「リウマチ手記」
41歳2005年2月18日
41歳2005年2月18日
まさか自分がリウマチになるなんて・・・初めてリウマチになるかもしれないといわれたとき、私自身もそうでしたが、家族もショックを受けました。リウマチと戦う母を、15年見ています。「リウマチ=治らない」 私の中の公式でした。プレドニンを10年以上も飲み続け、昨年糖尿病にかかってしまった母が、改めて、薬物治療の怖さを、体で教えてくれました。
13年間、専業主婦だった私が、食品レジの仕事を始めたのは、2002年4月の事でした。4時間のパートでしたが、朝5時に起きてから、仕事から戻る13時まで立ちっぱなしでした。足が棒になる、そんな表現がぴったりの毎日でした。
2003年1月、いつものだるさに加えて、足の裏の中指の付け根に、石を踏んだような違和感を感じ始めました。足の違和感と同時に、両手人指し指の強張りと、左手首の痛みが出てきました。チェッカーという仕事柄、仲間から、腱鞘炎やいろんな関節の痛みはよく聞くことです。
もともと肩こりがひどく、腱鞘炎や、腰痛、首が痛くなり易く、鍼灸治療院に通っていたので、そこの先生に相談しました。痛みは和らぎましたが、朝の目覚めの違和感は、一向になくなりませんでした。
母親がリウマチという事もあり、心配になった私は、初めて、近所のリウマチの専門医に行き、血液検査を受けました。結果は、通常より数値は高いけれども、リウマチと判定できるまでの数値ではないという事でした。結局、膠原病の疑い、リウマチの可能性と診断されました。
若い頃の鞭打ちで、骨が変形していた事もあり、しばらく首の牽引に通う事になりました。その間も、手首や足の裏の痛みもあったので、痛み止めの飲み薬と、軟膏、シップを使用していました。
手首の痛みは腱鞘炎だから、注射を一本打てば、これで何でもなかったかのように治ってしまう人もいます。「試してみては?」と言われましたが、リウマチの治療を10年以上続けている母をみている私は、安易に薬を飲んではいけない、注射をしてはいけないと感じていました。10年も、痛み止めやプレドニンを飲み続け、痛みのひどい時は注射をして、痛みをこらえている母でしたが、骨は変形し、注射も効かなくなってきていたからです。
注射ばかりを進める医院が嫌になり、結局、母と同じ医者にもう一度検査をしてもらう事にしました。「一度では解らないから、二ヶ月に一度検査して、数値が上がってきたら、リウマチが発症したことに間違いはない。」という事で、3回目の検査結果から、リウマチ治療の薬を飲む事になりました。
二人の先生に診てもらって、両者とも、「リウマチの痛みは、指の第二関節や、指の付け根に、左右対称に出てきます、貴方は、右手人差し指の第一関節、足も中指付け根だけだから、ただの関節痛かもしれない、でもリウマチが発病しやすいのは確かだから、早いうちに治療を始めましょう、リウマチになってしまうと、完治しません、現状維持が最高の治療です。」と言われました。受診の際に、前の病院と同じで、「足の裏の痛みに、注射を試してみたら?一回で治ってしまう人もいますよ、まだリウマチではないんだから、治る可能性があります。」といわれ、一回だけ注射を打ってもらいました。母のようにはなりたくない、同じ治療じゃ駄目だという事は解ってはいたものの、ほかに治療法がわかりませんでした。
久しぶりに会った友達に、リウマチの事を、何の気なしに話した所、「インターネットで、完治できる病院の紹介があります、西洋医学に頼らず、自然治癒力を引き出す治療法みたいだけど、どうですか?」と、松本漢方クリニックのホームページを紹介してくれました。
松本先生の理論を読ませていただき、「私の探していた治療法はこれだ!」と感じ、すぐに家族の説得にかかりました。駄目もとで、治療を試してみる価値はあると言うことで、主人も大阪行きに賛成してくれました。主人にスケジュールを調整してもらい、一緒に行って貰うまで二週間。
2003年11月、松本漢方クリニックで、初めて受診。「遠くから来たから、大サービスや。」といって、他の患者さんより少し時間をかけて、話を聞いていただきました。産後花粉症がひどくなり、子供たちが小さいため、寝込まないよう、憂鬱な状態から脱出できるよう、良かれと思って飲んでいた、耳鼻科で処方してもらった薬が、引き金になったことがわかりました。
