「リウマチ手記」
39歳2013年7月24日
39歳2013年7月24日
私は、リウマチになりました。病名を告げられた日は涙し、将来を悲観しました。ですが、今は完治までは至っていませんが、病気に悲観することは全くないです。なぜなら、リウマチは治る病気なので。大丈夫、大丈夫。
世間では進行性の一生付き合わなければならない病気とされています。
私も近所の整形外科でリウマチと診断をくだされた時は、医師から良くなったり、悪くなったりしながら、進行していく、悪くなっていく病気で治らないと言われ、絶望しました。松本先生の指導に従い、治療を続け、ストレスで心を痛めないようにすれば、必ず体は正しい方向へ向かっていきます。
出産後リウマチと思われる症状が出てきました。しかし、その時はリウマチのことは全く考えずに過ごしていました。出産を契機に体と心の変化があり、いろいろな悩みもありました。どのようにリウマチになり、どのように症状が改善され治っていったのか、私なりに書き記したいと思います。リウマチになり、松本漢方クリニックの手記を読み漁り、当時私自身が何を知りたかったのか、何に安堵できたのか思い起こしながら、手記のために用意したノートを見ながら書き進めます。少しでも不安で一杯の患者さんのためになれば幸いです。
2008年5月 産後の手首の痛み・こわばりとステロイド注射1回目及び2回目
2月に第一子出産後、夜中の授乳時にてのこわばりを感じる。すぐに行動に移せない。おむつ替えがしにくくなりました。
近所のA整形外科を受診。産後、授乳中は手のこわばりはよくあること、ホルモンバランスの崩れで子どもが1歳を越すあたりにはよくなると言われました。塗り薬を処方される。その後、左手首の痛み・こわばりは消えず、A整形外科で2度、注射を打つ。この時、少量のステロイドが入っていると説明があったが、痛みから解放され治るのであればと思い医者の薦めるまま注射を打つ。手首の痛みはまるで無かったかのように消えてしまいました。
松本先生がおっしゃるように、まさに麻薬。
2010年 産前産後の手首の痛み・こわばりとステロイド注射3回目
第二子妊娠。左手首の痛みが再発。A整形外科を受診すると手首の固定用のサポーターを処方されました。数ヶ月様子を見るが全く変わらないので再度受診。注射を薦められ、以前痛みと症状がなくなったことを思い出し、再度注射を打った。妊娠中でも少量なので問題ないと医師の説明があり、信じていたので安心して任せました。しかし、今回は手首の痛みは消えることなくそのまま出産に至りました。この頃、上の子どもの反抗期に疲れ、実父との確執が芽生え、精神的に常にいらいらしていました。産後は、3キロにも満たない赤ちゃんなのに左手では抱っこすると痛みを感じてしまい、ただただ早く治ればいいのにと思い、やり過ごしてきました。
2010年9月 リウマチ発覚
8月に第二子出産後、左手首の痛みは取れないままでした。上のお姉ちゃんの心のケアと赤ちゃんのお世話で朝も夜も一日中育児に終われる毎日でした。
ある日突然、朝起きると右手の人差し指の付け根のこぶしが大きくはれ、形が変わり、熱を持っていました。左手首も内側に曲がらなくなりました。
2010年10月 大学病院から松本漢方クリニックへ
近所のA整形外科でリウマチと診断され、神戸大学病院を紹介され、1度受診しました。
大学病院では、どこが痛いのか触診されながら細かく記録を残していました。医師は「強い薬をすぐに使い、寛解を目指しましょう。」と言い、1日2回のセレコックス錠、週1回のリウマトレックスを処方しました。抗がん剤にも使用されるリウマトレックス。説明を聞いてそこまで強い薬を服用しなければいけないものか・・恐ろしい・・と思いましたが、病気になってしまったので仕方がない、受け入れるしかないという、諦めたような、投げやりな気持ちで聞いていました。
1週間ほど、医師の処方どおりに薬を服用していました。リウマトレックスも1錠服用しました。
そして、2週間目に夫から「病気は治る。明日早速病院へ行こう。」と明るい声で言われ、松本漢方クリニックのHPを見せられました。夫には、HPをよく読んでおいたほうがいいと言われましたが何をする気も無くなってしまい、ざっと眺めただけでした。勿論松本先生には「お前はアホか」と厳しく叱られました。薬も出してもらえないかもと思いましたが、1週間分の漢方薬と入浴剤を処方していただき、ほっとしたのを覚えています。
無気力になっていた私を見て、毎日遅くまで仕事をしていた夫が帰宅後夜中までリウマチの治療方法を調べてくれていました。仕事も簡単に休めないのに、休暇を取ってくれて松本漢方クリニックに連れて行ってくれました。
