「リウマチ治療の記録‐中間報告」
40歳2005年7月12日
40歳2005年7月12日
松本先生、スタッフの皆様、お世話になっております。
松本先生に診ていただくようになり、2年目を迎え、少しづつではありますが、出来ることが増え、多少の波はありますが、元気になってきています。まだ中間報告ではありますが、ここまで元気になれたことと、その経過をお伝えいたします。
「リウマチで治療をされる皆様へ」
いまだ完治には至らない私ですが、松本漢方クリニックの治療は、「ほんまもん」の治療だと断言します。根気と努力、そして家族の協力が欠かせませんが、リウマチを必ず治せます。たくさんの方々の手記は、体を張ったその証明であり、多少のずれはあっても、私も同じような経過を体験しました。
「発病」1997年1月
第一子を授かった、妊娠7ヶ月目のある夜明け、突然右膝が痛み出しました。そのまま痛みは引いたものの、膝関節は腫れあがり、動きに支障がでるようになったため、針治療を行いました。腫れがひくことはなく、妊娠をしているため、対処療法のみで、出産まで過ごしました。臨月の時には、顎関節が痛みだし、救急病院へ駆け込んだこともあります。
「診断」1998年1月
出産後、育児と仕事に追われながら、忙しい日々を送っておりました。膝の腫れはそのままでしたが、授乳をしていたため、病院へ行くこともせず、針やマッサージでの治療を続けていました。
秋口から、なんとなくだるい日々が続き、冬の初めには、手が動かなくなったり、足も、だんだんとビッコをひくようになっていきました。長男が8ヶ月になったとき、大学病院を受診し、検査の結果、リウマチと診断されました。断乳し、抗リウマチ剤と消炎剤を処方され、飲みはじめました。
「治療1」1998年1月~2001年2月
何種類かの抗リウマチ剤を試しつつ、消炎剤を飲み、リウマチの症状は、2年ほど、次第に落ち着いていきました。処方が安定すると、大学病院から総合病院へ転院、さらに数値が落ち着くと、近所の内科へ転院し、処方を続けました。転院が続いたのは、総合病院では、患者数の増加で、受診者を調整するため、比較的症状の軽い患者は、小さな病院を紹介するシステムだったからでした。当時はあまり深く考えず、薬を処方されただけ、飲みつづけていました。
しかし3年目の冬、インエンザにかかったあと、右手小指が痛み始め、見る見る間に曲がってしまったのです。担当の医師は、「まあ、しょうがない。」程度の受け止め方でしたが、私にはかなりのショックでした。このときから、受身だった姿勢は、病気と正面から向き合う姿勢へと変わりました。今、残念に思うのは、せめてこのタイミングで、漢方で治すという考えが浮かんでいればということです。当時の私は、Webで、多方面から検索し、比較的近くで、(私が判断できる範囲で)最良の治療をする病院を見つけだすのが精一杯でした。そして、あくまで西洋医学で治すことしか思い浮かびませんでした。
「治療2」2001年3月~2002年5月
調べだしたのは、都立病院の専門の科でした。担当医は、ステロイドは用いず、それ以外の薬で、積極的な治療をするのがポリシーの医師でした。それ以前の病院の医師は、専門医でないゆえに、知識に乏しく、正直相談できるレベルではありませんでした。しかし専門医は、さすがに薬や手術に詳しく、話をするのには良かったかもしれません。
検査の数値が思うように良くならないので、最後のころは、免疫抑制剤も処方されていました。少しづつ増える薬に反して、体調はジリジリと悪くなり、出口の見えない状態がしばらく続きました。その間、良いと言われる、さまざまな民間療法を行い、サプリメントを飲み、食事療法も併用しました。どれも決定打にはならず、日常生活に支障をきたすことはないことを理由に、日々の忙しさのなかですごしていたのです。
「薬を断つ」2002年6月~
増えつづける薬に疑問を感じ始めた私は、薬に頼らず、他の方法でなんとかならないかと、Web検索をしまくりました。そこで、初めて「漢方」という言葉に気づいたのです。漢方と針治療で、なんとか薬を断とうと、都内の知り合いの中国人の中医師の所で、漢方療法を始めました。週に1回の針治療と、中国から取寄せた漢方薬を飲み、少しづつ薬を減らし、1月ほどで、完全に薬を止めました。薬を断った最初のころは、夜も眠れないほど痛み、体はギシギシと痛むようになり、座っていても痛みがありました。そのような状態が続きましたが、少しずつ痛みも和らぎ、薬に頼らずとも生活できる自信が3ヶ月ほどで出てきました。
保険のまったく利かない漢方は、かなり治療費がかかり、自営業の身としては、何年も続けることもできず、半年経ち、症状がおちついたところで、一旦やめました。
「第二子妊娠、出産」~2003年9月
薬を飲まなくなって半年、二人目を授かりました。6年間、まったく妊娠の兆候がなかったので、気にもかけていなかったのですが、本当にびっくりした、思いがけない妊娠でした。病気のことがあったため、かなり悩みましたが、またとないチャンスに、産む決心をしました。
妊娠中は、比較的体調もよく、仕事をすることも出来ました。ただ一般的にリウマチの患者の場合、妊娠中は体調が安定するが、出産後悪化するという説をWebの情報で知っていたので、妊娠期間中も、「漢方で治療」というキーワードで、Web検索を続けていました。
そこで「松本漢方クリニックの体験談」をようやく見つけ出しました。あまりに劇的な内容に、本当に驚きました。Webを端から端まで読み、今まで「漢方に詳しい医者ではないがために、血液検査が出来ないし、西洋医学の知識がないので、科学的な根拠がないと、普通の病院では相手にしてもらえない」という、私の疑問(悩み)に、ここでようやく回答が出たと思いました。