痛み止めを飲んでいましたが、その日から飲むのをやめて、松本漢方クリニックで処方された漢方薬に切り替えました。痛みも増して、何度痛み止めを飲めたら・・・って思った事でしょう。そのたびに、松本先生の「俺が、絶対治してやるで。」という言葉を信じて、「言う事を聞かなきゃ、治らない。」と、痛み止めを断ち切る事が出来ました。
その後しばらくして、足の脛に、ものすごいかゆみが出て来ました。夜寝ていると、知らないうちに、血が出るほどかじっていました。「かゆみがでてくるのは、いい兆候だ。」と松本先生に言われ、家族みんなで喜びました。
かゆみがおさまると、朝起きた時の痛みがひどくなりました。痛みとかゆみの繰り返しも、説明を受けていたので、「絶対、治してやる。」と、にっこり笑って握手をしてくれた先生を思い出すと、落ち込む事はなく、すごす事が出来ました。治らない病気だと思っている時は、とても辛かったけど、絶対治ると思っているので、辛さの中にも明るさがありました。
リウマチには辛い、寒い冬が過ぎ、春になって、花粉症の時期とともに、痛みもだんだん和らいできました。痛みがなくなってくると、治ってしまったような錯覚を起こし、薬の注文も忘れてしまっていました。変わらず、足の裏(注射を打った所)の痛み、両手人差し指のむくみはありましたが、手首の痛みも、足を引きずる事もなく、リウマチである事を忘れてしまう毎日が続きました。
2004年11月、急に寒くなり始めた頃から、再び足を引きずるような痛さと、両手の痛みが出て来ました。治療を受けるなら、松本漢方クリニックでという考えは変わらず、半年近くも松本先生の診察を受けていなかったので、今更先生は診てくれるだろうか・・・と不安ながらも、織田先生の鍼治療の予約を入れました。
2004年12月、叱られる事を覚悟しながら、久しぶりの松本先生の診察、自己判断で薬を飲まなくなった事で、先生の言う事を聞けない奴は治さないとしかられましたが、帰るときには「治したるで。」と、またにっこり笑って握手をしていただきました。
鍼治療の際、織田先生に「あなたが真剣に治療していないから、家族もそれほどたいした事じゃないって思ってるのと違うの?痛さは、本人しかわからないから、痛いのよ、治したいのよって、必死でお灸焼いて、漢方飲んで、態度でしめさなければ解らないよ。いい加減だから、伝わらない、逆に言えば、一生懸命になるほど、辛くないって事なのよね、それはいいことなんだけど、もっともっと大変な人、たくさんいるのよ、あなたもそうならないように、今のうちに治さなきゃあかんよ」って、言われた事がありました。夏場、先生の言う事を聞いて、自宅治療を行っていれば、この冬は、もっと楽に過ごすことが出来たかもしれないと、深く反省しています。
私は、何のために、大阪の松本漢方クリニックを選んだか、そこにしか完治させてくれる先生がいないと感じたからです。私のリウマチは、痛みや腫れはあるものの、殆ど生活に支障がない程度、でも放っておいたり、間違った治療で確実に悪くなる病気です。何年か先に、激痛に苦しんだり、寝たきりにならないよう、軽い今のうちに完治させようと決めて選んだ先生です。先生の診察を受けるたび、患者の体を壊していく、間違った薬の投与を憎んでいる事が伝わってきます。自分で、勝手に診察に行かなくなって、今回改めて、大変な病気だと自覚しました。
そこそこの治療費で、一時的によくなったところで、長い間その治療を続けていれば、体がぼろぼろになってしまうことを、母は教えてくれました。いい先生に巡り合えても、自分自身が、しっかり病気と向き合っていかなければ、何もなりません。患者がいい加減な気持ちでは、先生がいくら一生懸命でも、完治が遅れるばかり。どんなに症状が軽くても、リウマチの完治には、根気が必要だとわかりました。
今回は、先生の言う事も聞かず、しかられる事ばかりで、いい手記が書ける状態ではありませんでしたが、リウマチの完治に向けて頑張って行きますので、これからもよろしくお願いします。