「リウマチ手記(中間報告)」
57 歳 女性
2006 年 9 月 23 日
57 歳 女性
2006 年 9 月 23 日
平成15年5月頃から右足の裏・小指・親指と痛くなり始め近所の整形外科へ診察し痛み止めを、頂きました。1錠飲んで 30 分後にまったく痛くなくなり、その薬がきれると又痛み出し、もともと薬が嫌いな為飲むのを止めてしまいました。医者を代えテーピングのみにし、楽な靴を探し通勤し、店(鶏料理専門店)では足の負担のかからないサンダルに代えても痛みはそのまま半年経ち、右手の小指の関節が痛み、これは、もしかしてリウマチ。私の母がリウマチだったから。私がもらってしまった。16年1月に吉田クリニックへ、検査しに軽いリウマチとの事。でも、我慢のできる痛みだし仕事に差し支えなかった。4月に義母と日光へ遊びに行った時、肩が非常に重くなり右手が、動かない、寝ても痛い、夜中に騒ぐより今(20時)と救急病院へと病名「石灰沈着性腱板炎」座薬の痛み止めと飲み薬。店を、休むことはできないので必死に薬を飲みながらの生活。私が中2の時、母が洗髪も出来ない肩の痛み、もしかして、母もこれだったのかも?足が痛い・手首が痛い・リウマチはこれくらいかぁ~。痛みになれて過ごして17年9月頃から我慢できない痛み。階段上れない・下りられない・レジを開けられない・右足を引きずりながら歩き、もう駄目だ医者に行こうと、新宿の東京女子医科大学へ、レントゲン検査・血液検査・尿検査して、結果は、1ヶ月後。何もしてもらえず店へ。悲しかった。1ヶ月後にリウマトレックスと痛み止め、副作用の説明して頂きました。体の免疫の抑制。薬が飲めない。でも痛い。インターネットで「リウマチが治る」で検索する。手記に出会えたけど、あまりにもすざましく‘やらせ’かなと、12月になりお店は、忘年会シーズンで忙しい。そんな時お友達が、びわの温灸を紹介して頂き通院することに毎日午前中に行って、痛くて眠れない夜は、自分で温灸し、でも、痛みは増すばかり寝返りが大変でベットに座り、やっとドアへ手で回す事もできずお漏らししてしまいパンツの上げ下げもやっとのことでした。下着を着けるのも洋服を着るにも時間のかかること。お店では、トレンチが片手で持てない、ビールの栓が開けられない、ボトルのキャップも開かない、お札をレジから出すこと、ボールペンで字を書くこと、何も出来なかった。お正月が過ぎ、長男に頼んで人を増やして私は、レジに座ることにした。また、インターネットを毎日のように「リウマチは治る」で検索→結果→手記この時は、手記を読み「松本漢方クリニック」は、どこにあるの?京都から30分、日曜日も診察してる。日帰りで行ける。とりあえず行こう!
リウマチと漢方薬
18年2月4日(土)新幹線最終で京都に翌5日朝8時30分松本漢方クリニックへ
松本先生と初めて会うことに、先生は、漢方茶を飲みながら話をされました。ちょっと変わった先生かな?私は、楽しく話しが出来ました。先生は、ここへ何しにきたと行った時、私は、リウマチを治しに来たんですと、言ったの覚えているでしょうか?帰りに必ず治してあげると握手して頂きました。5日、帰宅後手拭で袋を縫い、漢方のお風呂を煎じ早速入浴しました。毎晩眠れなかったのに朝まで眠れたのです。リウマチが治ると信じどこまでもついて行こうと思いました。
2007 年 4 月 4 日(追加分)
私の、リバウンドは、身体の毒素をとても感じました。まず、お小水の色が透明になった事。今は普通に黄色です。入浴(漢方風呂)して髪の 1 本 1 本がびしょびしょで重たくなった事、今でも毛染めをすると頭がすごい汗です。
4 月中頃は、異常な程便が臭い事。体中毒素だらけとびっくりでした。
月 2 回の整体でしたが、4 回に増やし、温灸も週 2 回ずつ通院しております。
漢方の風呂と煎じ薬を毎日かかさずやる事。左足の痛いのが治り、右膝は、まだ痛いですが腿と脛が別々だった感じだったのがつながりました。自分の足になったとうれしかった。右の頚椎が痛くて、カラオケも歌えずにいたのですが、いまは、何曲でも(これは、関係ないですね)両手首と右足と右膝の痛みはまだありますが、靴が履けるようになり、ゴルフ(3 年間出来ませんでした)もできるようになりました。松本先生のおかげです。通院して 1 年 2 ヶ月ですが、本当に有難うございます。
私ことですが
2006 年の 8 月 12 日に事情により鶏専門店の店を閉店することになり、こんなにも身体が健康になったのに大泣きして閉めました。身体が暇で退屈で、10 月にお友達に連れられてスポーツジムへと通い始めました。手首と足に負担がかからないプールとヨガを楽しんでいます。後、私には子供が 3 人います。長男が去年の 8 月 16 日に女の子を、2男が1月22日に男の子、長女が4月 10 日予定日で男の子3人の孫が、そして孫を抱ける事に又、感謝です。
あのままだったら、孫を抱くことも世話する事もできなかったのです。
店を、閉めた事は、残念でしたがリウマチもよくなり、自分の為にこれからの人生を歩んで行こうと時々思うのです。
今では、松本先生に会うのがうれしいですよ。東京~高槻間が近く感じます松本先生が、完治しましたと云われるまで通います。これからは、京都・大阪・奈良と見物も兼ねます。無職ですから、簡単ですが、中間報告とさせて頂きます。