「リウマチ手記」
38歳2010年4月3日
38歳2010年4月3日
『私のリウマチ治療体験記』
【はじめに】
まず始めに・・・私がこの手記を書くまでに到れたことをありがたく思います。
いつか振り返って「あの時は大変だった」と話せる日が来ると信じて、まずはここに到達する日をずっと夢見てきました。私を支えてくれた手記の数々、松本先生、ほか松本漢方クリニックの皆様、そして私の家族に感謝します。
2009年10月に松本漢方クリニックにてリウマチ治療を開始して、もうすぐ6ヶ月が経とうとしています。
洗濯バサミを摘むのさえ、どんどん出来なくなって行く毎日。
2歳の子供が走っていくのに追いつけない日々。
そこから、今はソーイングが出来、お菓子が作れ、娘と追いかけっこが出来、スポーツまでも可能になってきた毎日に変化してきました。
体が動くということがどれだけ有難いか、毎日主人と熱く語っています。
そして免疫の大切さ。毎年どんどん弱くなっていく体で風邪ばかりひいていたのに、今は風邪すら引かなくなりました。インフルエンザや花粉症も怖くなくなりました。
インターネットが普及された昨今で、しかも松本先生がいらっしゃるこの時代に産まれて来ることが出来、本当に良かった。もし今から20年前だったら、私の病気は治らないものだと決め付けていたと思います。
松本論に基づいての治療に家族が反対される方もおられるみたいですが、幸い私は、周りが反対するどころか、「サポートするから頑張ってみなさい」と言って後押しをしてくれたので、すんなり治療を開始することが出来ました。
整形外科でシオゾールという金注射を打つことになり、その日に不安に襲われ、ネット検索したのが始まりです。
《「不治の病。一生付き合っていく病気。」病院に通っていてこの先はどうなるの?》
《治療って何?「リウマチの治療」って何?それをしたら治るのか?》
《その薬が効かなくなったらどうなるの?》
これは私の主人がいつも整形外科の診察日に私に聞いてきた質問でした。
私はいつもしどろもどろで説明しようとしますが、結局出来なくて、夫婦二人でその疑問に答えが出せないままでした。
それが、私が見つけた松本漢方クリニックのHPを主人に見せ「この治療はどう思う?」と聞いたところ、主人は松本漢方クリニックの治療に二つ返事で賛成してくれました。次の休みには高槻に向かうという何とも早い展開です。
下手な文章での長文になりますが、私の治療記が治療をする人に役立つことと、松本論をもっとたくさんの人に知ってもらえ、病気の人がその苦しみから一刻も早く逃れられる事が出来ますように、少しでも参考になれば有難いです。
【私が病気になった訳】
「健康だった私が何故、リウマチになんかなってしまったのだろう」
この理由が松本漢方クリニックに出会えて初めて分かりました。考えれば容易に分かった事なのかも知れませんが、私は現代の医療を信じていたので、何も疑うことなく、風邪の引き始めには早めに薬を準備し、何か体が不調になれば、病院に行ったりしていました。
出された薬はしっかり無くなるまで飲むタイプで割と真面目な性格(バカ)なのだと思います。こんな私ですが・・・今になって全てが繋がり、だいぶ理解出来るようになり、世に溢れている医療品や病院に疑問を持つようになってきました。
私の病気の発生を分かり易く書くと下記の通りです。
2000年 結婚。
2001年頃 花粉症になる(治療はせず)
2002頃 なかなか子供が出来ず、不妊治療を開始する
2003年頃 副鼻腔炎になる(不妊治療をしていた為、漢方薬局で薬を処方してもらう)
2004年頃~下肢に掻き毟り傷。常に湿疹が出て病院で薬をもらい塗らなくなると再発。
2005年 不妊治療(腹腔鏡手術)コノ頃から1年に1回一箇所程度激しい痛みが・・・。
2006年 不妊治療(体外受精)頭皮が頻繁に痒くなることもしばしば。
2007年 出産。リウマチ発病
二人目が欲しかった為、薬はカロナール(解熱鎮痛剤)のみ。
2008年 不妊治療(体外受精)
2009年 不妊治療(体外受精)リウマチ悪化。ロキソニン1日1~3錠服用
→不妊治療を諦め、リウマチ治療(シオゾール金注射開始 10月に1回)
10月 その後すぐ松本漢方クリニックへ
