温まり、滝の様な汗が出て、とても心地よく関節の痛みも和らぎ、動くような気がします・・・
お灸は最初、要領がつかめず、火膨れを何度も作っていましたが、その火膨れが嫌でさぼりがちでもありました・・・。だが痛みに変えられないと反省し今は出来るだけ努力しています。その後お灸の痕がアトピー化し、痛みが取れるなどこれも又理論道理の症状でした。(松本先生もそれアトピーやぁ~!喜べやぁ~!いい事やぁ~!と電話の向こうで喜んでいてくれました。)
正直、半信半疑で火傷するぐらいにしか思わなかったお灸も、現状を考えると東洋医学のすばらしさに、驚かされている毎日です。鍼は週に1回行くようにしています。今までに無い始まりから結果が目にみえていく事で私は治る!と確信しました。
そして鼻炎の薬と風邪薬と抗生剤を処方して貰うが、4ヶ月を過ぎた頃、さらに肩の凝りと言うか、首の付け根が重苦しい感覚が始まりました。(松本先生は「貴女のリウマチは、喉からきているようだ。」と言って・・・お灸をどんどんやる事、ほな頑張れや~と勇気づけて頂きました。)このような症状が良くなったり、悪くなったりの繰り返しである。
2005年2月
寒真っ只中だと言うのに関節の痛みが和らぎ始め、肩の凝りも取れた。漢方に感謝、お灸に感謝と喜びである。この頃から両足の痺れ感と、耳の痛みが度々出始める。さらにくしゃみ、咳、鼻汁(朝、夜)多量、口の中の痒みも出始めた頃に強張りも無くなった。嬉しい限りだ!
3月初旬から口内炎が頻繁に出始め、先生に抗生剤を飲むように指示される。喉の痛みと花粉の症状も出始め、特に鼻汁が多く、目の痒み、目やに、涙と痰、寝汗と忙しい連日。中旬、関節の痛みがぶり返し、熱37.1度、肩凝り、とものもらいが出る。その頃足裏の痛みが無くなっていた。そして花粉薬に変更になった。下旬はさらに花粉の症状が強まった為、「松本先生に目薬下さい!」とつい、言ってしまった!解ってはいるけど・・・痒みに耐えられずに・・・(先生は「駄目、ダメ、目薬なんか、言うとおりに出来ないのだったら、俺と縁切ったらええんやぁ~」と大声で言う!)・・・松本先生、今縁切られたら困るんですよ。夫の反対を押し切ってまで治療しているんですよ。今の発言聞かなかった事に。そんな言いながらも、先生は目を水で洗いなさいと言う。洗ってみたら目のゴロゴロ感もとれてすっきりした。先生の言うとおりである。以前、参考書に、水で目を洗うと白内障の予防になると書かれて有る事を思い出した。そして花粉の薬を強くして貰う。
4月、相変わらずの症状である。先生はアレルギー体質だから時間がかかると言う。以降、良くなったり悪くなったりの一年となる。
2006年1月
相変わらずの症状である。2月、風邪を頻繁に引く為漢方浴も入らず。3月、目の痒みが取れたが、5月に口の中の痒みが出て、首の付け根が重苦しく感じ始める。下旬に、全体的に症状が軽くなった。先生に(手記書いてやぁ~)と言われ、喜びの余り言葉を失った。しかも今日は私の誕生日でもあったため家族でWお祝いになるはずが突然の来客にて延期になってしまった。
6月今現在の症状としては、最近、風邪を引かなくなった。鼻汁少々、喉の違和感が少々あり、肘関節と足首の痛みが軽度残っています。松本先生に出会ってから2年が過ぎましたが、当時は自分の身に起こった事を追い詰め、自分で病気を作ってしまい、精神的ストレスが、原因の一つで有り、薬さえ付ければ治るんだろうと重要な事にきづかず、日々の忙しさに追われ生きていた自身を反省するばかりです。これもひとえに先生をはじめ、家族のおかげと感謝しています。まだ中間報告では有りますが、これからは常にプラス思考で自然回復能力を高めながら頑張りたいと思っておりますので、最後まで宜しくお願いします。