帰宅後、なぜリウマチのことを調べてくれたのか夫に聞いたところ、治って欲しいからと言われたときには、ものすごく安堵感と感謝の気持ちで一杯になりました。夫は「松本漢方クリニックの患者さんは、病院独特の暗さを感じない」と言っていました。患者の皆さんも治る病気という意識があるのでしょうね。
この頃の体調は、だるく倦怠感でいっぱいでした。左手の手首と右手の人差し指の付け根、こぶしが腫れ上がり、とても痛かったです。右ひざが痛くて立ち上がるときにぽきっと音がして、階段を降りることが出来ませんでした。
わずか3キロの赤ちゃんを抱っこするのも痛みをこらえながらという感じでした。
このような時に、松本漢方クリニックに出会い、リウマチの治療を開始できたことはとても幸運なことだと思います。最近は付けていませんが、日記が残っているので書き記したいと思います。参考にしていただければ、幸いです。
以下、当時の日記より
2010年10月5日(治療4日目)
昨日、18:00ごろから左足指がほてってきて、ポキポキ間接がなった。
朝のこわばりあり。
膝は変わらず痛い。歩くと右膝・膝裏が痛い。今日は朝から左手がひどく痛む。午後になると気にならなくなるが、動かすと痛い。
2010年10月6日(治療5日目)
肩に少しこわばり、膝の痛み、左手の痛みあり。
夕方足の裏がむくむ。右足小指の付け根辺りが熱っぽい。21:00頃には治った。
10月8日(治療1週間目)
左手が痛い。朝立ち上がり歩き出すと痛い。右足を引きずるように歩く。
30分後には普通に歩けるようになったが、膝の裏が痛い。階段の上りは平気だが、下りは膝が痛い。リバウンドだと思い、ストレスを感じないよう、不安にならないよう、心を強く持とうと思いました。
今日は松本漢方クリニック2回目の通院。血液検査の結果を頂く。リンパ球が低いのはセレコックスとリウマトレックスの影響。自分で免疫を上げるしかない。「痛いときはお灸や。一日何回でもええ。適当にすれば、それだけ時間がかかるからね。」と先生。「治らん病気はない。治るからね。」と力強く握手され、大変励まされました。
10月13日(治療2週間目)
松本漢方クリニック3回目。左手激痛、こわばりあり(両手・肩)、右手手首外側の痛みと腫れ、膝痛くて階段の下りは一歩ずつ。右手の中指の関節が太くなったようだ。右足小指の付け根も何かにぶつかるととても痛い。足の裏も、もったりした感じ。数日ごとに、特に痛い場所が変わっていく。体中、いろんな所にリウマチの痛みを感じた。本格的なリバウンドの開始かと思った。
しかし、鍼が左手に良く効いて気持ちよかった。ヘルペスの薬を頂く。診察では新たに痛い場所が増えたことを先生に伝えると、良いことだと言われ、どんどんお灸するように言われた。
この頃、両手のこわばり、特に左手が痛くて動かせなかった。膝の痛みには鍼が良く効いた。ネットで手記を読んで、早期完治した人はお灸をよくしていたように思った。1日3回や2~3時間など、とにかく時間が長い。お灸がポイントのようだ。私も見習い、3時間まではいかないが、一時間弱くらいはお灸を据えていた。
10月23日(治療3週間目)
痛みは変わらず。午前中は歩くと痛い。左手の激痛にくわえ、両手首の外側も痛い。早く近所の鍼灸院を探さなくてはと思い、1件入ったが、鍼が深かったのか、腫れた。針をしてもらった直後は気持ちよかったが、夜になるとかえって痛みを感じ、お灸をしたら痛みが和らいだ。鍼灸院探しは慎重にしなければいけない。松本漢方クリニックの鍼灸の良さを改めて感じた。松本漢方クリニックの治療を信じて、直そうという気持ちが強まった。その後、近所で良い鍼灸院を見つけることができた。
11月15日(治療開始1ヶ月目)
リバウンドが激しくなってきた。一日だけだが、その日いっぱい膝が痛くて外にも出られない日があった。いつもは、朝は足を引きずるように歩くが、午後になると回復する。お灸をたくさんしたが、この日は右膝が回復しなかった。右膝・右肩が特に痛い。右手の中指の関節が太くなり、痛みもある。
薬指もなんだか太くなってきた。以前、手のひらに注射をしたところの近くだ。確実にリバウンドが現れた。ステロイドで一時休戦していた免疫が眼を覚まして活動開始。痛みがあっても大丈夫。
免疫を抑えなければ、リウマチ抗体は自然にクラススイッチしてアレルギー抗体になり、アトピーになる。アトピーは治るのだから、リウマチも治る。
松本理論は何度も何度も読み返しました。私は飲み込みが悪いので、なかなか全てを理解することは困難ですが、基本の部分だけしっかり頭に入れようと思いました。
免疫の正しい働きを信じ、免疫力アップに努めること。リバウンドがあるということは、次のステップに上がったということ、悪いことではなく、むしろ良いことなのだ。激しいリバウンドと同時に両手首外側にかゆみがでた。
かゆくて赤くなった。アトピーの始まりか?このころ両手首の外側の痛みがぐんと減った。3歳の子どもを脇から手で支えて持ち上げることが出来たがまだ痛い。普通の抱っこは出来る。