今これを見れば、全てが同じ病気だったと言う事が分かります。それなのに現代の医学は症状が皮膚に出れば皮膚科、鼻に出れば耳鼻科、痛みが出れば整形外科・・・とバラバラ。結局どれも治りませんでした。理由はどの病院も症状を抑えているだけだったからでしょう。何とも最悪な10年です。
結局一人子供を授かれたことが唯一の救いですが、出産後にリウマチが発症したため、高齢出産が原因かも?と思ったことがありました。しかしこれは大間違いでした。私の体は相当なストレスで悲鳴を上げ続けていたのです。「子供が出来ない」という・・・。
精神的には最初の2~3年頃がストレスのピークだったように思います。
そのストレスいっぱいの体にどれだけホルモン剤を投与してきたことでしょう。
100本?200本?そんなことを不安に思わない程、子供が欲しいという欲望に突っ走ってきた日々でした。そんな私に主人は反対し、私を説得しましたが、私は言うことを聞かず、不妊治療を続け・・・結果、他の病気を背負いつつ(皮膚病、花粉症)リウマチになったのです。
【私の症状と他の病院での治療】
子供を妊娠する前から体のどこかが急に痛くなり動かせなくなるということが年に1~2度起こるようになり、救急病院にかかったことも何度かありましたが、不妊治療をしていた時の担当医は(治療中は全ての病気を産婦人科で相談していました)「原因が分からない」と首をかしげていました。今思うとまだマシな回答です。整形外科に行くと、「それは腱鞘炎でしょう」とか「バネ指ですね」とか「50肩ですね」とか勝手に色んな病名がその痛みに名づけられていました。
産後3ヶ月頃、大きな体の異変を感じました。膝がつけない、曲がったら伸ばせない、日に日に、立つ・座る動作が出来なくなり、手指はこわばり、浮腫んだような・・・腫れたような・・・感じで子供のオムツも換えるのに苦労するようになりました。
せっかく授かった子供の世話なのに、何も出来ず、自分の身支度すら一苦労。
何が起こったのだろうと思いました。
産婦人科に併設している整形外科に急遽かかり、「関節リウマチ」と診断されました。
私はリウマチと診断された時、そんな大した病気だと思ってもみませんでした。
よく聞いてはいたけれど、調べもせず、医者が言うことを真っ直ぐ信じ、この時は子供を育てることを優先しました。
母乳をあげたかったし、まだまだ二人目も授かりたかったし・・・。
その医者はその私の気持ちを汲んで、「本来ならリウマチの治療では進行する前に抗リウマチ剤を投与し、経過をみますが、今は母乳をあげ、二人目出産を希望しているということで抗リウマチ剤は使えません。とは言え、何もないと今生活するのも子育てするのも大変だと思うので、小児用の解熱鎮痛剤カロナールを出します。痛いときに頓服程度に飲んで下さい。」
カロナールは気休め程度にしかなりませんでしたが、それでもまだ少し動けるようになった気がして、それをずっと持って、痛みの酷い時に飲んでいました。そして1ヶ月に1回血液検査をしていました。
検査の値が良くなる事があれば、医者は「値だけ診れば健康な体」と言っていました。その診察に、勝手にリウマチが治ったかも?と思ったりもしました。
今思えば、曖昧なおおざっぱな血液検査でしたが。
周りの勧めでリウマチの専門医に相談に行った事もありました。
その先生は有名な先生らしく、患者も多く待ち時間も3時間くらいかかりました。私は、まだ6ヶ月くらいの子供を抱え、その3時間ほどを待って過ごしましたが実際順番が周ってきて相談する時になると、「次の子を望んでいる」というだけで、相談に乗ってくれることもなく、前の整形外科の血液検査の結果を見せて「関節リウマチだと診断された」と言っても、検査されることもなく「まだ関節リウマチだと決まった訳じゃない」と適当に数秒であしらわれました。
有名な先生だと聞いて藁をもすがる思いで行ったのに。2回チャレンジしたけど同じ結果しか得られず、高度なリウマチ患者しかみてもらえないのかと、2回目は泣き帰りました。
これにより、検査をして私の話を聞いてくれ、連れて行く子供にも先生・看護婦さん共によく接してくれ、気休めでも薬を処方してくれた一番最初にかかった整形外科医以外の先生に相談するのが怖くなってしまいました。
そして騙し騙しカロナールと湿布だけで2年程過ごしてきました。