早速、松本先生の所へ電話をしました。松本先生は、今までの経緯を聞いてくださり、「妊娠中には、漢方薬での治療はできないが、漢方風呂は可能だ。」と、お話してくれました。そこで、まず体調が安定している今は、出産まで様子をみ、出産後、絶対松本漢方クリニックで治療をしようと、心に誓いました。
「松本漢方クリニックへ」2003年10月
臨月まで安定した状態が続き、周囲の心配をよそに、無事自然分娩。安産で、男の子を授かりました。出産直後は、右足の腫れもひき、病気も治ったかのように元気でした。
しかし母子同室になった3日目から、疲労が重なり、退院するころには、また右膝が腫れ、手首の痛みもひどくなってしまっていました。赤ちゃんのお世話をしつつ、体調はどんどん下り坂となり、3週間を過ぎる頃は、元気な我が子を前に、途方にくれるようになっていました。
出産から21日目、床上げの日に、次男を預け、伊丹行きの飛行機に乗って、松本漢方クリニックへ向かいました。その日から、漢方とお灸での治療が始まったのです。
「松本漢方クリニックでの治療1」 ~2004年8月
治療を始めた最初の半年は、正直思い出したくない期間です。5年間薬を飲み続けていたツケを払うのは、それはつらいものでした。リバウンドの中、昨日出来ていたことが、今日出来なくなる悲しさを味わい、自分が無能な人間に思え、容赦のない赤ちゃんの成長をつらく思いました。またこの期間は、長男の小学校受験、保育園の卒園、小学校の入学、慣れるまでの送り迎え、次男の保育園入園。自分のことだけでも一杯一杯なのに、家族の行事が目白押しで、喜びよりも、苦しみの方が上回っていた時期です。
布団から立ち上がれず、情けなくなたっり、なんともいえない痛みに、お風呂で大声で泣いたり。そんな毎日でも、生活は確実にしていかねばならず、「最後は、死ねる」と、真剣に思ったりしました。同居していた義母が助けてくれなかったら、我が家は崩壊していたと思います。
また、とてもプライベートなことですが、この間、大切な友人が、不幸にも、出産により、母子共に亡くなってしまう悲しい出来事がありました。このときリバウンドに苦しんでいた私は、「生きていてこそじゃないの」と、彼女に教えられたように感じました。大変だけど、助けてくれる家族がいる。大きくなってくれる子供達がいる。一人ではない。元気にならなければ・・・でも、やっぱりしんどいな・・・毎日が、そんなことの繰り返しでした。
ただ気持ちひとつでなんとかなるもので、長男の卒園式には、歩いて向かい、入学の手続きも、人並みに済ましました。入学式、次男の入園の準備、日々こなしていくことが、かなりのリハビリにもなっていました。子供のおかげで、完全に寝たきりにはならずにすんだのです。
なるべくプロテインを飲むようにし、漢方風呂に入り、3番煎じまで漢方薬を飲む。週に1~2回、針治療をし、怒られそうですが、なんとか1日に1回お灸をする。生活はそんな毎日でした。手足の爪の色が変わり、体重は減り、いつも蒼白く、非常に疲れやすかったです。お昼寝を1日3時間もして、「これじゃ、お昼寝じゃないね。」なんて、笑っていました。
4ヶ月目くらいに、手の爪の色がようやく普通の色にもどってきました。足の爪が普通の色に戻ったのは、8ヶ月目くらいだったと思います。
「松本漢方クリニックでの治療2」~現在
昨年の夏、「解夏」という小説が話題になっていました。「夏解」は、禅宗で使われている言葉で、修行が空ける日のことを指すと知り、今の私のつらさが修行なら、私の解夏はいつなのかと、真剣に考えていました。
2004年の夏にかけ、治療にもなれ、アトピーは出てはいませんでしたが、出来ることが少しづつ増えていきました。
6月には、縁あって、大学で教授秘書をすることになり、週3回電車通勤も始めました。「この夏で、どのくらい回復できるか、楽しみね。」と言っていた矢先、2004年8月、次男が肺炎を患い入院をしました。そのため看病で、一時期治療を中断せざるおえない事態になり、過労も手伝って、すっかり治療の成果が後退してしまいました。体重は40Kgを割りそうになり、長時間たっている事が難しいほど、体力が低下していました。良くなりかけていた右足も悪化し、ビッコをひくようになっていました。次男がようやく退院し、慌てて漢方を再開、お灸も再開しました。最初の時に比べれば、痛みははるかに軽く、どちらかというと、筋力の衰えの方が気になる、そんな感じです。
2004年秋になり、足に湿疹が出始めました。痒みは、出たり引っ込んだり、むこうずねが中心で、太ももにも少し出ていました。他の方のように、強烈に出ることはなく、出ては落ち着き、またひどく痒くなる、の繰り返しが、3ヶ月ほど続きました。アトピーが出る前は、体がだるく、関節が痛みます。アトピーが出ると、体が軽くなりました。2004年11月のある日、からだの中からエネルギーが沸いてきて、なんだかうれしいような気分になった日がありました。
2004年の冬は寒さもあまり気にならず、大きなかぜをひくこともなく、元気に過ごせた年でした。顔色もよくなり、座って話していれば、普通の人以上に元気に見えるようです。まだ両足の膝が腫れていて、手首も痛んだり、疲れやすいので、無理はできませんが、治る日を信じて、治療をつづけたいと思います。課題はまだまだあって、治療も半ばですが、これを中間報告とさせていただきます。
松本先生、スタッフの皆様、今後ともよろしくお願いします。