12月22日(治療開始2ヶ月目)
松本漢方クリニック通院日。3回目の血液検査の結果が出た。
CRP定量0.45(1回目)→0.37(2回目)→2.71(3回目)
RF定量45(1回目)→82(2回目)→46(3回目)
TTT4.0(1回目)→5.8(2回目)→7.2(3回目)
血沈17(1回目)→40(2回目)→26(3回目)
マトリックスメタロプリティナーゼ3 246.1(1回目)→134.5(2回目)→84.1(3回目)
体調はとても良い。以前のような全身のだるさはなくなった。膝の痛みは右膝に違和感が残る。右肩・右小指足の付け根・右手指・両手首の外側には痛みを感じなくなった。左手首は、相変わらず曲がらないし、何かにぶつけるとものすごく痛い。左手首が一番痛いが、他の部位はそれ程気にならないくらいの痛みに変わってきた。
2011年2月2日(治療開始4ヶ月目)
松本漢方クリニック通院日。CRP0.08、血沈、MMP全て下がる。手のかさつきはアトピーと言われる。数日前の鍼灸の後、右手中指第二間接あたりに今までにないかゆみがあった。ポリポリ掻くと、白い点々が浮いてきた。しばらくかゆかったが、2時間後くらいにはかゆみが引いた。このことを先生に伝えると「アトピーが出てきたな。」とおっしゃった。
「まだ痛いところはあるはずなので、お灸は続けるように」と。
3月2日(治療開始5ヶ月目)
手のひらの荒れ(右手)もひどく、皮膚に突っ張り感があり、中指、薬指が開きにくい。水につけたり保湿するとよく動くので関節の痛みではなさそう。アトピーが少しでも出ると完治に向かっていることを実感でき、とても嬉しく感じた。しかし、右肩上がりに良くなる一方というわけではなく、数日痛みを感じ、調子が悪い日もあった。
2011年10月(治療開始1年~)
左手に痛みある、曲がらない。右膝は立ち上がるときにポキッと音がするが、前のように引きずることもなく、不自由なく過ごせる。右肩や両手首の外側の痛みは消えた。右手の中指・薬指はたまに痛む。体調は良い。
最近アトピーは出てきていない。一気にクラススイッチはできないので、徐々にクラススイッチしていく。
このような安定した体調の中、夫の転勤で兵庫県から宮城県へ引越しすることになった。リウマチ治療は松本漢方クリニックでしか考えられないと私は強く思っていたので、引き続き松本漢方クリニックでお世話になることにした。たまに帰省をするときだけの通院(年に1回くらい)で普段は薬を送ってもらう。
せっかく免疫を高めていく治療を続けてきたのに、遠方だからというだけで、世間一般のイメージの「不治の病リウマチ」になって、一生リウマチ科の病院で蝕まれるつもりはない。松本先生は電話の度、「宮城県からどうもありがとう。」と言ってくださる。お礼を言いたいのは私の方です。年に1度くらいしか顔を見せない患者に薬を送ってくださる。お忙しくて通話時間は限られるが、励ましの言葉を頂けるのは本当に感謝しています。
2013年7月現在、薬を送っていただくようになって1年8ヶ月、リウマチの治療を開始して2年9ヶ月がたちました。引越しがあり、慣れない土地と環境に戸惑い、ストレスも感じてしまいましたが、私には松本漢方クリニックがついているという安心感があります。
人を変えることはできないが、自分を変えることは出来る。受け入れ、許すこと。娘の幼稚園の子育て講演会で聴いた言葉です。心に響きました。心を広く持ち、イライラしない、ストレスを感じないことを肝に銘じ、至らない自分を少しでも高めていこうと思っています。
2013年春ごろからヘルペスの痛みを感じることがあります。特に運動したわけでもないのに筋肉痛で自転車のペダルをこいだり、立ち上がる時に太ももが痛かったです。
先生に相談するとヘルペスの症状と聞き、早速ベルクスロンを送ってくださいました。
ベルクスロンを飲むと痛みが消え、以前と同じように過ごすことができます。今もたまに筋肉痛が現れるので、そういう時は必ずベルクスロンを飲んでいます。
リウマチの痛みは、相変わらずいろいろな所に現れ、初期の頃から同じ左手手首に痛みがありますが、子どもと追いかけっこをしたり、山の中のアスレチックコースを一緒に回ったりと、大変元気に過ごしています。
その後目立ったアトピーはあまりでていないのですが、今は両耳と顔(頬の下辺り)がかゆく、皮がめくれたり、少し赤くなる日がある程度です。
途中経過なので完治まではまだもう少し時間がかかるかもしれませんが、松本先生どうぞこれからもよろしくお願いします。現在は私だけではなく、主人の痔の薬や子ども達の風邪薬、長女の鼻炎が長引いた時にはアレルギーの薬も頂き、幸い一発で治り、今では鼻水ひとつ垂らしていません。(その時は幼稚園の健康診断で慢性鼻炎と診断されました。)
最後に手記が遅れましたことをお詫び申し上げます。