不妊治療は続けていました。毎日のように注射に通い過ごす日々。
どんどん痛みは増し耐えられなくなった頃、こんな体では妊娠する訳がない、と不妊治療を諦め「リウマチの治療をして欲しい」と整形外科医に頼みました。
でもそこで処方されたのが、ロキソニン。「あれ?」という感じでした。
痛み止め?「ひとまず進行がゆっくりなのでロキソニンで様子をみましょう」ということでした。ちょうど、新型インフルエンザが流行した時で、「何もこの時期に免疫を抑制しなくても」というのがロキソニンが処方された理由です。
そのロキソニンも1日3回飲んでも効かなくなってきました。
でも少し経って、特別な疾患を持つ患者がインフルエンザの予防接種を優先的に受けられるようになった頃、痛みもかなり酷いものになっていて、整形外科医にロキソニンでは耐えられなくなってきたことを伝え、そしてそこで、初めてシオゾールという金注射を打つことになったのです。新しい薬で免疫を抑制する薬を使うより、昔からある?シオゾールから試してみようとのことです。「シオゾール?金注射?」私はその日に不安に襲われ、ネット検索しまくりました。
それと同時に今まで不治の病と言われている関節リウマチの症状の行く末と治療法を目の当たりにし(育児、不妊治療優先で深く調べていなかったのです)正直、焦りました。
そこから数日間、育児をそっちのけにネット検索しました。
かなり前にもらった友人からの漢方の勧めのメールを元に、どこか漢方を処方してくれる病院はないか?と探したところ、松本漢方クリニックがヒットした訳です。
【松本漢方クリニック】
さていよいよ松本漢方クリニックです。遠方とはいえ、まだ1時間少しで到着する距離にあったので、救われています。いつも主人と娘と車で行きます。
最初の訪問日、駐車場の場所と医院の位置関係が分からず、だいぶ遠い所に停めてしまいました。私は足が痛くて早くは歩けず、着いた時間も診察時間にギリギリな時間だったので、主人に先に行ってもらい私は必死で後を追いました。必死にびっこを引き、痛みをこらえて、ようやく着いたと思ったら・・・まさかの階段。これを上がるのも必死でした。
松本漢方クリニックに入ると、煎じ薬の香りと、ほんのり暖かい空気が感じられました。
診察時間終了のギリギリの時間に呼ばれ、診察室に入り、症状を話し、先に針灸をするように指示を受けました。そして午後診の開始一番に呼ばれ、診察してもらい看護婦さんからは説明を受け、血液を採取して終了。
鍼灸は初めての経験でした。当たり前ですが、鍼は痛いしお灸は熱かったです。
お灸はやり方を教えてもらい、家でもするように言われました。
初めてもぐさを購入して帰りました。何だか何もかも不思議な感じでした。
煎じ薬や浴剤をもらってスーパーの特売にでも行ったように、大きなビニール袋を提げて帰りました。
私の診察の際、主人が付き添ってくれましたが、主人も昔から治らないと言われている肌の病気があって、一緒に診察を受けていくことにしたので二人分の煎じ薬やらで本当にいっぱいの荷物でした。
【リウマチ治療の経過】
<最初の1ヶ月>
最初の3日間は頭痛、吐き気、トイレに行く度、下痢。といった症状で正直漢方で治療をしていくのが無理じゃないかと思うほどしんどかったです。
主人には、「この治療は(私の)性格に向いている治療だと思う。」と言われていたけど、全く続けていく自信も出なかったです。体が痛いことにプラスしてもう1つ病気を背負っている気分になって・・・。
でも後戻りした所で、同じ毎日。いや、どんどん体が動かなくなっていく毎日。
・・・だと思うと、たった3日で治療をやめることは出来なかったです。
手記でも読んだ先生の言葉「リウマチでは死なないから」が我が家では頻繁に出てくるようになりました(笑)
ところが、3日目より右足下肢(元からかゆみが少しあった部分)からかゆみがきつくなり出し、続いて肛門付近からかゆみ、お腹より赤い湿疹(これは数日で消えた)
痒みの症状が出てきだし、頭痛・吐き気も無くなり、気持ちも復活する事が出来たので、漢方を続けて行く自信が出てきだし、少しずつお灸も出来るようになってきました。
しかし、毎日、下痢。それに徐々に体中が痒くなりだし、特に右足下肢は汁が出て飛び火している感じでどんどん痒みが広がり、次には左足下肢も痒みが出だし、ガーゼに包帯が欠かせなくなりました。鳥肌が立つような感じで、さ~~っと痒みと湿疹が出だしたのが全く初めての経験でビックリしました。肛門から膣周り、下腹部へとどんどん痒みが広がってきました。下肢などは真っ黒に黒ずみ、熱を持って腫れてきました。消毒→赤い薬→エルタシン軟膏を繰り返し塗布し、夜中も寝れなくなるほどひどい状態になりました。
私がお灸をしたい箇所にも汁が出てきて、お灸を少し休止することにしました。夜中でもいつでも時間が空いた時に松本漢方クリニックのホームページを開き、手記を読みまくりました。
それに励まされ、症状に納得し、自分の経過の早さに驚きながら、それでも夜中は一人で大きな声を出して泣きながら毎日を過ごしました。
<2ヶ月目>
あまりに症状が酷いので、早目に受診しました。(遠方なので月に1度受診しています)肌に対する粉薬を頂き、服用から5日、日に日に肌が改善されていくのが分かりました。下肢の肌は、真っ黒、しわしわ、痒みはマシ。少しずつめくれてくる感じ。下腹部は早くに、黒い肌・しわしわ肌が増えてきました。
ただ、肛門~膣辺りは、ずっと同じ状態で痒みが続き、他の箇所の痒みより数段、我慢が出来ず、夜中は気が狂うと思う程、痒みと痛みで寝れなかったです。精神的にキツイ日が続きました。処方されたベルスクロンのお陰もあるかもしれないけど、肛門~膣には、赤い薬などを塗らないようにしたことと、エルタシン軟膏を塗ること、出来るだけ触らないようにすることで、ヒリヒリが無くなり、泣き狂う日々が減りました。
下肢の皮膚は、象の肌みたいになって、皮もめくれ皮膚が再生されかけているけど、まだまだ痒みがあり、その上から炎症がプツプツと出ているという状態になりました。顔は目元が腫れて、目が開けにくい状態になったのが3日ほど有りました。体の痛みは、だいぶ楽になったと思ったけど、右手の親指が腫れ、翌日は手首~指先まで腫れあがり、右手が炎症で動かせなくなりました。
自分のことが出来ず、義母に介護と子供の世話を毎日のようにお願いすることにしました。肩や手、足など痛いときは動かせないほど、炎症がひどく痛かったです。
ただ、その痛さは2日ほどでおさまるので、とにかくじっと我慢をしました。
<3ヶ月目>
痛い部分が、足の指2ヶ所、手(右手親指)1ヶ所とはっきりしてきました。痛いけど自分の足の指を感じ、それを地面につけて歩けるようになってきたので、なるべく意識してきちんと歩くよう心がけるようになりました。痒みはあるものの、肌の状態はいったん少し落ち着いてきました。
何度も軟膏を塗ったりしていた右足のかきむしり傷(治療前からある)がなくなり、他の肌の状態と同じようになり、上半身もアトピーの跡は肌の色が違うだけになりました。
ただ背中はすごく痒い。背中は鍼で電気をながしてもらってから勢いがついたように痒みが出たように思います。
徐々にまた痒みは酷くなり、また黄色い汁が出るような湿疹が出てきて、マシな時は控えていた消毒をまた朝晩始めることにしました。
消毒の日々は結構苦痛でしたが、前回血液検査したRF定量の値を聞き、かなり減った事でまた頑張れると思いました。
しかし、この頃、入浴後などに、胃が痛くなり、吐く、下すなどの症状が酷く出るようになりました。胃痛がひどく続くため、胃炎の薬を処方してもらうようになりました。この胃炎は結局この後1ヶ月ほど続き、体重はどんどん減り、体力も落ちていきました。
<4ヶ月目>
2回目のリバウンドなのか?体は全身酷いアトピーになっていて、また黄色い体液が出まくっている状態でした。痒いのを超えて痛かったです。あまりにも症状が酷いので毎日のように漢方浴剤に入りました。
歩行はラクになっている時が増えてきて、漢方で酷かった下痢も何故か急になくなり、(胃薬のせいか?)ラクになりました。
ただ、まだずっと胃炎が酷く苦しむ毎日、食事も出来ず、あまりにも辛いので日曜日に先生の携帯にも電話して相談しました。次の日、別の薬を処方してもらうことになり
しばらく続きましたが、ようやく落ち着くことが出来ました。
その後、痒みはどんどん出て行っている感じでした。全身大きめに赤く腫れあがる感じのものが増えてきました。この痒みは比較的早く収まるし、黄色い汁も出ないのでまだ楽に感じました。酷い箇所は黄色い薬を塗って、包帯で皮膚を押さえつければ耐えられました。ただ顔・首にも出てきて、一時目が全く開けられなかったことがありました。(丸1日でおさまりましたが)本当に体中が蚯蚓腫れのような・・・赤い斑点が数箇所にもなりました。手記などを読み、コレが戦いの終わりに近い症状だということを知り、体から悪いものが出ているんだと思い、嬉しかったです。
漢方浴剤も1日置きに変え、消毒も必要なくなり、リウマチの痛みはあまり気にならなくなってきて、毎日が出来ることの増える喜びで楽しくなってきました。
<5ヶ月目>
いよいよ私も手記を書くように言ってもらえました。
痒みは全身すごく、痛みは左足の裏、右足の小指の側面のみになりました。
それらを気遣いながら、走り回る2歳の子供を追いかけ、週1程度1時間くらいですが運動もするようになりました。手や指は全然問題なく動かせるようになりました。
歳のせいもあり急な運動で肩が上がらなくなることがたまにありますが、(リウマチではない感じです)1日でそれが大きな痒みに変わり治っていくのを体感しています。医院に行くと、最初にのぼり辛かった階段が、今や駆け足で昇り降り出来るようになっています。
松本先生の論文は何度もずっと読み続けていますが、頭が悪いのか、未だに分からない事でいっぱいです。何が分からないのかも分かりません(笑)ただ漠然と?大きく理解し、共感し、他の患者さんの手記によりそれをさらに高めているといった感じでしょうか。ただ私はコレだ!と信じ「リウマチでは死なない死なない」と言い続けて頑張っています。
<まもなく6ヶ月を迎える今>
RF定量は正常値にだいぶ近くなってきました。痛みは変わらず左足の裏、右足の小指の側面を残すのみ。この場所は痛みが続いているせいか少し変形しかけていますが、徐々にマシになっていけばと、痛みの酷い時には、漢方浴剤も毎日入れますし(もう3日に1回で良いと先月言われましたが)お灸も一日に数回しまくります。
鍼ももっとマメに行かなければと思っています。「全部を頑張ってやらないと治らない。漢方薬を飲んでいるだけでは治らないよ。」と一度言われたことがありますが、本当にその通りだと思います。
痒みはありがたい事に本当に全身に出ています。
先日、痛みのずっと続いている足の裏からも赤い大きな痒みが出ました!歩きにくかったけど、クラススイッチしてるかも?と嬉しく思いました。
下肢はまだ黄色い汁の出てるところもあり小さなプツプツ炎症です。肌もまだ元の色ではありません。黒ずんでいます。その他は、黒ずんでいる皮膚・普通の皮膚関係なしに大きい赤い斑点のようなのがほぼ全身に広がっています。とにかく痒いです。夜中も痒くて眠れなくて、掻きつかれて毎日朝方に眠りにつくといった感じで昼間はボーっとしてしまうこともあります。
何も朝の用意をしない情けない主婦ですが、主人に理解してもらえ、それに今は甘えています。
顔は今はフランケンか?お岩さんか?みたいな感じです。頬は腫れ、目元も腫れ目も開けにくいです。外に出るのも恥ずかしい顔になっていますが、これも何度目か?だいぶ慣れてきて、さっと帽子とマスクを着用し出かけます。友達に会うと「DVだわ。旦那に殴られたわ。」と冗談を言って笑っています。なるべく笑うように心がけ、ストレスに負けないように心を強くしていこうと頑張っています。そして、ストレスやホルモン注射でリウマチになった私が唯一授かった待望の子供と、病気が発症してからこれまでにしてこれなかった部分を取り戻していけるように、病気中助けてもらった主人や義母に、これから恩返しが出来るように過ごしていきます。
それが出来ると感じる今、やはり松本先生のいる時代に生まれて本当に良かった。高槻が近い場所にあって本当に良かった。と思わずにはいられません。
私のリウマチ以外の病気(花粉症や皮膚病)もまもなく治るでしょう。そう思って将来を想像すると楽しくて仕方ありません。
松本先生、ありがとうございます。また次の受診を楽しみにしています。長々と下手な文章でまとまらず、失礼いたしました。
なお、友人や両親にも話していないプライベートな事まで、リウマチに繋がることをこの手記に素直に書くために匿名希望にしました。よろしくお願いします。